暗い宇宙に光る虹

天野橋立

暗い宇宙に光る虹(一話完結)

 宇宙港の出発ロビーから、粒子線遮断アンチ・パーティクルガラスで造られた天井を見上げると、その向こう側には星空が見える。どこまでも広がる、宇宙。


 居住ブロックでも、空の様子は二十四時間単位で移り変わり、青空と夜空の間を行ったり来たりするが、あれはあくまで作り物の風景だ。

 立ち並んだ住居キャビン群を覆うドーム・スクリーンに投影された、映像に過ぎない。ここから見える宇宙のような、底知れない奥行きを感じさせることはない。


 レイは魅せられたように、その美しいような、恐ろしいような本物の夜空を、濃いヘーゼル色の瞳でじっと見つめていた。

 自分が今から、この宇宙へと旅立つのだということが、彼女には信じられなかった。十七歳のレイにとっては、これが初めての星間巡行スター・クルーズだった。


 バラク・オバマ宇宙港の第三ゲートには、「虹詣りにじまいり」のためにチャーターされた、定員百五十名のミドル・クルーザー級スペースシップ「あおぞら」がすでに係留されて、乗船客を待ち受けていた。

 年に二回、春と秋に行われる「虹詣り」。それは、外宇宙に建造された人工島コロニーに暮らす人々が、自分たちのルーツであるご先祖様たちに思いをはせるための伝統行事だ。

 特にこの、秋の虹詣りには若者が多く参加し、これが人生最初の本格的な星間巡行スター・クルーズになるという場合も多い。


 春と秋、と言っても、この凍てついた宇宙空間に浮かぶ人工島コロニーにおいて、気候の変化などというものは本来存在しない。あくまで歴史的、文化的に継続されている、暦に定められた時期の名称に過ぎなかった。

 それでも人々は、カレンダーに書かれた「季節」に忠実に従って暮らしている。変化の少ない宇宙での暮らしにおいては、それは大切なことだった。


 レイが乗り込んだ「あおぞら」は、標準時刻の夜22時ダブルツー・アワーちょうどに、バラク・オバマ宇宙港を出港した。

 彼女に与えられた船室キャビンは、三段の棚のような寝台が向かい合う六人部屋で、同室の先客はみなレイと同年代の、若い人ばかりだった。


 自己紹介の結果、みんな宇宙に出るのは初めてだということが判った。

「僕の兄さんが一昨年、おんなじ秋の『虹詣り』に行って来たんだけどさ」

 同室の一人、AaⅨ人工島から来たという、黄味がかった肌の青年が言った。

「そりゃあもう、綺麗だったってさ。遥拝点から見える『虹』って」


「でも、何だか悲しいことよね。あんな歴史が……その結果できた『虹』が、そんなに美しいなんて」

 低重力気味のEⅦ人工島で育ったほっそりとした女性が、深紅に染められた長いまつげを伏せた。室内に、重い沈黙が立ち込める。


「ちゃんとそういうことを考えて、亡くなった人たちの冥福をお祈りするしかないんじゃないかな、僕らには」

 レイと同じ、BⅡ島高等教育校の上級生だという長身の青年の言葉に、全員が深くうなずいた。そのための「虹詣り」なのだ。


 消灯の時間となり、乗船客の多くが就寝した頃、α・ケンタウリ星系を離れた「あおぞら」は、ハイパー・ドライブ30サーティー航法による航行に入った。

 しかし、船室内には全く影響がなく、深夜相当時間帯でもあるので、特にアナウンスはなされなかった。


 まだ眠りに入らず、船室の窓から宇宙空間を眺めていたレイは、ハイパー・ドライブ開始と同時に、無数の星々が突然後方へと猛スピードで流れ始めたのを見て驚いた。それはまるで、星が降り注ぐような風景だった。

 ドップラー効果によって前方は青く、後方は赤味がかって見える星々は、まるで虹のような七色にも見えたが、これは「虹詣り」とは関係がない。

 船が光速を超えて、窓のブラインドが下ろされるまでの間、彼女はこの不思議な情景を飽きずにずっと眺め続けていた。


 一晩をかけて、「あおぞら」は太陽系のそばまで到達した。ハイパードライブ航行を終了し、さらに通常動力にて、金星軌道と火星軌道の中間にある「遥拝点」へと向かう。

「遥拝点」を周回する軌道は、秋の「虹詣り」のためにやって来た他の船――バーナードや、タウ・ケティの船も――でごった返していた。

 結局、遥拝点に到着したのは、結局出港から二十四時間後の夜22時ダブルツー・アワーになった。


 船長からのアナウンスに従って、乗船客たちは各々正装に着替え、フォワード・ラウンジへと集合する。レイも同室の五人と共に、制服のセーラード・ブレザーに着替えて船首へと向かった。


 ラウンジの正面には、祭壇が用意されていた。やがて黒衣の神職が姿を現し、その前に立つ。

 年老いた神職がもごもごと話す内容は船の動力音にかき消されて聞き取り辛かったが、「百億の民」「消滅」「悲劇」などの言葉が、レイには断片的に理解できた。


 時間となった。祭壇の向こう側、船首に設けられた巨大な前面パノラミック・ウインドウを覆っていたカーテンが、左右に開かれる。

 前方の宇宙空間、その漆黒の闇の中に、球形の白いもやのようなものが、うっすらと浮かんでいるのが見えた。そして、その球体を縁取るようにして、環状の光が七色に輝いていた。

 レイは、思わず両手を合わせた。初めて自分の目で見た、これが「虹」。周囲の人々も、皆同じようにしている。涙を流している人も、少なくなかった。

 

 かつてここには人類発祥の地、母なる地球があった。しかし、愚かなる争いの果てに発動された最終兵器、「分子間力無力化兵器ファンデルワールス・キャンセラー」が、その地球を百億人の住民ごと粉々に――それこそ、分子レベルにまで――分解してしまったのだった。

 浮かんでいるもやは、拡散されつつも一定のまとまりを維持している、かつての地球を構成していた物質の成れの果てだった。

 そこに当たった太陽からの光が、虹のような七色の模様を創り出すことを発見したのは、外宇宙植民地から派遣されてきた、初期の調査・救援船だと言われている。

 もやの中で凝集・凍結した水分が、プリズムのような作用をしているのではないかと考えられているが、本当の所は良く分かっていない。


 悲劇の虹――そう呼ばれることになったこの「虹」は、地球人類滅亡の象徴として、長く語り継がれることになった。「虹詣り」の習慣が一般化したのは、さらに百年後、超光速航行の技術が普及した後のことである。


 暗い宇宙に光る虹。美しく、悲しいその七色の光を、レイは瞳に焼き付けた。わたしたち、生き残った一千万の人類は、この悲劇を決して忘れてはならないのだ、と。

 第二新暦百十九年、九月二十三日。初めての「虹詣り」の夜に。

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暗い宇宙に光る虹 天野橋立 @hashidateamano

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