台詞のない夏の物語

山尻 蛍

台詞のない夏の物語

花火は好きかと言われると、俺は肯定する。

夜空に光る花火というのはやはりどこか惹き付けられるものがあるし、打ち上げ花火でなくとも、線香花火や吹き出し花火も、その硝煙の匂いや、禍々しい原色のラッピングから放たれる科学の色は心を踊らされる。

しかし、では花火を見に行くのは好きかと聞かれると、俺は否定する。

俺は花火は好きであるが、あくまでそこそこ好きなのであって、わざわざクソ暑い中を歩いてまで見に行こうとは思わないのである。

そんなことをするくらいなら、ガスコンロの火でも眺めることで満足できるのである。

それに、今では地方放送局が流している現在の花火大会の様子をクーラーの聞いた部屋で見ることもできるし、テレビから流れる破裂音と実際に聞こえてくる破裂音の時間の差を聞き比べつつ、開催地までの距離の遠さに思いを馳せることもできる。

これが中々粋なもので、テレビから5秒ほど経った後に実際の音が外から聞こえてくるのだが、今まさにテレビが撮しているという普通では感じられない感覚が味わえる。現代技術が発達したからこそできる、新しい花火の楽しみ方と言えるだろう。

兎に角、俺は花火はあくまで受動的に楽しむべき物であって、わざわざ開催地まで行って見るような能動的に楽しむような物ではない。と、思っている。


しかしながら、世の中には物好きな輩も勿論いて、やれ歩いて見に行こうだの、やれ浴衣を着るだの、クソ暑い中いかにも更に体感温度の上昇を加速させるようなことを平気でやってのける馬鹿がいるのだ。

まあ、その馬鹿というのは決して世間にありふれている、浴衣を着て歩いて花火を見に行こうとしている人たち全般を指すのではなく、極めてピンポイントに、近所に住んでいるあの女のことを指すのだが。


最近になって、彼女は狂ったように花火を見に行こうとしか言わなくなってきた。

俺が懇切丁寧に理科を教えていても、急に炎色反応の話を持ち出し、そこから花火の話題に繋げてくる。

何なら、花火に全く関係のない数学を教えてやっていても、急に音の速さの話を持ち出し、そこから花火の話題に繋げてくる。

俺はその度に、先ほど言った俺が花火を見に行きたくない理由をグダグダと話すのだが、それでも彼女は根気強く毎日その話題を振ってくるのだ。


勿論俺は花火を見に行くことなど真っ平御免なのだが、しかしながら、俺達は来年には高校に入学し、もしかすると俺と彼女で過ごす夏休みは暫く、というか、もう無いのかもしれない。と思うと、本当に仕方なく、今世紀最大に仕方なく、俺は花火大会についていってやることにした。

外は日が照っていない分、思ったよりも涼しいかもと思ったのも束の間、数歩歩いただけで血の巡りが良くなり、体温がみるみる上昇していくのを肌で感じる。

既に汗ばんでいるのだが、俺は彼女が浴衣を着付けるのをひたすら彼女の家の前で待たないといけないという苦行を味わわせられる。

もういっそ帰ってしまおうかとも思ったが、ここまで待ったのだから、という一種のもったいない精神が俺の足をそこに止めた。

彼女がやっと家から出てくると、浴衣は確かに似合っているのだが、近づいてくると藍の濃い匂いが漂い、新品であることに気付く。

その証拠に、彼女のうなじに流れる汗の色が染料と混ざって淡い藍色になっている。

確かに、今日のためにその浴衣を買ったのならば、誰かを誘って花火を見に行きたい気持ちも分かる。

しかしながら、俺は何故その相手が俺なのかと少し億劫になった。

まあ、それも幼馴染の運命というものなのかもしれないが。

会場に近づき、人が多くなってくると更に体感温度は上昇していく。

白いTシャツで来たので見た目的にはまだましだったものの、既にTシャツの脇は危険な状態であり、俺も何か和服を着てくれば良かったかも。とも思ったが、周りの男性を見るとそうでもないらしく、屈強な男性が和服の胸元を大きく広げて、団扇をひたすら扇ぎ入れていた。

まあ、どちらにせよ、俺は今日は花火大会にいく予定は無かったので、和服など用意はしていなかった。あったとしても、弟の剣道着か柔道着くらいなものである。


花火の大会と言っているのに道端では露店が立ち並んでおり、頭にタオルを巻いたおじさんがたこ焼きをひたすら焼いている。

俺はその労働精神に敬礼しつつ、それを一つ買った。

…おこがましいことに、彼女はそれを一個ねだって来たのである。

俺は何かと交換でないと不公平だと思ったが、女に上目遣いで何かを言われると男は弱いものである。みすみす無償であげてしまった。


そんなことをしている間に、ようやく花火が始まろうとしていた。

人の波に流されるままに俺は動いたが、彼女は俺の手を取って別の方向へと引っ張っていった。

人の波に抗い、歩くこと30分。俺達は池のほとりについた。

この池は全国的にはほとんど無名だが、真ん中に浮島のようなものがあり、そこには小さな神社がある。

何でも、誰かが何かを鎮めるためにこの池に身を投げたのを祀る神社とか何とか、物凄く曖昧な言い伝えで近所の人からは知られている。

そこは正に穴場で人の気配もなく、空に光る花火が水面を反射し、浮島に重なる。

浮島にある神社があたかも夢の国であるかのような演出である。

最初からこういう場所を知っているのなら、わざわざ開催地まで歩かなくとも良かったのではないかと少し腑に落ちないが、どうせ俺には女心なんて分かるはずもないので黙っていた。


ベンチに座り、二人肩を並べて空を見上げていた。

…やはり花火というのはどこか惹き付けられるものがある。

ただ空に間抜けた音を上げながら上っていき、何をするわけでもなく破裂し、光が消えていく。

しかし、その一瞬の儚さがまた良いもので、決して同じ花火はもうないと思うと、その一つ一つの花火が特別なものに見えてくる。

そんなことを考えながら空を見ていると、彼女は俺の肩に頭を乗せてきた。

ふと俺が彼女の顔を見ると、花火が彼女の顔を照らしていた。

彼女に言わせてみれば、ストロンチウムかリチウムかカルシウムかそこらの物質が炎色反応を起こして、彼女の顔を赤く染めていた。

体を密着させると暑いし、重いし、何なら白い服に藍色が付くし、止めてほしいとも思ったが、何故か俺はその状態に妙な心地よさを感じていた。

丁度、首を上げすぎて疲れていた所だったので、俺はお返しとばかりに彼女の頭に自分の頭を乗せた。


そこからは異様に早く花火大会が終わり、俺は立ち上がった。

すると、彼女は俺の服の裾を引っ張り、止まるように促した。

彼女は線香花火とライターを取り出した。火遊びは中学生のみで行ってはいけないものだが、馬鹿はそんなもの気にしない。まあ、気にした所で人がいなければ意味もないが。

チリチリと音を立てながら少しずつ大きくなっていく線香花火を見ながら、俺は少し考えていた。


俺は本当に花火を見に行くことが嫌いなのか。本当に、暑いから嫌なのか。

答えは否である。俺は目的のない行動が嫌いなのであって、花火を見に行くこと自体が嫌いなわけではないのだろう。現に今俺は少し、今の状況を楽しんでいる。

何でもやってみるものだというが、案外そうなのかもしれない。

ふと彼女の方を見ると、彼女は俺の方を見ていた。

彼女の顔は線香花火で赤く染められていて、目が少し潤っていた。

そのまま彼女と俺は見つめあい、確認するように近づいていった。



その瞬間、線香花火が落ちた。

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