14.ベルファスト
狭い独房で一週間を過ごしたケイスにとって、外の風はやはり気持ち良く感じた。
アイリッシュ海から見えるアイルランド島とグレーがかった薄いブルーの空は懐かしく心を和ませる。
わざと、風と海の臭いを感じるように、表皮と嗅覚の感覚レベルを上げてみる。塩分を含んだ風がケイスの体をなでるのがわかった。
艦内での戦闘終了後、ケイスはぼろぼろになったメイサをストレッチャーで運び、駆けつけたヴァレンティナに預けた。
薬の効果が切れ始めたメイサが「イタイ、イタイ」と呻くのを見て、ケイスは思わず目を背けた。
その後、艦橋へ行くと、上機嫌なアイヒマンにつかつかと歩み寄る。皆が止める前に前置き無しで、いきなりぶん殴った。
だいぶ加減したつもりだったが、アイヒマンは大げさに吹っ飛んで、壁に激突する。
ほお骨にヒビが入り「しばらく呻いていたよ」さもいい気味だと伝えてくれたのは、わざわざ営倉までやってきたブルクハルトとサミュエルだった。
軍法会議だと騒ぐアイヒマンが、軍司令部に報告した内容を、“機器の故障による事件”とした報告にうまくすり替え、うやむやにしてしまったのは、副艦長のゾフィーだという。
「機器の故障は良かったな」
営倉の扉の向こうから聞こえるケイスの声に、サミュエルは大笑いで答えた。ケイスとしては、機器扱いされるのは不服だったが。
アイヒマンはブルクハルト以上の権限を持ち、ブレインアーマープロジェクトについては、元帥クラス直轄で指揮にあたっているため、
「ゾフィーの苦労も相当な物だったろうよ」
というサミュエルの声に
「ここから出られたら、礼を言わないとな」
と答える。
もっとも、営倉から出て挨拶に現れたケイスに対して、
「おお、早かったな」
とだけ言って簡単に済ませたブルクハルトとは対照的に、
「あなたは自分の立場がわかっているのか!」
開口一番怒鳴りだし、三〇分以上にわたってケイスを叱りだしたのもゾフィーだった。
大きなリプレイスメントの体を小さくしながら恐縮するケイスをみて、ブリッジのスタッフが失笑するのを、ブルクハルトが咳払いで注意する。
「力任せばかりでは優秀な脳とボディが泣くぞ」
と言われてようやく解放される。おとなしくブリッジから出て行こうとすると、ブリッジのスタッフが何人か振り向き、ケイスに向かって親指を立てて見せた。
ロンドン島が水平線上にはっきりと見える位置になると、巨大潜水空母アイングロバーバルはようやく浮上航行をはじめた。
ベルファストラフ湾と呼ばれるアイルランド島で一番大きい湾内に侵入する。
潮風の向こう、湾からも近い丘陵地に作られたベルファスト基地と附属士官学校を見ると、ケイスの胸に懐かしさがこみ上げてきた。
「通信が入っています」
視覚の隅に、黒いバトラーの格好をしたレイティナが立っている。大きめの白いシャツの袖をクラシカルなカフスで止め、ベストから大きめのエリと黒に薄くグレーでチェックの入ったタイをしめている。カールのかかった長い髪はアップにしていて、なかなか凛々しい感じだ。
最近の気に入りはこれなのだと説明していたが、どこまでがプログラムなのか彼女の意志なのかわからない。
それを思うと自分の意志すら希薄になる。悲しいと痛む胸を持つ人口の体(リプレイスメント)。
「誰からだ?」
「こちらです」
通信が切り替わり、レイティナが丁寧にお辞儀をして消える。
「うちの娘は気に入っていただけたかね?」
青いワイヤーフレームで構成された顔。今日は、艦の外にいるためデータ量が多いのか、より人間に近いなめらかな顔をしている。
「まあな。彼女はAIなのか?」
「半分は。残り半分はある女性の脳内構成のコピーだ。私と似たようなものだな」
手首から先だけの手が青い顎をなでる。
「意志もある程度はある。傷つきもし、喜びもする。あまり手荒く扱わないでくれたまえ」
ケイスが頷くと、珍しく笑顔を見せた。
「まず初めに、脱獄おめでとうと言っておこう。これで君は真に自由で完全な最強ボディを手に入れたわけだ」
ブルーマンジャックの白い目がキロリと光った。
「さて、ケイス君、君への依頼について話そうか?」
「ちょっと待ってくれ」
ケイスがブルーマンジャックの言葉を遮り、
「一体、おまえは何者なんだ?」
と尋ねる。
「人工知能と人間の狭間にいる者とでも言っておこうか」
「どうして、俺に関わるんだ。何も関係ない俺達に」
「我々は、初めから縁があったのだよ。君の彼女のナオミとも」
「ナオミは・・・ナオミは今どこにいるんだ。生きているのか?」
「私は君を彼女の元に導くことはできる」
「そのための、取引?」
「そうだ。私は、あらゆるネットワークを通じて、様様な事象や物体を操り、創造することができる」
ケイスが何か言おうとすると、ブルーマンは手を上げてそれを制した。
「しかし、一つだけ、出来ないことがあるんだよ。それを実現して欲しい」
「それは、俺にできることなのか?」
「そうだ。そして、それはナオミ・ワトソンとも関係する」
突然、アイングロバーバルの艦内放送が響いた。
「ケイス准尉。ブリッジに出頭せよ」
ケイスは軽く舌打ちをすると、
「俺は何をすればいい?」
「また、連絡する。その時が来ればわかる」
ブルーマンジャックの顔を構成するワイヤーが崩れ始める。
「精神、いや、魂が宿ればそれは生であると信じられるなら、魂の消滅もまた死であると信じたい」
そう言うと、青いワイヤーフレームの顔を最後に悲しく歪め消え去った。
ベルファストラフ湾内に作られた軍港は新しく、アイングロバーバル級の超巨大潜水空母が接岸できる施設がないため、上陸組はボートと搭載されている揚陸艇で接岸、上陸することになった。
「よお!ケイス。またずいぶんと様子が変わったな。そんなもの着けてたら汗疹ができちまうぞ」
ワハハハと笑いながら、いつもの調子でリックが現れた。
戸惑うケイスを見ると、リックがまじめな顔で、
「冗談だよ、ケイス。またこうして話せることを神に感謝しようぜ」
言うなり、ケイスの肩を黙って抱き寄せた。
再開する前から泣きじゃくっていたコリーナは、変わり果てたケイスの姿をみて、俯いてしまう。
そして、下を向いたままそっとケイスに寄り添った。
コリーナは松葉杖をついている。脊髄の補完手術を受けたとのことだった。半年間のリハビリを経てようやく歩けるようになったそうだ。
リックの方も、明らかに右腕の様子がおかしい。
それに気がついてリックが制服の袖をまくって見せた。戦闘用碗にエンハンスメントされている。メタリックに塗装された義腕は、戦闘用らしく、人間的な腕のフォルムに厳ついデザインが追加されている。
「あいつ(ナオミ)のおかげで、助かったんだ。」
リックもいつになく、真剣な顔をすると
「ベルファストの連中で生き残ったのは、俺らも含めて十名程度だ。助かった奴も五体満足な奴はほとんどいなかった」
「その中に・・・」
「ナオミはいなかった。遺体も回収できるだけはしたそうなんだが、あの化け物にビビっちまって、援軍が来るのがかなり遅かったからな」
「・・・」
「遺体も出ていない。捕虜に取られた可能性もあるらしい」
「司令部の方でも、色々と手を尽くしているみたいなの」
コリーナがリックの後を続けた。
「せっかく訓練をしてきたモータードレスの隊員ということだし、捕虜の返還交渉もだいぶ前から始めているわ」
司令部について仕事をすることが多いコリーナはその辺の情報にも詳しいようだ。
「きっと、無事でいるわ。あんなに、強いんだもの」
最後にケイスの事を気遣う様に言ったが、三人の顔は一様に暗かった。
久しぶりに食べる、ベルファスト基地でのフィッシュアンドチップス。店お手製のビネガーの香りが懐かしく香る。
アイルランドビールの喉越しは生身だった頃と比べるとまるで違うが、それでも、レイチェルが工夫と調整を重ねている口内の各種有機センサーは、ケイスの脳に懐かしい感覚と風味を与えてくれる。
「三週間前も、チベットで反中国のデモ隊を襲って、大分喰ったらしい。数ヶ月前はテルアビブ(イスラエルの首都)に突然襲来、かなりの一般人を食い荒らしたいみたいだ」
基地近くにある候補生達がいつも通っていたアイリッシュパブ。上陸とめずらしく数時間の休暇が許可された。もっとも、脳内は常に監視下におかれ、アイヒマン直属の私服兵士によって遠巻きに監視がされていはいるが。
リックが言うには、あの事件の後、ケイス達を襲った鳥型のブレインアーマーの話は、ニュースでもかなり取り上げら始めたらしい。
もっとも、ロシアや中国といった東側の主要国は関与を否定しているが、公然の事実であることは変わらない。
一般人もかまわずに、まさに喰らっていくその姿は、民衆はもとより、こちら側の兵士の心理にかなりの影響を与えているらしい。
「戦術情報分析班の話では、ステルスの上、単独でかなりの長距離を飛行が可能だと分析結果がでているわ。装甲も戦車砲の直撃くらいは平気みたい。戦術班でもシミュレーションを何度もおこなったんだけど、ブレインアーマーによる近接攻撃で仕留めるくらいしか有効な方法は見いだせなかったの。しかも、それを実行できるブレインアーマーは、西側にはまだ数機しかないって。東に比べて、技術的にかなり遅れているから」
復帰後のコリーナは、後方支援、モータードレスを中心とした、戦術分析班に所属しているという。
「向こうでは、脳ミソを直接兵器と繋ぐって話だろ。感情や思考もかなり抑制されてるって聞いたぜ。それはもう人間と呼べるのかな?」
ケイスが肩をすくめるのを見て、リックがしまったといった顔をする。「すまない。そういう言う意味じゃないんだ」
「ケイスの体とは全然違うと思うわ。彼らは金魚鉢入り脳(ポッドブレイン)と言われているらしいよ」
とコリーナ。
「最近では、あの黒いブレインアーマー、ロシア製の奴以外にも、もう一機、赤いブレインアーマーと四機+一機でパッケージされているという報告があったわ」
「その赤いブレインアーマーは、ここに来る航海中に遭遇したよ」
リックとコリーナが同時にケイスを見つめた。
ケイスが会場演習中に奇襲をかけられたことを話す。
「で、どうだったんだよ」
「うちのエースがこっぴどくやられた。俺は手も足もでなかったよ」
「まあ、おまえはあの鬼教官の愛弟子のわりには相当弱っちいからな。今度は俺が手伝ってやるよ」
リックが白い歯を見せてにやりと笑った。
ケイスが相変わらずだなといった顔をするのを見て、コリーナが少し笑った。
リックがゲラゲラと笑いだし、コリーナとケイスもつられて笑いだした。
アイングロバーバルがその巨体に似合った旺盛な食欲をみせるように、食料や日用品、交換用の核燃料、そして様々な兵科の装備を飲み込んでいく。
まるで、この一艦で戦争でも始めるのかのような、大量の装備と物資、兵器が数隻の補給艦からベルトコンベアを通し運ばれていた。
ベルファスト基地でたっぷりしごかれた士官候補生達が操るモータードレス部隊も他の陸上部隊と一緒に、アイングロバーバルに搭載されることになった。
リックはもちろん、コリーナも戦術班として従軍することが決まった。任務の質を考えると心配ではあったが、それでも気の置ける仲間が一緒になるのはケイスにとってうれしかった。
ケイスも士官学校の自分の宿舎に戻ると、起きっぱなしだった荷物をまとめて艦に乗り込んだ。
士官学校の卒業を待たずに、イギリス軍所属の兵士として、正式に軍属になることになることが内定していたからだった。
艦では准尉待遇となり、他の候補生達より二階級ほど上の階級となる。もっとも、リプレイスメント化によって得られた階級のため、ケイスにとってはどうでも良いことだった。
出航前、アイヒマン大佐がブリッジの中央に立ち、全艦放送を開始した。
顎にまだ大きめの絆創膏が貼られている。ブリッジにケイスの姿を認めると、意味ありげに目を細めて見る。
傍らに、ヤン・ベルガーを従えているのは護衛のつもりだろうか?その横に、直属の陸戦隊の隊長が控えていた。
メイサはまだ治療室から出られる状態ではなく、艦橋にいるリプレイスメントは、ケイスとヤンの二人だった。
「我々の任務は、サラエボで我がモータードレス部隊を蹂躙し、各地の同胞達を食い荒らしている、あの化け物、ブレインアーマー「バジリスク」の駆逐にある。我々の艦はドイツの所属ではあるが、この艦とその部隊の所属はNATO司令部直下になる。私はその全権を任されることになった。私が司令を務めるからには必ずやあのテロアーマー部隊を撃滅してみせるとここに宣言する」
ブリッジの皆が顔をしかめる。ケイスもしかり。
誇大妄想狂のような身振り手振り。自分に陶酔しきった甲高いしゃべり方。黒板をひっかく音の方がまだましだと思った。
「またこの艦に搭載される連隊は、ブレインアーマーを使用した戦闘についての実験部隊としての側面ももっている。ブレインアーマーの運用や各種兵科との連携など、連隊として最も効率的に戦果をあげる方法も模索して、ナレッジを作らなければならない」
アイヒマンが戦術班の方を向く。ヤンがコリーナに向かって手を振ったが、彼女はそれを見ないふりをした。
「それでは、出航を開始する。なお、次の任務地は、出航後の二二〇〇に通達する。各員の検討を祈る。艦長!」
言われてブルクハルトがやれやれといった顔をしたが、ゾフィーに小突かれると、ベレー帽をかぶり直して、立ち上がった。
「アイングロバーバル。出航!」
汽笛が数度鳴らされ、ドイツ式の海軍出航ラッパが三人の海兵によって高らかに鳴らされる。
夕日が赤く海を染める中を、アイングロバーバルの巨体がゆっくりと海を割り、押し進んでいく。ベルファストラフ湾内に白く長い航跡が続いた。
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