夏の残り香

夜依伯英

第1話(完)

 閃光とほとんど同時に轟音、いや爆音と言った方が適切な程の大きな音が響いた。身体の芯を震わせるような、そんな音だった。刹那、大量の雨。必死でペダルを漕ぐ足、前を見据える顔面に、雨粒が衝突する。灰色だった制服に、だんだんと黒が挿されていく。生暖かい感覚が私を不快にさせる。


 一瞬、時が止まったかのように感じた。その瞬間、大粒の雨が、まるで散弾のように私を叩いた。痛い。前を見るのも困難だ。片手で簡単に顔を拭ったが、自転車がよろめきすぐにハンドルに戻す。駅まであともう少し。頑張らなきゃ。


 空に一閃。どんな色なのかもよく分からぬまま、轟音に思考を奪われた。空気が重い。湿気と熱を孕んだその空気をかき分けながら、私は進んだ。雨の勢いは増すばかりだ。髪から水が滴る。駐輪場につき、自転車を降りると、立ち漕ぎなんてしていない筈なのにサドルが濡れていた。身体の末端という末端すべてから水が滴り、既に真っ黒になったアスファルトに落ちていく。


 世界が光ったと思ってしまうくらいの雷光と共に爆発音がした。落雷だ。もう八月は終わり、私の「夏」は終わってしまったというのに、天候はそんなことを気にも留めない。世界に無視されている感覚に陥り、奇妙な寂しさに囚われた。駅構内には、途方に暮れる人々が沢山いた。何も娯楽のない田舎のくせに、人だけは無駄に多いのだ。ほとんど学生ではあるが。


 改札を抜け、ホームに降りる階段に差し掛かったところで、ふと髪型が気になり踵を返した。すぐ近くにあるトイレに入り、鏡を見る。酷い顔だ。この風雨に晒され、哀しみと怒りに染まった、可哀想な顔。申し訳程度に整えると、私は再度ホームへ向かった。


 スマホで良かったな、と先程わざわざトイレへ向かったことを悔いる。今の時代だ。内カメで髪を整えるくらいできるだろうに。


 電車を待つ間にも、雷は鳴り続けていた。ホームには屋根があるとはいえ、やはり雷には恐怖を感じる。雨の勢いは変わらずだ。夏らしい豪雨。終わった季節を蒸し返す。私の気持ちもそうされた。



 私は、この夏に恋をした。彼は決して人気者ではなかったが、彼の魅力の理解者は私だけでいいと、そう思っていた。彼はまるで、そこだけが切り取られたかのように、完結していた。彼には世界がある。そう確信した。初めて生きているという感じがしなかった。何度も、何度も生きている。そんな風に、彼を捉えた。彼の声は落ち着いていた。心の奥底から出ているような、そんなかっこいい低い声。そんな声で話されると、私は世界を忘れてしまった。彼の目も好きだった。外国の血が入っているのだろう灰色がかった瞳。くっきりとした二重まぶた。彼は憂鬱そうに世界を眺めていた。


 彼はいつも一人だった。時折、友達と話している姿を見かけたが、彼はきっと彼らがいなかったとしても普通に生きていくんだろうと、そう思った。彼は幸せそうに見えた。自己完結した世界の中で、憂鬱に浸りながら人生と戯れていた。


 だから、彼が自殺したと聞いたとき、私は信じられなかった。自ら死を選ぶ人間には見えなかった。周りは「あいつ、いつも暗かったしな」とか「ぼっちだったもんな」とか勝手なことを言っていたが、私には分かっていた。彼にとってはそれが幸せなのだと。だから私は、彼に想いを伝えなかったのに。彼との事務的な付き合いをわざわざ作って、彼が自分の世界で生きていけるように、頑張ったのに。


 彼がいなくなって、私の想いは行き先を失くした。そのまま亡霊のように、私は生きていた。


 電車が来た。雷が鳴った。

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