第4話 キッチン
「チッチッチッチッ」ヤモリの鳴き声。芳ばしいパンの香りで目が覚めた。
食事は、いたって質素だった。農園からもらってくる野菜を煮込んだシチュー。揚げたてのフレンチフライ。果実。そしてフレッシュなパンの手触り。それだけで十分幸せな気分になれた。
仕事を終えた皆は、興奮気味だった。いよいよこれから、地下室にいる七面鳥を解体することになっていた。
「ところで、誰が殺すんだ?」
砥石の上でナイフを前後に滑らせながら一人の仲間が問い掛けた。
「もちろん、圭さ」
「何で俺?」
驚いた圭は声を上げた。
「お前、あの痛みをもう忘れたのか?ホロホロホロホロ…。それじゃあ、思い出させてやろう、ホロホロホロ…」
そう言って圭の急所を狙って襲いかかる。結局抵抗の甲斐なく、圭がナイフを握ることになった。
役割分担を決め、彼らはさっそく地下へと下りて行った。裸電球に明かりが灯されて急に視界の開けた鳥が、火が付いたように羽ばたいて暴れ出した。飲み水を入れた空き缶が転がってコンクリートの床にシミが拡がっていく。
「電気を消せ。奴を捕まえるまで消すんだ」
誰かの手が素早くスイッチに伸び、地下室は再び闇の中へと落ちていった。鳥の羽ばたきが納まると、しばらくの間、彼らの微かな呼吸音が暗闇の中を行き交った。その中で仲間の一人が、そっと床中央の白い塊を狙って動き始めていた。そして次の瞬間、コンクリートを引っ掻くような音と、短いざわめきが聞こえた。
「もういいぞ、電気をつけろ」
明かりの中で、鳥の両足は太い腕でしっかりと掴まれ、羽の付け根辺りを押さえ込まれていた。鳥は上下に首を動かして必死にもがいているが、それ以上どうしようもない。ただ、くちばしの上から垂れ下がった赤い肉がぶらぶらと揺れて、その不格好な姿を一層惨めなものにするだけだった。
誰かが手早く何枚かの新聞紙を敷き、その上にブロックを置いた。
「それでこいつの足を縛れ」
手の空いていた仲間が足下に置いてある紐を手に取り、鳥の両足を結んだ。
「これでよし。準備はできた。やっていいぞ、圭」
促されて圭は、仕方無くナイフを手に中央に歩み寄った。それから、両方の膝をついて体を落とし、改めて鳥を見た。
「どこを切ればいいんだ?」
鳥の頭を掴んでブロックの上に押さえつけている仲間に彼は聞いてみた。
「どこでもいいさ。早いとこ一気にやっちゃえよ。オイ七面鳥、圭だぞ。お前をヤルのは圭なんだからな。俺じゃないぞ」
彼は眉間に皺を寄せながらそう言うと、顔を背けた。長い首の一番細く見える部分を選び、圭は慎重にナイフを当てがった。
「早くやれよ」
その声に、圭は息を止めた。そして、腕に込めた力を徐々にナイフに移していく。刃先は、柔らかい羽の間を滑ると、やがて粘土を切るような重い感触を圭の手の平の中で膨張させた。仲間の腕の中では鳥が激しく暴れ出していた。
「ウワァ…」
誰かが噴き出した赤い血を見て声をあげた。
「まだか、圭」
赤い切り口は更に深くナイフを吸い込んでいったが、やがて固いものに当たり刃先は止まった。圭は、慌てて鋸のようにナイフを前後に動かし始めた。圭の回りの空間だけがゆっくりと時を刻んでいる。ようやく刃先がブロックをとらえた。その感触を得た圭は、おもむろに立ち上がった。そして数歩後ろに下がるやいなや、忘れかけていたかのように止めていた息を吹き返した。
自分の手の中に頭だけが残されているのに気づいた仲間も慌てたようにそこから飛び退いた。ブロックからずり落ちた切り口がすぐに新聞紙を赤く染め始めた。切り落とされてもまだ、くちばしとピンク色をした瞼がピクピクと動いている。
バケツの中に鳥を逆様に突っ込み、じっと待つ。首の切れ目からポタポタと盛んにバケツの底を叩く赤い液体。羽の動きもほぼ完全に止まった。ようやく鳥は鳥であることを諦めたかのように思えた。圭は落ちていた頭をバケツに放り込むと、所々赤く染まった新聞紙を荒っぽく丸めてビニール袋に押し込んだ。
音楽を流し、キッチンで解体に取りかかる。バケツは熱湯で満たされ、首を失った鳥が疲れたように沈んでいた。
しばらくしてそれを持ち上げる。白い湯気が一気に天井へと駆け上り、キッチンいっぱいに拡がった。新聞を敷いたテーブルの上に鳥は横たえられ、皆でその回りを取り囲んだ。濡れた白い羽が生前の醜さを忘れさせるほどに輝きを放っている。
哀れみの感情をなくした十本の腕は、やがて容赦なく一斉にブチブチとその羽を抜き始めた。思いもよらぬ心地よさを指先に感じ取る。
「それにしてもでかいな。チキンの三倍はある」
鳥は白く柔らかい羽の輪をテーブル上に残し、次第にピンク色の塊へと変わっていく。
「一週間は十分にもつな」
「オイオイ、そんなに急いで食うつもりなのか。貴重な肉だ。なるだけ長く楽しもうぜ」
その意見に誰も異論は無い。
小さな羽まですっかりむしり取られると、仲間の一人が研ぎ直したナイフを手にして立った。彼はまず、尻尾のように残った首をちょん切ると、片方の太腿の付け根にナイフを走らせた。すると筋肉が刃先に沿って裂け、白い骨が姿を現した。一旦そこでナイフを置き、力を込めて関節部分を逆方向にねじ曲げた。鈍い音とともに関節は外れ、何本かの血管を引きずりながら片足が胴体を離れた。
切断は続けられ、いよいよ胴体の部分だけが残った。胸から入ったナイフは、音をたてて胸部の骨を裂き、熱い臓器を露出させた。レバーを切り取り、不要な部分をバケツに捨て、更に小さく切り分けていった。
「まだ、こんなに熱いや」
解体を始めてからかなり時間もたつというのに、肉の塊は一つ一つが驚くほどに熱を保っていた。圭の手の平も、とうに消えたはずの命の証を未だに敏感に惑じ取っていた。
肉は、幾つものビニール袋に分けて詰められ、冷凍庫の中にきちんと並べられていった。空っぽだったはずのその空間は、幾分の隙間もないほどにいっぱいに膨らんでいた。
やがて扉は静かに閉まった。ゆらゆらと白い冷気を吐き出しながら。それはあたかも、 一羽の七面鳥が最後に見せた白い吐息のように圭には思えた。
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