第265話 アヴェラの選択

 肉塊に腕もあるが芋虫めいた胴体に脚はなく、腹部に幾つもある短い腕で動いていた。大きな対の目と口があるため、辛うじて顔だと分かる。

 不気味な姿だが、アヴェラたちが一歩後ずさったのは、肉塊がドラゴンの胃液まみれで異臭がするためだった。

「こいつが元凶か」

「そのようです。ふむ? 何となくですけど。本体がコネコネして創っていた覚えがあります」

「つまり厄神様に管理責任が生じるというわけか」

「大丈夫なんです。ほら人間が何をしたって諸神に責任が及ばないのと同じ……ああ、今のは余計な話でした。聞かなかったことに」

 人類誕生の一端に触れそうな話だが、ノエルはすかさず耳を塞いでいる。イクシマは聞いていても理解しておらず、ジルジオもカオスドラゴンを狙っているので聞いてない。

 肉塊が蠢き恨みがましい声をあげる。

「嗚呼、どうしてこんな目に。いつだって私は――」

「ひいいっ、この人なんか躙り寄ってくる!? 目つきが恐い!」

「どれだけ頑張っても努力しても――」

「あっしに乱暴する気でしょ! 英雄譚みたいに! 英雄譚みたいに!」

 剣を手に迫るジルジオにカオスドラゴンは怯え、近くの大木にしがみついている。さらに大木の後ろから顔だけ出すが、ジルジオが近づくと逃れようと木を間に入れ、ぐるぐる回っている。

「なあ……死闘しようやぁ……」

「やめてっ! あっしは、か弱いドラゴンっす!」

「大丈夫であるぞ、先っちょ! 先っちょだけでいいであるから!」

「嘘だ! そう言って、その剣を根元まで刺すんでしょ! 人間なんて、いつもそうっす。いやああっ」

 ドスンバタンとカオスドラゴンが辺りを逃げ惑いジルジオが後を追いかける。ノエルとイクシマは友人を助けに行こうか迷っているが、しかし肉塊に対する警戒もあって待機していた。

 アヴェラが息を吐いて止めた。

「ちょっと爺様、静かにしてくれる?」

「むっ。いや、しかしなアヴェラや。カオスドラゴンと言えば最強ドラゴン。こんな相手と戦える機会など、そうそうないであるよ。老い先短い爺の最後の楽しみと思ってくれ」

「主目的を忘れないでよ」

 いろいろ突っ込み処満載なジルジオにアヴェラは一喝した。そんなアヴェラをカオスドラゴンは救世主のような目で見ている。

「戦いたいなら、後で時間とるから。その時にでも」

「おおうっ! そうであるな、うむ! そうでなくてはな。流石はアヴェラであるなぁ。なんて爺ぃ想いな優しい子であろうか」

 ウキウキしたジルジオに、カオスドラゴンは追い込まれた顔だ。歯をカチカチ鳴らし怯えた顔で身を縮めている。


 一方で肉塊は項垂れブツブツ言っている。

「いつだってこうだ、誰も私の話を聞いてくれない。誰も相手にしてくれない。カオスみたいに憧れても貰えない。悲鳴をあげて逃げて行く、友達もいない仲間もいない。何もない」

「そういうのいいから、何でこんなことしたか言え」

 容赦ないアヴェラに愚痴を一蹴され、肉塊は悔しそうに目を怒らせた。

「お前だ、お前が憎かった。我が主の寵愛を一身に受け、仲間も居て、頼られて! いろいろ話して笑って楽しんで……そう、何もかも私と違う」

「それが理由か?」

「ああ、そうだ。そんな理由で悪いか!? 私がどれだけ努力しても主は見てくれなかった。誰かと語り合いたくても話す相手もいない。偶に出会った人間も私を見れば逃げて行く。いつか、いつかと待ち続けて。誰かと語り合おうと努力して、それでも上手くいかなかった。なのにお前は、何もしないで私の欲しい全てを手にしている」

「なるほど。だったら直接攻撃してこい」

「やだ、そんなの恐い」

 ドラゴンといい肉塊といい、どうも厄神のつくりだした存在は情けない。アヴェラは、ちらりとヤトノを見やった。

「御兄様? どうされましたか?」

「いや別に……」

「ふふっ、御兄様ったらわたくしを気にされているのですか」

 ヤトノは両手で頬を押さえ、嬉し恥ずかしな様子で悶えている。そして、気合いを入れ腕まくりをすると腕を振りまわした。

「御兄様がここまでやって下さったので、後はわたくしが。ふふ、二人の共同作業なんです」

「殺さば殺せ。もうこれ以上、生きていたくない」

「ええ、望みの通り消滅させてあげましょう。御兄様に迷惑をかけたのです、魂の欠片までも全て消し去ってあげましょう」

「もういい……好きにしてくれ」

「言われずとも。では、ちょい――」

 ヤトノが振り下ろそうとした腕を、しかしアヴェラが止めた。

「ちょっと待て」

「はい? まだ、これと話したい事がありましたか」

「そうじゃない。消滅とかはなしだ」

「ええー? 消滅させましょうよ、消滅」

「うるさい。従え」

「御兄様……ああっ、強制的に従わされるなんて素敵。やだ、もうっ。そんな強引なところも最高ですわ」

 悶えるヤトノをひょいと横にやる。その先に居たのはイクシマで、顔を合わせた両者は途端に睨み合い威嚇し合って一触即発。それをノエルが間に入って苦労して宥めている。


 肉塊はアヴェラを冷ややかに見つめた。

「何のつもりだ。自分の手で倒したいのか? 自慢ではないが、私に戦闘力はないぞ。間抜けなドラゴンを餌でおびき寄せ、がっつく間に寄生する程度しか出来ん」

 ヤトノに睨まれたカオスドラゴンが居心地悪そうにしている。

「斬るなら、もう斬ってるさ」

「だったら何だ。罵りたいか、馬鹿にしたいか。いいぞ、慣れている。私をみた人間はそうしたからな」

「いや、そうじゃない。これだけ迷惑かけられて、あっさり死んで終わりとか誰がさせるか」

「ああ、そうか……好きにしろ。私は再生能力がある、タップリいたぶればいい」

「そうじゃない。死んで終わりにはさせないさ」

 アヴェラは前に出て肉塊の身体を叩いた。カオスドラゴンの胃液に濡れているそれを、親しさを込め軽い調子で叩いたのだ。

「分かるよ。何度やっても上手くいかず、それでも頑張って上手くいきかけたら全て台無しになる。そういうのって辛いよな」

「お前……」

「それでも頑張って頑張って、一生懸命やって。それがまた駄目でさ、なのに他の奴らは当たり前のように上手くやってる。どうして自分は駄目なのだろ、って思って哀しいし悔しいし辛いよな」

「…………」

「でも、結果は受け止めるしかない。誰が悪かったわけでなく、そういうものだったと納得するしかない」

 アヴェラの言葉に肉塊は黙り込み、後ろで騒いでいたヤトノとイクシマも静まる。カオスドラゴンに躙り寄っていたジルジオも振り向き静止していた。

「でも私は、どうしようもない。こんな醜い存在なのだから」

「そうかもしれないが、そうでないかもしれない。何にせよ、心が醜くなったら、それこそどうしようもない」

「私をどうする……いや、私にどうしろと?」

「諦めるな。人を羨んだっていい、でも羨むのは少しの間で、また次に何度でも挑戦して欲しい。それが償いだ」

 いろいろ巻き込んで太陽神にまで迷惑――これはアヴェラが悪いが――をかけた騒動にしては、やけにあっさりとした言葉だろう。ヤトノは少しふて腐れ気味だが、ノエルとイクシマは納得した様子で頷いている。

「そういうわけで、まずは友達になろう」

「私と……!? とも、友達……!」

「そうさ、だから。ええっと、名前は?」

「つけて貰ってない」

 その言葉にアヴェラはヤトノに批難の眼差しを向けた。もちろん悪いのは厄神本体だが、あまりに酷いと思ったので仕方が無い。

「なら、今ここで名前をつけさせて貰っていいかな」

 肉塊は目を輝かせると、ブルブル震え一生懸命に頷いた。

「それなら名前は――だ」

「嗚呼、私は厄神の配下――である。たった今、名前を貰い――となった!」

 高らかに声をあげる横でアヴェラも、ノエルもイクシマも、ジルジオもカオスドラゴンも手を叩いている。そしてヤトノも仕方なさそうに息を吐いた後で、手を叩いて見せた。

「これを裁く法などない、これにて一件落着しかないであるな。まっ、アヴェラの采配である。後はハクフやトレストの奴らが苦労すればいいだけであるな」

 ジルジオは上機嫌だ。

「よしよし、というわけで。そこのドラゴン!」

「ひいっ!」

「やらないか!」

 熱望する視線にカオスドラゴンは後退った。

「いや、いや……ほら、もうすぐ卵が孵るっす。我が子に会えるっす。まだ死にたく無い! 助けて、助けて。あっしを助けて。ヤトノの姐さん、アヴェラの旦那!」

 悲鳴をあげたカオスドラゴンは飛ぶことも忘れ、必死に駆けて逃げだした。それをジルジオが剣を振りまわし追いかけ、途中から触発されたイクシマまで加わって大騒動だ。

 ノエルはこめかみを押さえつつ、何度か肯いた。

「えっとさ、じゃあ一件落着だよね。ならさ、ケイレブ教官さんたちを連れて帰らなきゃだよね?」

「そうだな。あの騒動が少し落ち着いたら運んで貰うさ」

「うん、そうだね。途中で目を覚まさなきゃいいけど」

「目が覚めたら覚めたまでさ」

 アヴェラは笑って、自分が名付けた友人にも笑いかけた。

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厄神つき下級騎士なれど、加護を駆使して冒険者生活! 一江左かさね @2emon

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