9 【第仇(きゅう)話】 (約3400文字) 【バズる liveD】

9 【第仇(きゅう)話】

【バズる liveD】


 コツ、コツ、コツ、コツ……。

 深夜の街。ひと気の絶えた通りを、一人の女性が歩いていた。見た目は女子高校生のように若々しく、しかし女子大生のような落ち着いた雰囲気をまとっていて、またOLやキャリアウーマンのような自信に満ちた風格も漂わせている。

 つまりどういうことかというと、年齢不詳、だということだ。

 星の見えない暗闇の道で唯一の明かりと言えば、通りの先にある一本の街灯だけ。小さなバッグを肩から提げているその女性がその街灯のそばを通り過ぎようとしたとき、不審な音が周囲に響いた。

 ぶーん……。

 巨大な扇風機を回したような、蚊が飛ぶ羽音を大音量にしたような。そのような奇怪な音が、暗闇の夜空から聞こえてくる。不審に思った女性が立ち止まり、夜空を見上げる。月も星もなく、あらゆるものが暗闇に紛れてしまうその夜空を見つめていると、数秒後、天上から下降してくる【何か】の輪郭が浮かび上がってきた。

 女性の顔が蒼ざめて、徐々に恐怖の色に彩られていく。その女性は動画サイトに投稿されていた、数人の若者を襲う【何か】を映した動画を見ていた。いま目の前に現れたものこそ、その【何か】に違いない。彼女はそう直感した。

 まさか……そんな……いやっ! 来ないでっ⁉

 女性は駆け出した。早くここから、あの【何か】から逃げ出さなければ! でなければ、殺されてしまう!

 しかしその女性の願いもむなしく、巨大な羽音は急速に近付いていき、そしてその姿を女性の前へと出現させた。

 それはハチだった。

 昆虫の蜂。街灯の光に照らし出されるその姿は黄色と黒に染まっており、さながらスズメバチのようだ。ただ普通の蜂と違う点があると言えば、その大きさだろう。そのハチの体長は女性よりもはるかに大きく、トラック並みに巨大だったのだ。

 怪物バチの複眼に、おびえきった女性の姿が映り込む。その複眼に映る何十もの女性の姿が後ろを振り返り、全速力で逃げ出した。が、迫りくる恐怖によって動転していたせいでもあろう、彼女は道に落ちていた小さな石につまずいて、その場に倒れこんでしまった。

 ぶーん……!

 怪物バチが女性へと、ゆっくり、ゆっくりと近付いていく。

 足をくじいてしまったのか、女性は立ち上がることができない。尻もちをつきながら怪物バチの方へと振り向き、身体を引きずるようにして後ずさる。

「いやあっ! 来ないでっ! 殺さないでっ!」

 怪物バチを少しでも遠ざけるために、女性は手にした小さなバッグを怪物バチへと放り投げる。しかしそんな彼女の抵抗もむなしく、怪物バチは一向にひるむ様子を見せず、女性へとにじり寄っていく。その途中、地面に転がった小さなバッグを、振動する巨大な羽で切り刻んでいった。

 ぶーんんンン……!

「来ないで! 来ないでよ! お願いだから! あたしに近付かないで!」

 恐怖に満ちた表情を浮かべる女性を見下ろして、怪物バチがあらゆるものを噛み砕く強靭な顎を、ぐぱあ、と開いた。よだれのような液が滴り、一瞬、怪物バチが笑ったように見えた。

 新たな獲物を喰らうために、怪物バチが女性へと突進する。彼女の身体が怪物バチの強靭な顎の中へと消えゆこうとした、

 その瞬間。

 街灯の明かりによって映し出されていた女性の影の中から、純黒の巨大な腕が飛び出し、怪物バチの頭部をわしづかみにした。その腕は怪物バチの脅威から女性を遠ざけるかのように、その怪物バチを空中へと持ち上げていく。

 …………! 腕から逃れようと、怪物バチが巨大な羽を轟かせ、巨大な体躯をじたばたとさせる。しかし女性の影から現れ出たもう一本の腕によって、身体を押さえつけられてしまう。

 怪物バチの抵抗などまったく意に介することなく、影の腕は力を込め、怪物バチの頭部を、身体を、ぐしゃりと握りつぶした。巨大な二本の腕は、息絶えた怪物バチの身体を引きずり込むようにして、女性の影の中へと戻っていった。

 バキボキ! ガリゴリ! ジュルジュル! ゴクンッ!

 影が食事する音を耳にしながら、女性は手で顔を覆い、すすり泣くようにして、つぶやきを漏らした。

「……だから近付かないでって、言ったのに……」


――


 携帯端末に着信が入る。画面に表示された相手を見て、わたしは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。

「もしもし、きみか、斡旋屋。こんな夜中に連絡なんかしないで……」

『ちょっと聞いてよ! ひどいんだから! 【影】が食べちゃったのよ!』

「はあ……?」

 意味が分からない。わたしは説明を求めた。

『だから、食べちゃったのよ、【影】が! 最近話題になってる動画に映ってる怪異を!』

「動画って、あの若者が襲われているやつか?」

『そう、それ! 知り合いの怪異とかから情報を集めるために調査してたら偶然遭遇しちゃって、このままじゃあの怪物が殺されちゃうと思って慌てて逃げたんだけど、結局食べちゃったのよ! あたしの【影】が! ひどいと思わない⁉』

「そんな文句を言うためにこんな夜中にたたき起こすきみも大概だと思うがな。それにいいことじゃないか。これ以上、犠牲者が増えなくて済むのなら」

『これじゃあ、あんたに情報を売りつけられないじゃない! 高値を吹っ掛けようと思ってたのに!』

 守銭奴が。

「それで? その動画の怪異の正体は何だったんだ?」

『ハチよ、でっかいハチ。もういやあ……お金は稼げないし、足はくじくし、バッグは使い物にならなくなるし、サイアクうう……』

「生きていただけでもよかっただろうに」

『厄日なのよ……いいえ、きっと厄年なんだわ……こうなったら、今日はもうフテ寝してやるう……!』

 聞いちゃいない。何か閃いたらしく、斡旋屋が急に明るい声を上げた。

『そうだ! 弁償させればいいのよ! あの怪物の動画を投稿したやつに!』

 どういう理屈だ。

「それは難しいんじゃないか。あらゆるメディアやプロのハッカーが総力を尽くして調べたのに、動画のタイトルと投稿者名以外、何一つ手掛かりが得られないそうじゃないか」

『それは普通の方法を使ってるからよ。あたしとあんたが持ってる怪異のコネを使えば、こんなやつなんか一発で……』

 どうしてわたしも協力することが前提なんだ。という文句は喉の奥にしまい込んで、わたしはやれやれとため息をつくように言った。

「無理だと思うがな」

 少しの沈黙。何かを察したらしい彼女が言う。

『その口振り……もしかして、動画を投稿したやつの正体を知ってるのね? そうでしょ』

 その問いには答えず、わたしは淡々と言葉を継ぐ。

「きみは気付いているか? あの動画のタイトルは『Buzz』、その意味は……」

『そんなの、バズれってことでしょ』

 インターネット上で大衆の注目を集めることを、バズるというらしい。

「それともう一つの意味がある」

『なによ、もったいぶっちゃって。早く言いなさいよ』

「なんてことはないさ。Buzz……蚊や蜂などの虫が飛び回る音、あるいは機械の動作音、ブーンという音を意味した言葉ってだけだ」

『はあ……』

「要はただのダブルミーニングさ。皮肉をこめた、ね」

 人間に対する、やつなりの皮肉ということだ。

『ふーん……。まあ、そんなことはどうでもいいとして』

 どうでもいいで片付けられてしまった。

『それで? 動画を投稿したやつは誰なのよ? 教えてよ。もちろんタダで』

 守銭奴が。

「気付いていないのなら、気付いていないままの方がいい。今度こそ本当に、冗談抜きで殺されてしまうかもしれないぞ」

 なんせやつは、魔界の怪物をこの世界に召喚できるんだからな。

 何かを察したらしく、いつになく神妙な声で、彼女が言った。

『……。もしかして……あんたが【人間失格】になったことと何か関係があるの?』

 プツンッ。わたしは通話を切った。


 動画の投稿者名。

 なんてことはない。簡単なことだ。

 ライヴドのつづりは、lived。

 これを逆から読めば、devil。

 含まれている意味合いもまたひっくり返したようなものにしている。

 つまり……。

 この世界とは異なる世界に住まう者。

 生命を、引いては魂を拾い集める者。

 やつなりの気を利かせたジョークというわけだ。




 インターネット上に散見されている都市伝説を確かめるときは、注意した方がいい。

 やつは動画や、あるいは他の様々な情報発信手段を用いて、人々を罠に掛けようとしているのだから。

 そして罠に掛かった人々の魂を、微笑みを浮かべながら、拾い集めているのだ。

 己の悦楽と目的のために。

 ときには異界の怪物を使役して。




 ――ぶーん。



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