06.ヴァレンティナ

 格子模様の編み目、ラインアートが無限に広がっていく。


 銀白色のライン、先の見えない巨大な網目模様が彼方に広がり、繋がり切断され、また繋がっていく。 新しい格子が出来るとそこに無数の光が飛び交い、更に彼方へと光が走っていく。そして、更にその先へと。 新しい肉体との神経接合。脳内のネットワークが構成されるまでの単調で苦しい訓練。


 人間的な通常の生活ができるようになるため、赤ん坊の頃から人間をやり直すような訓練が必要だった。


 もっとも、神経や脳のネットワーク回復プログラム素子(デバイス)の内臓や、薬物の投与によって、ケイスは確実に新しい体に慣れてきた。 一方で、ケイスには、自分の感情が抑制されているのがわかる。


 人工物で構成された肉体は、あらゆる感覚を遠くに感じさせる。まるで、人形の眼から外を眺めているような気分。空虚な肉体からは感じられない。 一方で、一日に何本も投与される脳内麻薬性の物質。その中に、そういった抑制プログラムが仕込まれていたとしても不思議ではないと思った。


 そして、自分自身も生きているのか、死んでいるのかわからなかった。


 指すらまともに動かせない、全身を重たく固い潜水服で覆われ、脱ぐことも許されない。


 全身の感覚は遙か彼方にあるように遠く、まるで自分の身体と認識できなかった。


 三ヶ月間の血反吐を吐くリハビリと戦闘訓練の間、殺してくれと何度も思う。


 ケイスの新しい体のスイッチを入れた、レイチェルと呼ばれる看護婦。良く自分の病室にやってきて、ケイスの体をいじりまわす。


 その幼い外見とは別に、彼女は脳神経科学の優秀な博士だという。


 クルクルとした長い巻き毛を揺らし、大きな瞳でケイスの眼をのぞき込んでくる。


 なんとか動きが伝わる指で、モールスを打った。殺してくれと。


 わかるものかと思っていたが、見る間に大きな瞳に涙をためた彼女が、ケイスの感覚のない人工の頭部を思いっきり何度も叩いた。


 自分の肉体を意志とは関係なく完全置換(リプレイスメント)され、初めは指を動かすことが、念力(サイコキネシス)で椅子を持ち上げるのと同じくらい不可能なことに思えた、連日のリハビリテーション。


 毎日夢に出てくる、サラエボの赤い夕焼けと、黒く大きな手。その中で泣き顔を見せるナオミの姿。


 人工的に脳内の活動を制御され、感情の起伏すらコントロールされた状態は、むしろケイスにとっては良かったのかもしれない。


 もし、正常な状態であったら、衛兵から九ミリを奪って、自分の脳に叩き込む想像を実行に移していたかもしれない。


 ここに収容されてから、外出はもとより、外部との連絡を取ることは厳禁されていた。


 士官候補生といえども、上等兵待遇で派兵され、軍の最高機密に属する生体パーツでリプレイスメントされた肉体を持ったケイスに、軍の命令は絶対だった。


 施設外への逃亡は敵軍逃亡相当の罪として、その場で射殺するとの伝えられた。


 今、収容されている施設が西ドイツの軍直属脳外科施設であるという以外、ケイスには今居る場所すらわからない。


 当然、ナオミや、リック、コリーナといった同じ候補生達の安否が分からない時間が続いた。最近になってようやく制限が加えられ監視された状態で、ネットワークにアクセスすることが許可された。それも訓練の一環として。


 処置室と自室と訓練施設を行ったり来たりする毎日が続き、淡々と兵器として生かされる日々。


 他に、同じ境遇の者がいないのか疑問にも思ったが、医師と研究者とそれ系の軍人とは嫌でも顔を合わすが、他にオールリプレイスメントされた者とは会うことがない。


 ヴァレンティナが漏らした話では、同じように、訓練を受けている者は他に二名。プロジェクトの最終段階では、他のリプレイスメンター、ケイスと同じように脳と一部の臓器以外をすべて人工物と入れ替えた者と共に任務を遂行することになるいう。


 この施設に運ばれた重傷者がちょうど二〇体だったとヴァレンティナが話していた。


 処置中に逝ってしまった者が八体。一二体分の脳が炭素繊維とチタンで覆われた槽に詰め込まれ、神経接合がうまくいかず更に逝った者が更に九名。


「まるで”とさつじょう”みたいだったよ。わかるかい坊や?」


 ケイスの目に、細く整ったあごと、厚みのある魅力的な唇が近づいてくる。ケイスの頭部の後ろ側をのぞき込む。


「同じような肉塊がヘリで次から次へと運ばれてきてね」


「とさつじょう?」


 相変わらず、自分の声とは思えない。脳に響く他人の声。それでも彼女には伝わったようだ。


「どうした?まだ慣れないのか?」


 ヴァレンティナが、声帯のあたりに手を伸ばし、何かに触れる。


「まあ、喋られるだけましだと思ってくれ」


 そう言うと、机のところに戻って座ると、黒のタイトスカートから伸びる細い足を組む。


「さっきの子。そう、あのちっちゃいかわいい看護婦、レイチェル。あの子も、おまえらを助けるために、それこそ、血だらけで奮闘したのさ」


 シルバーの薄いシガレットケースから細身のタバコを取り出すと、火をつけた。


「我々は、脳波の残っている奴から、”救って”いったんだ」


 タバコの煙に切れ長の目を細める。一瞬だけ、細ぶちのめがねが光った。


「体のほとんどをごっそり持っていかれてる奴ばかりだったからね。脳のアウトプットが落ちないうちに、専用槽に入れて神経を疑似信号に繋ぐ。肉体はだめでも、脳だけ残ってれば、ここでは生きながらえる可能性があるからね」


 ケイスは右腕を持ち上げて、ずいぶんといかつい形になってしまった指で、炭素繊維をベースに作られた自分の頭をつつく。コツコツと音がする。


「そうだよ。外見は気に入らないかもしれないが、それもそのうち慣れてくるさ」


 そう言って煙を吐き出した。


「人間とまったくかわらない外観にするには、もう少し時間がかかるんだ。どうしても人形っぽくなってしまうし、質感も不自然だ。とりあえず、それで我慢しなさい」


 最後の方だけ、年上の女性らしい言葉遣いで言うと、立ち上がってカルテをとった。


「もっとも、各感覚器官が脳に送る信号は、かなり生身(ほんもの)に近くなっているだ。ご立派に生殖器までついてるんだ。東側の連中なんて、代理神経網だけつけられて、兵器に放り込まれる。人間扱いされているだけ、まだ、ましな方だよ」


 炭素繊維製の装甲に覆われた肉体。表面は生体材料とのハイブリッドのため、人間と同じように触感をはじめとした感覚がある。さわった感じも固い筋肉と厚い表皮のようだ。


「チェックは終わりだよ。坊や」


 カルテを持ったまま、デスクにあるコンソールを確認する。


 カツカツとハイヒールの音をさせて、ケイスの背後に回ると、パチンパチンと繋いであったケーブルを外した。


 ケイスはあらためて自分の全身を、医療ラボの鏡に写る変わり果てた姿を見る。


 人間の肉体にだいぶ似せてはあるが、彫刻のようなフォルムと表面の炭素と生体材料の肉体。筋肉の隆起や、骨の形、皮膚の表面、体毛、あらゆる人としての格好をデフォルメして再構築したようなデザイン。


 最大の違いは頭部だ。人の頭の形をしていない。疑似眼球をシルバーのゴーグルではめ込んで覆ってある。鼻に当たる丸い中央のセンサーと、腹話術の人形のような口。左右の側頭部に角のような出っ張り。補助電脳にインストールされたインターフェースを利用して外部と通信が可能なアンテナ。体内の状態をすべてモニタリングする。


 内臓の詰まった、動力甲冑(モータードレス)。その内臓すら、脳以外は全て作り物。馬力換算の人工筋肉(ソフトアクチュエーター)で動き、補助電脳からのアウトプットで、反射神経は人の数倍にまで達する。


 右手を握りしめて開き、元の手より大きくなった手を見つめる。リハビリを始めた頃は、自分とは別の無機物を念力(サイキック)で動かすような途方もないことに思えたが、今は自分の手として一応使える。


「まだまだ、納得できないか」


 言うと、ヴァレンティナは立ち上がった。そのまま自然な動作で白衣を脱ぎ、黒いカットソーをも脱ぎ始める。


 ケイスが戸惑って目を背けようとすると


「見ていろ」


 言い捨てて、上半身をあらわにした。


 外見から想像できるような、豊かなふくらみを持つ白い乳房、それは一つだけだった。


 左肩から左胸にかけて、人間の皮膚に似せてはいるが、それにはほど遠い形状の人工皮膚で覆われている。右側とバランスを取るため、大きさは同じだが完全な人工物。


「軍医だったんだ。夫と一緒に戦地を巡っていた」


 ケイスの目の前でゆっくり回ってみせる。背中の大半も同じだった。


「屋根にでっかく赤い十字を書いておいたんだけどね。お構いなしって感じだったよ」


 ケイスが目を背けると、ゆっくりとした動作で服を着始める。


「旦那は体半分吹き飛ばされて、私も左肩から乳房と肺までもってかれた」


 最後に白衣を羽織るとポケットからシルバーのシガーケースを取り出した。


 カチリとライターの音がする。


「旦那の方は、まだ瞳孔の反応があったからね。瓦礫の中から、何とか脳保護用容器を見つけたけど、そこで意識がなくなっちまってね」


 煙の向こう、眼鏡の奥の目は光の反射でよく見えなかった。


「金魚鉢に入ってでも生きていてほしかったよ」


 そう言うと、ヴァレンティナは自分のデスクに向かい、ケイスに背を向けた。


「検査は終わり。部屋にお帰り、坊や」

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