第53話 齋藤さんの想い

「三組の田村さんとはいまだに連絡が取れないみたいです。噂程度の事でもいいので知っている方がいたら教えてください。先生に言いにくいような話だったとしたら、他の先生でもいいので伝えてください」


 何があって消息を絶ったのかわからないけれど、僕のクラスの生徒にはそこまで深いかかわりを持っている生徒もいなそうなので情報は得られないだろう。何か知っている生徒がいたとして、なかなか言い出しにくい事だったと仮定してみても、これだけ時間が経っていると余計に言い出しにくいはずだ。

 僕はそれを理解しているのだけれど、立場上聞かないわけにはいかないのだ。誰も口にこそ出さないけれど、三組の芳野先生以外は皆生存していないだろうと思っているのだ。

 生徒の中でもそのような噂は広まっていて、実際に近くの公園で幽霊を見たと言ったうわさ話もあったけれど、この件とは関係ないと思う。そう思う理由は一つ、僕の生徒の小林さんがその幽霊を見たけど田村さんではなかったと言ったからだ。僕が幽霊の存在を信じているかとは別に、小林さんには不思議な力がある事だけは確かなのだ。


「先生は今日も部活ですか?」

「ああ、今日はソフィアさんもやる気になっているから部活なんだけど、本当は違う仕事が溜まっているんであんまり顔は出せないんだよね」

「それなら私が手伝いましょうか?」

「いやいや、生徒に手伝ってもらうような仕事じゃないし、生徒会の仕事も忙しいでしょ?」

「私達はもうすぐ任期も終わるので今は引き継ぎの資料をまとめているだけなんですよ。私よりも咲良の方がそう言うの得意なんでやることが無いんです。もしかしたら、サクラって意外と実務よりも事務作業の方が得意かもしれないんですよね」

「そんな事を言っても副会長も資料作り上手いじゃないか。去年の学園祭の企画と構成は見事だったと思うよ」

「ありがとうございます。私はどちらかというと、過去の事をまとめるよりもこれからの事を創造する方が好きなのかもしれません。もしよかったら、今度部活の時にでも私の相談にも乗ってもらっていいですか?」

「前もって言ってくれれば時間も作るし、他の人に聞かれたくない事だったらそれなりの場所は用意するよ」

「そこまでたいそうな事じゃないんですけど、咲良が急に標準語になったのはなぜか知ってますか?」

「受験の面接対策とか?」

「違うんですよ。今まで頑なに北海道弁だったのに、鈴木さんに『喋り方がおばあちゃんと一緒だ』って言われたからみたいです。みんな気にしていなかったのに、鈴木さんに言われたら急に恥ずかしくなったみたいですよ。可愛いですよね」

「鈴木さんは色んな所に影響を与えているんだね」

「咲良にとっても私にとっても鈴木さんは特別な存在ですからね」

「あの子はソフィアさんにも齋藤さんにも良い影響を与えてるからな。あの子がいなかったらみんなバラバラになってたかもね」

「実は、相談事って咲良と鈴木さんの事なんです。そんなわけで、来週のどこかで時間作ってくださいね」


 副会長の西野さんは頭を下げてから三階に上がっていった。頼まれごとをされるのは嫌いじゃないけれど、その頼みごとが人間関係の相談って言うのは少し荷が重いかもしれない。俺はそんなに人を見る目もないだろうし、教師が言う事ではないけれど、進むべき道を決めることはそんなに得意じゃないのだ。俺はきっと生涯生徒指導部の顧問にはならないだろう。


「先生って副会長と中良さそうに話してましたけど、知り合いだったんですか?」

「先生と生徒なんだから話くらいはするだろ」

「それにしては、二人の距離が近いような気もしたけど、アリスに教えてもいいですか?」

「別に教えてもいいけど、齋藤さんが思っているような事は起きないと思うよ」

「私が思ってる事ってどんな事ですか?」

「さあ、はっきりとはわからないけど、そんなに愉快な事ではないでしょ」

「そうですね、そうだと思います。それで、今日は先生に相談があるんですけど、お時間作っていただいてもいいですか?」

「それは構わないけど、そんなに改まってどうしたのさ?」

「お願いする時は畏まるもんですよ。マサ君先生だからってなれなれしくするのも失礼って思っただけですよ。今日は部活がミーティングだけ何で終わり次第準備室に行きますね。お菓子とか飲み物とか用意しておかなくていいですからね。紅茶に合うお菓子とか用意しておかなくても大丈夫ですからね。本当に大丈夫ですからね」


 齋藤さんはそれだけを言い残して階段を駆け下りていった。廊下を走るのは良くないよという事も出来ないくらいの速さで消えていった。僕は仕方がないので、紅茶い合いそうなお菓子を買いに購買に行ってみる事にした。

 準備室にはソフィーの用意してある紅茶があると思うのだけど、紅茶に合うお菓子が思い浮かばなかったので、何となく緑茶に遭いそうな羊羹を買ってみることにした。同じお茶だし合わないってことは無いだろう。


 視聴覚準備室前には相変わらずソフィーが一人で待っていたのだけれど、僕の姿を見つけると目を逸らして気付かない振りをしていた。特別何があるというわけではないけど、最近は前よりも精神的に距離を取られているような気がする。何が原因なのかは想像もつかないけれど、気付かないうちに何かしてしまったのかもしれない。

 こうして部活にきてくれている間は大丈夫だと思うけれど、これが深刻なモノにならないうちに何とか解決の糸口だけでも探しておかないとな。そう思っていたのだけれど、ソフィーは僕が持っている購買の紙袋を見つけると、それを奪い取って中身を確認していた。


「ねえ、なんで今日は羊羹なの?」

「紅茶に合いそうなお菓子がそれしか見当たらなくってさ」

「紅茶ならマフィンでもスコーンでもいいでしょ」

「その発想はなかったな。あんまり紅茶とか飲まないし、ソフィアさんに聞いておけば良かったね」

「まあ、私達は日常的に紅茶を飲んでいるから思い浮かぶんだけど、マサ君先生はほとんど飲んでるとこ見た事無いもんね。おばさんはうちに来た時は紅茶とか飲んでるのにな」

「僕だって飲むことはあるけど、ペットボトルのやつが多いかもしれないね」

「アレはアレで美味しいけど、日本風の紅茶って言ってもいいくらい別物だと思うわ。それよりも、なんで今日は紅茶の気分になったの?」

「それなんだけど、齋藤さんが相談したいことがあるからって言っててさ、今日は紅茶の気分なんだって」

「紅茶に羊羹が合わないとは思わないけれど、羊羹なら絶対に日本茶が欲しくなると思うわよ」

「僕もそう思うよ」


 二人の意見が一致したところで、僕は齋藤さんが来るまで少しでも仕事を片付けてしまおうとパソコンを開いた。

 ソフィーはソフィーで紅茶の用意をしているのだけれど、あの茶葉はどこに保管していたのか気になってしまった。しばらく見ていると、今は使っていないロッカーの中からティーセットを取り出していたので、あのロッカーはソフィー専用になっているらしい。きっと、ソフィーの事だから校長の許可もとっている事だろうし、僕はそれに触れずに自分の仕事をこなしていった。


 ふと、時計を見るとここにきてから一時間半くらい経過していた。我ながらよくここまで集中力が持ったものだと思っていたけれど、齋藤さんがまだ来ていないことが気になってしまった。ソフィーはそんな事を気にせずに昼寝をしているみたいだけれど、寝返りのたびにスカートが捲れそうになっているのでまだ使用前の白衣をかけてあげる事にした。

 ちょうどそのタイミングで齋藤さんが勢いよく扉を開けたのだけれど、齋藤さんの目には僕が優しさで白衣をかけていたのではなく、白衣を捲ろうとしていたように見えていたらしい。なぜなら、凄い勢いで怒られたからだ。


「先生はそういう人じゃないと思っていたんだけど、金髪だったら誰でもいいんですか?」

「いや、齋藤さんの言っている事の意味が分からないんだけど」

「今、ソフィーの白衣を捲ってスカートの中を見ようとしてませんでした?」

「逆だよ逆、白衣をかけてあげようとしてただけだよ」

「これは私の予想ですけど、ソフィーが寝たのは一時間くらい前だと思うんです。なぜなら、ソフィーが宿題をやろうとしていた形跡があるんですけど、二問目くらいで躓いて諦めているからです。そこで寝たとしたら、大体一時間くらい前に諦めたんじゃないかなって思うんですよ」

「齋藤さんって探偵になる素質がありそうだけど、殺人事件には関わらない方がいいと思うよ」

「なんでですか、私が探偵だったら殺人事件を解決したいですよ」

「まずね、探偵になりたいんだとしたら自分の思い込みだけじゃなくて周りもちゃんと見た方が良いってのと、一方的な決めつけは物事の本質を見落としちゃうと思うんだよね。今回だって、状況判断能力は凄いと思うけれど、正しい答えに辿り着いていないし、僕にはスカートの中を覗く動機が無い」

「男の人なら誰でもスカートを捲りたいって思うんじゃないですか?」

「捲りたい気持ちはあるかもしれないけど、相手によると思うよ」

「それなら、アリスのお姉さんであるソフィーのスカートの中を見ようとするのは不思議でも何でもないですよね」

「その決めつけはおかしいと思うな」


 僕と齋藤さんの声がだんだんと大きくなっているためか、ソフィーは目を覚ましたのだけれど、イマイチ状況が呑み込めていないみたいで、僕と言い争っている齋藤さんに抱き着くと落ち着くように促していた。


「何があったかわからないけど、ナナはそんな風にマサ君先生に怒っちゃだめだよ。自分の価値を下げるようなことはしちゃダメだからね」


 この子は寝起きでも割と厳しい事をおっしゃるようだ。僕はその二人のやり取りを眺めていて思ったのだけれど、このままもう少し話していてくれたら僕の仕事はもう少し進んでいくのではないだろうか?

 最終的に齋藤さんは自分の勘違いと思い込みを謝罪してくれたのだけれど、僕は誤解さえ解ければそもそもそれほど気にしていなかったのだ。

 ソフィーのお陰で丸く収まったようにも思えるけれど、そもそもソフィーが起きていればこんな事態にはならなかっただろう。本人はそれを自覚していないと思うけれど、今はそれを追求するのも野暮な話だ。


 ソフィーは紅茶を淹れようとしていたのだけれど、お茶請けが羊羹だと伝えると齋藤さんのリクエストは紅茶から緑茶に変更していた。羊羹には紅茶よりも日本茶が合うのだろう。それは万国共通なのだと思い知った。


「ところで、私の相談なんですけど、先生は最近の美波の様子が変だって思いませんか?」

「鈴木さんは小さい時から知っているけど、そんなに最近だけ変だって事も無いと思うよ」

「ソフィーはどう思う?」

「うーん、上手く言葉に出来ないけれど、何かを考えている事が多くなっていると思うよ」

「それが何だかわかるかな?」

「ごめんなさい。そこまではわからないわ。ナナの力になりたいんだけど、美波ちゃんは前より元気じゃなくなったり元気だったりの振り幅が大きくなっているかも」

「それもあると思うんだけど、それってどんな時になると思う?」

「何かいいことあったからとか?」

「そうね、私もそうだと思うわ。美波には彼氏が出来たのよ。彼氏が出来たのはいいんだけど、なかなか会えないんじゃないかな。それで元気がなくなってしまったりもするんだけど、会えた次の日は元気いっぱいなんじゃないかな?」


 鈴木さんに恋人が出来たって話は聞いたことが無いけれど、鈴木さんなら恋人が出来たとしてもすぐには紹介しないだろう。ある程度の期間が立ってから初めて紹介するように思えた。


「ねえ、それってナナは本気でそう思っているの?」

「ええ、それ以外にあんなに悩むことって年頃の女子にはないでしょ」

「そうなのかな?」

「恋愛経験が片道だけの私達にはわからない世界なのよ。それにね、美波が一人でいる時に手帳をよく見返しているのが見受けられるのよね」

「それも恋愛と関係あるの?」

「前のデートとか次のデートとかいろいろあるじゃない。マサ君先生もそう言うワクワクドキドキって経験してきたんでしょ?」

「それなりにね」

「ちょっと、マサ君先生の言い方が気持ち悪い」

「私もソフィーの意見に同意します」


 二人になると僕の扱いがさらに酷くなっているように思える。実際はそこまで酷い事ではないのだけれど、確実に尊敬はされていないのがわかる。

 僕の席からはお茶請けが遠いという事もあるのだけれど、割と薄めに切ってあった羊羹も残り三枚となってしまった。この場合は三人いるのだから一枚ずつ食べればいいと思うのだけれど、ソフィーは齋藤さんに最後の一枚を譲っていた。僕の分は今回も最初から存在しなかったのだろう。


「でもさ、デートするっていつしてるの?」

「そりゃ、放課後とか休みの日じゃないかしら?」

「美波ちゃんって、私達とずっと一緒にいるよね?」

「そう言われてみたらそうかも。私達と遊んでいたらデートする時間なんてなさそうね」

「そうだよ。美波ちゃんは恋人が出来たら真っ先に教えてくれるはずだもん」

「それもそうだね。じゃあ、私の相談はこれで終わりね。ありがとうございました」


 齋藤さんは自分の考えが正しくなかったとわかってしまったためかいつもより元気が無くなっていた。ソフィーは相変わらず元気なのだけど、お茶請けが無くなったことに動揺しているようで、何か食べるものはないかと探していた。探していたのだけれど、何も見つからなかったようだ。


 それにしても、齋藤さんは今までと違って思い込みが激しくなりすぎているように思えた。何が原因なのかは本人に聞いてみないとわからないけれど、そんな事を尋ねても応えてくれる保証はないのだ。

 それでも、鈴木さんが仕事を終えて戻ってくると、そろそろ下校時刻になると言ったところだった。


「ちょうどいいところに来た。美波ちゃんは最初に貰ったお人形はどれかな?」

「お人形って何?」

「美波ちゃんが最初に貰ったお人形が気になってね」

「ちなみに、私のはちゃんと部屋に飾っているよ。ソフィーは自分がお人形さんみたいだから気にしたりもしてないだろうけどさ」

「いやいや、それはどうでもいいんだけど、いったいこれは何が目的なの?」

「目的って言うか、美波ちゃんは最近落ち込んだり元気だったりしてるみたいだけど、何か良い事と嫌な事が立て続けにあったのかな?」

「それに近い事はあったと思うけど、立て続けって程でもないんだけどね」


 二人の考えは外れてしまったようだけれど、ソフィーの答えには少し期待していた。

 期待していた分、外れた時にがっかりしていたけれど、ここまで来たのならもう一度上位を目指してみるのはどうだろうか?

 きっと誰かが挑戦して齋藤さんと鈴木さんの秘密を握ったとしたら、それぞれの兄弟がおかしいのではないかと議論になってしまった。


「今度は私も相談していいですか?」


 いつもとは違う雰囲気の鈴木さんに話しかけられて少し戸惑っていたけれど、来週じゃなければいつでも大体平気だった。

 

「私の秘密は二人には内緒ですよ」


 いつもと違って少しだけ倦怠感が出ているけれどそれを乗り越えた先にしか道は繋がっていないのかもしれない。

 鈴木さんが来てからほんの数分で下校時間を告げる時計メーカーが色々な意見をまとめて形にしたものだけれど、ここにいる人達は何を用意しているのだろうか。

 

「そうだ、最後にマサ君先生の給料を教えてよ」


 僕はその質問は聞こえなかった風を装っていた。それでもしつこく聞いてくるものだから、誕生月だけ教えておいた。給料の話はここでは止めておこう。

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スーサイドアップガール 釧路太郎 @Kushirotaro

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