第3話 闇
シャワーを浴び終え、パンに手を伸ばす。
突然ハウスの上空をヘリコプターの大きな羽音が横切った。聞いていた音楽が途切れる。サーチライトに照らされた庭の一部が明るく光って走り、それを追い駆けるように、別のヘリが低空飛行で旋回し始めた。
玄関のドアを開けてみる。街灯が消え、暗闇に支配された夜の帳。地上を這い、舐めるようにヘリの照明が行き交う。その中をボスが小走りに近づいて来た。普段より更に表情が険しく、 肩にはライフル銃が下げられている。
「台所のドアを閉めろ。ブラインドを全部降ろして電気も消すんだ」
ハウスに入って来るなり、ボスは声を荒げて指示を出した。圭たちは言われた通りに壊れたブラインドを引き下ろし、居間を除く全ての明かりを消した。
「テロリストが付近に侵入したらしい。さっき入った情報だ。しばらく地下室に隠れて静かにしてろ。いいな」
ボスはそう言い残すと居間の電気を消し、足早に闇の中へと消えて行った。
「行こうぜ」
廊下にあるドアを開け、更に深い闇へとつながる地下室への階段を一人一人ゆっくりと下りて行く。鳥の羽ばたきが聞こえる。
「こんなことなら、もっと早く殺しとくんだった」
「お前がもうちょっと太らせてからにしようって言ったんじゃないか」
鳥の白い影を囲み、それぞれ身の置き場所を見つけてしゃがみ込んだ。暗闇に目が慣れるまでに、しばらくの時間がかかった。皆が黙り、鳥もその真ん中で丸くなる。外ではヘリが相変わらずの旋回を繰り返し、空を切る音を轟かせる。
「大丈夫かなあ、ここ」
誰かがポツリと囁いた。
圭は、地下室の存在理由を知った。子供たちも闇の中で脅えているのだろうか。
「俺、こんな所で七面鳥と死ぬなんて嫌だぜ」
誰かが呟く。
「この七面鳥、今度の金曜日にでも食べちゃおうぜ。圭はどう思う?お前の股間の痛みに対する報酬だからな、何しろ」
笑い声がコンクリートにこだました。
「俺の股間も、そろそろじゃないかって言ってる」
「それじゃ決まりだ」
さっきとは一転し、和やかな空気に包まれる。その中央で鳥だけがポツンと沈黙を守り、白い羽を丸めたままだった。
時折、パラパラと地上を駆け抜けて行く軍靴の音。家族や集落を守るために訓練されている男たちが走る。ライフルを抱えているボスの姿にも、何の違和惑はなかった。そのことが複雑な感情を圭の中に生み出していた。
一時間ほどして、ヘリゴプターの羽音は遠ざかっていった。やがてドアを叩く音に続いてボスの声が聞こえた。圭はほっと安堵の溜め息をついて、仲間たちと共にまばゆい明かりの中へと駆け上って行った。
「テロリストは?」
「もう安心だ。貯水池の堤防で捕獲した」
貯水池は馴染の場所だった。歩いて十分程度のその池で釣り糸を垂れることが最近の余暇の過ごし方の一つになっていた。
「じゃあ、また明日な」
「おやすみ。どうもありがとう、ボス」
ボスに礼を言って、玄関のドアを閉めた。それから、それぞれの部屋に入り、寝る支度 を始めた。服を脱ぎ、寝袋の中にもぐり込み、圭は考えた。
(テロリストって殺し屋? それとも敵地に踏み込んで命を賭ける戦士? 危険を冒してまでフェンスを乗り越えさせるものって、一体何なのか。領土の問題、時を超えた宗教や歴史等が複雑に絡み合ってて、到底理解しきれない。)
ふと七面鳥の喧嘩を思い出した。
(見た目は仲よく群れ成して一つの社会を作ってるように見える七面鳥。実際は小さな飼育小屋の中でさえも闘争が絶えない。フェンスの外から見りゃ、何でだろうって思うような些細な出来事が、その中では決定的な意味を持っているらしい。ちゃんと水も餌も十分に与えてあるのにお互い突き合って、最後にはその傷付いて弱り切った奴の血を寄ってたかって舐め合う。そういうのっていくら外の世界から理解を求めたって所栓無理な話だ。きっと奴らにはそうしなければならない理由ってのが存在するんだろう。奴らにしか見えない、奴らにしかわからないものが)
さらに考えた。
(少なくとも七面鳥の場合は争いを防ぐ解決策がある。明かりを消してしまえばいい。何も見えなくなって静かになる。そういった意味では、かつて夜は人間にとっても同じ役割を果たしていたのかもしれない。愚かな人間に対して一時の冷静さを取り戻させるために神様が創ったのが夜? だが、その一時の闇をも破って人間は神の意志に背き戦い始めた。何のために…。)
いつの間にか圭は寝入ってしまった。
フェンスの横に一際大きな影を作るアボカドの木。その根元に座り、圭は昼のサンドイッチを頬ばっていた。木陰を吹き抜ける風が汗をかいた体に優しい。
すると突然、足下がグラグラと揺れ、地面が盛りあがった。圭は驚いて立ち上がる。やがて、大きな穴が足下に開いた。一メートルもある大きな穴だ。間もなく、その穴から何頭もの猪の群れが農園へとなだれ込んで来た。そして次々に作物を襲う。圭は穴を塞ごうと、手当たり次第に幾つもの石を投げ込んだ。それでも猪の群れの勢いは衰える様子もない。圭は泣きたい気持ちで、一抱えもある大きな石に目を留め、両腕を伸ばした。重たい石がようやく地面を離れると、圭はそれを持ち上げ、必死の足取りで穴へと向かって行った。
と、そのとき、腕に幾つもの激痛が走った。抱えていた石は地面に転がり落ちた。圭はその石を見た。石の裏側には、何匹もの赤黒いサソリが蠢いていた。
酷く痛む腕をさすりながら、圭は新宿のベッドの上で目が覚めた。
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