これが罰ゲームです

烏川 ハル

パン屋の扉

   

「今日はみんなに話したいことがあります」

 教壇でクラス担任の麻田あさだが、神妙な顔で切り出した時。

 クラスの生徒の多くが既に用件を察しており、教室の真ん中でポツンと目立つ空席へ、意味ありげな視線を向けている者までいた。

「数日前から欠席しているあずま君のことです。実は彼は、病欠ではありません。行方不明となっており……」

 教室中に「やっぱり」という空気が漂う。行方不明の件なんて、とっくに噂になっていたのだから。

 生徒たちがざわざわとする中で、事件の発端に関わっていた三人の学生――南郷なんごう西川にしかわ北山きたやま――は、バツが悪いような、納得がいかないような、複雑な表情を見せていた。



 そもそもの発端は、数日前の昼休みのこと。

 食後の暇つぶしとして、彼らは四人でトランプ遊びに興じていた。『大富豪』あるいは『大貧民』と呼ばれるゲームだ。

「そろそろ最後かな? じゃあ……」

 しばらく遊んだところで、ニヤリと笑いながら、痩身の北山きたやまが口を開く。

「今から星を数えてみようかな?」

 四人は、大富豪が四点、富豪が三点、貧民が二点、大貧民が一点という形で、星勘定をつけていた。ポイント最下位が罰ゲームという取り決めだったのだが……。

「いや、もう、数えるまでもないだろ? みんな、酷いよ」

 顔をしかめながらあずまが叫ぶと、そんなあずまに対して、北山きたやまが指を突きつける。いかにも「ドーン!」という効果音が出そうなポーズで。

「この勝負、お前の負けだ!」

「当たり前だよ! これ、最初に大貧民にハマったら、もう抜け出せないじゃないか!」

 前回順位に基づいたカード交換という特性があるため、一度でも負けると簡単に地位を覆せないゲームだ。途中であずまは『革命』を起こし、その時は一発逆転の可能性も垣間見えたのだが、残念ながら『革命返し』を食らって、つゆと消えたのだった。

「あれは3年前のことだった」

 黒縁メガネの西川にしかわが、メガネをクイっと上げながら、急に語り出す。

「突如、侵略してきた異星人。人類の抵抗も虚しく、異星人は地球の都市の70%を焼き、総人口の半分を死にいたらしめた。人々が恐怖する中、全財産を失ったアズマは……」

「無駄に壮大な設定、作らないでよ! あと、僕が大貧民になったのは『3年前』じゃなくて『30分前』だよ!」

「ツッコミ入れるだけ無駄だぞ、あずま。どうせ西川にしかわの設定は、どっかのロボットアニメのパクリだ」

 と、口を挟む南郷なんごう。横にガッチリとした体格で、今日も学生服のボタンを留めずに、前を開けた状態だ。

「それよりも……」

 今度は俺が冗談を言う。そう言わんばかりの笑みを浮かべて、南郷なんごうあずまに告げた。

「シュークリーム食べたくなったから、買ってこい」

「……え? ついさっき昼飯、食べたばかりなのに?」

 わけがわからない、という顔をあずまが見せたのは、ほんの一瞬。すぐにあずまの頭の中で、ピコンと電球が光る感覚があり、さらに「これが罰ゲームです」という幻聴まで聞こえてきた。

 そう、ぶっちぎりのトップは南郷なんごうであり、彼こそがあずまに一つ命令できる立場なのだから。

「……わかったよ。行ってくる」

「おお、パン屋のじゃなくて、コンビニので構わないからな!」

「急げよ! 早くしないと、昼休み終わっちゃうぞ!」

 教室を出るあずまの背中に、南郷なんごう北山きたやまが声をかけるかたわらで。

「私の仕事は、この世界を破壊することだから」

 西川にしかわは相変わらず、設定の続きを独り言として口に出していた。侵略異星人あるいは裏切り地球人に成り切った台詞のようだが、南郷なんごうにも北山きたやまにもスルーされて、少し寂しげな口調だった。


 走って校門を出たところで、あずまは一瞬、足を止めてしまう。最後の南郷なんごうの言葉にあったように、二つの選択肢を思い浮かべたからだ。

 その一。右へ100メートル進んで、コンビニでシュークリームを買う。

 その二。左へ50メートル、そこの角を曲がって、さらに100メートル。「菓子パンが美味しい、ケーキも美味しい」と評判のパン屋まで行く。

 逡巡の時間はわずかであり、彼の足は、左へと向かっていた。


 ベーカリー『異世界』。

 パン屋にしては妙な店名だが、一口食べれば誰もが納得。「とてもこの世界のものとは思えない味!」「まるで別の世界で修行してきたかのような……!」という噂が、あずまたちの学校まで届いていた。

 実際、その店であずまはシュークリームを何度も買っている。男のくせに甘いものに目がないあずまだが、その彼の舌でも「何このカスタードクリーム! あっさりとして、しつこくなく、それでいて甘党をも満足させられるようなまろやかな味!」と感じるような出来栄えだったのだ。

 しかも、そのパン屋を一人で切り盛りしている看板娘――キョーコさん――は、眩しいほどの美人。

「黄色いエプロンと青い三角巾の似合う、素敵なお姉さん……」

 キョーコさんのことを思い出すだけで、あずまは、うっとりとしてしまうくらいだ。

 だから。

 罰ゲームとはいえ、キョーコさんに会える機会だと思えば、あずまは心ウキウキだった。


 しかし。

「そんな……」

 ベーカリー『異世界』に辿り着いたあずまは、膝から崩れ落ちて、その場に座り込んでしまった。

 店は真っ暗であり、扉には『CLOSED』というふだが掛かっていたからだ。

 頭の中では冷静に、今日の曜日を確認するが……。定休日ではなく営業日のはず。

 しばらくあずまが、その場にペタリと座り込んでいると、頭上から声が降ってくる。

「隣の姉ちゃんなら、引っ越したぞ」

 見上げれば、隣接した民家の窓が開いて、小学生くらいの子供が顔を出していた。

 いや、ああ見えて、もっと幼いのだろうか。小学校は、まだやっている時間帯のはずだし。

 そんなことを考えながら、あずまは言葉を返す。

「どこへ?」

「知らない。そういえば、引っ越し作業自体は見てないなあ。ただ『遠いところへ行く』って挨拶があっただけ」

 それだけ言うと、子供は顔を引っ込めて、窓も閉めてしまった。

「そっか……。じゃあ本日休業ってわけじゃなく、この店、もうやめちゃったのかあ……」

 がっくりしながらも、気持ちとは裏腹に立ち上がるあずま

 本来ならば、そのままきびすを返すべきだったのだろうが……。

 後ろ髪を引かれる思いで、ドアノブに手をかけた。

「……おっ?」

 鍵はかかっていなかった。

 いくら空きテナントになったとしても、物騒だろう。あるいは、まだキョーコさんが中にいるのだろうか? 真っ暗に見えるのは入り口近辺だけで、奥で作業中なのかも……? 『引っ越し作業自体は見てない』という話だったし、まだ引っ越しが終わっていない可能性も……?

 淡い期待と共に、あずまは扉を開いて、店内へと一歩、踏み出して……。

 その瞬間。

 世界が真っ白になった。


「眩しい……!」

 視界が正常に戻った時。

 あずまは、全く違う場所にいた。

 床も壁も天井も、全てが水色で、キラキラと輝いていた。ガラス張りの建物のようにも思えるが、色ガラスや磨りガラスとも違う感じだ。『水晶宮』とか『クリスタルパレス』といった言葉が頭に浮かぶ。ゲームで遊んだダンジョンの名前だが、それこそがイメージぴったりの場所だった。

 後ろを振り返っても、もはや扉は存在しない。広大な部屋の真ん中のようで、足下には、三角と丸を組み合わせた図形が、黄色い光で描かれていた。

「えっ? これって……」

 ありえないことが起こったのだ、ということだけは理解できた。謎の光に包まれて運ばれてきたわけだが、だからといって別にスーパーパワーを与えられたわけではない、という実感もあった。

 困惑の中。

 遠くから、会話が聞こえてきた。

「私の壮大な世界征服計画を教えてやろう」

 野太い声に続いて、聞き覚えのある女性の声。

「その必要はないわ!」


 声の聞こえてきた方角に、あずまは走った。

 部屋の隅に階段を発見。どうやら、声の主は一つ上の階にいるらしい。

 階段を駆け上がるあずまの耳に、さらに女性の叫びが届く。

「これが勝利の鍵! すなわち……」

 そして、あずまが問題のフロアに到着した時。

「キセキのチカラだ」

 決然とした叫びと共に。

 ピンク色の鎧兜で身を固めた女性が、不思議な剣を――刀身が光に包まれた大剣を――振り下ろすところだった。

「ぐわっ!」

 先ほどの野太い声。

 だが、その姿は、あずまには見えなかった。ちょうど光の大剣で斬られて、黒い影となって消滅する瞬間だったのだから。


「ふう……」

 この世界の魔王を屠ったピンク色の勇者は、額の汗を軽く拭った後、あずまの方へと振り向いた。

 魔王最期の瞬間、誰かがこのフロアに上がってきたのを、しっかりと彼女は認識していたのだ。もしも魔王軍の残党であるならば、きっちり処理しようと思ったのだが……。

「え……?」

 黒い学生服の少年。全く予想もしていなかった存在だ。

 一方、あずまにしてみれば、兜の中の顔は『声』から予想した通りだった。

「キョーコさん!」

「えーっと……。あれ? キミって、いつもの常連さんの……」

あずまです!」

「ああ、そう、あずま君。でも、なんであずま君がここに……」

 そこまでいってから。

 勇者キョーコは、オーバーな仕草で額に右手を当てた。

「あちゃー。私、転移魔法陣のスイッチ、切り忘れてたのか……」

 思いっきりの後悔を顔に浮かべると同時に、左手で指をパチン。遠隔操作で、遅ればせながら、魔法陣の効き目を消す。

「ごめんねえ、あずま君。キミまで、こっちの世界にさせちゃって……」

 本当にすまない。土下座でもしそうな表情で、でも仕草は軽く、顔の前で小さく手を合わせる勇者キョーコ。

「いえいえ、そんな……。とりあえず、僕は何も見なかったことにしますから、さっさと戻していただければ……」

 自分でも驚くほど、冷静に対処するあずま。だが、彼が本当に驚くのは、この先だった。

「それが無理なのよねえ……」

 言いづらそうな口調の後、キョーコは早口で、一気に説明する。

「今までの転移魔法陣なら、あっちの世界とこっちの世界を行き来できるんだけど……。今回のは特別仕様で、魔王城の結界を破るために、ブーストかけてあってね。というより『世界間移動を助走にする感じで、ようやく魔王城の結界を破れた』と言うべきかな? とにかく、一気に魔王城へ飛び込むために、犠牲にした側面があって……。今回のは一方通行、しかも最後の魔法陣。これを使うと、もう二度と新しい転移魔法陣は組めなくなっちゃう。だから、完全な片道切符なのよねえ……。あ、もちろん、魔王が死んだ今、魔王城の結界は消えたから、この城から出て、この世界で暮らすことは出来るんだけど……」

 ごめんね。てへっ。

 そんな感じでペロッと舌を出す彼女を見て。

 あずまの頭の中で、再び「これが罰ゲームです」というセリフが流れる。同時に、彼の口からは、ツッコミの独り言がこぼれた。

「大貧民の罰ゲームにしては、これ、過酷すぎるだろ……」


 ちなみに。

 呆然とするあずまの耳には入っていなかったが、この時、キョーコはキョーコで、やはり独り言を口にしていたのだ。

「うーん。これは……。責任とって、私があずま君と一緒に暮らすしかないのかな?」



 そして。

 時は流れて……。



 あずまは、こじんまりとした家の――キョーコが建てた家の――洋風縁側ウッドデッキで、いつものように陽に当たっていた。

「あれは3年前のことだった……」

 彼がポツリと呟くと、

「わあ! おじいちゃんのお話、始まった!」

「ボク、あれ大好き! 勇者と魔王の物語、聞かせて! 聞かせて!」

「私はウチュウジンの話の方が好き!」

 わらわらと小さな子供たちが集まってくる。

 少し離れたところでは、子供たちの母親が、彼らを見守りながら談笑していた。

「やだわ、お父さんったら、ボケちゃって……。全然『3年前』じゃないのに……」

「いいじゃないの、姉さん。あれはもう定型句みたいなものよ。実際の『3年前』を意味してるわけじゃないんだわ」

 娘や孫たちに囲まれて、幸せな老後を過ごすあずま

 これが彼の『罰ゲーム』の顛末なのだが、はたして、本当に『罰ゲーム』と呼べるものだったのかどうか。その答えを知るのは、あずまだけなのかもしれない。




(「これが罰ゲームです」完)

   

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これが罰ゲームです 烏川 ハル @haru_karasugawa

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