第4話 黒服くん、村を襲われる。

 不意に聞こえた破壊音に、ロクと両親は顔を見合わせる。


「なんだいなんだい、ハメ外したやつが花火でもミスったのかね?」


「いや、そういう類の音ではなかったぞ。魔物でもでたか……?」


「見てくる?そんなに遠くなさそうだったけど……」


 ただでさえ田舎の、それも寒村であれば家同士の距離などはたかがしれている。無論、減った住人分畑も減るので、村の規模も小さくなる。


 結果として、謎の破壊音はロクの家からそう遠くない距離から聞こえていた。


「うぅむ、魔物ならば危険じゃ。みんなで行こう。ロク、念の為、渡したナイフだけでも持っておいで」


 寒村であっても村は村である。最低限、身を守るために武装したり、周囲に柵や、獣避けのための高位の魔獣の尿を撒いたりして対策をしている。


 特に、父は昔は狩人であったらしく、今でこそ弓を引く力はないが、短刀を握り振り回すくらいはできるし、母もモグリとはいえ鍛冶師である。ごつい仕事用のハンマーを両手に持って恐る恐る外を確認する。


 ロクは父に言われて置いてあったベルトを腰に巻く。武装などそのままつけていたので、ナイフの柄に手をかけつつ、両親の後に続く。


 魔物


 人間に危害を及ぼす野生の生き物。もっと細かく分類があるし、国や立場でその存在は大きく意味合いを変えるが、小さな村にとって、野生の獣や魔物、盗賊は等しく脅威でしかない。


 国の端の街のさらに田舎の山奥の寒村であるこの村にとって、一番の脅威は山に住む野犬や、野犬を狙う小さな魔獣である。


 野犬は群れば人など容易く喰らい尽くすし、魔物は能力を使うため野生動物とは一線を画す強さを持つ。


 それでも、周辺の森には狼程度の強さしかない魔物しか出ないため、村人程度の武装や、それでも手に負えない時は元冒険者がどうとでもできる程度の脅威でしかない。


 だが、全く安全という訳でもない。流れてきた盗賊や、弱い魔物を食い物にする強い魔獣などが出ないとも限らないからだ。それは誰もが理解し、しかし、ここ数十年、魔獣や盗賊などが現れなかったため、警戒が薄れていた。


 しかも年に一度の祭りのようなイベント終わりもあって、気の緩みも大きかった。


 ロク達のように武装して家の外を確認する人間はとにかく少なかった。


「これは……」


 父が言葉を詰まらせる。


 既に暗くなる時間だと言うのに、周囲に人がいないことが確認できるほどの明るさである。


 村の中央近くにある村長の家が、激しく燃え盛っている。


 家の周囲を囲うように、水の帯が揺れている。


 家二軒を隔てる家から、剣を携男性と杖を持った女性が唖然とした表情でいるのが見える。その後ろに、怯えの混ざった少女も見える。


 暫く動けないでいるロクたちの視界に、なんだなんだとようやくでてきた村人の姿が写り、ようやく動き出せるようになる。


「っ……!ロク、避難じゃ!逃げるぞ!」


「おい、お前さんたち、この火は普通じゃない!盗賊だ!」


 父と元冒険者の声が重なる。


 ロクはベルトを置いていたそばにあるリュックを引っ掴み、母は裏手から食料の詰まった背負子と仕事道具の詰まった鞄を持って父に渡す。


 村人の反応は鈍い。祝い事の次の日だ。酒でも飲んでいたのか、余韻に浸っていたのかは定かではないが、目の前の煌々と燃える巨大な炎と、現実感のない揺蕩う水に呆然としている。


「くっ、ワシらだけでも逃げるぞ!」


 父が苦みばしった顔で告げると同時に、バンッ!っと何かが爆ぜるような音が響く。


 ゴシャッと言う音と共に、我が家の扉に何かが飛んできた。


「がっ……がぁぁ……!」


 全身を黒く焼かれた誰かだ。まだ息があるらしく呻き、叫んで腕を中空にばたつかせもがいている。


「ひっ!」


 ロクは悲鳴をあげる。恐怖もそうだが、焼ける肉の匂いや、目の前でもがく人物の動きに生理的嫌悪を覚えた反射的な反応だった。


「こ、これは……まずいぞ!ええい、逃げんと!」


 一瞬の硬直。父は立ち直るのが早かったが、人の死に慣れていないロクは恐怖に固まり、母も少し息を荒らげ顔をゆがめている。


「っ、に、逃げるよロク!」


 母がロクの腕を掴み、父の先導のもと走り出す。村人もようやく理解が追いついたらしく、めいめいに悲鳴をあげながら逃げ惑う。


 ロクは真っ暗になりそうな視界の中、止まってしまいそうな思考でなんとか頭を動かそうとする。


 一体何が、一体なんで、あの黒焦げの人は、あの炎は、水は、死んだのか、そういえばあの顔は……


 考えがまとまらず、滑るように思考だけが流れていく。そんな覚束無い状態で駆け出したのが、そして腕を引かれていたのが良くなかった。


「ぅわ!?」


 慣れ親しんだ土地とはいえ、所詮は田舎の、ろくに整備されていない山奥の村である。


 地面はでこぼこだし、村の外に近づけば木の根や石などが顔をのぞかせている。そんなひとつに、躓いてしまったのだ。


「ロク!」


 母が振り返り、父が母の悲鳴に足を止める。そして……



「なんだ、もう逃げ出す奴がいたのか?」


「えっ」



 ごっ……と、鈍い音が響いた。


「ぐああ!」


 父が倒れ込み頭を抑える。


「ふむ、老人とその娘と孫と言ったところか?まあいい。派手に燃やしすぎだろう、あの馬鹿め……これでは目立ってしょうがない」


 嘆息しながら、倒れ込んだ父の元へ歩み寄る青髪の男性。


「全員殺す必要は無いが、ある程度殺しておく必要があるな。魔物か盗賊の仕業に見せかけておけばまあ問題は無いだろう。」


 まるで面倒な作業を頼まれたように溜息をつきながら、手にした杖を振りかぶる。


「まあ、そういうわけだ。恨むのなら、ここに逃げ込んだターゲットにしてくれよ?アンデットは面倒なんだ」


 言い終わるや否や、倒れ伏した父に向かい杖を振り下ろす。ごす、と鈍い音がし、父が「あがぁ!」と悲鳴をあげる。男が面倒そうに、何度も杖を振り下ろす。


 ごすっ、ごづっ、ごしゃっ、ごちゃっ、ぐちゃっ


 次第に音が鈍く、湿った音に変わっていくのを、ロクはあれは一体なんだと見つめていた。


 わからない


 青髪の男が何をしているのかわからない


 わからない


 その足元にある見知った服装の人物がわからない


 わからない


 広がっていく液体がわからない


 わからないことだらけのロクは、気付かぬうちに手を引かれ走らされていた。


「はぁっ!は、あ!っず、!ん、っはあっ!」


 母がボロボロと涙を流しながら、鼻水を拭うことすらもせずに必死に走っている。せっかく逃げ出したのに、村の方に戻るわけも行かず。かといって、男の脇を通り抜ける度胸などない。


 母は逃げるために、深い森へと足を踏み入れる。


 ロクはわからないことだらけで、頭が上手く働かず、鈍い痛みを訴えていた。それでも、母の必死の形相に怯えつつ、なんとかついて行こうと前へ進む。


 時間にしたら、10分ほどだろうか?


 何度も足を取られそうになり、転びかける度に母に支えられ、そして母を支えて走っていく。落ち着いてはいないが、少し回り始めた頭が、認識できなかった事実を整理してしまう。


 父が、殺された。


 その事実に、ロクは泣けなかった。


 感情が無いわけでも、悲しくない訳でもない。しかし泣けなかった。


 どこか壊れたかのような、空っぽの瞳で、母と、暗くなっていく森を見つめる。


 さらに10分、走っただろうか?


 前をろくに見ることが出来ないほど、深い闇に包まれる。太い木の傍で立ち止まり、根の影に座り込む。


 ぎゅ、っと母に抱き寄せられ、髪に涙と鼻水と、汗とヨダレがつく。


 ロクはそんなことも気にならないほど、怖くなっていた。


 悲しいし、辛いし、狂いそうな怒りが満ちているが、それ以上に、怖く、震えが止まらなかった。


 母と同じように涙と鼻水を母の服に擦り付けるように顔を押し付け、がたがたと震えていた。



 気づけば、1度寝てしまっていた。



 母は起きていたらしく、ロクを片腕で抱きしめながら、鍛治用の無骨なハンマーを握りしめ周囲を忙しなく睨んでいる。


 怯えるような表情でありながら、目だけはぎらついた光を帯び、なにか覚悟を決めたような表情である。


「か、か、かあさん……」


 言葉につまりつつ、母を呼べば、ハッとした表情であるロクを見てくる。


 普段の悪い目付きをいっそう悪くさせ、しかし、目だけは普段と同じか、それ以上に、優しい光を載せて、ロクをみる。


「大丈夫。あたしが守ってやっからね」


 ぐしぐしと乱暴にロクの髪を撫で、食いなと干し肉を差し出してくる。


 食欲はなかったが、それでも、しゃぶるように咥え、塩気を啜る。


「いいか、今のうちに、父ちゃんの革鎧を着るんだ。あんなんでも、ないよりは全然いい」


 そう言って、荷物の入ったリュックから父の贈ってくれた革鎧を取り出してくる。


 それを見て、ああ、と呻く。


 父は、いない


 単にこの場にいないだけで、あとから合流できるかもしれない。


 そう思っていたのに。


「……」


 無言で革鎧を身につけ、ぎゅ、とグローブ越しに拳を握る。


 ロクはまだ、泣けない。


「よし、着たね?なら、ナイフでも鉈でもいいから抜いておきな。さっきの盗賊じゃなくても、仲間が来るかもだし、魔物や、犬っころが来るかもしれない」


 言われて、母から贈られた剣鉈を抜き放ち、ぎゅっと握り締める。


 村からはそんなに離れていない。初戦は人間の足だし、ましてや子供連れだ。時間も30分と走っていない。


 隠れているだけ。不意をついて逃げ出せたのか、あるいは逃がされたのか。


 とにかく、わかりやすい恐怖の対象である青髪の男性は、そんなに離れてない所にまだいるのだ。


 ロクと母は息を殺し、慣れない武器を手に、じっとする。


 周りは完全に闇に飲まれ、お互いの姿すら確認しづらいほど。


 それでもロクは、母のおかげで心の均衡を保っていた。


 1時間か、2時間か。あるいはもっとか。


 時折聞こえる獣の声や、草をかき分けるような音に身動ぎ、慌てて剣鉈を構え直す。


 そうしていくうちに、体力の限界を迎えたのか、視界が揺れ、瞼が重くなっていく。


 必死に頭を振り目を覚まそうとするが、まだ子供の体力では厳しいものがある。


「……ロク、寝ておきな」


 母がそんなロクに気づき、少し深くなっている根元にロクを誘導する。


「ここなら、パッと見じゃわかんないだろうし、あたしならわかるから。ほら、寝ておきな」


 言われて、誘惑に負け、穴とも呼べない凹みに体をちぢこませ潜り込む。


 リュックと背負子を上に乗せれば、誰かがいるようには見えないだろう。


 ロクは、暗闇と疲れに抱かれ、深く眠りについた。

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