官能的な美しさ、生命倫理の在り方、社会的概念の変換。
この作品を三つの要素でまとめるならこうでしょうか。
知性溢れる高度な文章で紡がれるストーリーはこれまで僕が読んできた小説とは一線を画すものでした。
決して奇をてらったものでもなく、生き物の身近な事象を描いただけの作品。
それが、なぜか人の胸を打つ。
……いくら知的で知性の素養があろうとも、きっと人がまだ生き物であり、須く世界の理に囚われているからでしょう。
生と死の間にはいったい何があるのでしょうな……。
と、文章の鬼である純文学的表現が多い本作品に感されて背伸びをしてレビューを書いてみましたm(__)m
駄文失礼しました。
死生観。生と死は、人類の永遠の命題だと想います。
日本では古事記や日本書紀に綴られた伊邪那美伊弉諾の神話からも窺えるように、死は穢れであり遠ざけるべきものであるという意識が根づいてきました。輪廻転生が強く信じられる地域もあれば、古代エジプトのように新たな人生の幕開けとして言い伝えられた地域もあります。
こちらの小説のなかでは、25歳になると死の権利があたえられ、みなに祝福されながら自殺します。長寿ほど恐ろしく絶望的なことはありません。
ひとはかならず、死に至ります。如何なる職につき、幾何の名声を得、富を築きあげて、歴史に名を遺す偉業をなそうとも、その結末だけは平等です。
如何に死を恐れ、遠ざけようと。如何に死を愛し、その幸福を語ろうと。
《死》という事実にはなんの影響ももたらさないのです。
なればこそ。
我々は死に邁進しながら、なにを残し、なにに抗うべきなのか。
非常に重い題材を取り扱った小説ですが、読後のきもちはむしろさわやかです。
情事の描写がありますが、これは生と死の仮想体験の比喩ともいえると思います。この小説になくてはならない要素ですし、描写も美しく素晴らしいです。
最も身近でありながら、最も遠くにあるもの。『死』
これは言うなれば異なる世界の物語である。だがこの作者が紡ぐのは、よくある魔法や剣に彩られた異世界の話では無い。
我々が生きるこの世界と同じ摂理の元で構成された世界、只一つ違うのはその価値観。
作者がポリティコン・ノミスマと表現するそれは社会通念のようなもので、一般常識ともいえるかも知れない。
だが考えてみれば常識とは人の認識の上に成り立つもので、自然界の摂理とは無関係の代物である。
その常識が常識で無くなった時……
さて、このように一見首を傾げるようなテーマを中心に据えながら、しかし一つのエンターテイメント(しかも上質な!)として読者が物語に深く入り込む事が出来るのは、この物語全体が詩によって彩られているからだろう。
作者の紡ぐ言葉、それは美しい詩なのである。
難しく考える必要は無い。ただ読めばいい。そうしたらきっとあなたもこの作者の世界を感じる事が出来る筈だ。
さあ、一緒に飛び込んでみよう!
条理と不条理の向こう側、いざ、詩一ワールドへ!