旦那が三人おりまして

真野てん

旦那が三人おりまして



 これはちょっとだけ未来のお話。


 よく晴れた日の公園のベンチに、赤ん坊を抱いた若い母親がいた。

 ショートカットにピンクのカーディガンがよく似合う、普通の女性だった。

 取り立てて美人でもないが、どこか愛嬌のあるような。

 子供をあやす仕草も初々しく、通り掛かったひとすべてがにこやかになる。


 そんな彼女の隣にひとりの老婆が座る。

 ただでさえ細いまぶたをさらに細めて赤ん坊を愛でると「可愛いねぇ。女の子?」とたずねるのであった。

 若い母親は「はい」と嬉しそうに答えた。


「まだ三ヶ月なのでどうかなぁと思ったんですけど、お天気も良かったんで思い切って連れてきちゃいました」


「そうかい、そうかい。公園デビューってヤツだね」


「あ、本当だ。そう言えばそうだわ」


「すぐお友達も出来るさ……おや?」


 しばらく赤ん坊をあやしていた老婆だったが、母親の指に光るリングを目ざとく見つけるとこう言った。


「旦那さんは三人かね」


 左手の薬指に三つ重ねて嵌められた結婚指輪。それの意味するところは、重婚の証である。

 かつての婚姻制度であれば犯罪である。

 すでに配偶者のあるものは、重ねて婚姻をすることができない。

 しかしそれはもう過去の時代の出来事である。

 若い母親は左手を顔の横へとかざすと、笑顔で「はい」と答えた。


「まあ成り行きなんですけど……」


「ええよ、ええよ。今日び、ひとりの旦那の稼ぎで生活できるほど人生甘くないに」


「ですよねぇ」


「ワシなんて見やぁ」


 老婆はしわくちゃになった己の左手を持ち上げる。

 そこにはなんと五つものリングが、真昼の太陽を跳ね返して輝きを放っていた。


「年金も当てにならんでね。年寄りで集まってみんなで暮らそまいって」


「すっごーい。おばあさんモテモテ」


「そやろ? これでもむかしはモデルをやっとったんよ」


「旦那さんたちも鼻が高いですね」


「あんた若いのに口がうまいね。ありがとうね。でも……」


 ふと老婆はかげりのある瞳で、五つのリングを見つめた。

 優しげにそっと撫で「ふぅ」と一息。


「最初の旦那も、二番目の旦那も先に逝ってしまった。たまにふと思うんさ。あたしなんかで良かったんかねーって」


 すると間髪を入れず、若い母親は「もちろんですよ!」と答える。

 見ず知らずの、しかもさっき会ったばかりの老婆に対して、まるで彼女らの夫婦生活をずっと見守っていたかのような口ぶりだった。


 それがどうにも可笑しかったようで、老婆はしわくちゃの顔をさらにシワシワにして笑ったものだった。

 しばらく笑い合っていると、若い母親は「聞いてくださいよ、キラさん」と言った。

 打ち解けたふたりはいつしか名前で呼び合う。

 老婆はキラと名乗り、若い母親はゆかりといった。


「うちの旦那たちったらね。仲がいいのはいいんですけど、ついこないだも――」


 ゆかりには三人の夫がいる。

 一番目の夫は高校時代の恩師であり数年後に再会し、そのまま結婚。のちに一子をもうけることになる男性で一馬かずまという。

 当然、一回りほど年齢が違うが、それがかえっていいバランスだった。

 温厚な性格で人当たりもよく、育児にもマメな男である。


 ある日も、リビングで愛娘のおしめを替えていると、真剣な顔をした二番目の夫がその光景を眺めていた。


 二番目の夫、公平こうへいは、ゆかりのOL時代の同僚である。すこし年上だが、子供っぽいところのある熱血漢で、もともと彼女に惚れていたのだが、ゆかりの寿退社をきっかけに、自分の本心に気づき、人妻と分かったうえでプロポーズをした。


 ゆかりも一馬も驚いたものの、数ヶ月に及ぶ『家族交際』を経て結婚にいたった。

 いまでは義理の兄弟として、ふたりはかたい絆で結ばれている。

 そんな公平が、一馬に一言。


「兄さん」


「ん? なにかな公平さん」


 一馬はひとを「さん」付けで呼ぶ。

 ゆかりなら「ゆかりさん」、公平なら「公平さん」と。

 ズレた丸メガネをベビーパウダーまみれの指で、クイッと直す。

 頬が真っ白になった。


「実は俺も……ゆかりと子供作ろうと思うんです」


 ついに来た――。

 台所で洗い物をしていたゆかりに緊張が走る。

 いままでそれとなく話し合ってきた話題であったが、ハッキリとはさせずじまいにしてきたことである。遅かれ早かれこういう日が来ることは分かっていたが、ここまでど直球とは。


 そもそもこの国の一妻多夫制とは、すでにひとりの男性(家長)がひとつの家族を養えるほどの経済能力を持ち得なくなったことがきっかけで採用された苦肉の策だった。

 雇用システムの破綻や、年金制度の泥沼化を経て政府が出した答えが、一妻多夫婚の奨励だったのである。


 新しい家族のあり方とは。

 夫婦の意義とは。

 新時代の到来と共に、現代人は重大な選択が迫られたのだった。

 しかし――。

 

「それはつまり――この子に弟か妹が出来るってことかね!」


「そうです!」


 ふたりしてガッツポーズをしている夫たちを見て、ひとり台所でずっこけるゆかり。

 妙な勘ぐりはこのふたりには無用のものだった。

 自分の心配事が杞憂に終わり、ゆかりはそのまま洗い物を続ける。


「ただひとつ問題がありまして、兄さん」


「なんだね?」


「自分、じつはまだ童貞なもんでちゃんと出来るか不安なんです」


 ガシャン。

 妙な流れになってきたと、ゆかりは洗い物の手を滑らせた。

 振り返るとそこには真剣な眼差しで語り会う、ふたりの夫たち。

 ただただ嫌な予感がする。


「なので、ことにあたっては兄さんもご一緒願えませんか?」


「こ、公平さんっ。初体験で3Pなんて徳の高いことをっ……そこは夫婦水入らずじゃなくていいのですかっ」


「いいえ、兄さん! 俺は、兄さんを含めてゆかりを愛しているんです。それに水入らずと言えば、俺たちみんなで夫婦じゃないですかっ」


「公平さん! なんて素敵なひとなんだ! 結婚してよかった!」


「兄さん!」


 はしっ!

 と、音が聞こえてきそうなハグだった。

 一方その頃、すでに笑いをこらえるので精一杯だったゆかりは、台所の床に四つん這いになって震えていた。


「ああ。兄さんに許してもらってよかった。あとはゆかりに相談を」


「そ、そういうのは先にこっちに相談して~」


 貧しいながらも愉快な我が家。

 彼女らの毎日はこうして過ぎていく――。


「ってことがあったんですよ。もう、おかしくて」


 公園のベンチに座る、若い母親と老婆はおなじ体温で笑った。

 花壇には蝶が舞い、大地にはアリが行進をしている。

 家族とは、女とは。

 彼女たちには分かっている。自分たちのあり方を。


「おや? そうすると三人目の旦那さんは?」


 話のあと、老婆が指折り数えていたときだった。「ああそれは」とゆかりが言うと、ちょうど公園の外から声を掛けられる。

 低く、野太い男性の声だった。

 しかし彼女たちのまえに現れたのは、スカートをはいた長駆の人物。

 やたらと濃いメイクをほどこした「いかにも」といったドラァッグクイーンであった。


「なに、やだ。ゆかりっち、お散歩ぉ~。ぐうぜ~ん」


「こちらが三番目の夫の虎ノ助です」


 ニッコリとした笑顔でゆかりがそう紹介すると、『彼』は彼女から引ったくるようにして赤ん坊を抱っこする。


「ジャネットとお呼びと言ってるでしょ! ねえ? アババババ~」


 きゃっきゃと喜ぶ赤ん坊とは対照的に、開いた口が塞がらない老婆。


「虎ノ助、今日はなんでこんなところいたの?」


「LGBTのパレードがあったのよ、これからお家帰って寝直し。営業前に一仕事しちゃったわ」


「そっか。じゃあ一緒に帰ろっか。あ、キラさん、また会えます?」


「へ?」


 唖然としていた老婆がようやく正気を取り戻すと、「もちろんだよ」と言った。


「それにしても三番目の旦那さんは、なんというか――パンチがあるね」


「なんか成り行きで」


「ウチのお店に夫婦で来てくれたときに意気投合しちゃって。老後の一人暮らしを心配してくれて結婚しようって一馬が言ってくれたのよね~」


 老婆はもう笑うしかなかった。


「またね、キラさん」


 遠ざかるゆかりたちの背中を見送って、また老婆も歩き出す。

 そこには迎えに来た、彼女の夫たちの姿もあった。


 今日、こんなひとに会ったのよ――。


 きっとふたりの妻は、最愛の夫たちに語って聞かせるのだろう。

 ありふれた毎日のお話を。



おしまい

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