12.脱獄

 太陽が沈み、辺りに静けさと冷気が満ちてくると、道場(ドージョー)の中の空気もピント張り詰め、吐く息と体から出る蒸気だけが暖かさを感じさせる。


 肘の伸ばされた左腕に、自分の右腕が自然と乗せられ、自重が自らの肘関節を締め付ける。


 ケイスの両手首を自然な所作で軽く取ったナオミが、ケイスの側面に少しだけ移動すると、ケイスは極められた腕が苦しくなる。するとナオミの微妙な体重の移動によって、ケイスは自分から前方に飛ぶようにして畳に叩きつけられる。


 両腕を極められた状態だったため、受け身に失敗して背中から思い切り落ちてしまい、息が出来なくなる。


 自分の胸を叩いて呼吸を立て直そうとしていると、更に後ろから首を決められてしまい、ナオミの左腕をタップする。


 道場に大の字になってひっくり返ったケイスを、ナオミが見下ろしている。整った白い歯が唇の間から見える微笑み。


 汗の臭いと、畳のイ草の香りがする。


 次に呼ばれたコリーナがほとんど涙目で立ち上がる。派手な叫び声を上げて、あっという間に畳に転がされる。


 更に、手を取って立たされると、今度は手首を極められてもう一度。


 リックはと言うと、道場の端であぐらをかいてあくびをしていた。


 それを見たナオミが黙って、今度はリック手招きをする。渋々と立ち上がり前に進み出た。


 ケイス達、士官候補生がベルファスト基地で他の一般兵と共に訓練を開始して、二年経っていた。


 東西の対立は、小さな国境線の小競り合いから、ベトナム、アフガニスタン、ポーランド、ボスニア、クウェート、イスラエル等での中~大規模な内戦や代理戦争が留まることなく続けられ、戦争の様相も時代と共に変化していた。


 両陣営の持つ、核、生物等の両刃の刀的な大量破壊兵器が条約で削減される一方で、各地の戦線は拡大していった。人類はこういった兵器を使用した報復攻撃の仕合いを冷静に無意味と判断して進化する一方、多くの局地戦によって優越を競う道を選んでしまった。


 一番安価で大量に導入できる歩兵を如何に強くするか?


 戦闘の最終局面では必ず必要となる歩兵の運用方法についても様々な研究がなされ、一つの成果として出されたのが、動力甲冑(モータードレス)だった。


 ケイス達士官候補生は、訓練期間二年を過ぎた者から選抜され、先行導入されるモータードレスの先行訓練に参加することになる。


 教官として少尉待遇のナオミも志願して参加することになる。


 ケイス、ナオミ、リック、コリーナの四名は、他の選抜された候補生達と特別に用意された訓練メニューをこなしていた。


 ナオミに時間外訓練を申し込もうと、始めに言い出したのはリックの方だった。訓練にかこつけて、いつか仕返しをしたやろうともくろむ黒人の巨漢が、ケイスには知らせずに、コリーナを巻き込んで、ナオミに時間外教練を申し込んだのだった。


 始めは熱心にナオミに乱取りを挑んでいったリックも、自分のパワーに任せた戦法がまったく通じないとわかると、サボり出すようになり、結局ケイスとコリーナが居残り訓練を続けることになってしまった。


 今日は顔を出しているだけ、まだましな方だ。


「うぉおおおー!」


 と派手な雄叫びを上げて、リックが宙に舞い、ドカンと畳に落ちる音がする。豹のように柔軟な身体をしているくせに、まったく受け身が出来ていない。


 ケイスはコリーナと二人、道場のはじでリックが何度が宙に舞う姿を、なかばあきれ顔で見ている。


「まず、受け身を取れるようになってくると、自ずと技も身につく。東洋ではこれを"見取り稽古”と言うんだ」


 リックが綺麗に弧を描いて宙を舞うのと、ヤンのリヒターが重なる。


 ヤンを投げ飛ばした朱いブレインアーマー、「夕月」がこちらを見つめた。


 ゆっくりと、自分の頭に両手をやり、ヘルメットを脱ぐようにして頭部を外そうとする。


 取られた頭部の下に、側頭部がへこみ青い液体を垂れ流したメイサの頭が見えて、ケイスは絶叫した。






 青白く光る自分の個室。水族館の深いプールの様に、デスクにあるモニターの青い光が白い壁に反射する。


 アイングロバーバル内で自分にあてがわれた個室。通常、准尉待遇で個室がもらえることはないのだが、リプレイスメントのケイスには士官クラスの個室利用が認められていた。


 専用に作られたベッドの上で目覚めると出もしない額の汗を拭おうとして、自分の無機質な頭部に触れてしまい余計に気分が落ち込む。


 気休めに水を飲もうと、ベッド横のカップに手を伸ばした。


「ケイス君、お目覚めかな」


 ベッド脇の通信モニターが蒼く光った。


 聞き覚えのある声が脳に響き、ノイズの向こうに顔が浮かび上がる。食堂で見たチェシャ猫ではなかった。


 ケイスの視覚野に青い球体が浮かび、それが徐々に大きくなると人の顔を形成する。ワイヤーフレームで結び描かれたスキンヘッドの男の顔が作られる。青い表皮に彫りの深い目鼻立ち。白目が妙に目立つ目がぎょろりとこちらを向く。


「どうだね。私からのプレゼントは」


 ケイスは直感的にそれが、メイサの脱獄、頭部の自壊したことを言っているのだろうと思った。


「貴様・・・メイサに何をしたんだ?」


 ケイスが声に出して聞いた。


「ふむ。そちらからの感度も良好のようだな。声に出さなくても良い。訓練通りこのインターフェースに向かって話してくれたまえ」


 ケイスの脳にオレンジのワイヤーフレームが丸い螺旋状のインターを造り出す。通信は同じようにして補助電脳の言語インターフェースを通して行われるようだ。


 オレンジのインターフェースにケイスは自分の脳内システムをジャックインする。


 後は、話すように脳で思考するだけでいい。


 青い顔が一人頷く。


「まずは自己紹介させて頂こう。私はブルーマンジャックだ」


 うやうやしく頭を下げると、ゲラゲラと笑い出す。


「・・・」


 ケイスは黙って、ブルーマンを睨み付けた。


「今、俺が警報を鳴らして、貴様を逆ハッキングすることもできるぞ」


 ブルーマンジャックがゲラゲラともう一度笑った。


「任務中の潜水艦にハッキング可能なこの私が、そんなドジを踏むと思うかね。君は幻覚をみたと思われる、あのサディストにまた脳ミソをいじられるだけだよ」


 作戦行動中の潜水艦は基本的にはスタンドアローンだ。外部との通信はごく限られているはずだ。それを可能にしている技術があれば、ケイスをピエロにすることも可能だろう。


「君は生きているのかね?それとも死んでいるのかね」


 黙り込んだケイスに突然ブルーマンジャックが聞いた。


「何の話だ?」


「本題に入る前に確かめておきたいのだよ」


 ブルーマンが続けた。


「君は、その体を得て、生きていると思うのかね?」


 一体、このハッカーは何者なのだろうかとケイスは思う。艦内の誰か、たちの悪いいたずらとも思えない。


「余計なことを考えずに、質問に答えたまえ。君は死者か生者か?」


 もう一度された質問にケイスはすぐに答えられない。


 俺は生きているのだろうか?体の大半を失い脳だけを歩く人形に乗せ替えられたこの体で。


 自分自身でも何度も思うこの疑問。


 ここでは、ただ生かされてきただけ。兵器として淡々と日々を送り、いつかメイサのように壊れる。ケイスにとっては考えたくない問題。


「人間は生と死を判別することができない。なぜならそこに生と死を区別する定義を見つけ出すことが出来ないからだ」


 どこかの哲学者の言葉を思い出す。


 意志を伝えられないことが死を意味するのか?肉体的な生理機能がすべて失われたら死を意味するのか?脳が機能を失ったら死を意味するのか?脳が機能を失うとはどういうことなのか?


「ワトソンに、ナオミ・ワトソンにもう一度会いたくはないのかね?」


 何故、それを知っているのか?ケイスがモニターに眼を向けた。


 この身体になって始めて湧いてくる欲望をケイスは感じた。遠くに置き去りにしようとしていた感情。食べ物を食べた時よりも強く感じる欲求。人間として大切な何かを感じる。人工物の詰まった胸の奥にポツンと何かが芽吹く。


 その様子を興味深げに眺めるブルーマン。


「本題に移ろうか」


 何も言わないケイス。しかし、脳内の活性は答えを出していた。 


 ブルーマンジャックと名乗る青いワイヤーフレームが意味深げな顔をして再度、


「まず脱獄の件についてどう考えたかね?」


と尋ねる。


「俺は獄中にいるわけではない」


 ケイスがぶっきらぼうに答える。


 青い顔がまたゲラゲラと品無く笑いだした。


「体内や脳内の状態を常にモニタリングされ、ともすれば感情すらも薬物と素子(デバイス)でコントロールされるその体がかね?今日の演習で薬物を使われなかったことに君は安堵したのではないのかね?」


 笑い終え、少し真顔に戻ると、気味の悪い目でケイスをじっと見つめる。


「私が提案したいのは、真に自由な体を手に入れ、私との取引に応じてくれることだよ」


「衛兵から銃を奪って頭を撃てと?」


 青い顔がさも無念そうに首を振った。


「あんなことをしても、解放はされない。君たちの体に仕込まれたシステムは複雑だ。物理的に切り離すことは難しい。しかし、システムに監視されない方法はいくらでもある」


 ブルーマンジャックがモニター内で左を向いた。


「さてこれから、あるプログラムを君にインストールする。とは言っても、君の補助脳にだがね」


 手首から先しかない青く塗られた男性の手が現れ、小さなプラグを指に挟んで見せる。


 ケイスの耳の後ろに付けられたプラグジャックと同じ形状。


「君のシステム化された脳は、補助脳で監視されている。そいつは補助脳の基本プログラムをそっくり書き換えて味方につける」


 その小さなマイクロマシンを手に取る。シルバーに輝くプラグ。


 どこかで誰かに見られている気がする。きっと艦内にも協力者がいるのだろうとケイスは思った。


 それに、何か罠の可能性もある。ケイスを乗っ取って艦内から協力させたり、破壊活動行わせる可能性もある。


 ブルーマンジャックはわざとそうしているのか、無表情にこちらを見つめている。白目の目立つギラギラとした目だけが、興味深げにケイスを見つめた。


「君の希望は現実に変わる。君が自分が生者だと思うのなら、新たな希望が見いだせよう。おっと、質問はなしだ。君が脱獄を果たし、私との取引に応じてくれるなら、次のステップに移ろう」


「・・・」


 ケイスはむしろ操られるように、渡されたプラグをゆっくりと確実に耳の後ろのジャックにはめることをイメージする。


 突然、ブルーマンジャックのワイヤーフレームが粉々に散った。




 To live is to feel & think.


 


 視覚野に浮かんだ文字を見たとたん、ケイスの脳はいきなりシャットダウンした。


「おやすみ。ケイス」 


 最後にさも楽しそうなブルーマンジャックの声。

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