第6話 アボカド

 右肩に谷底を意識する。ボスが運転するトラクターは高原の崖っぷちを下り始めていた。その坂の中程で、軍のジープと鉢合わせになる。ボスは急いでトラクターを道路の右隅に寄せ、通りすぎるのを待つ。幾つかのマシンガンの銃口が圭の視線と同じ高さで通り過ぎて行く。圭はほっと溜め息をつく。再び走り出した道路の前方には、黄色く乾いた土壌の上に鮮やかに刻まれた深緑の帯が広がり出した。

 谷底に広がるアボカド園には二千本からの木が植えられていた。根元では、時を刻むように小さなスプリンクラーが回っている。水と同時に肥料も供給できるシステムがその成長を確実に見守っていた。


 アボカドは直射日光を嫌って自らの葉で壁を築く。それはちょうど木の幹を支柱にして建てられたドームのような丸い空間を内側に作った。

小指の先ほどに丸く膨らんだ実は、ゆっくりと伸びを続け、やがて小振りのキューリのような形になる。十センチほどで伸びが止まると、今度は横に丸く太り出す。そしてついには、でこぼこした表皮を形成しつつ拳大の実へと成長していった。

 樹木は、葉と葉の間やドームの内側にひっそりと実を隠し守った。細長いヘタの先にぶら下がっているはずの実は、樹木の外側から見えることはない。何よりも、葉と全く同じ緑色をしているのだった。


 圭は身を屈めて一本の木の中に入った。丸い湿地をドームの底に残して、スプリンクラーは一時的に眠っている。空間の中央に潜り込んで圭は腰を伸ばした。彼の頭に固いものがぶつかる。見上げると葉の間に隠れていた実が重たそうに揺れている。彼はポケットの鋏を手に取った。そして、頭を擦り続けている実の一つを手の平で包むと、ヘタを少しだけ残してカットした。肩から下げた黄色いバッグの中にその実を放り込み、圭はまた別の方向に手を伸ばして次の実に鋏を入れる。ヘタを残して切り取ることで鮮度が保てる。

 高さニメートル前後の成木からは三十から五十個の実が収穫できた。バッグはすぐに満杯になり、その重みが肩に食い込み始める。圭は一旦、葉の間をくぐり抜けて外に出て、日陰に止めてあるトラクターヘと近づいて行った。その荷台にはプラスチック製の大きなコンテナが二つ積んである。彼はそのコンテナを地面に引きずり下ろし、その中でバッグの底についたフックを外した。底が割れると、収穫したばかりの固い実がゴロゴロと音を成して転がり出て、青いコンテナの片隅を緑色に変えて広がった。


 自分の影が丸く大地に映る頃、昼食を取る。農園の片隅に建てられた物置小屋のドアを開けて踏み込む。外から遮断された冷たい空気が心地好い。

農薬の四角い缶を並べて腰を下ろすと、ボスが携帯用コンロに火を付け、小鍋でお湯を沸かし始めた。細挽きのコーヒー豆を直接入れ、煮立てる。火を止めて粉が沈むのを待ち、カップに注ぎ分ける。砂糖を入れ、最後にシナモンの粉を少量加えて出来上がりだ。それはピリッと舌先を刺激して旨かった。

 コーヒーを煮ている間に、用意してきたパンをスライスした。その上にアボカドをナイフで薄く切ってのせていく。この実は数日前に収穫したもので、柔らかく変色し、食べ頃だ。圭はパンの上を覆った淡い緑色のアボカドに塩と黒胡淑を振りかけた。そして、それに食らいつく。素朴さゆえの旨さを心ゆくまで楽しんだ。

 突然、チッチッチッチッと後ろのほうで鳴き声がした。圭は振り返った。灰色のコンクリートの壁に張りついて二匹のヤモリが向き合っている。コンクリートと同系色の平たい体に太い尻尾。一匹が再びチッチッチッと鳴くと、急に壁を滑るような速さで伝って走った。するともう一匹も尻尾を振りながら後を追い、屋根との間の隙間へと姿を消した。


 太陽の照り返しが幾分和らぎ始めた頃、帰り支度を始める。ボスが再びスプリンクラーのスイッチを入れ、木々の足もとでは水の音が跳ね出した。

 フェンスの入口が閉まり、トラクターが唸り出す。道路の上を揺れる長い影。その真上を何万羽もの椋鳥が糞の雨を降らしながら追い越して行った。

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