第264話 ドラゴンより恐ろしき者

 アヴェラは視線を巡らせると、ヤトノのほっそりとした指が示す先を見た。

 太陽神の影響を受けた緑鮮やかな草木が広がり、その向こうに厄神の趣味による立ち枯れた木々と腐ったような地面が続く。奇妙な風景だ。

「別に何も――」

 言いかけた時だった、枯れ枝がわさわさと揺れ、木々がへし折れた。

 のっそりと何かが起き上がるが、木の梢よりも上に頭がある。炯々と光る眼に、幾つもの牙が並ぶ口。赤黒い甲殻に覆われた巨体が動き、長い尾がぬるりと揺らめく。皮膜のある翼が大きく広げられると、轟くような咆吼が辺りに響いた。

「……カオスドラゴン?」

 耳を押さえながら呟いたように、それは間違いなく知り合いのドラゴンだった。いつものような間の抜けた様子は欠片もなく、獰猛で残忍な態度だ。これはもうドラゴン違いではないかと思えてしまう。

「なるほど、つまり取り憑かれてるわけか」

「はい、そのようです。流石は御兄様、ご明察なんです」

「あれではまるで……ドラゴンみたいだ」

 普段のドラゴンに思えぬ三下っぷりとはまるで違い、むしろ感動してしまう。ヤトノは微妙に困った様子で頬に手を当てた息を吐く。

「取り憑かれた時の方がドラゴンらしいだなんて、ほんと駄目ドラゴンですね。わたくしとしては、ほんっとうに呆れるしかないんです」

 堂々とした威容はまさにドラゴンそのもの。死と恐怖の権化、暴虐の生物、災厄の使者。そういった言葉こそがふさわしい存在だ。

「あの駄ドラ。どこまで間抜けなんでしょう」

 ついにカオスドラゴンの評価は、駄目ドラゴンから駄ドラになっている。ヤトノの中では相当な低評価らしい。

「仕方ないさ、取り憑かれたらどうしようもない」

「御兄様は何てお優しいのでしょう。ですけど、あの駄ドラのことです。浅ましく拾い食いをして、それで取り憑かれたに違いありません」

「…………」

 その光景が容易に想像出来てしまい、アヴェラは黙っておいた。

 しかし一歩二歩と迫って来る巨体は圧巻であり、まさにラスボスの風格が漂っている。心持ちが違うだけで、これだけ雰囲気が変わるのは感心するほどだ。


 平然と見ていられるアヴェラとヤトノとは違い、ノエルとイクシマは若干の怯えを見せ後ずさった。二人とも顔を引きつらせている。

「ドラゴンさんが操られちゃうなんて。これって、かなりマズいよね。うん、助けてあげなくっちゃ!」

「ノエルよ何を言うか。その前に我らの方がピンチじゃろって」

「うぅ、そうだった。はぁ、どうしよう。ドラゴンさんもドラゴンなんだよよ。これって、ピンチなんだよね」

「違うじゃろって、ピンチでのうて大ピンチじゃ! こういう時は――お主ぃ、なんとかせい」

 イクシマは期待を込めアヴェラを見やる。そこには、きっと何とかしてくれるといった篤い信頼がそこにはあった。

 もちろんアヴェラは余裕で頷き笑う。

「安心しろ、水の魔法で一発だ」

「たわけええっ! そんなんしたら、ドラゴン殿が死んでまうじゃろが! 駄目に決まっておろうが!」

「大丈夫だ」

「ほう、そうなんか?」

 カオスドラゴンが迫り、その振動も強く感じ、風圧も押し寄せる。その状態の中でのアヴェラの言葉に、イクシマもノエルも期待した。だがしかし――。

「ヤトノがドラゴンゾンビで復活させてくれるらしい」

「却下あああっ! お主、何を言うとるん!?」

「文句の多い奴だな」

「友達じゃぞ、友達。友達がゾンビなんて、いくなかろうが!」

「ゾンビ差別はよくないな」

 もちろんアヴェラもカオスドラゴンをゾンビにはしたくない。場の緊張をほぐすための軽い冗談だ。しかし日頃が日頃なので、冗談とは思って貰えなかったのだが。

 巨大な顔が少し下がると大きな牙のある口が開く。

『ついに、お前を――』

「何がゾンビ差別じゃあああっ! こんな時にふざけんなあああっ!」

 イクシマの叫びがドラゴンの喋りを遮る。巨大な目玉がギロッと動き、小さな存在であるエルフを睨み付けた。

『お前だけ我が神の寵愛――』

「あいは我の友達んの身体ぞ!」

『うち捨てられし者のの恨みを――』

「ぬしゃ、腹がきわくぅ! うったくって、どうなっかいっかせたるわ!」

『…………』

 怒り心頭でアヴェラに詰め寄るイクシマの叫びに邪魔され、ドラゴンは不愉快そうな様子だった。


 アヴェラは黙らせるためイクシマの顔を手で押さえるが、ジタバタと暴れられ、あげくには噛んでくるので手こずっている。それにヤトノが怒って手をだし、ノエルが仲裁に入って宥めようとして混沌とした情勢だ。

『無視を――』

「ふはははっ! はーっはっはっはぁ! ドラゴンであるぞ、ドッラッゴンッ! ドラゴンではないかぁ!」

 ジルジオが子供のように目をキラキラと輝かせている。かねてから待ち望んでいたドラゴンとの戦いに、もう完全にスイッチが入っていた。

『お前、ちょっと黙――』

「おうおうおうっっ!! 猛き強き麗しのドラゴンよっ! 儂は待っておった! この日を夢みて、待ち望んでおったであるぞ! これぞ強敵! これぞ標的! ひぃーはぁーっ!!」

 止める間もなくジルジオは駆け出していく。驚愕するドラゴンが放った尾の一撃を、超人的な動きで華麗に回避。さらには巨体に取り付き剣を突き立てる。

「この命の瀬戸際感! んっんーっ!! 最高であるぞ! ああっ、これはいい! これでいい! これを待っておったである!」

『邪魔を――』

「どうしたどうした! かーっ! ドラゴンがこんなもんか? 違うであろうが。さあ殺しに来い! 殺し合うであるぞ!」

『この人間如きが!』

「おいおい、冷めるであろう? 雑魚みたいなことを言うでないわぁ!」

 嬉々としたジルジオがドラゴンが襲いかかる。

 ジルジオは間違いなく英雄だった。体格差や力の差など関係なく、驚異的な動きで攻撃を回避し剣と魔法を駆使してドラゴンを圧倒している。

「爺どん凄い!」

「うわぁ。あの動きって一体なんだろ、人間ってあんな風に戦えるんだね」

「よーしっ、我もあんな風に戦うぞー」

「いやぁ、それは無理なんじゃないかな。あ、もちろんイクシマちゃんが無理って意味じゃないよ。それこそ伝説とか神話とかさ、そういうのに出てくる人間じゃないとって意味だから」

「だからこそ、目指しがいがあろうが」

 イクシマはプロゲーマーを見る子供のような顔で感動しきっているのに対し、隣のノエルは半ば呆然として見入っている。


「ふふふ、凄いですわね。稀有な光景なんです。およそ人間の持つ能力の、最高水準に達してらっしゃいます。皆も大喜びですね、もちろん、わたくしの本体も大満足なんです」

 この光景にヤトノは口元を押さえ笑っているが、確かにその通りだとアヴェラは思った。前世で遊んだモンスターを狩猟するアクションゲームを、リアルで見ている感じなのだ。

 そして辺りに無数の視線があることが感じられる。

 間違いなく神々がこの最高の舞台を見物しているのだ。こんな舞台を――放置して忘れていたとは言え――用意した厄神は鼻高々に違いない。

「流石は爺様だよ」

「そうですね、人間の中で最高の戦士に違いないんです。ですけど、ご安心を。御兄様は人間の枠とは、また別なんですから」

「人を変な風に言うな」

「わたくしは嘘なんて嫌いですよ、それこそ呪いたくなるぐらいに」

 感心して見ている前で、ジルジオはドラゴンを圧倒していく。いかに中身が違うとは言え、殆ど一方的にダメージを与えていき、相手が逃げようとすれば阻止して逃がさない。もはや逃げるドラゴンを追い回している。

「おいおい逃げるでない」

『やめっ』

「ドラゴンであろう? ドラゴンであろうが! 何故逃げる。さあ、がっかりさせるでない。さあさあ、さあっ! もっと戦おうではないか!」

『どうして。どうして、こんな目に』

 ドラゴンの口が大きく開き、ブレスが来ると警戒したジルジオが素早く飛び退く。だが、そこから吐き出されたのは人の背丈ほどもある肉塊だった。同時にドラゴンはぶっ倒れている。

「ううっ……。あれ? あっしはなんでここに!? しかも、体中が痛い!? なんで、どうして?」

「お黙んなさい、駄ドラ」

「ひいぃっ! ヤトノの姉御!? どうして、ここに!」

「黙れと言いましたよ」

 ヤトノが再度言うと、カオスドラゴンは大慌てで両前足を口に当て身を縮めた。あまりにも情けない姿で、それには戦意が昂ぶっていたジルジオでさえも怪訝な顔で剣をさげている。

 そして静まり返った中で、アヴェラは地上を蠢く肉塊を見やった。

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