十三夜
風都
第1話 small fall
「お前に会うのは今日で最後なんだ。
最後くらい話がしたかったけど、仕方がないね。今日もこうやって、独り言を延々と呟くことにするわ。わかっていても切ないね。
……確か二十歳になるまでに見えなければ、一生見ることはないとか誰かが言ってたな。
誰だったか、ほら、お前が小学六年生の時の担任で、眼鏡かけてて、厳つい感じの……ハゲ。
嗚呼!名前が出てこないなんて、そんな歳はもうとっくに過ぎたのにね。
……まぁ、私が思うに、見えないに越したことはないのよ。
見えない方が逆に怖いとか言う人もいるけれど、見える方の不幸せを知らない分、見えない人は幸福なのよ。きっとそうに違いない。
……そうだ、そうだった。時間があまり残されていないのよね。話さなければいけないことを話すべきよね。
……ところで、お前は相変わらず、小さくて光るものに夢中ね。暗がりの中なのによくできるわ。暗いところでげぇむはしない、目を大切にしなさいと、母親に言われなかったかい?
……言わなかったのかしら。
あの子も仕方のない子ね。誰に似たのかしら。子供を放っておいて家を出るなんて。腕があったら殴ってやりたい。そして、お前とあの子と、いっぺんに2人とも抱きしめてやりたい。もう願ったって叶いっこないのよね。
……これは完全に独りよがり。わかっているんだけどねぇ。
……そういえば最近、秋が深まりつつあるね。いい季節だわ。
涼しさを感じるかって?そりゃ、感じないわよ!
そりゃ、死んでますもの。神経なんてとうの昔に消え失せたわ!
……そもそも秋の訪れを知らせるのは、涼しさだけじゃないのよ。空も、風も、草木はもちろん虫達も秋を教えてくれる。
……ほら、小さい秋見つけたって歌があるだろう?あの歌のように、お前だって小さい頃、小ちゃい秋の足跡を見つけて、誰かに見せびらかしていた時期があったんだよ。そして、えらいねって褒められてたことも、お前はもう、忘れてしまったんだね。
……あの頃のお前は、目を瞑るのも忘れて見入ってしまうほど可愛らしいものだったよ。瞑る目、ないけど。
……何が言いたいかというとね、秋は素晴らしい季節さ、春も夏も冬も素晴らしいが、秋は特に人の心を揺さぶると思わないかい?
哀愁の愁は“秋の心”と書くように、人は秋になれば嬉しさと物悲しさに、心が乱されるのさ。
……お前はまだ若いからわからないか。
まぁ生きてく上で決して重要なことじゃないけれど、大抵はそういう取るに足りない些細なことが生活を彩ってくれるのさ。こういうことを教えてくれる大人はお前の近くにはいないのかい?
……だからといって、こういう時に自分を責めちゃダメさ。それはお前が悪いのではなくて、そうさせるものが悪い。いいかい、お前はそのままでいていいんだよ。
……話が横にされていくわね。私のお喋りは死んでも治らないようだ。これを幾分か、お前に分けてやりたいね。
……ところで、私、幽霊になって何年になるのかしら。とうの昔に死んでると思ったけれど、どうなんだろうね。幽霊になった私の記憶はお前に出会ってから始まったものだから、よく覚えてないのよ。
……うーん、ということは18年は確実に死んでるってことか。
あっはは!長いわね!しかし、幽霊の玄人なんて誇れるものじゃないわ。
……ふぅ、お前が生まれて早18年か。私は目が覚めてる時はいつでもお前を見て、時には叱って、励まして、笑って、涙を流してみたりしたわね。それももう、できなくなるなんて。
……いや待て、泣いてはないな。そういえば、泣いてなかったわ。
幽霊だもの、そういえば涙出ないわ。涙は出ないけど、辛いのに変わりはないよ。悲しい気持ちだけが宙に浮かんでいるのもそれはそれで、辛いものなのよ。
……お前にはわかるかねぇ。
……最近泣いたりしているのかい?
それとも、妙にませてるお前は、泣くなんて子供みたいなこと、と思うかもね。でも、涙は時として救いになることも覚えておいて損はないよ。今のお前には特にね。
……さぁて、そろそろお別れとするか。あっちで私をずぅっと待っている人もいることだしね。
……お前ひとりを残すのはもちろん心配さ。心苦しいことこの上ない……いや、格好つけたことを言って、私が寂しいだけか。
……寂しいよ。これから先、お前が成長していくのを見たかった。でも、私が今成仏しなければ、今度はお前を呪い殺してしまうらしい。お前の幸せを奪うようなことは絶対にしたくないのさ。
だからね、最後にひと仕事してから成仏することにするよ。
……この期に及んで、しぶといとか言うんじゃないよ。もう死んでるんだから!」
カッターを手首に当てて、いよいよ血を見ようとした瞬間、体が急に固まった。
ありとあらゆる筋肉がピタリと凍りついたように震える。
これは、あれだ。よく聞くやつだ。しかし私は幽霊なんて見たことがない。私はいつだって霊感ゼロなはずだ、と思考だけは巡っている。
金縛りという初めての経験に、久しく感じなかった動揺が生まれた。
なんでこんなことに、と呟こうとして口が動かない。口の周りにも筋肉があるからだな。
その前に息がうまく吸い込めない。散歩中の犬のような、必死な呼吸になってしまう。同時にひどい耳鳴りがして、目の前が暗くなった。金縛りなんてもう懲り懲りだと思うのに時間はいらない。
あまりにも無様すぎる自分に、これまたしばらくご無沙汰だった涙が出てきた。
今までは無感情を保てていたのに。
馬鹿野郎だな、私は。
本当に馬鹿だ。
ばぁぁぁぁか!!
声が出ないのも忘れて叫んだ。もちろん、声にならない。
誰の耳にも届かない叫びなんて、意味がないからしないようにしていたのに。
力の入らなくなった右手から、カッターがカシャリと音を立てて落ちた。もう拾い上げる気力はない。
実は、はじめから、カッターで手首を切っただけで死ねるなんて思っていなかった。
インターネットは、確実に死ねる方法を容易く私に教えてくれた。でも、それらを実践しようとして、何故かできなかった。
でも、生きたいとも思ってなかったのも本当なのだ。ズルズルと私を引きずり込もうとする、味方のいない寂しさから逃れたかった。それだけだったのかもしれない。
結局、何をして、どうすればいいのかわからなかった。
「ウッ、グッ、ウェッ」
だんだんと声が出るようになり、醜い嗚咽が口から吐き出る。ようやく硬直が解けたというのに、私は床にうずくまったまま動けない。すると、視界が少しだけ明るくなった。思わず薄く眼を開けた。
灯りをつける人がいない部屋に、静かに月明かりが照らしている。小さく空いたカーテンの隙間から差し込んでいた。無意識に光のもとへ、熱のこもった思い瞼をゴシゴシと擦って、そろそろと窓まで這った。埃の匂いがして噎せる。カッターはその場に置いていった。
生まれてから幾度となく見てきた満月だが、今日のはそのどれよりも明るかった。星が霞むほどだ。もう、中秋の名月は過ぎたというのにと思って、まだ自分の中に季節感が残っていたことに気がついた。
目が痛いほどに、今日の月は綺麗だ。
ショボショボする目で瞬きをする。それでも目を開けているのがつらくて、溢れるものを止めることもせず垂れ流した。目を閉じれば虫たちの声がはっきりと聞こえてくる。
秋は、深まるばかりだ。
きっと、窓を開ければ心地よい秋風が吹いてくるのだろう。そう思えば、急に風を感じたくなる。染み付いたものは、そう簡単には落とせなかったらしい。
まだ重だるい瞼をこじ開けて、手を伸ばした先に、小さな秋が息を潜めていた。
十三夜 風都 @futu
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