13.ヤンガーブラザー

 リックとバディを組んでの蒸し暑い屋内でのインドアアタック訓練。


 相棒が三回もサインミスしたおかげで、蒸し暑い中をケイスのチームだけガスマスク着用で訓練を強いられた。


 装備を付けたときの体感温度は四〇度。その上、付けているだけでも息苦しいフルフェイスのガスマスクを付けるのだから、更に五度ほど体感温度が上がる。頭部から一気に汗が噴き出し、それがマスク内ですぐに蒸気となって更に呼吸を妨げる。視界が曇り、気を抜くと窒息しそうだ。


 一〇度目のアタックで、ようやく及第点をもらえたケイス達がようやく解放された。


 脱水症状と熱中症一歩手前の体をグラウンドへと引きずっていき、施設脇の水道から水をかぶって冷やす。


 水をかぶって一息ついたリックはそのまま芝生の上に寝転がった。


 ケイスも倒れ込もうとしたところで、グラウンドの横を見知った顔が走って行くのが見える。


 何か手紙のようなものを持って、普段には似つかわしくない落ち着かない様子がケイスの興味を惹いた。


 そのまま建物の影に入ってしまう。


 いつもと違うその人物の雰囲気に興味をもってか、からかい半分か、ケイスは重いからだを持ち上げると、走って後を追った。


 後ろでリックが何か言っていたがとりあえず無視する。


 追いつくと、ナオミが手に持った書類を見つめて震えていた。


「よお。師匠(マスター)」


 あまり教官に対する言葉遣いとしては褒められない言い方で、ケイスが気軽に声をかけた。最近は、居残り訓練のおかげで、話す機会も多い。


「なんだ!貴様!」


 ナオミの怒鳴り声に、思わず殴られるかと思ってケイスが一歩引いた。


 振り向いた眼が赤く、涙をためている。


 ナオミも近づいてきたのケイスだとわかるとそのまま黙った。


「ど、どうしたんだよ」


 ケイスは自分でもなさけない顔をしているんだろうと思う。オロオロとしている自分の声。


 ナオミは背を向けると、そのまま押し黙った。


 赤いベルファストの夕日が、建物の影を深く落とし始めた。


 ナオミがそっと振り返ると、ケイスに手に持った紙を渡した。


 戦死報告書だった。名前は、キーン・ワトソン。死亡当時の年齢はケイスと同年。


「弟がアフガンで死んだんだ」


「それは・・・」


 そう言ってケイスは黙ってしまう。なんともいえないナオミの寂しげな迫力。


 ケイスにとっては、こういった時に言う言葉が見つからなかった。


 下を向き肩を震わせるナオミの姿を見て、この無敵の教官が自分達とそれほど年が変わらないことを思い出した。


「貴様より二歳若い。ちょうど貴様と同い年のはずだ」


 国によっての違いもあるが、長引く冷戦は参戦年齢を大幅に下げていた。先進国でも少し前なら少年兵と呼ばれていた年齢が今では立派な兵士として戦場に送り出される。一五歳で士官学校に入学したケイスなど、まだ良い方だった。


「私たちは、両親をオーストリアの内戦で失ってな。二人で転々としながら、生き延びてきた。その間、反東の色々な活動に参加していたんだ」


 ナオミが淡々と話し出した。


「KGBの連中に追われた時、途中で分かれたんだが、奴はフランスで外人部隊(エトランゼ)に逃げ込んだんだ」


 KGB、ソ連国家保安委員会。情報機関・秘密警察・憲兵・国境警備・超法規的活動を行う機関。各地で、反東の活動家を暗殺しているとも聞く。


「私も、うまいこと、イギリスで格闘教官の職を得た。そろそろ再会しようと思っていたんだが」


 いつもより小さく見えるナオミの姿。見たいようで見たくない、師匠(マスター)のその姿。


「戦闘で殺されたわけではないんだ。休暇中、歩いていたところを、木の枝で首の急所を一突きだったそうだ」


 武器を持たず、単独で潜入して標的(ターゲット)を、その場にあるものだけ暗殺する。例えば、鉛筆、木の枝、葉縁にするどい棘の並ぶ観葉植物。殺ったのはプロ中のプロだ。


 夕日を見つめて、ただ頷くしかないケイス。


 その意外に細い肩に触れると、ナオミは一瞬身を震わしたが、何も言わなかった。


 あれから、俺たちはどうしたんだ?


 真っ赤な夕日だけがケイスの視界に広がった。




 朱色の格子模様がぐるぐると廻っている。パトカーの回転等がすぐ目の前で廻っているようだ。


 赤く視界が染められ周りがよく見えない。その回転等の光を避けようとしてケイスが手で降りはらおうとする。


「起きてください!」


 脳内に響く警報音と、若い女の声で眼をさます。


 ケイスが飛び起きると、そこは自分の居室だった。


 レイチェルが起こしに来たのかと思い周りを見回すが誰もいない。


 何か、艦内で状況が進行しているらしく、そこかしこに警報だらけだ。


 艦内の通信にレベルをかけずに送信しているらしく、ケイスの脳に様々な情報が受信される。


「一三区画やられました。侵入者、RPG装備」


「陸戦部隊は三班にわけて、第二、第四、第六通路で迎撃させろ!ブリッジに絶対入れるな!」


「モータードレスです。あれは、ファットマンじゃないのか?なんでこんな所に」


「前面に装甲を展開しています。止まりません!」


 飛び交う無線の内容からすると、信じられない話だが、艦内に侵入されたらしい。


 潜行中の潜水艦に進入するなど、正気の沙汰とは思えない。


 とりあえず、艦橋(ブリッジ)に向かおうとドアを開けようとすると、ロックがかかっている。


「ブリッジのブルクハルト艦長に繋げ」


 補助脳に指示を出す。


「了解しました」


 いつもなら乾いた補助脳のプログラム声ではない。明るく若い女の声が答えのでケイスが驚く。


「補助脳のプログラムはすべて書き換えられました。私はアシスタントプログラムのレイティナです」


ー君のシステム化された脳は、サブ電脳で監視されている。そいつはサブ電脳のプログラムをそっくり書き換えて味方につけるー


 ブルーマンと名乗る謎のスニーカーの言葉。今度は、こいつに監視されると言うことか。


「聞いているとは思いますが、私がインストールされたことによって、あなたへの監視は全てブロックが可能です。私の方で、偽造したあなたの身体情報をアウトプットし続けることで回避できます」


 明るくさわやかな声が響く。AIとは思えないイントネーション。


「ブリッジと繋がりました。ブルクハルト艦長は不在。ゾフィー副艦長が出るそうです」


 無線が切り替わり、逼迫したゾフィーのノイズ混じりの音声が聞こえてくる。


「ケイス。あなたのところが先に襲われるわ。彼らの目的はブリッジの制圧じゃなかったのよ」


 だいぶ慌てているらしい。最後は自分の判断の間違いに対して言ったようだ。


「もう少し詳しく状況を」


 ケイスも慌てるが、努めて冷静に言う。


「潜行中とはいえ迂闊だったわ。奴ら、特殊潜水艇で艦にとりついて、バラスト孔を破壊してそこから進入してきたの。RPG(ロシア製携帯式対戦車擲弾発射機)と、装甲厚のブレインアーマーが一機ずつ、三小隊がそちらに向かっているわ」


 ケイスのいる区画のデータと侵入者のおおよその位置が送られてくる。


「ヤンは身体パーツの交換中で使い物にならないわ。メイサは今のところ意識を回復していないし」


「おおよその状況はわかった。ドアのロックを外してくれ」


「了解」


 ドアロックの外れる音と同時に、ドアが開き誰かが部屋になだれ込んでくる。


 間髪入れず、その人物の方へケイスが攻撃体制で踏み込むと、


「俺だ!坊主!ライスだ」


 でかい図体にグリーンのベレー。衛兵の格好に今日はダットサイトを付けたアサルトライフル、M4カービンを胸に構えたサミュエルが両手を挙げている。


「ふう。おまえに素手で殴られるのは勘弁だぜ」


 そう言って、サミュエルはウエストベルトからグロックを外すとケイスに渡した。


「すまん。急いできたんでそれしかないんだ」


 グロックを受け取って弾倉を確認する。上部をスライドして薬室に装填する。


「ナイフか何か持ってないのか?」


 ケイスが聞くと、腰に付けた大きめのナイフを渡す。


「ククリかよ。ずいぶん、野蛮なものをもってるんだな」


 ナイフが内側に向かってくの字に曲がっている。フォークランド紛争でイギリスと共に闘った勇猛果敢なグルカ兵のアーミーナイフ。グルカナイフとも呼ばれる。


「お守り代わりさ。それで誰も殺っちゃいない」


 サミュエルが肩をすくめてみせる。きっと嘘に違いない。この男が肺をやられるまでにどんな部隊に所属していたのか、知っている者は少ない。


「マスター。外部から通信。体内設置されているアンプルから興奮剤の投与が指示されていますがどうしますか?」


 レイティナと名乗ったサブ電脳から声が聞こえる。


 戦闘前の不安感、自分が死ぬのではないかという恐怖、リプレイスメントされた“不死身の体”の極限を試したい欲求。


「常にいつものごとく落ち着いて冷静に。歩くように自然に動け」とナオミの声がする。


「拒否しろ」


「イエス。マスター」


 レイティナの声が妙にうれしそうなのは気のせいだろうか?


「モータードレスを先頭に、特殊部隊の連中がすぐそこまで来てるぜ。あいつら、海軍の特殊部隊(スペツナズ)だ。艦内の衛兵と陸戦隊だけじゃ歯がたたねえ。モータードレスもソ連製のごっつい奴が盾になってやがる」


 ロシアの兵器省、ミコヤン設計局で開発が行われ、重兵器メーカーのカモフ社で製造された量産タイプの動力甲冑(モータードレス)。座学で見せられた資料用映像を思い出す。二メートル半を超える巨体と丸く分厚い装甲。カールグスタフ無反動砲の直撃にも耐えるはずだ。何より、ケイスの眼を引いたのはアナログ兵器、火炎放射器を装備していることだ。密閉された艦内では圧倒的な制圧力を発揮する。別名ファットマン。通路で盾にするには申し分ないモータードレスのはずだ。


 爆発音と兵士の断末魔がすぐ近くで聞こえる。ケイスがドアから少し顔を出し、外を確認。こちら側の衛兵が四人倒れている。そして、最後の一人がファットマンの重い蹴りを食らって、ひしゃげるようにして壁に激突した。即死は免れないミンチ状態。


 サミュエルはそれが当たり前のように、後ろからバックアップについているのを見て、ケイスは心で苦笑いをする。


「アップル(手榴弾)か、何かないのか?」


「スモークと、スタンしかない」


 サミュエルが差し出す、円筒型のスモーク弾を受け取ると、そのままピンを抜いて、外に転がす。床に落ちると、もうもうと煙を発して、通路に白煙が立ちこめ始める。


 モータードレスといえども、中に入っているのは人間だ。人工筋肉(ソフトアクチュエーター)の補助を受けてパワーが上がっているとはいえ、間接の稼働限界は人間の限界と同じ。外からの衝撃もある程度は伝わるはずだ。それにあの巨体。重い体が利用できるはずだ。


 ケイスは自分の、戦闘用リプレイスメントとしてのスペックを思い出す。九ミリ程度のアーマーライトの直撃、五〇〇度の耐熱、手榴弾程度の対爆性能。


 煙が十分に行き渡ると、ケイスはむしろゆっくりと通路に出た。


 出た瞬間に、背を低くして鋭く走り出す。地表すれすれを飛ぶツバメのように。


 ケイスの姿を熱感知センサーで認めたファットマンが丸い頭部に付いた一つ目を赤くチカチカとさせる。ずんぐりとした腕をこちらに向けると、ゲル化したガソリンが飛びちり、続いて発火。猛然と炎と黒煙があがり、周囲の温度を千度近くまで上昇させる。


 ケイスにもゲル化ガソリンが付着して燃え上がるが、かまわず相手に突進した。


 ファットマンの影から、アバカンと呼ばれるロシアの正式採用アサルトライフル、AN94のマズルフラッシュが瞬く。耳の辺りを飛んでいくヒュンヒュンと言う風邪切り音。五・五六ミリの鉄鋼弾(フルメタルジャケット)がケイスの装甲に突き立ち、すさまじい破壊衝動と回転力で有機表層を破壊、戦闘用リプレイスメントであるがゆえんの無機質多重装甲層の奥へと進行しようとしてくるのがわかる。


 しかし、回転は装甲の途中で緩やかに停止、内部の人工筋肉(ソフトアクチュエーター)や主要器官を傷つけることはない。


 突き刺さる鉛色の弾頭。焦げる有機質の表皮。それも、ごくわずか、数秒の出来事。


 ファットマンの巨大な影の前来ると、待ち構えたように鋭い一撃。


 バチリッと音がする。電気プラグがショーとして焦げる匂い。右腕に装備された二股の巨大なスタンガン。こいつを喰らうと人工筋肉(ソフトアクチュエーター)と内部器官が麻痺を起こす。リプレイスメントにも有効な攻撃手段。しかし、ファットマンの動きは、ケイスにとって緩慢だった。


「図体ばかりに頼っている奴が一番やりやすいんだよ。ケイス」


 目を回したリックを片手に引きずるようにして持ち、夕日を背にしたナオミの言葉が脳に響く。


 意外にするどく、丸太のような足が地を這うように飛んでくる。ケイスに向かってファットマンがローキック。


 ケイスはそれをすり足で軽くいなすと、続けてスタンの一撃が袈裟懸けで来た。その手をふわりと巻き取ると、ファットマンの肘を軸にして、その下でケイスがくるりと体の軸を中心として水平に回転する。


 ケイスが一歩だけファットマンの横に出ると、換装重量で六〇〇キロを超える質量のファットマンがふわりと浮いた。


 ケイスはそのまま取った腕を前方に、刀でも振るような格好で床まで振り下ろす。


 ファットマンの巨体がドシンッと、その威圧的な容貌の割にはあまりにも情けない音を立てて、仰向けに倒された。それに巻き込まれて敵兵が何人か吹き飛ばされる。


 装甲越しに相手の動揺が伝わってくる。


-どんなに装甲があろうと、重量があろうと、人工筋肉(ソフトアクチュエーター)で力が強かろうと、それが人型で人間に近しい構造なら問題ない。貴様らはどんな奴でも箸を持つ力で倒すことが出来る。ゆっくり落ち着いて、いつもの通り、無意識に歩くかごとくやれ-


 オキナワでの訓練中、新配備のモータードレスを装備した海兵隊をあっという間に素手で倒したナオミがケイス達に言った言葉。


 取った腕をそのままひねると、ゴキリという音がする。外骨格フレームが折れたか、それとも中の奴の腕もやられたか。


 かまわずケイスは、ファットマンの分厚い装甲の隙間、人工筋肉の束が密集する首筋にグルカナイフを引くように突き立てたてる。ゴキリと嫌な音がして、血ともオイルとも付かない液体が噴き出した。


 ファットマンの左手が持ち上がりブルブルと震えると、そのまま動かなくなった。


 インドアアタック用の黒い戦闘服にガスマスクをかぶった敵兵達が唖然としてケイスと倒されたファットマンを見守る。自分たちを守る盾がもうないことと、超然とそこに立つリプレイスメントが自分たちにとっての死神であることを理解したようだ。


 巻き込まれ下敷きになった兵士が這い出ようと必死にもがきだした。


 思い出したように銃撃が始まった。RPGをかまえた兵士が、片膝を付いて、弾頭の付いたロケットをケイスに向ける。


 ケイスの後ろで軽快なバースト音。そのうち、一発がRPG の弾頭に穴を開けた。


 轟音。破片を飛び散らして、RPG ごと爆発。周辺に肉塊と化した兵士が転がる。


 両手をクロスさせて、爆風を避けたケイスだったが、頭部や腕にしっかりと爆発時の破片が食い込んでいる。


「うまいもんだろ」


 得意になったサミュエルの声。人を一体なんだと思っているんだ?


 ケイスの居室近くに進入した部隊は、今の爆発でほとんどが戦闘不能に陥った。


 駆けつけた衛兵に重傷者を任せて、ケイスはゾフィーから送られてくる艦内のマップと他の侵入部隊の位置情報を確認する。赤い光点が侵入した部隊を表す。後二つの部隊がヤンとメイサのいる病室に向かってジリジリと進んでいる。


 艦所属の衛兵と陸戦部隊が応戦しているがかなり押されているようだった。


「どっちにも援護が必要だけど、ポイントβの方へ向かって」


 ゾフィーからの通信を受けて、ケイスが通路を走り始める。広い場所なら時速八〇キロ程度まで出せるが、狭い艦内ではそうは行かない。


「待てって!坊主。バックアップを置いていくな!」


 後ろから必死に走ってくるサミュエルが叫ぶが、ケイスは先を急いだ。


 メイサの病室にレイチェルとアイヒマンがいる。ヒステリーの上官などどうでも良かったが、レイチェルとメイサは別だ。


 ケイスが駆けつけると、衛兵達がバリケードを作って、ファットマンと進入したスペツナズの進行をかろうじて食い止めていた。


 ケイスが現れたところは、ちょうど彼らの後ろだったため、衛兵達にぎょっとした顔をされる。


「アイヒマン大佐!やめてください!」


 左のドアからレイチェルの叫び声が聞こえ、ケイスはかまわずドアをオープンすると入り込むと、レイチェルの背中にぶつかってしまう。


 驚いて振り返ったレイチェルが振り返って驚き、すぐにケイスだとわかると涙ぐんだ。


「普段の二〇倍で…」


 注射器を持ったアイヒマンが、引きつった笑いで手に持った携帯端末を操作している。


 ベッドの上に直立不動で立っているのは、メイサだった。自分で自分の脳を撃った時と同じように、首を傾けてこちらを見つめている。


「さあ、敵の位置はここだ。全員叩きつぶしてこい」


 アイヒマンの声が興奮して上ずっているのはいつものことだが、どこか様子がおかしい。


 ギ、ギ、ギとメイサが鳴った。何かを伝えようとしているのか、顎を前に出してケイスに訴える。


ーグ、ル、シ、イー


 声帯がうまく利用できていない。壊れた操り人形の様に、右肩を上げ、首をかしげた状態で、ゆっくりと歩いてくる。


「ケイス!こっちはもう、もたねえぞ!」


 外からサミュエルの叫び声。カシューッとガソリンが噴霧される音。発火され一気に炎が吹き上がる爆音。衛兵が床をのたうつ音が聞こえる。


 ケイスが反射的に外をのぞくと、まさにファットマンが火炎放射と共に前進を開始していた。


 衛兵の一人に火が燃え移り、床でのたうち廻るのを、周りの兵達が上着で叩いて必死で消している。


ーイ、イヒッー


 背中で不気味な声。ケイスが振り向くとメイサがものすごい力で押しのけてきた。止めようとケイスが腕を取るが、そのままファットマンが近づく通路に出てしまう。


 ケイスを腕の一振りで、簡単に床に叩き付ける。異常に高出力化された人工筋肉(ソフトアクチュエーター)の力。


 メイサは、スクワットのような仕草をすると、刹那、一気に跳躍した。バリケードと天井の間を飛ぶように超え、火炎放射の炎の中に身を躍り入れた。


ーア、ァ、ツ、イー


 メイサの低いおどろおどろしい悲鳴。


「ヒッ」


 と後ろでレイチェルが小さく悲鳴を上げる。


 ナノ単位で体表に組み込まれている有機センサーからの情報をカットすれば、脳が痛みを感じることはないはずだった。しかし、カットしなければ擬似的な信号とはいえ、すさまじい痛みを感じるはずだ。


ーア、ァ、ツ、イ、ア、ァ、ツ、イ、ー


 辺りに、メイサの焦げる臭いが立ちこめる。


 ふらふらと焼かれながら前進を続けるメイサ。


 ケイスはあるはずのない胃の辺りがムカムカとするのを感じる。どうしたらよいかわからない感情の隆起が胸を押し上げる。


 ファットマンが明らかに動揺して一歩下がった。


「ゴー!ゴー!ゴー!」


 アイヒマンのヒステリックな叫びに反応すると、金切り声を上げてメイサのリプレイスメントされた体が水平に飛んだ。


 燃え上がる炎をそのままに、ファットマンの後ろに降り立つと、そのまま抱きつくように首を絞める。


 ファットマンが、すかさず左腕に装備されたスタンガンをメイサの胴体に叩き込んだ。


 いかにも痛そうなバチリと言う音が響き、ブルブルとメイサの体が震えるが、麻痺するどころか、ファットマンにおぶさるように、両手を首に巻いたまま、足で胴体をロックする。


ーイタイ、イタイー


 メイサの頭部から聞こえる、子供のように高い声の電子音。


 何度も振り下ろされるスタンガン。バチバチとメイサの表層がはぜる。


 振り払おうと暴れるファットマン。


 猿が木に飛びつくようなその姿。女性をイメージしてデフォルメされたフォルムを持つメイサの体が余計にメイサを歪な物体に見せる。


 ミリミリとメイサの腕が締められ、ファットマンの首がひしゃげ始まる。


 ファットマンは兵士として効率的にメイサを引きはがす余裕もなく、今やパニックなってのたうっている。


 通路をいっぱいにしてふさいでいるため、周りの兵士達はどうすることも出来ず、物陰から見つめるしかない。


 ゴキリ、と音がして、メイサの腕がおかしな方向にひしゃげる。


 レイチェルが小さく悲鳴をあげ、アイヒマンが脂ぎった顔がにやついた。


 ファットマンが両膝からゆっくり崩れ落ちた。


ーキ、モ、チ、イ、イー


 ゆっくりと、メイサが残りのスペズナズの方を振り向いた。


 放たれたRPGの弾道をいとも簡単に避ける。後ろで爆発するのを見向きもせずに、地を這うような動きでアサルトライフルを乱射する兵士に近づくと、壊れた左腕の一振り。ヘルメットを付けた兵士の首が赤い尾を曳いて宙に飛んだ。


 ぐにゃりと背中から転がって次の兵の前に立ち上がると、両手で頭を挟み込んだ。


 一瞬にして、頭部が赤い血を満たした水風船のように破裂、崩れるように倒れる。


ーキ、モ、チ、イ、イ、キ、モ、チ、イ、イー


 虐殺の高揚感が脳を刺激するのか、電子音を鳴らしながら、メイサが五人の生身の人間を潰すのに三〇秒とかからなかった。


 最後の一人は、自分の肺に突き立ったメイサの手首を見つめながら、半笑いで漏らしていた。過酷な訓練や任務を乗り越えたスペズナヅでも、本物の死神の姿は、怖かったのだろう。


 しばらく、ぎこちない動作でふらふらとしていたメイサがケイスの所まで来ると、ドサリともたれかかった。有機層が焦げる酷い臭いが鼻につく。表面は焼けただれた上、かなりの高温だった。


「奴ら、撤退かよ」


 ブルクハルトの声が脳内に響く。


 ヤンの病室を目指していた残りの部隊は、特殊潜水艇を守っていた部隊と連携しつつ、撤退を開始したようだった。インターフェースに映し出されるマップで、艦内の部隊が敵兵を押し返している様子がわかる。


「アハハ、すばらしいぞ!闘う死体だってこうはいかない」


 愉快そうに笑うアイヒマン。


 レイチェルが顔面蒼白でケイスを促すと、とりあえず、病室内に運び込む。


 処置用のベッドに寝かせたメイサに、レイチェルが震える手で、応急処置を開始した。


 ケイスは、溶けたセルロイドに人形のような姿を半ば呆然と見守る。


「すばらしい!不死のバーサカーだな。何度でも蘇らせてやるから安心しろ」


 喜々として甲高い声をあげるアイヒマンの声が周囲をいらつかせた。

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