「結婚しよう」

枕木きのこ

ある男のプロポーズ

 後部座席で、彼女は気持ちよさそうに眠っている。

 少し飲ませすぎてしまったかもしれない。


 緊張で鼓動が早まるのを、そのままハンドルやアクセルに伝播させないように気を付けながら、夜の高速を走っている。左右に見えるマンションやビルの中の点々と光る生活を、少し思いながら、瞬く間に東京都を抜ける。

 

 居酒屋から一緒に出て、ふらついた彼女を車に運ぶのにはずいぶん気を遣った。

 フレアスカートにへんなしわをつけて怒られたら堪らない。彼女はそうしたちょっとした変化を気にする子だった。良くも悪くも、細かい性格なのだ。もちろん、そこも含めて彼女のことを好いていたけれど、時々こうして、恐れてしまうのだから、なんだか可笑しい。


 今日はサプライズで僕の部屋に招待するつもりだ。

 外出前、花屋に寄ってバラを買った。99本のバラを、ベッドの周りに。花言葉を理解してもらうことを前提とした装飾である。

 そしてその枕元に、指輪。

 

 これを買うのには勇気が要った。

 結局、どれだけ彼女のことを見ていたとしてもわからないことは多い。指の太さだってそうだ。彼女の全身を計測しているわけではないのだから、たいていの男は恋人のこんな細かいことを知っているわけでもない。だから一緒に買いに行くのだろうけれど、僕たちは一緒に買いに行くことができなかった。


 それゆえサプライズになるわけだけれど、果たして彼女は喜んでくれるだろうか。

 

 下道に降りてからも進行はスムーズだった。

 このペースで彼女に――きっと受けてくれるだろう。


 マンションの駐車場に着いた。

 彼女を抱え部屋まで移動するのは骨が折れた。華奢だけれど、僕の力のせいか見た目よりも重量感を覚える。でもこれも、幸せの重さなのだ、なんて、考えてみる。


 部屋に入り、寝室のベッドに寝かせた。

 なんだか、彼女がここに眠っているのは新鮮な気持ちだった。もちろん、彼女の寝姿を見たことがないわけじゃないけれど、自分の領域にそれがあるというその事実が、妙な興奮を与える。——さすがに、眠っている人を——なんて趣味はないから、彼女が自然に起きるのを傍で待った。





 ——しばらくして、彼女が何度か寝がえりを打ち始めた。

 そろそろ起きるかな、どんな反応をするだろう。

 ワクワクする気持ちと、不安な気持ちがないまぜになって、落ち着かなかった。


 ずっと反対していた母を何とか静めてこじつけた今日。

 でも、彼女を見れば母だって納得してくれるさ――なんて軽い気持ちもありつつ――不孝な息子で申し訳ないとも思いつつ。

 

 バラに囲まれた彼女は、美しかった。

 早く目覚めてくれ――という思いが届いたのかどうか、彼女は目をこすり、ゆっくりと身体をもたげた。


 僕は微笑みを向けて、


「おはよう。結婚しよう」


 告げると、彼女は掛布団を引き上げて身体を覆い隠す。

 照れか、喜びか、感極まって泣いてしまうのを隠すためか――。


「——え?」


 ずっと彼女を見続けていたんだ。

 その呆けた顔も、愛おしい。


「結婚、しよう」


 指輪のケースを開く。

 





「——だれ?」




 彼女の意識は寝起きで混濁しているようだ。

 少し、睡眠薬を飲ませすぎたかもしれない。

 ずっと彼女を見続けていたのだから、彼女に僕が見えなかったわけがない。

 

「大丈夫。ふたりきりだよ」


 そう言って、僕はまた、彼女に微笑みを向けた。

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「結婚しよう」 枕木きのこ @orange344

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