1話完結短編集@ランダム単語

園長

サボテンの花

 使った単語:サボテン 職業病 大草原 マックス 咲いた咲いた


 ”サボテンの花が見てみたいわ”

 そう書かれたメモが右隣の席からスッと差し出された。


 問題集を目の前にしてシャーペンをくるくる回していた智己は、それがあまりにも唐突すぎたので、隣に座る彼女が暑さでやられてしまったのかと疑った。


「これって、どういうこと?」

 図書館の自習スペースの中、小声で智己は聞き返した。


 ”そのままの意味よ”


 無言でメモを差し出す彼女の冷ややかな目線は、机の上に広げられている英語の長文に落ちたままだ。


 黒くて艶のある髪の毛を耳に掛けていて、一層クールな印象を際立たせていた。


 智己は頭を捻らせた。


 夏休み中も部活でなかなか会う機会がない彼女と、しかしお金もないのでデートという名目で図書館に勉強しにきてから、まだ30分ほどしか経っていない。


 やはりいくら鈴川さんでも夏休みに図書館は退屈だったのだろうか。


 ”見たいわ、今すぐに”


 そう書き足したメモを差し出してきた彼女は、今度は智己の方をちらりと見た。

 一瞬だけ目が合った智己の心臓は大きく跳ねた。


 夏休み前から付き合いだしたばかりの彼女の、同年齢とは思えない綺麗な横顔を見て、智己はどうしようもなく嬉しくなってしまう。


 ”じゃあ植物園にでも一緒に見に行こうよ”


 そう書いて返したけれど、鈴川さんはメモを見るなり反対側を向いてしまった。


 まさか一緒に見に行きたいってわけじゃなかったのかな、と智己が不安になっていると、しばらく経ってメモが返ってきた。


 ”そうしましょ”


 智己は安堵した。


 鈴川さんは相変わらずの無表情で英語の問題集をぱたんと閉じた。


 ケータイで調べた情報によれば、近くの市立植物園では年間を通してサボテンが多数展示されているらしい。


 図書館から植物園まで歩いて20分。


 決して遠いわけでは無いけれど、今は頭にのつく夏の季節。

 炎天下を歩くのは鈴川さんにとっては少しハードかもしれない。


 案の定、図書館の自動ドアが開くと外はむわっとした熱気が満ちていて、5分もしないうちに智己の額には汗が滲み出てきた。


「あちー、どこかでコンビニあったら寄っていいかな?」


 そう言って智己はTシャツの胸元をぱたぱたと引っ張ってあおいだ。

「そうね、そうしましょ」


 鈴川さんも絶対に暑いはずなのに、彼女は不思議と冷ややかな顔をしていて、まるで周囲に冷気を纏ったようだった。


「それ、涼しい?」

 智己は鈴川さんの持っている日傘を指さした。


「日傘のこと? ええ、涼しいわよ。智己くんも一緒に入る?」

 そう言う鈴川さんの顔は無表情で、とても冗談を言っているようには見えなかった。


「えっいいの?」

「もちろんよ」

 何のためらいもなく差し出された日傘に智己は戸惑ってしまった。


 これはつまり相合傘というやつなんじゃないか、と思ってしまったからだ。


「えっと、あ、えーっと……、あはは、やっぱ遠慮しとくよ」

 智己は力ない笑みを浮かべて断った。


 確かに日傘に入れば涼しいかもしれないけれど、あの小さな傘で2人分の日差しをカバーするのは難しいだろう。

 

 きっと彼女のノースリーブの肩が日に焼けてしまうはずだ。

 そしてなにより、恥ずかしい。逆に体温が上がってしまいそうだと思った。


「……そう」


 とだけ言って差し出した傘を無表情のまま引っ込めた鈴川さんは、智己に背を向けてしまった。


 気を悪くしてしまっただろうか、と思っていたら、向こう側を向いたままの彼女の肩が微妙に揺れているのに智己は気付いた。


 なんてことはない、智己は鈴川さんにからかわれていたのだ。

 

 鈴川さんは、まさか恥ずかしがり屋の智己が本気で日傘に入ってくることなど考えないだろうと思っていたのだから。


 でも智己は鈍感な男だった。

「あれ、鈴川さん泣いてる?」


 そうやって笑って肩を震わせる鈴川さんを本気で心配していた。

 鈴川さんは無表情に顔を戻して「泣いてないわ」とだけ言った。


 智己は内心、彼女の心の中が読めずに少し困惑気味だった。


 2人は道路わきにあるコンビニに入った。

 鈴川さんは緑茶、智己はマックスコーヒーを持ってレジへ向かった。


「智己くんって甘党なのね」

「苦いのが苦手でさ、これが僕の唯一飲めるコーヒーなんだ」


 そう言うと「ふーん」と、納得したようなしてないような返事をした。


 智己は、やっぱり鈴川さんって何考えてるのかよく分からないときがあるな、と感じた。


「なんだか外に出たくなくなるね」

「あら、どうして?」

 意外だというような顔をする。


「だって、暑いじゃん。鈴川さんは暑くないの?」

「暑いわよ、とてもね」


 智己がまた頭に?マークを浮かべていると

「でも、暑い中を歩くのも楽しいと思わない?」


 と、鈴川さんは言って、自動ドアを出ていった。智己も後を追いかける。


 コンビニの冷房によって冷やされたからだが、道路を走る車のせいで起こった風で徐々に熱を帯びていく。


「そういえばね、智己くん。私の叔父さんは、サボテンの花を咲かせる名人なの」


 唐突に始まった彼女の話に智己は少し固まる。


「へ、へぇ~そうなんだ。何か咲かせるコツみたいなのあるのかな? 肥料とか」


「雰囲気ね」


 鈴川さんは流し目で隣を歩く智己を見て即答した。


「え、雰囲気?」

「そう。サボテンたちは叔父さんの雰囲気にやられちゃうのね。だから叔父さんが家にやって来た後は必ず私の家のサボテンに花が咲いていたわ。叔父さんが歩いた後のサボテンにはみんな花が咲いちゃうのよ。あれはもう、言うなれば職業病みたいな感じね」


「そんな、まさか、ははは……」

 これは笑うとこなんだろうか? と思った智己が鈴川さんの顔を見る。


 彼女は冷ややかな表情のまま前を向いていた。


 サボテンの花を咲かせる名人。本当にそんな人が存在するのか?

「これがそのサボテンよ」

「えっ」


 そう言って差し出されたスマートフォンに智己は驚きを隠せない。


 まさか、まさか本当にそんなミラクルなことがあるのだろうか。

 でも鈴川さんがそんな冗談言うなんて考えられないし。


 ……差し出された画面に映っていたのは鈴川さんとその叔父さんらしき人物の写真だった。


 叔父さんと聞いていてもう少し年上を想像していたけれど、その人物はかなり若くて、20歳ぐらいに見えた。


「あれ、サボテンの写真じゃ?」


「冗談よ。そんな花咲か爺さんみたいな話、あるわけないじゃない」


「え、えー!」


 まさかとは思っていたけれど、冷徹ささえ感じる鈴川さんによるその一言はあまりに強烈で、智己は思わず立ち止まってしまう。


 彼女はそんなことはお構いなしで歩みを止めることなく植物園に向かうのだった。


「2人で300円ね」

 受付のおばちゃんがガラス越しに言う。


 さすが市立の植物園、近所の学生ということもあり思っていたよりもかなり安い入園料だった。


 智己は、少額ではあるが2人分の入園料を支払った。


「あら、ありがとう」

「どういたしまして。えっと、サボテンの展示してあるのはあっちの温室みたいだよ」


 智己が受付でもらったパンフレットを確認して指さした。


「なんだか智己くん、彼氏みたいね」

 冷やかすように鈴川さんはそう言った。


「一応そうなんだけどね」

 智己も力なく笑ってそれに応える。


 2人はサボテンの展示されている温室までの通り道にあるサルビアやヒャクニチソウ、ヒマワリやハイビスカスといった夏の花が咲いている場所を抜け、


 ハエトリグサやウツボカズラといった食虫植物の展示を見て回った。


 智己にとっては植物園なんてほぼ初めて来る場所だったが、いろんな色や特徴をもった植物を眺めることは案外楽しめた。


 そしてついにサボテンのある温室にたどり着いた。


 サボテンの温室には人がほとんどいなくて、とても静かだった。


 そこかしこに展示されているサボテンは、見ているだけでも痛そうな棘がたくさん生えているものや毛がたくさん生えたようなもの、形も丸いやつや平べったいものなどさまざまで、皆それぞれ違っていて面白かった。


 ドラゴンフルーツがサボテンの実であることを初めて知ったりもした。


 ただ……。


「花が咲いてるの、あった?」

 智己が言うと、鈴川さんはかぶりを振った。


「そんなに簡単には咲かないのかな」

 2人は頑張って探し続けたけれど、なかなか見つからなかった。


 10分ほどしたとき、鈴川さんは「もういいわよ」と言って温室の中にあるベンチに腰を下ろした。


 智己がベンチまで行くと、彼女は「うーん」と伸びをした。


「なんだか落ち着くわね、植物園って」

 智己もその横に座る。


「うん、だいぶ久しぶりに来たけど、いろいろと面白かったよ」


 しばらく温室の水路の水音だけが聞こえる時間が流れた。


「ねぇ、どうして急にサボテンの花を見たくなったの?」


 そう尋ねると鈴川さんは智己の方を横目で見た。


 その時の彼女の表情、智己には何か観念したような感情を感じさせた。


「くだらない理由よ」

「よかったら、教えてよ。僕、鈴川さんのこと、もっとよく知りたいよ」


「智己くん、よくそんな恥ずかしいセリフ言えるわね」

「……」


「冗談よ」


 鈴川さんは小さく「はぁ」とため息をついて口を開いた。


「こないだね、クラスで皆川さん達が話してたのよ」


 皆川さんは女子バスケ部の部長をやってる、鈴川さんとは違う意味でしっかりした雰囲気の女の子だ。


「花占い……っていうかね、先生とかクラスメイトの雰囲気を花に例えるとって話をしてたの。例えば誰それさんは彼岸花だとか、ヒマワリだとか、そんな話。でね、その時私の名前が挙がったの。それで私の雰囲気を花に例えるとサボテンだったってわけ。棘があってとっつきにくい感じとか、砂漠で孤独に佇んでそうなところが似てるねって」


「それって……」

 智己が何か言おうとするのをかまわず鈴川さんは続ける。


「わざわざこっちに聞こえるように言ってきたからちょっとイラっときてね、私言ってやったの『サボテンは綺麗な花を咲かせるから私とは違うわね』って。……ま、そんなくだらない話よ」


 遠い目をする彼女を見て智己は立ち上がった。


「僕、もうちょっと探してみるよ。鈴川さんはそこで休んでて」

「そんなの悪いわ。あと少しだけ2人で探してみましょ、それで無かったら、諦めるわ」


 探して歩きながら、今度は鈴川さんが訊いた。


「智己くんは、どうして私の突拍子もないわがままを聞いてくれたの?」


 するとサボテンを見ていた智己は意外そうな顔をして振り返った。


「どうして? んー、難しいな、そんなこと考えてなかったや。そうだな、鈴川さんの頼みだから応えてあげたいって思ったんだよね」


 それを聞いて鈴川さんはふいっとそっぽを向いた。

 智己は、彼女が機嫌を悪くしたのかなと思って「おかしいかな?」と尋ねた。


「おかしく、ないわ」

 正面を向き直った顔はやはり無表情のままだった。


「……ありがとう」

 そう鈴川さんが言ったと同時に


「あ、あれもしかして」

 智己が見つけたのは、緑のサボテンの頂点の辺りにある黄色い蕾だった。


「やった、鈴川さん、サボテンの花だよ」

「そうね、蕾だけど」

「蕾だって花だよ! やったー」


 そう言って嬉しそうな顔をしている智己を見て、彼女は少し頬を緩めた。


 2人はサボテンの蕾の写真を撮って、サボテンの温室を出た。


 外は相変わらず暑かったけれど、いつの間にか太陽はもう傾き始めていた。


 植物園の順路を歩きながら、智己は何かを考えてから「あのさ」と話し出す。


「トゲ、あっていいんだと思うよ。だって、とげが無いサボテンだったら食べられちゃうだろ? というか、そんなのサボテンじゃないよ。きれいな花にはとげがあるって言うもの、ほらバラとかさ。トゲがあるから花がよけいに綺麗に見えるんじゃないかな」


 どこまでこの人は優しいのだろう、と思う。自分の叔父に似たこの彼の雰囲気に包まれていると、大草原にいるような心地良い安らぎを感じてしまう。


「それにしてもこれはとげありすぎね」

 さっき撮った写真を見て言うと、智己は軽く笑った。


「トゲというか、私って笑った顔見られるのが、その、あまり好きじゃないのよ。だからにやけそうになったりすると咄嗟に顔を背けちゃうのよ。だから余計に冷たく見えるのね」


 そう言うと智己は何か思い当たる節があるようで、「あー」と腑に落ちたような声を出した。


「僕、今日1日でサボテンのこといろいろ知ったし興味も持てて、もっと好きになったよ」


 智己が隣を見ると、彼女も横目で見返した。


「鈴川さんは知ってる? サボテンの代表的な花言葉」

「サボテンにも花言葉ってあるの?」


 意外そうな彼女に、智己は微笑みながら言う。


「あるよ、”枯れない愛”なんだ。ね、僕がサボテンのこと好きになる理由だよ」


 智己は横を歩く彼女に微笑みかける。


「そんなキザなセリフ、よく言えるわね」


 こちらを見て彼女は呆れたように言った。


 そして、サボテンに花が咲いた。

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