第5話 玉葱

 ヤモリが鳴き、また寝袋の中で圭は目覚めた。

 高原では、至る所でスプリンクラーの音が響き、その霧がスクリーンとなって、幾つもの虹を映し出していた。そしてその下で、蒔かれた種から顔を出したばかりの弱々しい芽がまるで雨上がりの芝生のように一面に広がっていた。

 玉葱の成長は早かった。大地からの水と養分を吸い取って、瞬く間にその尖った葉を伸ばしていった。やがてその伸びが緩やかになると、今度は僅かに被った土の中でひっそりと球根を膨らませ始めた。


 全ては順調だと思われた。

 緑の大地を割くようにして延びる舗装道路。トラクターのニメートル近い大きなタイヤが吸い付くようにして走る。隣の畑ではすでに、快適なリズムを打ちながら、スプリンクラーが回転運動を開始している。風を切り、緑一色のフィールドを見渡す。そしてボスの玉葱畑の片隅が見えてきたとき、異変に気付いた。前日まで無かったはずのものがそこにはあった。道路脇の緑の中にポツンと一か所だけ黄緑色の島ができていた。気にはなったが、とりあえずその日は通常通りの水を放った。潤いに飢え始めていた大地は、喜んでそれを受け入れた。


 三日後、それは圭を驚愕させた。小さな島が倍もの大きさに拡がっていたのだ。

 「恐らくこれはウイルスか何かが原因だな」

 「でも、どうしてここだけが?」

 「他の畑と違って、ここだけが直接道路に面しているだろ。それだけ病気も入り込みやすく、影響も受けやすい場所だってことだ」

 「病気の広がりは防げない?」

 「さあ、どうだろうな。明日にでも専門家に聞いてみるが、もし防げないとしたら収穫までにどれだけの影響が出るかが心配だ」

 ボスはアーミーブーツの先で黄色く変色した株の根元を軽くつついた。すると土の中から、膨らみかけた小さな玉葱が顔を覗かせた。

 フィールドの向こう側には、鉛色の雷雲が広がり出していた。そのどんよりとした空に溶け入りそうなボスの横顔を見つめ、圭は悲しくなった。


 「チッチッチッチッ」とヤモリが鳴き、寝袋の中で再び労働の朝を迎えた。

 玉葱畑のスプリンクラーは、完全にその動きを停め、パイプも外されていた。水の供給の止まった大地は、たちまち乾いた姿に戻り、玉葱の根や葉をそれ以上成長させるだけのエネルギーを失っていった。やがて球根だけを残し、葉の部分はバリバリに枯れ果てた。こうして畑には、収穫を待つだけの玉葱が果てしなく一面に並んでいた。

 一つ目の木箱を土の上に投げ出して、圭は脆いた。カラカラに乾き切った土が彼の膝の下で丸く窪んで沈んだ。枯れた葉っぱを掴んで引っ張ると、球根は呆気ないほどすんなりと大地を離れ、彼の左手の上に乗った。そのまま掴んで、しがみ付くように残っている葉っぱを右手で引きちぎると、そこには玉葱の完成品が姿を現した。圭はそれを箱の中に投げ入れた。コトン、コトンと軽い音をたてて、それは木箱の隅へと転がった。

 スプリンクラーが止まる時までに、不気味な島は、ボスの畑の半分近くを黄色く染め上げ拡がった。大地は非情であり、打つ手もなく収穫期を迎えたのだった。葉が黄色くなった玉葱は、その時点で球根の成長を止めた。それは、本来たどり着くサイズの半分程度でしかなかった。コトンコトンと小粒の玉葱が箱のなかで跳ねる度、圭の胸はやるせない思いに満ちていた。


 道路を挟んだ別の畑では大型機械が唸りをあげて収穫を進めていた。掃除機のように表土ごと玉葱を吸い込んだ機械は、中で泥と玉葱とを選り分け、左右別々のノズルからそれぞれを噴き出した。玉葱の噴き出し口の下を荷台を引いたトラクターがぴったりと寄り添って進む。

 「どうしてボスは機械を使わないんだろう」

 昼食のサンドイッチを頬張りながら、圭はそう呟いた。

 「確かにあの方法は手間が省けるけど、ひどく買値が叩かれるんだ。こうやって一つ一つ手で収穫したものは傷も付かないし、奇麗な皮で包まれたままだろう。だから高く買ってくれるんだ。ああやって機械で収穫すれば、皮が剥けてしまうし傷も付く」

 仲間の一人が水筒代わりのポリタンクを口に運びながら教えてくれた。

 「俺たちの玉葱は店頭に並ぶけど、あの玉葱はファストフードの材料とか加工用に使われるんだ」

 機械から噴き出された玉葱が勢い余ってトラクターの固い荷台に叩きつけられていく。その音はまるで玉葱の放つ悲鳴のように圭の鼓膜を震わせた。

陽が沈みかける頃、圭は後ろを振り返った。そこには、玉葱の詰まった木箱が一定の間隔を保って列を成している。落ちゆくタ陽を受けて、箱の中の完成品が一斉に黄金のように光輝く。膝をついてそれを見つめる圭の一日も終わりに近づいていた。


 トラクターの荷台の上で玉葱の木箱を背に、無言の圭は赤く染まった空を見渡した。右折や左折を繰り返す毎に景色が、まるでスライドショーのように切り変わっていく。その片隅を様々な形に姿を変えながら走る黒い雲。何千もの椋鳥の一群が塒を目指して飛んでいるのだった。眠りを誘う心地好い揺れの中で、誰かの洩らす消え入りそうな溜め息。圭の目に映る景色がまた切り変わり、そして次第に遠ざかっていった。


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