第5話 黒服くん、復讐を誓うも途方に暮れる。

 微かなあかりに、ロクは目を覚ました。


 荷物が上にあるせいですぐに起き上がれないが、小さく身じろぎし、薄く目を開ける。


 母親は一睡もせず周囲警戒をしていたのか、汗を流しながら、血走った目を忙しなく動かし、ハンマーを握る手を確かめるように再びぎゅむと握り込む。


「……あぁ、起きたかい……まだ動くんじゃないよ?もう少しここでじっとして、大丈夫そうなら動くから……」


 ボソボソと小さな声で語りかけてくる声は、普段の明るい、酒焼けした声とは似ても似つかない、1気に10歳も老け込んだような低く掠れた声だった。


 神経をすり減らし、周囲の警戒をしていたせいか、たった一晩の徹夜にもかかわらず、とてつもなく消耗している。


 ロクはそんな母親を見て今がどういう状態なのかを思い出し、小さく頷く。


 ロクが起きてから15分が経過した。夜が明け、薄暗いが視界もしっかりと確保出来る。


 そろそろ、動こう。


 母親がそう考え、1度背負子の中の保存食を取りだし、頬張る。


「……これから、どうすれば……」




「燃えちゃうってのはどうかなぁ?」


「っ!?」


 ありえない第三者の声に慌てて振り返り、ハンマーを手に構える。


 ロクはまだ隠れたままで、母が動いた拍子に倒れた背負子で完全に隠れ、動くに動けなくなってしまう。


「いやぁ、逃げた奴がいるから、とりあえず追っかけて、見つかれば殺してくれって言われてねぇ?ひどいと思わない?こーんな深い山で1人か2人逃げた人探せって。しっかもさぁ?」


 迷惑だよねー?と顔を顰めつつ、赤髪の女性は頭をポリポリとかきながら、母親を睨みつける。


「遠くに逃げたと思って奥まで探しに行けば、まさかこーんな近くでコソコソしてるなんてさぁ?」


 手間を増やさないでよね。


 そう言って、握っていた細剣を弄ぶように揺らし、ハンマーを構える母親を一瞥する。


「戦闘の心得もないズブの素人かぁ。あいつも焼きが回ったかしら?こんなの逃がすなんて……ああ、それとも殺したやつがそこそこの手練とかかしら?まあ、なんでもいいか」


 はぁ、とため息をついて細剣を腰の鞘に納め、顎に指をあてて何事かを考える。


 それを隙と見たのか、母親は渾身の力を込め、ハンマーを大きくふりかぶる。


「よし、決めたわ!」


「うわああああああ!!」


 赤髪の女は嬉しそうに声を上げ、襲いかかるハンマーを気にもとめず、踊るように手を叩いて見せた。そして


「《グリル・パーティ》」


 一言、何事かを呟く。


 パチリ、と火花が散る。瞬間


「ぎゃああああああああああっっっ!!!」


 母親の全身を火が包む。一瞬の出来事で、しかし火力は高く、あまりの熱と痛みにハンマーなど等に手放してしまっていた。


「うーん、よく燃えるわねぇ。思ったより燃えすぎちゃいそう。ちょっと全身焦げて死にかけ、くらいのつもりだったんだけど……死んじゃったらごめんねー?」


 殺すつもりはなかったんだけどね。などと宣いつつ、火を消すこともせず、あっけらかんとした表情で指を鳴らす。


 母親を焼いていた炎が消え去り、炭化した肌をさらし、首元を掻きむしる姿で力なく倒れ込む母だったものを、ロクは見開いためでじっと見ていた。


「ろ……ぐ……ぶぁ……」


 呂律の回らない、それどころか、肺すら焼かれ、言葉すら紡ぐことが激痛のはずの母が、必死に名前を呼ぶ。


「お?まだ生きてる?でも、さすがにもう無理だよね……ちょっと後味悪いし……楽にしてあげるね?」


 そう言って細剣を抜き放ち、首を断つ赤髪の女。


 目が、合った


 濁り、焦げた肌が癒着した瞳が、荷物の上に落ちてきたのだ。


 ロクは恐怖と、怖気と、吐き気と、そして強い罪悪感に囚われ、ふるえることも出来ず、必死に声を殺して母だったものと見つめあった。


「荷物はー……非常食かー。いらないねぇ。あのハンマーも普通のだし……置いてくかー」


 赤髪の女は荷物の下のロクには気づかず、汚いものでも見るように亡骸を見て、やがて興味をなくし鼻歌を鳴らしながら村の方へと戻っていく。



 それから、どれほど時間が経っただろうか。


 気を失いそうになりながら、必死に意識をつなぐため親指と人差し指の付け根に噛みつき、皮を破く。口に広がる鉄錆の味と、じくじくとした痛みに、自分が生きていることを教えてくれる。


 さらに時間が経ち、日が傾き始めている。


 ようやくロクは起き上がり、茫然とした表情で母の亡骸を見つめる。


「かあ、さん……」


 涙は流れない。母だったものを背負おうとするが、体格が足りずできなかった。


 仕方なく、母の首を抱え、背負子の中から水と最低限の食べ物をリュックになおし、生首を抱え村へと戻っていく。


 暗くなる少し前に、村へとたどり着く。


 村唯一の出入口である整備された通路に、見知った人物の死体や、黒焦げの隣人だったものがいくつか落ちている。


「……とう、さん……」


 そこで、頭が執拗に潰された父の亡骸を見つけた。


 胴体は無傷で、頭をかばっていた手の指が折れているくらいだ。それくらい、頭だけが潰れていた。


 死体を背負う。母と違い、年老いていた父の亡骸は軽く、なんとか背負うことが出来た。


「父さん、母さん……必ず、連れていくからな……」


 ロクは、まだ泣かない。泣けない。


 引きつったように、自分の血で汚れた口元を吊り上げ、しかし目元は動かず、見開き乾いた瞳が、濁ったようにも見える。


 生首を小脇に、首のない死体を背負い、ロクは進んでいく。


 山を、でなければ


 理由はなかった。それでも、ここにいるべきではないと、ロクにもわかっていた。


 村の様子は確認していない。死体の数は数えていない。


 もしかすれば生きている人物もいるかもしれない。しかし、ロクには関係がなかった。我が家が無事かどうかすら、確認することも頭にはなく、ただ、愛する両親のことだけが、心配だった。


「父さんも母さんも……必ず、必ず、助けるから……」


 既に死んでいるとわかっている。それでも、何故かそう口にしていた。


 ロクは進んだ。前へと。1歩ずつ、前へと。





「……おん?」


 門番のヘインリーは仕事熱心な人間ではない。


 それでも、自分の仕事が大事なものではあると理解し、やるべきことはやる男だ。


「おーい、大丈夫かー?」


 もう深夜と言って良い時間に、よたよたとした頼りない足取りで、大きな荷を背負った小柄な人物が向かってきているのが見えたのだ。


 暗いため、篝火と、外道沿いに作られた簡易街灯の明かりで存在を認識できたが、まだ遠いため詳細がわからない。


 ふらふら、よたよたと危なっかしい歩調なのを気にし、門の内側にいる仲間に一言断り、その人物へ駆け寄る。


 近づくにつれ、尋常な様子出ないと気づく。


 詳細を確認できる距離となり、思わず足を止め槍を構え大声を出す。


「と、止まれぇ!な、な、何を持ってるんだ小僧!?」


 それは、焼け焦げた生首を抱え、頭のない死体を抱え、口元を赤く汚した、ロクの姿だった。


 ロクは呼び止められ、足を止めた。そして


「……ああ、そうだ……2人とも、もう死んでるんだった」


 そう呟き、倒れ込んだのだった。

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踏み出す。その先は…… 紫陽花 @9364huhuhu

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