バッティングセンターの三振王
使った単語:新番組 攻撃 蛾 ホームラン王 ブルガリア
奴はその日、2回目のバッターボックスに立っていた。
マウンドには豪速球を投げることで有名なピッチャーが立っている。
そのピッチャーが動いたと思った次の瞬間、奴はバットを力任せにスイングする。
素人でもわかるぐらいめちゃくちゃな振り方だ。
ボスンと球が当たる音がして、空振りしたのが分かった。
ピッチャーは次の投球を始め、奴は再びバットを振る。
正直なところ、球が速すぎて僕には何も見えない。
彼はすべての打席をフルスイングし、しかし結局、バッターボックスで素振りをしただけだった。
今までも何度もあのピッチャーに挑戦しているのを見たけど、ちゃんと球に当たった試しは無い。
仕事を終えたピッチャーの映像は消えて真っ黒な画面に戻った。
「なぁ翔、もうやめたら?」
ベンチに座る僕はあきれ口調で彼にそう投げかける。
「ちくしょー、今日はもう終わりだ、金が無いからなぁ」
フェンスを開けて出てきた制服姿の彼は悔しそうに言った。
「いや、そうじゃくてさ、あのピッチャーとやるの、もう止めたら?」
「なんで?」
「なんでって、当たってないじゃん、全然」
翔は最近このバッティングセンターに通うようになった。ここは投手の画像が映し出されていて、本当に投げているように動画が映る仕組みなのだ。野球部でもないくせにいつも一番速い球が出てくるブルガリアから移籍してきた選手のえぐい投球マシーンと対決しては惨敗している。正直なところ、意味がわからない。
そして、僕はそれに付き合わされている。僕は翔とはまったく逆で、昔からなんに対しても無気力だった。勉強も、運動も、ゲームも。きっと翔と違って自分の限界を感じるのが敏感なんだろうと思う。そして無駄な努力をすることも、なんというか、非効率な気がしたし、面白いと思えなかった。
「まぁ見てろって、そのうちホームラン打ってやるから」
「無理だってあんなの、人間の反応速度じゃ敵わないよ。それより、前に貸した500円、まだ返してもらってないんだけど」
「いい汗かいたぜ、さぁ帰るか」
「こら無視するな」
僕は笑って誤魔化そうとする奴の腕を捕まえた。
その時、バッティングセンターのドアが開いて、僕たちと同じ制服の女の子が入って来た。
中を見渡して僕らを見つけてやってきた。
「やっぱりここだったのね」
彼女は僕ら二人を見て、いたずらをした子供を見るような顔をしている。
「それで、今日は打てたの?」
「全然だめだね」
僕がそう答えると「やっぱりね」と彼女は言った。
「なんだよ愛菜、なんで来たんだよ」
翔は僕らに対してイラついた表情を見せた。
ところが愛菜が「翔に貸してた1000円返してもらおうと思ったんだけど」と言うや否や、カバンを背負ってバッティングセンターを走って出て行った。
「あ、逃げた!」
僕は追いかけようとしたけれど、ドアを開けると奴の姿はもう遠くに行ってしまっていた。
愛菜は追いかける素振りさえ見せなかった。
翔は少し変わっている。
躁、というのだろうか。テレビや動画サイトなんかで感化されては、パソコンで音楽を作ってみたり、徒歩で他県まで行ってネットにアップしてみたり、絵画や小説を書いてみたり、高いカメラを借りて写真を撮ったり……。彼が興味を持ったものにひたすらに情熱を傾けた。
かと思えば、糸がプツリと切れたかのようにそれまでしていたことをやめて、必ず無気力な状態になることを繰り返した。
すぐに打ちのめされるのだ。
そしてその時のおきまりのセリフが「俺には才能が無かった」である。その後またすぐに復活しては新番組が始まったかのように別のことに手を染める。
もしかしたら彼が追い求めているのは彼自身の中に眠る驚くべき才能であり、それを発見さえしてしまえば人生は楽しくなって、全てがうまくいき、くだらない今の生活から抜け出せる、そういう風に思っているのではないのだろうか。
だからなのかは分からないが、学校の勉強には全然興味がないようで、こうして中間テストの前だというのにバッティングセンターに来たりなんかして、いつも赤点ギリギリの境目を僕と一緒にさまよっていた。
今回のバッティングセンターの件は、そんな彼のいわゆる一時的な逃げであり、単なるもがきであり、彼の中で諦めがつけばブームは去るだろうという見通しが僕らにはあった。
僕はベンチの上のカバンを取って愛菜に「帰ろうぜ」と声をかけた。
バッティングセンターを出ると、空はだいぶ暗くなってきていて、少し肌寒い秋風が吹いていた。
川沿いの通学路を歩きながら、僕は愛菜に話しかける。
「まぁ、今日は惜しい方だったよ。2球ぐらいかすってたもの」
「そうなんだ」
「今回の挑戦はお金がかかるのが難だな」
「まぁ……翔は決めたら聞かないから」
そう言って愛菜は遠い目をした。
僕は彼女のことを幼稚園の幼い頃からよく知っている。何が好きで、何を考えているのでさえも、なんとなくわかる。
少し無口で一見大人しそうに見える彼女も、心の中ではいろいろなことを感じていて、喜んだり悲しんだり、怒ったり憤ったりしていることを知っている。
そして愛菜はきっと、翔のことが気になってるんだろうと思う。僕にはわかる。
「知ってる? 翔って最近、夜になると素振りしてるんだよ、そこの辺りで」
愛菜は河川敷の方を指さした。
「まじか。教室でベーブ・ルースっていうホームラン王の本を読んでるのは知ってたけど……」
「すごいよね。あんなに情熱を傾けられるのって一種の才能だよね」
そういう彼女の顔は沈みかける夕日の逆光でよく見えなかった。
だが僕にはわかる、彼女の顔はきっと微笑んでいる。
翔が何かに打ち込んでいる姿を見るのが彼女の最近の楽しみなのだ。だから翔がへこたれているときは自分のこと以上に心配している。
彼女の中で翔は特別な存在なのだ。僕や他のやつらとは違う。
僕はそんな愛菜の姿を見ると、どうしようもなく気持ちがざわついてしまう。
「ただのバカだよ、翔は」
僕はこのとき、どんな顔をしていたのだろう。
あたりが薄暗くなってくれていてよかった。
その夜、僕はどうしても気になって河川敷へ行った。
あたりは暗くて、たまに街灯が設置されていて、小さな蛾がよくその周りを飛んでいた。
街灯の近くで僕は一心に素振りをする翔を見つけて声をかける。
「よう、やってるな」
「なんだ、お前か」
僕は近くのベンチに腰を下ろして翔をじっと見る。額には汗が滲んでいて、彼のベクトルの外れた努力の跡が伺えた。
しばらく素振りを見てから僕は口を開く。
「なぁ翔、お前、何をそんなに頑張ってるんだ? なんで、そんなに頑張れるんだ?」
翔は明後日の方向を見ながら無言で素振りを続ける。
バットが風を切る音が、少し強くなった気がした。
「別に頑張ってるつもりなんかねぇよ。お前、頑張らないと何もできないのか? ゲームしたり、テレビ見るのも頑張ってやってるのか?」
「それはこれとはまた違うだろ。リラックスしてんだから」
翔は素振りを続ける。
「俺に言わせりゃ、一緒だね。俺は、こうして、素振りをすることで、リラックスしてんだよ。何かに力を注ぐことが好きなんだよ。逆に家でぼーっとテレビを見てると、そわそわすんだよ。俺は本気で何かをすることが好きなんだ」
それはまぁ、結構なことだ。僕にはできない考え方だ。
やはり翔は変わっている。変人だ。
翔は僕の目の前で力いっぱい素振りをしながら言う。
「大人がよく言うけどさ、頑張れば報われるとか、頑張った後に何かが残るとか。……だけどな! そんなのはなぁ! 本気でやってない奴だから言えるんだ! 本当のところは、何も残らない! なーんにも! 全然! 一銭にもならない! 骨折り損さ」
後半はもうほとんど叫んでいた。
なんだか僕は、翔に攻撃されているように感じた。罪悪感のようなものがどこか僕の胸のうちにあったからかもしれない。
肩で息をしながら翔はやっとこちらを向いた。
「でもなぁ、面白いだろ。フルスイングしてる方がよぉ。ちまちまヒット打つよりよっぽど。適当にフルスイングして、100回に1回でも当たってくれたほうがスカッとするだろ。当たれば儲け。俺はそういう生き方がしたいんだよ」
僕は、しかしだめだ。
奴の考え方には、共感できなかった。
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