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 あまりにも無力だった。野望の達成のためには冷酷にもなる。その覚悟の上とはいえ、現実に目にしたそれは凄惨極まりなかった。

 目の前で一方的に殴られ続ける彼女。弄ぶかのように次々と拳を繰り出してくる奴に対し、彼女はただ逃げ腰で、せいぜい本能的に腕を使ってガードし続けるしかない。そんな光景を目にしていながら、私は何もすることができない。間近で見ることすらできない。こうして遠い出来事のように、モニター越しで眺めるしかできないのだ。

 ついに奴の重い一撃が脇のあたりに決まり、思わずふらつき、倒れかかる彼女。奴はその腕を取り、力任せに捻りあげた。彼女の腕のきしむ音がこちらにも聞こえてくるような、生々しい光景。そしてそのまま、力任せに左右に大きく揺さぶる。

 意志のない人形のように、振り回されるままに揺られ続ける彼女。ついに堪えきれず、私は思わず叫んでいた。

「綾(りょう)! 腕は壊すな!」

『ちょっと! 私のことはどうでもいいの!』

 耳に装着したヘッドホンに、即座に叫びが返ってくる。返事ができる程度には余裕があるらしい。

 目の前のモニターには、二体の人型の機体が映し出されている。いや、人型というには多少ずんぐりとした体型で、人間でいう頭部にあたる部位はなく、胸のあたりにコックピットがあるわけなのだが――それはともかく。

 肩や肘の関節部が大破すれば、まず勝ち目はなくなる。仮に勝っても修理費で大きな赤字が出る。バックにメーカーや多数のスポンサーが付いたチームならともかく、資金に余裕がない我々プライベーターにとっては死活問題である。せっかく勝ち上がったのに資金が底を突いて出場辞退という悲しいことにもなりかねない。

 だが、当然ながら、機械を動かすには操縦者も必要なのだ。

「当然おまえも壊れるな! 中で吐いたりしたら掃除させるからな!」

『……もういい』

 恐ろしく低いトーン。背筋に妙な寒気が走る。

 腕をひねられている方の機体が、相手の揺さぶりきったタイミングを見計らい、少しだけ腰を落とす。瞬間、機体は右腕を軸に宙を舞った。つまり、腕をひねっていた相手に全体重を預けて逆立ちをしたのである。

 やがて機体は重力に従い、元来た道を落ちていく。全体重を預けた両足が、振り子のように敵の腰に突き刺さる。

 地面に転げる両者。

 土埃の中、立ち上がったのは私の機体だけだった。相手はそれきり動かない。腰部に致命的な打撃を受けたため――というよりは、操縦者の方が気絶か何かしたのだろう。約五メートルからの落下プラス、蹴りの衝撃。安全機構によって緩和されていなければ、充分に人の死ねるダメージである。

 ――勝者、キリムラファクトリー、ケーニギンネン・ドラッヘ!

 場内アナウンスと、ひときわ大きい歓声。別に私たちが人気者だからではない。何の背景も持たないぱっと出のプライベーター風情が、資金力、組織力に勝るチームを相手に勝ち上がってきていることへの驚きと賞賛である。

 もしくは、パイロットが女性だからか。

「お疲れ様。ちょっと乱暴な操縦だったが、まあ、壊さなかったからよしとしよう」

『……壊れた』

「は? 腕やっちまったのか? ……いや、さっき立ち上がるとき右腕使ってたな。じゃあ別の部位か?」

 返事はなく、無線が切れる。モニター越しに見る限り、帰還してくる機体の様子からして特に損傷しているような動きではない。

 ほどなく機体は私のいるガレージへと戻ってきた。

「綾、どこが壊れたんだ?」

 声をかけながら、スタッフと協力して機体にタラップをかける。と同時に勢いよくコックピットが開き、中から綾が飛び出してきた。

 転げるようにタラップを駆け下りると、そのまま奥の方へと走り去っていく。

 両手で口元を押さえていたような気がした。



「なんかこう、もうちょっと扱いが良くてもいいような気がするんですけど」

 台所からちらりと見やると、まだちょっと青い顔をしている綾がふくれっ面をしていた。

 テーブルの上に両手を重ねて顎を乗せ、倒れ込むようにしているところを見ると、実際まだ調子が悪いのかもしれない。短く切り揃えた髪も、洗面所でしつこくセットし直していた割には、またもやくたびれてボサボサになっている気がする。

「まだ言ってるのか?」

「だってなんか私のこと、壊れない機械みたいに思ってるでしょ……」

「意外と丈夫だとは思ってはいるけど」

「やっぱりー! それ、絶対おかしいですよ! なんか違う!」

 さっきまでのダレ具合からは考えられないほど勢いよく上体を起こし、こっちに指を突きつけながらいまいち具体性に欠けることをわめきだした綾はとりあえず放っておいて、再びオーブンの方に視線を戻す。もうちょっとか。

「少なくともドラッヘの腕より壊れやすいのは間違いないし!」

「そうか?」

「そうですよ! 冗談でも言わないでください!」

 別に綾のことを気遣ってないわけではない。ただ、綾なら本当に危ないなら自分からそう言い出すから、わざわざこちらから声をかける必要がないだけである。

 ――まあ、たぶんそれが不満なのだろうが。

 オーブンを開けると、あたりにメレンゲの焼けたいい香りが漂う。お手製のメレンゲレモンパイ。

 大皿に移したそれにナイフで切れ目を入れ、テーブルに運ぶ。飲み物は安物のパック紅茶に氷を入れて冷やしたもの。なんとも安上がりだが、これが祝杯というわけだ。

「まあほら、そんなことは忘れて食べておくれ。紅茶もガンガン飲んでいいし」

 未だに不満そうな顔をしているものの、とりあえず目の前のレモンパイの方を優先することにしたらしい。食欲なんてまったくなさそうな顔色の割に、綾はまったく躊躇することなく手を伸ばした。この辺はさすが、数ある乗り物の中でも最も過酷な操縦を強いられる二脚歩機のパイロットなのだ。

 二足歩行技術がほぼ確立した現在でも、人が乗り込んで操縦するものはほとんどお目にかからない。普段目にする「二足歩行する機械」は、九割方が人工知能を搭載した自律型である。

 その理由は主にふたつある、と私は考えている。ひとつは、人間と同じ動きをする機械に、人間が乗り込んで操縦する意味があまりないということ。生身でできることは生身でやればいいわけで、機械に乗り込んでやることはない、という話。もうひとつは、搭乗者に多大な負担がかかるということ。重心が高く不安定な乗り物である二足歩行は、普通に運用するだけでも結構な縦揺れが操縦者を苦しめる。その上常に転倒の危険が付きまとう。乗り物としてのメリットがあまりない上に危険。これでは普及しないのも当然だろう。

 ただし、それは実用上での話。人型ロボットに乗り込み、意のままに操る。それを夢見る人々は過去にも現在にも数知れない。その夢を叶えるために二脚歩機は存在していると言ってもいい。理屈ではないのだ。

 そんなわけで、その実用性の乏しさや危険性にもかかわらず、二脚歩機を使った競技はサッカーや陸上競技など、数多く行われている。特にサバイバルゲームが人気で、比較的小型で、かつ補助輪を付けて安全性を増した機体を用いるものが、アミューズメント施設内に用意されていることも珍しくない。

 そんな二脚歩機を使った競技の中で、最も過酷なのが格闘技戦である。ただでさえ危険な乗り物に乗り込んで殴り合いをするのだから、参加者の神経は異常としか言いようがない。あまつさえ、六メートルもある機体で逆立ちし、そこから蹴りを敢行するイカレたのまでいるわけだ。あまりに危険なため、国によっては全面的に禁止されているところもある。

 さすがにここまで危険な競技となると参加希望者は少なく、そもそもライセンスを取得するのも相当に難しい。その上一戦ごとに必ずといっていいほど機体は損傷し、莫大な経費がかかるため、スポンサーならともかく、チームオーナーになろうという企業はそうそうない。いまどき有人歩行機の技術力を誇っても、あまり意味がないということも要因としてあるだろう。

 参加する側にとってネガティブな要素が多数あるにも関わらず、しぶとくも廃れず、人気も根強い。それはやはり人型ロボは殴り合ってこそのものだという、二十世紀以来の伝統的な思想が今も生き残っているからなのだろう。無論私もその思想の虜だからこそ、無理に金を振り絞ってまで参戦しているわけなのだが。

「ま、なんにしろ、今回は修理代が少なくなりそうで助かったよ」

 私も席に着き、レモンパイを一切れ口に運ぶ。もうちょっと甘み抑えめでも良かったかもしれない。

「あの関節技は嫌がらせとしか思えなかったからな。よくあの程度の損傷で済んだよ」

「その辺はまあ、ちゃんと考えてますから」

 レモンパイをほおばりながら、器用に綾が喋る。と同時に、次の獲物に手を伸ばすのも忘れない。

「なるべくダメージが少なくなるようには、いつも工夫してますよ。ただ、今回は運が良かった、というのもありますけどね。相手がドラッヘの破壊より、私のグロッキーを狙ってきましたから。私としては普通に腕を折りにきてくれた方が楽だったんですけど」

 考えてる、というなら、あの逆立ち蹴りはないだろうと思うのだが……いや、あれも彼女なりには機体に優しい操縦法、ということなのかもしれない。とすれば、気兼ねなく操縦すると、どういうことになるのだろう。あまり積極的に知りたいとも思わないが。

「それにしても、ですね」

 片手にパイを持ったまま、紅茶をコップに注ぐ綾。

「これでベスト4進出なんですよね?」

「ああ。次勝ったら決勝進出」

 大会初出場で、かつプライベーターという足枷がある中で、いきなりの準決勝進出。その快挙に何か感慨でもあるのかと思ったら、綾はどちらかというと渋い顔をしてみせた。そうして、しばらく眉を寄せたまま黙々と紅茶を口にしている。何が言いたいのかは見当が付かなかったが、言葉を選んでいるらしい、ということだけは感じ取れた。彼女は考えるより先に言葉が出るようなタイプだから、これは珍しい行動といえる。

 やがて意を決したというか、考えても無駄だと悟ったというか。考えの整理が付いたというよりは結局それを放棄したという感じで、再び口を開く。

 案の定、出てきた言葉は簡素なものだった。

「こんなのでいいんですか?」

 しかし、簡素にもほどがある。当然のごとく聞き返す。

「つまり?」

「つまり――素人がいきなり準決勝に行ってしまうのが」

 それに対する私の返答ははっきりしている。しかし、当たり前の返答を望んでいるわけでもないのだろう。

「何か問題なのか?」

 綾が首を傾げる。いや、傾げたいのはどちらかという私の方なのだが。

 紅茶のコップをテーブルに置き、そのときもう片方の手に持ったままだったレモンパイを思い出したらしい。あっという間に口に放り込み、すかさず代わりに手を伸ばす。

「これ、おいしいですね」

「え? ああ。どうも」

 見事な食いっぷりをまじまじと観察されたのが気になったのか、と思ったが、別段そういう風でもない。単に思ったことを口にしただけらしい。

「こういうシンプルなの好きですよ。霧村さんらしいというか、ドラッヘもこんな感じですよね」

 ドラッヘとメレンゲレモンパイがどう繋がるのかは、よくわからんところではあるが。それにしても、口にあれだけものを入れたまま、よく普通に喋るものだ。

「霧村さん」

 不意に表の作業場の方から声がした。ウチのメカニックの一人、宮地だ。

「お客さんが来てますけど。玖島さん」

 玖島。その名前を聞いた途端、むやみに気持ちが沈んでいくのを自覚した。

「玖島が?」

「おいおい。あからさまに嫌がっている声を出さんでくれよな」

 突然割り込んできたその声は、それほど大声というわけでもないのに、やけによく通る声質。間違いない。

「一応建前上は、準決勝進出祝いに差し入れを持ってきたんだ。君も建前上は歓迎しろ」

「何持ってきた」

「骨付きチキンとシャンパン。あと、サラダもある。どうせ手作りケーキしか用意してないんだろ?」

「わかったわかった。とっとと入れ」

 ほどなくして、玖島の奴がこちらに入ってくる。確かに両手に大げさなポリ袋を三つも下げていたが、その服装は予想の通り隙のないビジネススーツで、明らかに仕事の話をしに来たことがわかる。だいたい、たかが準決勝進出を決めたぐらいで、こんな祝いものを持ってくること自体がおかしいのだ。

 綾に大げさな会釈などしながら、玖島は手早くポリ袋から次々と「差し入れ」を並べる。シャンパングラスや皿まで持参したらしい。さきほどまでの貧しいパーティ会場が、あっという間に華やいだ。

「さ。島津さん。遠慮せずにお召し上がりください。今回の主役は貴女ですからね」

「どうも」

 グラスに注がれたシャンパンを、勧められるままに飲み干す綾。突然のごちそうを前に、平静を装いつつも心なしか浮かれ気分……と言いたいところだが、表情と声色を伺う限り、気分の高揚など微塵も感じ取れなかった。むしろ島津さん、と呼ばれたときにちょっと眉をひそめたような気もする。なんにしろ変わらぬ顔色の悪さで、それでもチキンにはしっかり手を伸ばす。

 ただ、それを一口した瞬間、ようやく少しだけ驚いた表情を見せた。

「あれ? その辺のチキンじゃないですね」

「さすがは島津さん。違いのわかる方だとは聞いていましたが、一発で見破るとは」

「誰から聞いたんだそんなもん」

「今日のめでたき日のために、特別に持ち帰り用で作ってもらいました。マツムラという創作料理店の、インド風フライドチキンです。ベースはタンドリーチキンですけど、衣がパリパリしててなかなかオツでしょう?」

 聞いたことのない店名。そもそも料理店には詳しくはないが。おそらく一流ホテルにでも構えるところなのだろう。職業柄、奴はそういうところに顔が利く。しかし、こんなくだらない芝居のために特注の料理まで作らせるとは、なんとも無駄な凝り性というか。ここまで大仰に馬鹿馬鹿しいと嫌みすら感じない。その人脈と権力に素直に呆れられる。

 しかし、私は回りくどいのは好きじゃない。

「チキンの講釈はいいから。本題に入ってもらおうか」

「ふむ」

 とりあえず、という風に、玖島は自らシャンパンをグラスに注ぎ、それを飲み干す。

「本題に入る前に、いちおう釈明をしておこうか。この差し入れは嫌がらせでなく、純粋にプライベーターとして戦ってきた君たちへの、オレなりの敬意を表したつもりなんだ。もっぱら島津さん向けに、だけどな」

 玖島がちらりと綾を見やったが、彼女のほうではすでに玖島は視界から姿を消しているようだった。相変わらずの表情で、黙々とサラダを皿により分けている。

 しかし玖島も余計なことにこだわる。奴の言うことを真に受けられるかどうかも疑問だが、そもそもそんなことは知ったところではない。

「そんな釈明はいいから」

 急かす私を手で制しつつ、玖島はグラスを置く。

「君に依頼があってな。内容は開発中の新型FAとの模擬戦。君らが使用する機体はこちらで用意させてもらう」

「おいおい。ちょっと待て」

 こちらの制止に玖島は肩をすくめた。

「そっちの家業は廃業した、と言いたいんだろ? それは当然知っている。わかった上で頼んでるんだ」

 綾の方を見やると、黙々とサラダをかじっている。

「それに実戦というわけじゃない。特殊な空包を使った、かなり安全なものだ。まあ、小遣い稼ぎくらいの気軽な気持ちで受けてくれればいいんだが」

「お前は悪徳セールスマンか!」

 思わず相手の胸ぐらを掴みそうになるが、それはなんとか堪える。

「わかるだろ? 軍に関わること自体が嫌だと言ってるんだ。そんなもんに関わって、ろくなことにならないのは、お前だって知ってるだろうが」

「いやあ、そんなに難しく考える必要は……」

「それに、だ。気軽で小遣い稼ぎなアルバイトなら、なぜわざわざ俺に頼む? 他にやりたがる連中だっているだろうに」

 詰め寄られ、言葉に詰まる玖島。こっちが睨み付けるのに視線を逸らす。

 綾がサラダを突っつく音のみが響く。いつの間にやらフォークなど、台所から取ってきたらしい。

 と、大きく息を吐く音が聞こえた。

「まあ、とにかく最後まで聞け。聞いてしまったら後戻りできないとか、そういう姑息な引っかけをするつもりはないから。聞いた後でやるかやらないかは決めてくれ」

「できれば聞きたくもないから、そのままお引き取り願いたいところだが」

「わかったわかった。じゃあ、しょうがない。肝心なところから話すか」

 なんとなく玖島の声色が変わった。先ほどまでは冗談めかしていながらもビジネスライクな感じだったのが、本当にわずかだが崩れたような感じ。なんとなく嫌な予感が走る。

 玖島はグラスにシャンパンを注ぎ、口を湿らせるように一口した。それからひとつ咳払い。

「実は、とあるテロ計画があるんだな」

「は?」

「人が人を模したものを造るのは神への冒涜だと主張する過激な組織があって、そいつらはあらゆる人型機械を破壊して回っている」

 話が見えずに呆然とする私に、奴は嫌な笑みを返す。

「問題はそいつらの次の標的だ。――二脚歩機格闘トーナメントの妨害」

「なっ……」

「具体的な計画はわからない。出場機体に時限爆弾を仕込むのか、会場自体を爆破するのか。もしくは準決勝進出チームの中に、奴らの尖兵が潜んでいて、試合中に突然客席を襲うなどすることも考えられる。

 ともかく、このテロ計画を、調停機構は全力で阻止する。これも報酬に入っていると思ってくれ」

 あまりにわけのわからない話に、何と言っていいかわからない。こんな無茶苦茶な脅しがあるだろうか? 世界規模の公的機関が、たかだか一人を脅すためにテロ計画まで立案しようというわけだ。

 無論、私がこの話を蹴ったとして、本当に馬鹿げたテロを行うかと言えば疑問である。普通に考えたらメリットなど何もない。だが、そんな無茶ができるだけの力を奴が持っていることも事実なのだ。奴ならテロ組織の仕業に見せかけて仕事をするのは造作もない。

 瞬間、私の脳裏には、あのときの村の様子が蘇った。こいつらは戦争と関係ない村を潰すことに何の躊躇もしなかった連中だ。その辺のことを私が知っているからこその、この脅しなのだろう。

「……なんでそこまでして、俺にこだわるんだ?」

 無意識に私は奴を睨み付けていた、と思うが、奴はまるで意に介さず、気楽な様子でひらひらと手を振りながら言った。

「間違いなく信頼できて、腕の立つ二脚歩機パイロット――というのは、まあ、そうはいないもんなんだな。そもそも二脚のパイロット自体が希少というのもあるが」

 私は腕を組んで、しばし考えを巡らせた。この大事な時期に、面倒なことは御免である。できればトーナメントの方に集中したい。あと、こいつは何かとむかつく奴だ。だが――脅し云々を置いても、奴に借りがあるのも事実だ。

 私の口から、深いため息が漏れた。

「――聞くだけは聞こう」

 その言葉が終わりきらないうちに、もう絶対逃さないとばかりに玖島はもみ手をしながら話し始める。

「概要はさきほど話した通り。新型FAとの模擬戦。ウチが次期採用予定のFAの試験の一環というわけだ」

 FAというのは、軍事用の無人制御プログラムの総称である。本来は"Force Angels"という規格に則ったもののみを略してFAと呼ぶが、似たような役割を果たす規格外のプログラムもFAと呼ぶ。その場合は"Forced Autopilot"の略とかなんとかこじつけるらしいが、その辺はどうでもいい。

 つまりは、人間の代わりに戦闘機や戦車などを操縦する人工知能のことを指すわけだが、それが転じて、無人化した兵器自体もFAと呼ぶようになった。

「で、そのFAは何なんだ? 俺に頼むあたりからすると、やはり二脚なのか?」

 当然の疑問であり、そういう質問をされること自体は予測していたはず――だが、玖島はちょっと困ったような顔をする。

「いや――実は、なんと言っていいかわからないが……」

 しばらく唸った後、ようやく言葉を繋ぐ。

「今回開発中なのは、何というか――中隊なんだ」

「中隊?」

「そう。君も知っての通り、従来のFAは突撃するか撤退するか――まあつまり、単純な行軍しかできない上に、いちいち管制の指示が必要だった。

 今回の計画は、作戦と現場の状況に応じて、独自の判断で行動できるFA部隊を開発することなんだ。そのためのハードとソフトを開発している。単純に一個の兵器、というわけじゃないんだ。

 つまり今回の模擬戦は、人間と人工知能との知恵比べという様相になる。もちろんパイロットとしての手腕も問われるが、一番重要なのは、作戦を理解し、効率的な行動を取れるかどうかだ。その辺に関する眼力を持っていて、かつ我々にとって都合のいい人間となると、まあ、君しか考えつかないわけだな」

 なるほど。無茶苦茶な脅迫をしてまで引退した私を引っ張ってこようとしている理由が、ようやくわかってきた。

「――相変わらず、人を乗せるのがうまいな。悪徳商人めが」

 気乗りのしない話だったはずだ。組織になど関わりたくない。いいように使われ、捨てられるような、操り人形のような人生など送りたくないと思ったからこそ、こうして意地を貫いてやってきたはずだった。しかし――

「……で、まさか一個中隊相手に俺一人で戦う訳ではないんだろ?」

「当然だ。君のツテを使って人選をして欲しい。陸上兵器のパイロットだ。腕もそうだが、口が堅いのは絶対条件。どうしても捕まらないのならウチの連中を充てる。あとはメカニックその他のサポートスタッフだが、それはこちらで用意する。もちろん君が望むなら、君が信頼できると思うスタッフを連れてきてもいい。任せるよ」

 人工知能との知恵比べ。それがどうしてこうも私の血をたぎらせるのだろう。人工知能は言うまでもなく、人間が造り出したものだ。だから創造主の人間に敵うはずがない――というのは、ある意味で誤解だ。

 私は私一人の能力しか持ち得ないが、人工知能は、あらゆる種類の人間によって創造され、その中身も、過去のありとあらゆる事象からデータを収集し、叩き込まれているはずだ。少なくとも人間がセオリー通りの戦術と採れば、人工知能は過去のデータから行動を推測し、適切な対処をするだろう。土壇場でそれら知識を組み合わせ、新しい戦術を生み出す創造性まで持ち得ているかどうかまでは、私の知るところではないが。

 人工知能との対決は、ある意味で過去の著名な戦術家達全員を相手にした勝負だと言えなくもない。

 ともかく――認めなくはないが、明らかに私の表情は今、いきいきとしているのだろう。すでに私の頭の中では、過去、共に戦った戦友のリストが検索されている。

「ところで、肝心なところを聞かないんだな」

「ん?」

 一旦頭の中の検索を中断し、玖島を見る。やけにニヤニヤとしているのは、私のやる気を見て取ったからなのか。

「報酬だよ。まさか無償で働く気ではあるまい?」

「――ああ」

 昔の私は、とにかく真っ先に聞いたのが報酬だった。それは単に意地汚いからではなく、どちらかというと責任によるものが大きい。つまり、戦友の命の価格はいくらなんだ――という。

「聞こう」

 玖島は一層ニヤニヤと笑い、もったいぶってすぐには話さなかった。わざと私に対して横を向き、ゆっくりとシャンパンを手に取り、それを注ぐ。

 そしてそれを飲み干し、いつの間にかポケットから抜いていたハンカチで口を拭き――そうしてやっと、向き直る。

「現金による報酬も当然、相場以上に用意してある。それプラス、これはまあ、無理を聞いてもらった事に対する詫びのつもりでもあるんだが――」

 わずかな間。

「――アーキテクト・コーポレーションのサポートが受けられるように手配した。つまり、君のドラッヘのCPUチューン等を依頼できる」

 アーキテクト・コーポレーション。企業としては私のショップと同じくらいの弱小規模だが、ソフトウェアの開発においては世界屈指とも言われるところだ。本業ではないが、必要に応じて一点ものでハードウェアを製作したりもする。

 と同時に、社長が相当な変わり者だそうで、滅多なことで仕事を受けないことでも有名だ。儲けようと思えばいくらでもその機会はあるのに、とにかく気に入らないと、どんな高額を積まれても仕事をしない。オフィスも広げようとしないし、人員も増やそうとしない。そのくせ気に入った仕事となると、そのプロジェクトのためだけに専用の工場を建設し、高価な機材を惜しげもなく注ぎ込んだりする。そしてプロジェクトが終わると、あっさりとそれを破棄してしまう。本当に道楽でやっているような会社だと聞いている。

 アーキテクトのチューンを、予算を気にすることなく受けられる――まさしく夢のような話である。少なくともこの業界で喜ばない人はないだろう。しかし、私の心中は暗雲が立ちこめるような気分だった。

「まさかお前、あの会社まで脅したんじゃないだろうな」

 こちらの懐疑の視線を、玖島はひらひらと手を振っていなす。

「あそこの社長は、夫や一人娘を人質に取ったって言うことを聞かないよ。あれに無理強いさせるのは不可能だと思うね。――まあなんだ。今回のプロジェクトに、アーキテクトは多少関わってるんでね」

 私は思わず立ち上がった。

「まさか、今度戦うFAって、アーキテクト製なのか……?」

「いやいや。そうじゃない。落ち着いてくれたまえ」

 ――まあ、冷静に考えてみれば、あのアーキテクト社が量産できる製品など作るわけもないか。変に過剰な期待をした反動で一気に力が抜けてしまい、私は倒れるように座り直した。

「アーキテクトが開発しているのは、今回のFAじゃないんだ。あんまり詳しくは言えない……というか、言ってもいいけど君に迷惑がかかるのも何だから言わないわけだが、調停機構のHAシステム開発に携わっている。で、そのシステムの中に、今度開発する中隊FAを管理する仕様を組み込もうとしている、というわけさ」

 HAとは"High Angel"の略称で、FAを管制、指揮する人工知能のことである。現状のFAは人間によって管制されており、HAのシステムは実験段階に留まっているが、ゆくゆくはHAによる完全自動化が進められるのだろう。

「アーキテクトが、軍のシステムに携わるとはねえ……」

 感慨と共に呟く。と、玖島からどうでもいいツッコミが来た。

「さっきから、どうも君は勘違いしているような気がするんだが、調停機構は軍じゃないよ。軍と軍との戦いをジャッジするところなんだから」

 私は鼻を鳴らす。

「どう言ったって、兵力持ってるじゃないか。兵力あったら軍だろ」

「君がそういう定義で軍と呼ぶなら、仕方ないね」

 玖島は話にならない、といった調子で両手をちょっと挙げてみせた。

「――それで? だいたいこっちの話は終わったが、君としてはどうなんだい? 結局、受けるのかどうか」

「受けよう。だが、できればもうこんな話は持ってきて欲しくないもんだね。そっちも報酬に入れて欲しいところだが」

「わかったわかった。いいだろう」

 むろん、こんな軽々しい返事を信じた受けたわけではないが。ただ、今回のような強引な手を何度も使われるのは御免だから、少しでも釘を刺しておこうと思ってのことだ。

 ――いや、どうだろう。正直に言えば、私はすっかり玖島の話術に騙されきっていたのかもしれない。すでにどこか心の底では、よくぞこの話を持ってきてくれたとすら思っていることを否定できなかった。

 人工知能との対決。そして、直接関係ないらしいにしろ、あのアーキテクト・コーポレーションの請け負った仕事と関わりを持てること。今までのどんな仕事よりも高揚し、動悸が激しくなるのを止めることができなかった。この時だけは、トーナメントの準決勝のことすらも忘れていたほどに。

「では、資料を提供しておく。七日間で人選を行い、連絡してくれ。その時点で足りない人員がいれば、言ってくれればこちらで用意する。――ま、君ならこの人数を集めるのは訳あるまいがね。正式に契約を交わすのは現地にて、ということにしよう」

 鞄など持っていなかったはずなのに、一体どこから取り出したのか――差し出されたB5サイズの紙束を受け取り、私は頷いた。

「じゃ、邪魔したね。食器は好きにしていいから。では」

 来るときの荷物はすっかりと消え、空手になった玖島は手を上げると、あっという間に去ってしまった。

 彼の閉めたドアを、私は呆然と見つめる。手には紙束を持ったまま。

「ところで」

 ようやく私は我に返る。玖島が持ってきた物資は、すでに半分ほどなくなっていた。綾はフォークを手にしてこちらを見ている。

「ん? ああ、いいよ。遠慮しないで。全部食べても構わない」

「いえ、そうじゃなくて」

 もちろん、いくら綾でも全部食べきれるわけがない。半分冗談だ。そんなに大食いじゃないとか、気を遣ってみんなの分残してあげたのにとか、あまりフォローになってない釈明だか抗議だかをしてくるかと思いきや、そっち関係の話題ではないらしい。

「私も参加できるんですか? それ」

 綾が目線で指したのは、手の中にある紙束だった。

「ああ、構わないよ。ウチのスタッフはみんな使うつもりだから、一人くらい混ざっても――」

「いえ、そうじゃなくて」

 普段、あまり機械ものに興味のなさそうなそぶりをしている割に、軍の極秘模擬戦とやらには興味があるのかと、少し意外な感じもしつつの返答だったわけだが……そういうわけでもないとすると……

「参加できるか、ということなんです。つまり、パイロットとして」

 私は驚きの声をあげた。

「いや、いくらなんでも難しいだろ。一対一の格闘競技とはあまりにも状況が違う」

「そうですか?」

「正面切って戦うことなんかまずないし、格闘戦になることはもっとない。なによりチームを組んでの戦闘になるから、その技術と知識を七日で……となるとな」

 綾はなんとも言わなかった。特に落胆したようでも不満そうでもなく、ただこちらを見つめている。

「まあ、今回は――と言っても、もうこんなことを引き受ける気はないが――見学だけにしておいてくれ」

「聞いてみただけですから」

 そっけない返事と態度からは、彼女の真意はなんともつかめない。それっきり黙々と、残ったサラダを平らげていく。

 と、再びフォークの手が止まる。

「データログは取るんですよね? それは見ても構わないんですか?」

「作戦行動中の記録か?」

 開発中の新型のテストを兼ねているのだから、当然、作戦中のモニター映像や計器類の動きなどは記録するのだろう。もちろんそれは貴重な資料ということになり、関係者以外の手に触れるのは避けるべきだろう。しかし、綾に見せる分には問題ないだろう。スタッフということで参加させておけば、建前上の体裁も付く。

「まあ、いいんじゃないかな。持ち出しや複製はダメだけどな」

 それきり綾は、サラダを片付ける方に集中しだした。こちらも資料に目を落としながら人選を固めていく。もっとも、それはそれほど悩むような作業でもない。ひとつのツテを探っていけば、簡単に頼れる戦友が必要人数は集まってしまうわけなのだが。玖島が私を必要としたのは、パイロットとしての資質と言うよりは、そちらのほうなのだろう。

 ともかく――私は立ち上がると、部屋の隅にある受話器を手にした。

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