うつくしいひと

知世

うつくしいひと

異変に気が付いたのは1週間程前のことだった。あの姉のことだからダイエットとかリセットとかデトックスとか言って断食を始めるのはまぁ想像の範囲内だ。でも最近彼女は部屋から一歩もでてこない。これはかなりの異常事態である。なぜか。姉をみごもっていた際の母は、胎内にいた彼女に「清く正しく調子良く」生きる能力を通常の2倍与えるという間違いを犯した。つまり、私にとって引きこもりと姉という単語は日焼け止めと雨くらい縁遠いものだったということだ。


姉さん?と二階の突き当たりにある彼女の部屋のドアの隙間から様子を伺っても、暗闇からちょっと今ダイエット中だから、というトンチンカンな答えが返って来て、謎は深まるばかりである。


異変は次々と起こり始めた。風呂の床に落ちている人間の皮のようなもの。水を吸ってグニグニと気色の悪い触感である。気味が悪い。私がそれを人差し指と親指で摘んでいるのを横目で見た風呂上がりの母は「お母さんがピーリングして取ったやつかしら?」と言いつつ化粧水をぺちぺちとつけている。間違いなく1番陽気なのは彼女だ。さすが姉を産んだ女性である。


それから、洗面台に何かツルのような植物の一片が落ちている。くるくると巻いてカールしたマカロニのようなそれ。うちには観葉植物の類はない。母親に相談しても「うーん。知らない。なかなかかわいいわね」という。母に助言を求めても無駄だということだけはわかった。やはり、1番怪しいのは姉である。姉の入浴は真夜中で、小声で歌を口ずさみながら小一時間風呂場にこもる。近所迷惑である。


2週間もすると排水口にはツタがぎっしりと詰まり、それでも暗闇に籠る姉に我慢ができなくなった私は、姉の風呂を覗き見ることにした。


「姉さん?」


そっと曇りガラスの扉を開ける。真っ先に目に飛び込んできたのは青々とした緑だった


「見つかっちゃったー?」


まるでかくれんぼで鬼にみつかるのを待っていた少年のように、からからと笑う姉の皮膚は植物の如く緑と白に染め上げられていた。体は引き締まり、髪はドレットヘアーのようにあのツタが腰のあたりまで伸び、まつげも眉毛も白っぽく変化している。まあ頭が小さくて背が高い彼女ならばこの状態も芸術とかシュールレアリズムとかそういう言葉で言い逃れられるかもしれない。さてこの状況でどうするか。姉が植物人間(?)になった時の反応は?きゃああと叫んで気絶でもすればいいのか?そういう思考が降りてきて、自分がさほど動揺していないことに少し動揺する。


「なんか……すごいねそれ、特殊メイクじゃないよね」

「あんたやっぱいいね、そういう超クールな反応すると思ってた」


さて私がクールな対応をしたとしてもこの問題が家族会議になるのは間違いなく、そこで初めて研究者だった父が人間植物化計画というものに参加していたということが判明した。父さんのせいなんだ、説明させてくれと蒼い顔で平謝りな父はいつになく真面目で、そこから始まる話もまたいつも以上に懇切丁寧な理系話だった。むずかしい話なんか私わかんないよという姉にかいつまんで説明する。


私たちの暮らす地球には温暖化が訪れている。植物は減っていく人間は増えていく、なら人間が光合成できれば効率的ではないか。その考えのもと、極秘の研究チームが発足され、人間も植物と同じように体表で光合成できるようになる方法を探っていた。究極の自給自足計画と銘打って体表に葉緑体を発現させる技術に成功すると、それは動物実験を経てランダムに選ばれた研究者の子どもで試すことになり、研究チームに入っていた父の子である私たち姉妹もその何百分の1という母数に入っていた。被験体に効果が出てくるのは思春期を終えてからだった。つまりそれまで20年近くのタイムラグがあった。そのうちに世間は変わった。クローンベイビーが批判され、倫理の問題が話題に上るようになり、批判を恐れた政府は選ばれた子供をしらみつぶしに探しているらしい。何故なら現段階で元に戻す方法はないから。証拠隠滅をして実験材料にするのだろう。


「つまり姉さん外に出たら捕まるかもよ。父さん、ギャンブラーの誤謬って知ってる?姉さんは怒っていいよ」

「あんたやっぱすごいよ、父さんの理屈退屈話をここまで書き換えるなんてさ」


怒らないんかい。褒められて悪い気はしないが、これから一体どうするのか。


「私は逃げも隠れもしないよ、でも誰かの言いなりにはならない」

「本当だったら植物人間が誕生した時点で政府に報告して研究所の中で暮らすことになるんじゃない?」

「そんなのまっぴらごめん。暗闇にいるとなんか痩せるから閉じこもってたんだけど、それで逆に政府に見つけられずに済んだってことでしょ?でもいつまでもこうじゃいられないわ。私引きこもってる間いいこと思いついたんだ。政府もギョエーって感じのをお見舞いしてやるの、あんたも手伝ってよね」


姉のそばにいると何かが始まる感じがする。私は姉と違って惰性がおっぱいをつけて歩いているような女なので、姉の力によって走りだすと、案外そのまま動き続けられるのだ。


「美穂ちゃんあなた斑入りでよかったわねえ。ただの緑じゃつまらないもの」

「あ、お母さんもそう思う、なんか自由研究に使えそうでいいよね。でもヨウ素液なんて塗ったら跡残るかなぁ」


2人の宇宙的会話を尻目に、私は姉から耳打ちされた「計画」について勝算を考えていた。


それからはまず服を探すことになった。外に出られない姉に代わって私が探してきたのはワインレッドのワンピース。姉がそれを着ると反対色の赤が鮮やかに目立った。SNSに写真を公開すると「まるで本物の植物のような」ボディペイントと堂々と個性的な服を着る彼女は瞬く間に世界中で有名になった。その間私がやっていたのは大量の緑や白のペイントスプレーを買って偽装工作することや、SNSの管理など彼女のマネージャー的仕事である。もともと日本人離れした身長を持つ彼女だから「ダイエット」すれば簡単にモデルのような体型になれる。数ヶ月でいくつかのランウェイに登る所まで上り詰めた。


雑誌のインタビューなんてちょっとした見ものである。


「そのボディペイントって始めたのいつ?」

「始めるも何も忘れもしない二十の朝、起きたら皮膚が痒くて掻いてたら皮がベロンと取れて中がこうなってたのよ」


「どうやったらそんなに綺麗に模様がかけるの?」

「自然な私の皮膚だもの模様を書いたことなんてないわ」


「日焼け止めクリームは何を使ってる?」

「そんなの塗らないわ、息ができなくなっちゃうし、光合成しなきゃ、太陽は私のご飯の元だから。ダイエットするなら日傘で十分」


彼女が本当のことを言えばいうほど世間は喜ぶ。それが彼女は面白いようだった。


私は日焼け止めクリームのCMは取りはぐれたなと思った。でも、バラエティ番組からはオファーが来た。彼女は順風満帆に見えた。それに影が落ちたのは、やはり政府の存在である。


「もはやあなたは有名になってしまった、研究所に来るのも時々でいいです。ただただ、本当にお願いしたいのは普通の姿でいてほしいということなんです」


政府から来たおじさん、家族内では略して政府さんと呼ばれるようになったその人が、頻繁にうちに来るようになっていた。おじさんが手土産がわりに持ってくる化粧下地にカツラ、マスカラ。なんとなく神経質そうなその人に姉が言い放つ。


「私、運命に逆らうつもりはないし私の生き方を他人に指図されるいわれはない。私に起こったこと、それは意外な変化だった、嫌じゃないかと聞かれたら最初は頷くしかなかったかもしんない。でもこれが私の人生で、この対処法が私の生き方ってだけ。そのコスメは持ち帰って」


最初は我が姉ながら恰好良いことを言うと思った。それでも12回も繰り返されると食傷気味である。


土曜日の午前にやってくる政府さん。母が手作りお菓子とお茶を勧めるのを断りつづけている。そんな4ヶ月目の今日、会話の展開はいつもとは違う方向に向かうことになった。


「うーん……そんなに言うなら次のファッションショーで使うからおじさんも私がフツーに振る舞うのを見ててよ」


そうですかそうですか13回目にしてやっと改心してくれましたかと嬉しそうな政府さん。ほっとしたのかお茶に手をつけ始めた。つくりすぎた水羊羹がはけて嬉しそうな母。脂汗を拭ってへどもどにこにこしている父。そして、くすくすと笑って目配せしてくる姉。彼女が何か企んでいるだろうことは一目瞭然だった。


ファッションショーでは姉は日本の着物風の衣装を着ることになっていた。マスカラをつけ、異様に質のいいファンデーションを塗って髷をつけた姉が、ステージに上がった途端、ざわめきが消える。真剣な顔をしてランウェイを歩く彼女。ポーズを決める。その後、彼女は何を思ったか、着物のたもとから白い布のようなものを取り出した。顔に何かを塗っている…?彼女の顔はだんだんとパステルグリーンに染まっていく。なんと化粧を落とし始めたのだ。半分落とし終わると顔は緑と白の仮面のようになった。一礼した後、反対のたもとから二つめをとってもう半分を落とす。髷をとって着物をスルスルと脱いで靴を律儀に揃えた彼女は裸になってランウェイに立った。ふるりと頼りなさげに揺れるふたつのおっぱい。柔らかく熟れた瓜のようなそれを口を開けて見ていた。湧く観衆。止まる音楽。約束と違うじゃないですかー!と叫ぶ声は神経質なあの声で、ああ政府さんも来てたのか。スポットライトの光を浴びながら踊りだした姉をただ黙って見ていた。


私の姉はうつくしかった。


ただでさえ飽きっぽい姉だが、今回も飽きるのが早かった。話題になったショーが終わると、「レジ打ちのかっこよさに気がついた」と、早々にスーパーに転職した。髪が落ちてきて不衛生だと五分刈りに近い髪型で仕事をしている。広報誌で「やさいのきもち、わたしのきもち」というコラムを連載しているらしい。


シャワーを浴びていると、思うことがある。明日、私の体表に葉緑体が発生する確率がある。宝くじに当たって億万長者になる確率が、交通事故で半身不随になる確率がある。


ただ、どの人生を送っても、私はあのうつくしいひとの妹だ。


濡れた肌を擦る。皮がめくれて中から斑入りの皮膚が現れることはなかった。でも、もしそうなったら、浮いた食費で本が買える。


「ふふ」


シャワーの栓を閉めて、立ち上がる。浴室と脱衣所を繋ぐドアを開ける私の口角は、心なしかいつもより上向きだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うつくしいひと 知世 @nanako1123

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ