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気配に振り向くと、玖島がこっちへ歩いてくるところだった。手にはコーヒーカップを乗せたトレイを持っている。
「ようやくここが使えるようになったな」
窓越しに見える、夕焼けに染まった山の方に目をやっている。確かにここだけ見れば風流なのかもしれない。しかし少し視線をずらすと、廊下側の壁には大穴が開けられ、谷側の壁一面の窓ガラスも半分ほど割られたまま、はまっていない状態になっている。コンクリートの残骸やガラスの破片等はすでに片付けられたものの、ほとんど廃墟と変わらない吹きさらしの室内は、いろんな意味で寒々しい。もっとも、このような有様にしてしまったのは私のせいなのだが。
空いている手で隣のテーブルにあったイスを引きずると、私に向かい合うように腰を下ろす。
「キャロル工業の担当者が泣いてたぞ。ここ数日、お前に関わったヤツはことごとく大破してるからな」
音を立ててトレイを置くと、さっそくカップを口元にやる。……と、ここで、こいつがコーヒーをひとつしか持ってこなかったことに気付いた。
「おいおい。自分だけ飲むのか? それ」
「なんで君に差し入れなんかせにゃならんのさ。おかげで大損害だって今言ってるだろ。お前にやるコーヒーなんかないね。自分で淹れろ」
玖島はそう言ってわざと音を立ててコーヒーを啜る。
「模擬戦をナメたらいかんよ。多少の損害はあってしかるべきだろ」
「程度の問題があるだろ。なにもいちいち本気で壊さなくてもさ。ついでに初日からご本人まで壊しちまうし」
言われて何となく、頭の包帯に手をやる。初日にバイザーの破片で額を切った時のものだ。もっとも、壊すと表現されるほどたいした怪我でもない。この傷だって包帯を巻いているが、ヘルメットを被るときにガーゼが動かないようにするためのもので、見た目ほどの惨事ではない。縫うまでもなかったほどだ。その他は数カ所の打ち身。表面的なダメージばかりで、骨や内臓には何ら支障ない。首をはじめとしていろいろ痛むが、むち打ちなどの大層な病名は付かなかった。
しかしまあ、確かに実戦で子供のケンカのような戦い方をすることになるとは、自分でも思わなかった。少なくとも昔の私ならやらなかったろうし、そもそもK9は格闘戦を想定して設計されていない。銃撃で吹っ飛んだことに「なっていた(模擬弾だから被弾した段階では実際には壊れていなかった)」右腕も、実は軸にして跳んだ時点で骨格部がひん曲がり、その圧力で動力パイプが破損して、本当に使い物にならなくなっていたらしい。どうも綾から悪い影響を受けてしまったようだ。これでは人のことは言えない。
「おまけに施設までこの有様だからな。……まあ、君がいつでも全力で本気なのは知ってたけどな。想像以上だった」
玖島の視線に釣られて、再び風穴の開いた窓に視線をやる。
「あの物資は、私の家に着いている。必要なら返すが」
「別に。ただの鉄の塊だしな。……しかし、あんな奥の手があったとはねぇ。なるほど、あれはつまらん見せ物だったな」
西棟が占拠された時のことを考えて、私は密かにグライダーを持ち込んでいた。物資をグライダーに搭載して、東の谷へと飛ばしてやったわけだ。ただ、急ぎで飛ばす必要があったことと、屋上へのアクセス方法がわからなった――そもそも屋上があるのかも知らないが――ために、ここを爆薬で吹っ飛ばし、風穴を開ける必要があった。
模擬戦の趣旨としては外れた手段なだけに、本当に使う事になるとは思っていなかった。結局、研究所内に敵の侵入を許し、西棟は占拠されてしまったのだ。全然勝った気がしない。ケンカに勝って勝負に負けた、というやつである。
本格的な実戦方式だったのはあの初日のみで、後は限定された状況での試験――一対一で射撃戦を行ったり、包囲された状態での挙動を見たり――ばかりで、リベンジの機会は得られていない。
「――正直なところ、どうよ。あの新型機は」
玖島はなぜか声を潜め、顔を寄せてきた。私はイスの背もたれに身体を預け、遠ざける。
「どう正直に言って欲しいんだ? 単純に戦った感想なのか、それとも客観的な批評なのか」
「おや。それによって見解が変わるのか?」
「そりゃ変わるだろ。単なる感想なら、実質的に負けたことについて素直に認めなきゃならないが、批評ならもっとデータを分析して慎重に意見する必要がある」
「いや――まあ、たぶん君ほどじゃないにしろ、その辺についてはわかってるつもりなんだが――」
何を慌てているのか、玖島が頭を掻く。
「つまりその――どっちにしても高評価が得られると思ってた」
「そりゃ甘いよ。確かに模擬戦では実質的に勝った、と言っていいわけだが、結果だけ見て評価してもしょうがない」
もちろん、負け惜しみで言ってるわけではない。これが実戦なら、結果が全てという考えで間違いはない。だが、これはテストである。
「で、だ。個体として見たとき、あれが特に強いとは思わないな。多少は私達の戦い方を研究した対応をしてるようだから、その分私達が苦戦しているのは事実だ。が、従来の戦い方でない――まあ、極端に言えば殴ったりつかみ合ったりということだが、そういった手段に出られると途端に手数が少なくなる。あの辺の応用力のなさは、さすがにFAだと言わざるを得ない。もっとも、あれは人間を殺さないように手加減してたからかもしれないけどな。そこのところは私にはわからない」
仮に手加減しているとすれば、初日に刺突武器を振り回してきた奴がいたのはなんだったのかという気もするが。あんなものでコックピットを貫かれたらさすがに生きていなかったと思うが、寸止めするつもりだったのか、別の箇所を狙うつもりだったのか。
ともかく、私は続ける。
「ただ、部隊としての統制が恐ろしく取れているのが印象的だな。普通FAが苦手とする乱戦の中でもほとんど連携が乱れなかったし、その中で脅威となる敵を判断して集中的に狙ったり、弱い箇所を判断して攻め込んだりといった指示に素早く対応できている。ただし、こちらから仕掛けた攻勢に対しての対応は、的確ではあるものの遅い。敵に主導権を握られると、一気に崩れる可能性はあるかな」
普段の、常にどことなく遊びを残した表情とは違い、玖島は妙に真剣に私の話に聞き入っている。手に持ったカップを置くことも忘れているほどだ。そういえば、いまさら思い出したが、こいつは渉外役であって、調停機構軍の所属でもなければ、開発計画の担当者でもないはずだ。よく考えたらこんなところに顔を出して、熱心に感想など聞いていること自体、変な感じではある。本当ならもっと他に聞くべき人間がいるんじゃないかと思うのだが。
「さすがによく見てるんだなあ」
玖島は一瞬、苦笑いなど浮かべた。
「そのために雇われてるからな」
「そりゃそうだが」
不意に冷たい風が流れ込んできて、思わず身震いする。暖かい季節でも、山の中の夕方はさすがに寒い。いくら見晴らしがいいからといって、こんなところで喋っているのもどうかという感じだ。
「場所、移さないか?」
私が言うと、玖島は意地悪く返した。
「なんだ、だらしないな。この程度で音を上げるなんて」
「コーヒーで手を暖めてる奴に言われたかないね」
両手で抱えるようにしたカップに視線を落とし、玖島は笑った。中のコーヒーを飲み干すと、トレイを持って立ち上がる。そうして二人でここを出た。
「そういや、綾はどうしてる?」
廊下を並んで歩きながら、ふと、綾のことを思い出した。玖島は知らないと言い、少し考えてから続けた。
「また君らのデータログでも見てるんじゃないか? ここんとこ、ずっとモニターに釘付けだからな」
確かに、最近見かけるのはモニターの前に座りっぱなしの姿ばかりだ。こっちの方も玖島と同じく、実際にそのデータを必要としているであろう計画関係者以上に、やけに熱心である。
あとは、夕方頃にパイロットスーツ姿で歩いているのにすれ違うこともあった。こちらの仕事が終わった頃を見計らって、ケーニギンネン・ドラッヘのデータ取りや稼働試験などをしているらしい。アーキテクトは本当に、本業の合間を縫ってあれのチューニングを完成させてしまうつもりらしい。
当然ながら、大会参加を決めた際にはアーキテクトのチューンを受けられることなど計算に入っていなかったし、それがなくても優勝できるだけの準備と作戦は用意しているつもりだ。その上、準決勝に間に合うほどの短期間でチューンを完了させるとは思っていなかったから、この報酬に関しては、はっきり言って全く期待していなかった。今でも、そういう意味での期待はしていない。資金が尽きるなどのアクシデントさえなければ、綾とスタッフの力だけでも充分勝機はある。
しかし、私の機体をアーキテクトがどう手がけるか、という興味は、ここ二、三日で急に膨らんできていた。
ともかく、二人で話し合った結果、とりあえず綾の様子を見に行くということになり、私達は西棟へと足を向けた。データ室は西棟の地下にある。
エレベーターホールでエレベーターが昇ってくるのを待っていると、階段の方から足音が聞こえてきた。確かこの施設の地下は結構な深さがあったはずで、下りはともかく上るのは大変だろう。一体どこの元気な人なんだと思っていたら、見えてきたのはアーキテクトの社長だった。
社長は私らを見るなり、切らせた息の合間に言った。
「ああ、いいところで」
社長は残った力を振り絞るようにして階段を駆け上がり、それから両膝に手をついて崩れそうになりながら呼吸を整えようとしている。
「何かご用で?」
「ええ。……ま、本当に、用があるのは、綾君のほう、だけどね……」
社長は喘ぐように言った。
「あれ、島津さん、データ室にいないのか」
私の言葉に、社長は顔を上げた。
「上に、いないのかい?」
「いや、下にいると思ってたから、ちゃんと探したわけじゃないんだが」
上で思い当たるとすれば、この西棟の三階にある彼女の個室だろう。エレベーターがやってきたので三人でそれに乗り、三階のボタンを押す。扉が閉まり、わずかに重力を感じたそのとき、突然警報が鳴り出した。
思わず天井の小さなスピーカーの方に視線を向ける。
『Gブロックのセキュリティシステムがダウンしました。Gブロックのセキュリティシステムが……』
録音であろう、抑揚のない女性のアナウンスを繰り返し聞こえる。私達は誰も言葉を発しなかった。
再び軽い負担の後、扉が開く。私はすぐに閉ボタンと地階へのボタンを両手で同時に押す。
再び扉が閉まり、今度はエレベーターが下りはじめたところで、玖島が上着の内ポケットから無線らしきものを取り出した。
「玖島だ。状況を」
無線の奥の声は、アナウンスと警報に紛れて、意味がわかるほどには聞き取れない。
「わかった。すぐに行く」
無線を懐に収めながら、玖島は私に言った。
「詳しい状況はわかってないらしい。Gブロックの監視カメラは全て電源が落ち、入り口の扉はロックがかかって入れないそうだ。とにかく行ってみるしかないな」
「何があるんだ? そこには」
私の問いに玖島が何か言いかけたとき、遮るように電子音が鳴った。社長が携帯電話を取り出す。
「どうした? ……そうか。わかった」
電話を切り、社長はゆっくりと顔を上げる。そこにはあいまいな苦笑いのようなものが浮かんでいた。
「やあ、まさかこう来るとはね。さすがというか、想像以上だよ」
「オレらにわかるように翻訳してくれないか?」
焦れたような声は隠しきれなかったが、努めて平静に問う玖島に、社長はわずかにためらうように視線を逸らした。しかし、すぐに意を決して向き直る。
「綾君だよ。チューンの終了したケーニギンネン・ドラッヘを持ち出したらしい」
玖島と私は、ほぼ同時に驚きの声をあげた。わけがわからない。
「あ、いや、待て。あいつは裏工作のプロでもなんでもないぞ。なんでセキュリティを切ったりとか、そんな頭が回るんだ?」
私のこの問いかけは、誰に言ったものでもなく、ただ思ったことがそのまま口に出ただけだったが、それに答えたのは社長だった。
「うん。まあ、私が教えたんだ」
社長はずいぶんと平然と言ってのけた。……いや、さすがにその声色には様々な感情が混ざっているようだったが。
「まあ、いま、詳細を話している暇はないからね。ともかくいろいろあって、綾君は私の入れ知恵を応用して、HAアルファを破壊しようとしている」
「この計画の核、開発中の調停機構軍司令コンピュータだ」
私が問うより早く玖島が補足する。確か以前、玖島がそんな話をしていたような気がする。アーキテクト社がHAを開発しているとか。そのアルファというのがそうなのかもしれない。
しかし――理由がさっぱりわからない。綾がそんなものを破壊してどうなる? それに、具体的に何をどうしたか知らないが、なぜ社長がそれを助けるようなことをしたのか? だいたい自分で作ったものを自分で壊してどうする?
疑問が頭の中を巡っているうち、目的の階にたどり着き、扉が開く。真っ先に玖島が先頭で早足で歩き出すのを、私と社長が追う。
「――つまり、島津さんはALICEと戦いたがってる、ということだな?」
振り返らずに玖島が言うのに、社長は頷く。
「そういうことだね。――ああ、ALICEとはあの、君が最近毎日戦っている幽霊君のことだよ。キャロル工業のね」
特に顔を向けはしなかったが、後半は私への解説だ。テスト中は「ゴースト」という名前で通していたが、正式な開発コードは初めて聞いた。
「いや、まあ、それはいいんだ」
私は頭を振った。
「そのアリスと戦うのと、こんな騒ぎを起こしてハイ・エンジェルを壊すのがどう繋がるんだ?」
「すぐわかる」
目的の場所に着いたらしい。大きな厚い扉を玖島が開く。
「あ、玖島さん!」
中のスタッフの一人がすぐにこちらにやってきた。
どうやらここは管制室か何か、ともかくそういうところらしい。中央に大きなモニターが据えられ、それを囲むようにモニターとコンピューターが半円状に並んでいる。今のところ、モニターには何も映っていない。白と黒の砂嵐のような映像が流れているだけである。
玖島はスタッフになにやら紙束を渡されながら、話を聞いている。私はどこにいていいやらわからず、とりあえずその側で突っ立っているしかない。
二、三、指示のようなものを与えると、玖島は私達の方に向き直り、付いてくるように促した。そして、モニターの正面、ちょうどこの部屋の中央あたりまでやって来たところで足を止め、ようやく私に向けての説明を始めてくれる。
「簡単に言うと、だ。HAアルファは当然ながら攻撃手段も移動手段も持たないわけだが、自身が破壊されそうになったとき、配下のFAに護衛を依頼する場合がある。島津さんの狙いはそれ、というわけだ。Gブロックは現在完全に隔離させていて、誰も入ることができない状況だ。いるのはALICEが三機のみ」
頭痛がしたような気がして、私は額を押さえた。
「それだけのために、こんな騒ぎを起こしたのか?」
膝から崩れそうになり、近くの机に寄りかかるようにする。――まったく、何を考えているんだ。
「そんなに戦いたいなら、もっと先にすることがあるだろ! なんだっていきなり、こんな無茶なことを……だいたい」
何とか立ち上がり、社長に顔を向ける。たぶん、睨み付けていたかもしれない。声が荒くなるのを抑えられない。
「なぜこんなわけのわからん入れ知恵なんかしたんだ! 綾にテロまがいのことをさせて、何が狙いだ!」
社長は言葉を選んでいるのか、少しの間躊躇していた。それからようやく口を開こうとした時、突然周囲が一段明るくなったのに気づいた。
「画像が入ります!」
反射的にモニターへと顔が向く。いくつか分割された映像のひとつに、見覚えのある後ろ姿がひとつ。
「綾!」
それは紛れもなくケーニギンネン・ドラッヘのシルエットだった。それは薄暗くて広い空間の中で大仰な火器のようなものを両手で抱え、持ち上げようとしているようだった。
「むかし、陸上自衛隊の車両に装備されてたやつだな。エリコン社製の三十五ミリ機関砲。あんなもの、どこにあったんだ?」
場違いなほど冷静な声で、玖島が呟く。
その機関砲はやがて獲物を捉えたらしく、重く乾いた音を立てて火花を吹く。たちまち被弾した何かが破片を散らして火を吹き、時折爆発のようなものを上げる。
「何やってるんだ、あいつは!」
思わず叩いた机が想像以上に大きな音を立て、私は思わず辺りを窺った。しかし、それを気に止めた者はなかったようで、全員がモニターに注視している。
――いや、何かがおかしい。みんながみんな、本当にただぼうっとモニターを見つめているだけなのだ。先ほどまで忙しく動き回り、キーボードを叩いたりしていたはずなのに。
この非常事態に、ぼうっとしている場合じゃないだろ? ――しかし、玖島も、他の人も、誰もそれについて注意の声を挙げることはなかった。ただ静かに成り行きを見守っている。
『霧村さん、聞こえますか?』
それは突然どこからか、しかしはっきりと聞こえた。綾の声だ。
「通信が繋がってるのか?」
私の声がやけに響く。玖島は首を横に振った。
「いや、こちらから呼びかけはできない。あっちが一方的に送って来てるんだ」
『ご迷惑をおかけしたことは、本当に申し訳ないと思っています。――けど、ずっと探していたんです』
妙に落ち着いた声に、私は身震いした。確かに綾は普段から変に落ち着いたところはある。しかし、今の声は普段のそれとは全く別種のものに聞こえた。この世とは別の世界の、深い闇の世界から聞こえてくるような、雑味のない透明な声。あまりにも純粋で透き通った声色。
叫び出したくなる衝動を、必死で堪える。玖島が言った。こちらの声は聞こえないと。意味もなく喚いても見苦しいだけだ。意味がない。だが、本当にそうなのだろうか? こうして声が聞こえてくるのだ。こちらの声だって、実は拾ってるんじゃないのか?
――それきり、綾の声は途絶えた。ドラッヘは放心したかのように手の中の機関砲を落とし、扉らしき方向へと身体を向ける。
ほどなく、その扉がゆっくりと開かれた。暗く赤い光が差し込んでくる。その光によって形作られていく輪郭は、あの、今となっては「見慣れた」と言っていい機体のものだった。
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