最終話 きっと僕が一生趣味を持たない事だけは、確かだろう。

「で、なんて答えたの?」

 

 わかり切っている質問をこうしてわざわざ聞くあたり、相変わらず性格は悪いままのようで、やはり僕はこの人が嫌いなんだと、そんな再認識を挟んだ。

 質問に嘘をつくかどうかを一瞬だけ悩む。

 しかしどうせ後々バレるて面倒な展開になるのは目に見えているわけで。

 だから僕は、正直に佳奈さんが言った言葉をそのまま引用した。


「『尊敬』」

 ——だってさ

 よかったじゃん。

 

 僕は前にあるカップの香りを鼻に触れさせながら、姉を見ずに答える。

 どうせ満足げな笑みを浮かべているであろうその顔を見てしまったが最後、間違いなく僕の苛立ちは最高潮になることは火を見るより明らか。

 なので精神安定上、仕方なく視線を紅茶の波に向けた。


 紅茶。

 そういえば一条さんに出してもらったあの紅茶は美味しかった。

 今度会った時にでも銘柄を聞いておくとしよう。


 興味なさげに姉は頬杖をつく。


「……ふーん。で、あなたはなんて?」


「え?」


「まさかこの流れで自分が聞かれないとでも思った?」


「えぇ〜。まじ、今更……?」


「はい質問——『佐藤綾について、一言、好きなように述べよ』はいどうぞ?」


「…………」


「ほら、早く答えて」


「……怒んなよ?」


「それは答えによるわね」


「…………」


僕は少し躊躇いつつ、そしてその答えを言う。


 姉の反応は、まあ大体予想通り。

 特に怒るでもなく騒ぐでもなく、ただ落ち着き払って頬杖のままだった。


「なるほどね。それは確かに佳奈とは全然違うわね」


 いつも通り、言葉を転がし捨てた姉。

 その表情はどこかいつもより柔らかい。

 

 僕はカップに視線を持っていく。

 その水面の揺れを見つめながら、先週起こったコンテストの記憶を想起させた。



 結論から言えば、僕たち第二劇団の演劇は成功を収めた。

 『成功』というとまたとても曖昧な言葉で終わってしまうと思うので、だからここでは具体的な実績と、そして状況説明を添えていおう。


 僕たち第二劇団の演劇は、第一劇団を含めたそのコンテストに参加した団体全てを抑え、最優秀賞を納めた。


 劇終了時には、観客ほとんどが立ち上がってのスタンディングオーベーションを見せるほどに、感動を届けることができた。

 最近だと公共放送局の朝コーナーに抜擢されるほどには、世間を賑わせた。

 

 演劇としては異例だらけのこの組織は、照明や音響を除き、メンバーは、三人で構成されていて

 また、表彰式にはただの一人もその場に現れることなく、

 代わりに第一劇団の長である佐藤彩がそのトロフィーを受け取ることになり、

 だから、その劇団長があの佐藤綾の弟であるという事実一つが露見することになって。

 そんな正体不明さも相まって、より一層な人気と知名度を獲得できた公演となったわけである。


 だからこそ、なお一層、業界内の話題をかっさらったのだ。


 シナリオは構成から演出全てを一人で行い。

 音響は、そのほとんどの場面演出やタイミングに至るまで、一人で作り、並べ、整備し。

 演者に至っては、一人でおそよ五人の役者を演じきった。

 

 以上、異色な才能を持った三人は、それぞれの個性を遺憾なく発揮しつつ、才能を発揮しつつ、そしてそれが殺し合うこともなく、ただその公演を終えた。


 もちろんその演劇内容について、あまりに一般受けを狙った構成と演出、演劇という伝統的な構造や文化を軽視した劇であるとして、その道の専門家や有識者からは結構な非難や批判は出てきたものの、それでも。

 数にして圧倒的に勝る何も知らない観客の支持は大きく、結果その声はほとんど目立つことはなかった。

 

 と。 

 そんな風に自分の言葉でまとめてみたはいいものの、それでも一週間も前のことを武勇伝みたく、わざわざこうして振り返るのは結構恥ずかしいものがあるので、だからきっともう二度と思い出すこともないのだろう。

 


「——ねえ、聞いてる?」


「……え? あ、え?」


 いつの間にか僕の後ろに回っていた姉。 

 あの朝のように、その手は僕の首筋をしっかりと腕で圧迫し、押し潰している。

 言い換えれば、生殺与奪券の譲渡。

 まあいつものことだ。


「お姉ちゃんが質問しているのに、それを無視する悪い子は誰かな?」


「そんな悪い子はどこにもいませんよ。ここにいるのは姉がいなくては何もできない、そんな哀れな子羊ばかりです」


「あら、素直ね」


「脅迫って言葉知ってる?」


「素直なご褒美にチューしてあげましょう」


「褒美? 拷問では?」


「ディープスロートって最近興味あるの」


「あれ、姉さん知らなかった? 僕フレンチ料理が大好きなんだよ」


「そ。じゃあご注文通りに」

 

 なんて。

 そんな意味のない言葉のやり取りの中で本当に唇を奪われてしまった。

 非常に男前なやりとりだったのは別にいいのだけれど、しかし如何せんその相手が姉であるともなるといろいろ間違っている気しかしない。

 というか、なんで朝っぱらから。


 姉はどうやら一通りの満足はしたようで、またいつの間にか自分の席に戻っていた。


「ねえ幸人」

  

「何」


「演劇さ」


「うん」


「どうだった?」


「最悪だった」


「あらひどい」


 全く調子の変わらない声のまま肩を竦めた姉さん。

 僕は緩んだその手を解きつつ、姉から逃げるような距離を取りつつ、続きを答える。


「僕は二度と演劇なんかやらない。あんなの狂った人間の遊び場なんて二度と行かない」


「狂った人間、ね」

 

 意味深に呟いた姉に続く言葉はない。

 僕は台詞を並べる。


「趣味とか情熱があるやつなんて、所詮計算ができない盲目なやつばっか。やる方も。見る方も、全員狂人。素人最強」


 僕は思い浮かべる。

 異常と呼んでいい愛情を、僕の姉さんに注いでいたあの店員。

 彼女の愛はきっと本物だ。

 きっと本物で、紛れもないものだ。


 間違いなく、紛れもなく——本物。


 狂気染みているという意味で、本物だった。


 きっと彼女は姉がどんな作品をだそうと構わないのだ。

 劇のクオリティなんかに興味はないし、演者レベルの高さなど、どうでもいい。

 佐藤綾が『佐藤綾』であること以外、何も求めていないのだ。


 僕は思い浮かべる。

 あの三人を思い浮かべる。

 僕が謝罪を述べた日から。

 一人一人と言葉を交わした翌日以降、劇画終了するその日まで。

 彼らが行った努力量の異常さを思い出す。

 毎日毎日。

 睡眠時間以外の全てを演劇に捧げた三人。

 その睡眠時間すら、最後には二時間もなかったぐらいだった。

 あんな頭のおかしいこと。

 普通……たった一人の素人に感動してもらいたいからなんて、そんな理由でできるものではない。

 明らかに狂っていて。

 明らかにおかしくて。

 明らかに……客観性に欠けている。

 経済学的見地から言えば、努力の大赤字だろう。


 僕は続ける。


「まあ確かにそういう狂人は熱くなれる分さ、いろいろな状況で強いかもしれない。自分を顧みず、意識せず、限界も知らずに。前を向ける人は強いのかもしれない。……だけど、それでも、ね。やっぱり当事者ってのは、本質が見えなくなるもんだ」

 本質っていうか。

 本当に大事なところ。

 そもそも観客が何を楽しんでいるのか、

 何をみたがっているのか、

 そう言った発想に戻れない。


「でも、僕は趣味がない人間、冷めた人間だ。熱くならない人間で、常に傍観者の人間だ。だから、傍観者はそれをとても客観的に、前提知識なしにものを見ることができる。面白いものを本当に面白いと思えるし、感動すれば涙を流すし、つまらないものはそもそも話題にすらあげない」


「ふむ」


「その反面、何か熱いものがある人たちはさ。自分たちが楽しむことが優先だから。その分、初心者蔑視になって、置いてけぼりの作品ばかり見るし、作り手なら、それは観客軽視につながって、芸術性とか、独創性とか。そう言う素人目にはわからない世界を追求する」


「だから、第二は、あんな露骨に初心者が楽しめるように作品を仕上げてきたの」


「そ。だから僕みたいな素人のフィルターで素直に作品に目を通して、ただ感想を言うだけでも、彼らにはだいぶな発見があったんだと思うよ」

 

「発見?」


「再発見というか……まあ発掘みたいなものかな」


 自分たちの地層から。

 最初——演劇に感動した時の地層から。

 自分が最初、どういう立場で演劇に感動したのか。

 自分たちが『誰のために』作品というものを作っているのか。

 なんのために作品を作るのか。


 それがわかりやすく盲目になって見ていなかっただけで。

 彼らはまた、それを見つけただけだろう。

 

「誰のために……ね」


「……まあ、そんなの当たり前に決まってるんだけどね」

 

 僕は外を見つつ、言う。


「友達、家族、恋人、恩師とか——そのどれでもない。人は名前も知らない他人に感動してもらったときの方がよっぽど感動が得られる生き物なんだよ。自分の作った作品を友人が読んで賞賛してくれるより、家族が自信のつく言葉をかけてくれるより、恋人が喜んで泣いてくれるより、恩師に肩をたたかれて励まされるより。その辺にいるなんの関係もない人間、何も知らない『素人』が手にとって、観に行って、一言『面白かった』って、そう言って。そして、その人にとって新しい世界に入るきっかけになる、みたいな——そんな瞬間のために人は作品を作ってるんだからさ」

 

 そういう意味で言えば、彼らから来るLINEが鳴り止まないのはむしろ朗報なのだろう。

 彼らは単に、思い出したのだ。

 自分たちがいったいどんなきっかけで自分の好きなものにであったのか。その感動を受け取ったのか。

 そして。

 今度は自分が、その導き手になるのだと、そんな決意を胸にしていた時のことを。

 

 まあでも。

 しかしそれでも、こうして毎日何十通何百件もメッセージで演技動画や演奏音声、はたまた大長編の小説なんかを貼り付けてくるのはやめるべきだろう。

 それは常識と良識的に。

 やめるべきことだし、やめてほしいことだ。


 ……まあ、やはり趣味がある奴は狂人だということか。 

 少なくとも、僕とは別世界の人間だ。


「というか」 


「ん?」


「僕は姉さんが全部仕組んだことだって思ってるんだけど」


「あら、なんのことかしら」


「僕と佳奈さんと、後あの三人。今回ので全員を引き合わせたかったんじゃないの」


「…………」


 僕には——佳奈さんのように知らない世界に馴染む姿勢、方法を。

 佳奈さんには——僕のようき自分の武器をうまく使って生き抜く方法を。

 あの三人には——僕という素人から、そもそもの原点を。 

 

「その程度だったら、メールにでもして、それぞれにメッセージを送ればよかったんじゃない?」


「…………」


「僕とあの三人はともかく、さ。佳奈さんは姉さんから言われれば変われる人だと思うよ?」


 僕は続きの言葉を述べるか悩んで、そして黙った。


『私なんかのことを尊敬しないで、もっと同じで。友人であって』


 姉さんの言いたかったこと。

 佳奈さん言いたかったこと。

 彼女ならまっすぐ姉さんの言葉を受け止められるだろう。

 まあ要は——


「いつだったかの時、『あんな言葉をかけてごめんなさい』って、そうしっかり直接、本人に言ったらどうなの? ——って話」


「ちょっと寝不足だから寝てくるわね」


「……ほーい」


 相変わらず遠回しで面倒臭い姉だ。


 まあ、これも趣味を持つ人間の宿命という奴なのだろう。

 効率が悪く、計算ができず、がむしゃらに前しか見ない。

 そんな狂人だからこそ、姉さんがとるような行動に向かってしまったのかもれない。

 遠回りの行動になったのかもしれない。

 少なくとも、そんな姉から悪影響を受けなた弟にならないよう、しっかりと精進しなければなるまい。


 だから。

 つまり、その一つの結論として。

 この物語から得た僕の教訓を生かして。


 僕が一生趣味を持たない事だけは、確かだろう。

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『趣味が持てない』という人に向けた十万字の小説 西井ゆん @shun13146

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