終章

新しく敷かれた未来

 正門の無駄に豪華なアーチを潜ると、ようやく人心地ついた気がした。学院生活を送っているうちに、いつの間にかこちらの方が生活基盤となってしまったらしい。割と頻繁にタウンハウスに帰っていたほうだと思っていたのだが、毎日寝起きする場所と、月に数度帰るだけの実家では、やはり過ごしやすさが違う。

 ……まあ、両親がやたらと構ってきて、少し鬱陶しかったというのもあるのだけれど。


 ふう、と溜め息を吐く。家は馬車を出してくれたのだが、いろいろと思うことがあって、丘の麓までにしてもらった。そこからは徒歩。荷物は小さな手提げ鞄一つなのでたいした重さではなかったが、久し振りの運動に軽く疲労した。


「よう、ユフィ」


 寮に向かう前に一息ついていると、校舎の方からレイラが姿を現した。軽く手を挙げる彼女は、制服ではなく青いシャツと白のスラックス。いつか二人で街に出掛けたときのようにとても簡素な格好だ。

 相変わらずのレイラの様子は、ユーフェミアの日常が戻ってきたことを実感させた。


「ようやく出てきたな」


 学院は今日は休講日。だからユーフェミアはこの日を選んで戻ってきたし、レイラもこの昼日中に出迎えてくれている。


「私はなんともなかったのだけれど、両親が心配性で」


 儀式から二週間。それまでずっとユーフェミアはドレイクの邸に閉じ込められていた。一度セラフィーナに身体を乗っ取られて、何かしら影響があるとでも思ったのだろうか、両親がなかなか学院に戻してくれなかったのだ。

 一週間牢屋の中で肉体的にも精神的にも追い詰められたうえ、セラフィーナとの入れ替わりの前後で多量の魔力を消費していたので、消耗していたのは事実。しかし、外傷もなく風邪を引くことも――ある種奇跡的に――なかったので、当人にして見れば数日の休みで充分だった。

 しかし、ユーフェミアが学院に戻りたいと申し出ても、両親はもっと休めと言って聞き入れてもらえなかった。体調が心配だと言っていたが……本当は一度見捨てたことへの後ろめたさから引き留めたのではないかとユーフェミアは推測している。

 だからどう、ということはないが。


「にしても、ずいぶん変わったねぇ」


 正直二度見した、と腰に手を当て、感心したようにレイラは言う。その視線は、ユーフェミアの首元に向けられていた。正確には、肩につくかつかないかというほどの長さにまで切られてしまったユーフェミアの金色の髪に、だ。

 ユーフェミアは短くなった毛先を抓んで、見せびらかすようにかざした。


「似合う?」

「似合うけどね。貴族のお嬢様の髪が短いのは、問題なんじゃないの?」


 この国の女性は、背中――短くても肩甲骨を覆う程度の髪の長さであることを求められる。短髪にするのは、出家した者のみだ。最近の市井ではその限りではないようだが、貴族の婦女子はやはり長さを維持していないと、という風潮が残っている。


「そうね。でも、区切りをつけたかったの」

「区切り?」

「私、変わるって決めたんだ。これはそのための儀式……かな」


 きょとんとするレイラ。

 いつまでも正門に立っていても仕方ない。行こうか、とユーフェミアはそんな彼女を促す。


 講義がないと校舎側はいたって静かなもので、周囲は鳥の鳴く声と風のそよぐ音だけ。すれ違う者がいないので、何かにつけて注目される二人には気が楽な道のりだった。

 左右に木の植えられた煉瓦敷きの歩道を歩きながら、ユーフェミアは口を開いた。


「甘えるのをね、止めようと思ったの」


 実家で今回の事件を振り返ってみて、ユーフェミアはあることに気が付いた。それは、ユーフェミアもセラフィーナも共通して、自分の居場所を求めていたこと。そして、その居場所を誰かに提供してもらおうと思っていたこと、の二点だ。


「私はセラフィーナに、誰にも必要とされていないんだから、って言われて、セラフィーナに身体を譲り渡すことに納得してしまった。セラフィーナは貴女に、誰もセラフィーナ個人を求めているわけではない、と言われて、諦めてしまった」

「それは……」

「大丈夫。わかってる」


 顔を曇らせたレイラの言葉を遮った。レイラはセラフィーナに事実を突き付けただけだ。ユーフェミアの事を思っての言動であったとはいえ、彼女を傷つける意図はなかったことは、よく判っている。


「でもね、そんなこと知るかって、私たちは言うこともできたんだと思うの」


 誰かに必要とされているから、いないから。たったそれだけのことを自分の存在理由としてしまったユーフェミアたちは、結果的に他人に流される形となった。ユーフェミアがセラフィーナにそれでも生きていたいと言えば儀式の結果もまた違ったかもしれないし、セラフィーナがレイラに他人がどう思おうと関係ないと言っていれば聖魔女の再臨は果たされていた――かもしれない。後者はまあ、ユーフェミアにはあまり良い結末ではないけれど。


「だから、自分で自分の居場所を作ろうって」


 ユーフェミアの身体は、今でもセラフィーナの魔力を保持している。今後そこに目をつけて、ユーフェミアを利用しようと思う者がきっと出てくるだろう。そのときに他人に流されないようにしたいと思ったのだ。


「そのための意思表明ってところかな。主に自分に向けて、だけど」


 見た目が変化するのは、分かりやすい。この姿を見るたびに自分は変わったことを認識できるのではないかと思って、髪を切った。これは結構自分には効果があった気がする。首もとは常に涼しくなったし、自分の姿を鏡で見たときの衝撃は大きい。それを意識する度に、変わるんだ、と決意している。


「そうだね。まず、学院が信用ならないだろうし」


 聖セラフィーナ学院は、セラフィーナの死後、魔法というものをこの国に普及させるためにできた。それに隠れてもう一つあった目的が、転生したセラフィーナの早期発見と確保だったのだそうだ。この学院が貴賤問わず開かれているのは、手っ取り早く魔力持ちをかき集めるため。後は、入学後にゆっくりと捜せば良いということだったらしい。

 笑えるのは、この国は魔法に関しての知識がまだまだ浅かったということ。魔法についての常識がなんたるかが確立されていなかった所為で、魔法についてこと細やかに調査する研究者と基礎を教えるだけの講師との間に知識の格差が大きく生まれてしまったのだ。その結果、講師たちの間には魔力持ちは魔法制御できて当然という刷り込みがされてしまい、ユーフェミアの発見が遅れたのだ。


 だが、今回の事で学院側も知恵をつけた。ユーフェミアが在籍していることを利用して、各方面に様々な働きかけをするだろう。そのときにユーフェミアを取引材料として利用することもまた考えられる。ユーフェミアの覚悟は、これから先彼女が良いように利用されないためには必要なものだろう、とレイラは見解を示した。

 我が事ながら、気が休まらないな、と思う。


「そういうレイラのほうはどうなの? 子爵と結婚するって聞いたけど」

「……ああ、うん。卒業してからだけど」


 そう答えるレイラには、覇気がなかった。視線が足元を向く。


「子爵夫人だってよ。愛人じゃなくて正妻。アタシはどこぞの伯爵の血を引いてるからといっても、庶民育ちだってのに。全くどうなってるんだか……」

「愛されてたのかな? 実は」


 そんなまさか、とレイラはから笑いする。それでも強く否定しないのは、本人としても真意を掴みかねているといったところだろうか。


「レイラが子爵夫人かぁ。想像できないなぁ」


 なにしろ出逢ったときから貴族らしいレイラを見たことがない。格好も態度も反抗的、振る舞いは粗野と言ってもいい。この学園に在籍しているからには貴族式の礼儀作法を習っているはずだが、クラスが違うこともあってその姿を見たことがない。少しだけ見たドレス姿は随分と似合っていたけれど……。


「あら、これでも私、物覚えは良い方ですのよ?」


 突然変化した口調に驚いて、レイラのほうを振り返った。彼女の顔からは普段の挑むような表情は消え去り、代わりに淑やかで慎ましやかな微笑が浮かんでいる。シャツにスラックスという簡素な服装が残念だ。


「教養もダンスもお作法も、それなりの評価をいただいておりますから」


 そう言った後、演技をして照れくさかったのか、レイラは顔を赤らめて視線を逸らした。


「……つまりまあ、公の場で誤魔化すことくらいはできるだろ」

「要領が良くって羨ましいこと」


 くすくすと笑うが、レイラは同じように笑うことも、揶揄からかわれたことを怒るようなこともなかった。

 そうこうしているうちに、寮の自室に辿り着いた。三週間放っておけばやはり埃っぽくなるもので、手持ちの荷物を置き、窓を開ける。あとで掃除を頼まないと、と心に書き留める。


「ユフィに、ちょっと謝っておくことがある」


 珍しくレイラの硬い声に振り返ると、彼女は入口に立ったまま神妙な面持ちでユーフェミアを見つめていた。


「なあに?」

「あのとき……ユフィを助けに行ったとき。アタシ、ちょっと自棄になってたんだ」


 どうせこの先碌な人生は送れないのだから、友人ユーフェミアを助けようとしたことで死ぬことになっても構わない、と思っていたのだと彼女は話す。


「ユフィのこと、自殺の理由に使おうとしていたかもしれない。ごめん」


 腰を折り、頭を下げるレイラを見て、ユーフェミアは少し考え込んだ。気にしていない、と言うのは簡単だ。実際、ユーフェミアはレイラの告白に傷付くようなことはなかった。しかし、本人はきっと納得しないだろう。結果論で許してくれたと思うに違いない。

 どうしようか、と考えて、ユーフェミアは一度自分の感じたことを見つめ直し、口を開いた。


「それって、私のこと命懸けで助けても良いと思ってくれたってことでしょう?」


 当人にとって希望のない未来が待ち受けているとしても、生きるか死ぬかを選ぶのであれば、普通は生きている方が良いに決まっている。まして、レイラは周囲に流されるだけの人間ではないことは、学院生活で悪目立ちしていることから明らかだ。どんな状況に身を置いても、彼女はきっと諦めるより足掻く人生を選ぶだろう。それだけ、彼女は自分の生に価値を見出だしていたはずだ。


「その人生を、捨て鉢になっていたとしても、私のために捨てても良いかなって思ってくれたのは……申し訳ないけど、すごく嬉しい」


 さっき言ったことと真逆の事を言っているけどね、とユーフェミアははにかんだ。

 ユーフェミアのために、両親は家を捨てられなかった。レイラはそれをしようとしてくれた。それだけ自分を思ってくれたことに、感謝せずにはいられない。


 レイラはそんなユーフェミアをまじまじと見つめたあと、呆れたように笑った。


「……今度何かあったら、また命懸けで助けてやるよ」

「じゃあ、私も。レイラに何かあったら助けるよ」


 二人で互いに小さく笑い合う。


「ああ、そうだ。あとで説明受けると思うけど、この三週間休んだ所為で補習があるんだってよ」


 唐突に変わった話題とその内容にユーフェミアは目を向き、しかし学生の本分を思い出して、ユーフェミアは重い溜め息を吐いた。


「私の所為じゃないっていうのに。とんだとばっちりだわ」


 無理やり学院から連れ出されて閉じ込められたのはこちらの意思ではないと言うのに、このような形でペナルティを負わされるのはいささか理不尽に感じてしまう。

 変わりたいしそのために頑張ろうと思ってはいるが、もともと勉強は必要だからしているだけで、レイラのように好きなわけではなかった。それだけに、できれば自分の意思が反映されていないところではやりたくないな、と甘いことを考える。

 変わると決めても、すぐに割り切れないこともある。


「セラフィーナに文句を言うんだね」

「無理よ」


 ユーフェミアは口を尖らせる。


「だって彼女、怒るとすごい剣幕なのよ。しかも絶対に謝らないの」


 しばらくぽかんとしていたが、やがてレイラは吹き出した。少し、安堵しているようでもあった。


「うまくやっているみたいだね」


 ユーフェミアとセラフィーナがどのように接触していたか、彼女にはまだ話していないのだが、交流していることは感じ取ったらしい。


 あの後もまた、ユーフェミアはあの白い空間を訪れていた。夢、と思っていたのだが、どうやらユーフェミアが望めば、意識はいつでもあちらに行けるらしい。

 それを知ってからは、できる限りセラフィーナに会うようにしている。もちろん、この世界に帰るときに一方的にした約束を果たすためだ。はじめは、話すことはない、と頑なだった彼女だが、やはり年相応の少女と言うことだろうか、次第にユーフェミアとのお喋りに楽しみを見出したようである。今では茶飲み友達、くらいの関係に発展した。


「だから、魔法もうまく使えるようになったの。これでもう、実技も怖くないわ」


 心を開いてくれたセラフィーナは、自分の力を受け継ぐ者が半端者であることを許せないらしく、度々ユーフェミアをしごいてくる。あちらで学んだことはこちらでも通用するらしく、ユーフェミアの魔法は日に日に上達している。今では、標準レベルには達しているはずだ。

 もう落ちこぼれとは言わせない。


「じゃあ、補習も楽勝だね」


 う、と少したじろぐ。確かに使えるようになったけれど、楽勝だ、と言い切るまでの自信はまだない。


「頑張れよ。じゃないと、一緒に卒業できないだろ」

「が……頑張る」


 あと少しの学院生活。悔いなく楽しく過ごすためにも、気を張っていかないとな、と学生の本分というものを痛感するユーフェミアだった。

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再臨の魔女 森陰五十鈴 @morisuzu

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