竜とアリスの舞踏会
涼格朱銀
プロローグ
臓腑の色など見たことはないが、自分のは黒だと言い切れた。その時はそう思った。
――間に合わなかった。
仲間を捨ててまでやってきて、結局一人も救うことができなかったのだ。
敵は全て排除した。自分の仕事としては達成した、と言えるかもしれない。しかし、それが何だというのだ。
モニター越しに見る村は、すでに墓場と化していた。つい数日前に通りがかったときは、ここには岩塩抗で行き交うキャラバンを相手に、寝床や食料、飲み水などを提供して暮らす営みがあった。今、目に見えはしないが、あの瓦礫と化した建物の下では多くの人々が潰され、あるいは埋められて亡くなっているだろう。その周辺には、点々と戦車やホバー艇といった兵器の残骸が転がり、黒煙を吐き続けている。動いているものはない。
動いているのは、私の機体だけだ。――いや、それも、まともに動くかどうかは怪しい。左腕大破、右脚関節部破損、メインラジエーター破損……ステータスパネルには赤々と異常を伝える表示が並んでいる。
『……バアル、バアル!』
無線から声がする。……いや、先ほどからずっと呼びかけていたのかもしれない。俺は首を振って気を取り戻そうとする。
「こちらバアルリーダー」
『クロセルリーダーだ。こちらは全滅。作戦は失敗だ……済まない』
「わかっている。謝ることはない。俺のミスだ」
目を落とすと、操縦桿を握りしめている自分の両手があった。あまりにも強く握りすぎたため、すっかり血の気を失っている。引きはがすようにして手を離す。それから、ゆっくりとシートへと身体を預けた。
俺は――何を震えているのだろう?
真っ白な頭の中で一点だけ妙に醒めた部分があって、そいつはいかにも不思議そうに首を傾げながら俺を見つめている。そいつは金縛りのように身体を動かすことすらできず、ただ荒い呼吸をするばかり。全身は冷や汗で冷え切り、無精髭の散らばる顔は青白い。動揺しているようでいて、彼の心中に良心の呵責などは芽生えていないらしい。作戦が失敗したこと、住民を救えなかったこと、自分のせいで犠牲者を出したこと。それについて後悔も反省もない。ふりをしているだけだ。本当は自分の責任でないと思っているのだし、事実、そうだから――少なくとも、彼の立場から言えば事実だ。死の淵に立たされたことへのショック、というわけでもなさそうだ。今日くらい死にかけたことは何度もある。
ならばなぜ、彼はこんなに死人のような顔をしてあえいでいるのだろう?
なんだか妙におかしくなり、笑みがこぼれる。何がおかしいのかはさっぱりわからないが、ともかく声も出さずに笑った。
そうすればいくらか気持ちも落ち着いてきた。痺れるような頭の拘束も、波が引いていくように解けていく。
息を吸って、吐く。どうやら呼吸も戻った。
こちらの回復を待っていたかのように、無線から再び声がする。
『……バアル。調停機構のエージェントを名乗る奴が、お前さんにコンタクトを取りたがっている。繋いでもいいか?』
「調停機構?」
敵の関連組織が何の用だというのか。面倒くさい。
興味があるわけでもなかったが、作戦も失敗し、敵らしき姿も見えない今、そういう意味では暇を持て余しているのも事実だった。
話くらい――聞くか。
「繋いでくれ」
クロセルからの通信が切れる。ややあって、別回線からの通信を確認した。
『いやあ、ようやくつかまえた』
戦場にあって、のんびりとした声が、狭いコックピット内にやたらと響く。軍人ではないこと――少なくとも、現場で戦うような連中でないことは一聴してわかる。
『バアルだね? 「赤い本」のリーダーの。マスコットネームに悪魔の名前を付け合うのも面白いけど、社名が「赤い本」ってのも面白い。前々から君らのことは注目していたんだ。
君らの作戦は素晴らしかったよ。実際危ないところだった。ただ、運がなかったね。暴走した所属不明のFAに襲撃されている村を救うために戦力を割かなければ、狙い通り刑務所は落ちていただろう』
暴走? 所属不明? よく言う。
件の刑務所を襲撃、占領し、捕虜に対する非道な仕打ちを世界に報じれば、こちらの士気は向上し、世界連合軍の名誉は失墜する。それ防ぐために茶番を演じたことは間違いない。しかし、そんなことをここで議論しても仕方ない。相手は否定するに決まっている。
『だが、いずれにせよ君の労苦は報われなかったよ。本日一四○○に君のところの政府と世界連合は停戦した。戦争は終結したわけだ』
俺は傭兵に過ぎないから、「君のところの政府」というのは語弊がある。だが、いちいち指摘する気も起きず、聞き流す。
『君の部下は――何人かは戦死したが、生き残った者はこちらで全員拘束している。負傷者には医者とベッドを用意させてもらったよ。彼らの身柄を材料に、君と取引がしたいと思ってね』
「内容は?」
『話が早くて大いに助かるよ。なに、そんなに無茶な事じゃない。調停機構の顧問として二年間働いてもらいたい。もちろん給料も出す。任期の後は好きにしてくれたらいい。君が応じてくれたら、部下達はこの場で全員解放だ。表向きには戦死したことにしてね』
なんとも至れり尽くせりの、都合のいい話だ。胡散臭さが鼻を突くほど漂っている。
「……ずいぶん妙な話だな」
懐疑の色をあからさまに湛えた声に、しかし相手は動じることもなくマイペースに笑う。
『なに、すこぶる単純さ。要は君の腕を買っているということ。こっちにはこっちの都合があってね。世界連合に頭を下げずに軍の増強を計りたい。そのためのブレーンを欲しているわけだ』
「その辺の細かいことはいい。だが、本当か? 本当に仲間を即刻解放するのか?」
『嘘はない。ついでに本人のご希望とあれば、亡命の面倒くらいは見よう』
通信機越しのことなので、解放云々以前に、仲間が拘束されていること自体が狂言である可能性ももちろんあった。仮にそこが事実だとして、本当に仲間は解放されるのか。怪しいものだ。敵同士での裏取引の口約束など、なんの保障もない。
しかし、いずれにせよ、悩むという高尚な精神活動を行う余地など俺には残されていなかった。敗者に事実を知る権利もなければ、選択権もない。唯一残されているとすれば、自らの命を手放すことくらいだろう。それも拘束されていなければ、の話だが。
俺は長いため息をつき、それから言った。
「わかった。応じよう」
『ありがとう。では、迎えをやるよ。二十分ほど待ってくれ』
通信が無言になると、もはや俺には、できることも、することも残っていない。機体の動力を落とし、ヘルメットを脱ぐ。そしてゆっくりと目を瞑った。
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