承
深瀬工業高校の機械実習棟は今日も様々な機械音が奏でられながら各種実習が行われていた。
無論、啓太も例外ではない。
ただひたすらに鉄を削る。今の啓太にとってそれが最も重要課題だ。
しかしそれだけでは駄目なのも事実。旋盤は自身の技能も関係しているが、頭でよく考えることも重要。知と技がうまく調和できていないといけない。
しかも啓太はそれと並行して今身につけようとしている「それ」を少しでも掴むように作業している。
啓太の目指す「それ」とは――技能士としての技術だ。
技能士と言うのは簡単になれそうで全くなれない。勿論技能士に求められる技能も一朝一夕に身につかない。
あの日見た旋盤の前に立っている兼継の作業姿はまさに「技能士」を体現していた。兼継の作業環境はその周りに違うオーラを放っており、その手から生み出された製品はまるで呼吸するかのように生きていた。
だが啓太は違う。啓太の作業姿は模倣。兼継の作業姿を模倣しているだけでしかない。ただの真似事だ。
本物の技能士とはただ技能士の真似事をしている人とは一線を画している。だからこそ技能士はこの現代において多いように見えて実際は少ない。
本物の技能を有する技能士。そんなあるべき技能士の姿を啓太はただひたすらに追いかけている。「それ」を掴もうとしている。
しかし「それ」は一向に掴めない。いや、全く掴める気配すらないのだ。啓太にとって技能士という姿はまるで蜃気楼のような存在だ。幻影を見せ、掴める位置までたどり着き、掴もうとした瞬間「それ」は何事も無かったように霧散する。
旋盤と向き合う。だが「それ」は掴めさえしない。だが、それでも啓太は旋盤と向かい合う。
苛立ち、焦り、様々な負の感情が啓太の精神をドス黒く染めていく。
だがそれでも啓太は向き合う。
この行為こそが「それ」に近づく為の最短かつ最善手なのだから。
「お、矢代は今回の実習も調子いいな」
啓太の作業を見ながら祐司がこちらを見てきた。
「……そんなことないですよ」
「大丈夫だ。自信を持て!」
そう言いながら何かを思い出したかのように祐司が啓太を見る。
「そういえば数日前にエントリーは済ませておいたからな。ものコンの。学校の代表として頑張ってくれ」
「……はい」
ものコン――正式名称は「高校生ものづくりコンテスト」だ。
年一回の工業高校生が各種学んでいる内容別にその知識・技能を競っている競技大会だ。毎年県大会から行われ、地方ブロック大会、そして目玉の全国大会という仕組みになっている。
大会の種目は多岐にわたり、啓太はその中の旋盤部門に出場することになっていた。
この大会は生徒自身の知識・技能が優秀な生徒が選出される。
啓太は旋盤においてここ深瀬工業高校の中では優秀な技能を有している。それは啓太の在籍する機械科の生徒だけではなく教師も周知していた。
だからこそこうして啓太は学校代表の選手となり、周りから期待されていた。
しかし啓太はそれを望んではいなかった。まだ期待されるような技能士ではない。そう思っている。
だが選手になるのを断ろうとしても教師は取り持ってはくれず、そのまま半強制的に啓太は選手登録をされた。されてしまったのだ。
こうして選手になり、大会に向けて練習をするのだがやはり啓太は毎日旋盤で作り上げた課題の工作物を見てその出来の悪さに自己嫌悪に浸る毎日だった。
「はあぁ」
「どうした? 溜息なんてついて。何か悩み事があるのか? もしあるなら俺にいつでも相談してくれ」
そう言って祐司は胸を張る。いつでも頼ってくれと言わんばかりに啓太を見る。
啓太は若干嫌な顔をしながらも前に聞きたかったことを聞くことにした。
「先生」
「なんだ?」
前からの疑問であり聞きたかったこと。一度工業高校の教師に問いたかった質問を投げかける。
「先生にとって――技能士とは何ですか?」
ここにいる祐司も教師とはいえ工業分野に関わる一人だ。きっと何かしら答えの一つを持っているかもしれない。
祐司はしばらく黙り込みながら「うーん」とうなった後、まるで思い出したかのように口を開き、
「そうだな。技能士とは――その分野に精通するプロ中のプロだと思うな。もしくはそのプロに贈られる称号みたいなものかな」
祐司はニカっと笑う。
思いもしていなかった返答に啓太は少し驚いた。いつもは祐司は工業高校の教師だが授業はテキトーで、技術も技能も人に教えられるほど高くはない。きっと何時も啓太が思っている祐司ならば曖昧な言葉を並べるだけだっただろう。だからこそ案外まともな事を言う祐司に驚いた。
「……先生って案外まともな事言うんですね」
「まあな。一応腐っても教師だ。といってもこんな質問は工業高校教師人生初めての質問だったから正解とは断言できないけどな」
「そうですか」
「そうだな。でもさ、俺思うんだよ」
祐司は啓太の顔を見て、
「案外、技能士って存在は言葉で言い表せないんじゃないか? 言い表したいけどもその表現が難しい。いわば感覚の世界に生きるのが技能士みたいな」
祐司は「それじゃあ俺そろそろ職員室戻るわ」と言い、啓太の前から立ち去った。
その祐司の言葉はやけに心に刺さった。
感覚の世界とはどのような世界なのだろうか。
その問いに答えてくれる者はもうこの場所にはいない。
足音が消えた後、この場に残った音は無機質なコンプレッサーの稼働音だけだった。
※
「クソっ、クソっ、クソっ!」
ものコンまで残り三日となった夜。啓太の心は蝕まれていた。
原因は無論――技能士についてだ。
啓太は未だに技能士への域へと至っていない。まだやっていることが模倣なのだ。
しかもそこに追い打ちをかけるようなイベントが先週啓太に襲い掛かった。
それは県すべての工業高校が参加するものコン旋盤部門出場選手の合同練習会だ。
啓太も必然的に出場することになったのだが、そこで啓太は思い知らされた。
俺は――技能士にはなれない、と。
啓太の他に出場する選手は洗練された動きで課題を仕上げていく。啓太もそれは同じなのだが、他の選手の仕上がり具合は啓太を凌駕している。その作業姿は「すでに準備は万端だ。早く競技を始めようじゃないか」と語りかけるようだった。
その光景は、啓太に多大なる悪影響を及ぼした。
込み上げるのは自身の未熟な技能それだけだ。周りの作業に圧倒され、自分自身に自信が持てなくなっていた。
「クソっ、クソっ!」
拳を握りしめ自室にある机を思い切り叩く。叩くたびに机の上に置いてある冊子や文具が振動によってすこしずつ動く。
叩くのを一旦やめて拳を見てみると痛々しそうに赤くなっていた。
全てが惨めだ。何もかも忘れられたらどんなに良いことだろう。
だが啓太は全く忘れられないでいた。網膜に焼き付いたその光景は啓太に大きな衝撃を与えたからだ。同年代の選手が啓太よりも優れている。現に彼らの見せた動きを啓太はできないだろう。
「もう、なんなんだよ……」
遥か見た技能士への姿。手を伸ばせば伸ばすほど一歩また一歩と遠ざかっていく。
――ならいっそのこともう技能士になることを諦めればよいのではないのだろうか?
ふと脳裏にそんな言葉がよぎった。
技能士の事を考えなければ今とは違った清々しい光景が啓太を包むだろう。今は悩みや焦りで曇天模様な心の景色だが、それらを忘れればきっと晴天の景色が啓太の心を包み込んでくれるだろう。
もう――何もかも忘れよう。
啓太がそう思いながらベットに倒れ、目を瞑ろうとした時だった。
『……啓太、少しいいか?』
しばらくぶりに兼継が扉越しに啓太に声をかけてきた。いつも学校とものコンの練習でロクに会話していなかった為、兼継から声をかけてきたことに啓太は少し驚いた。
「何だよ」
『話はここではしない。今からつなぎに着替えていつもの場所に来い。俺はずっと待っているからな』
「ちょっ、おい!」
扉越しに聞こえる足音が次第に聞こえなくなっていく。恐らく指定した場所に向かったのだろう。
「馬鹿馬鹿しい。誰が行くか」
ベットの上で寝がえりをうつ。しかし眠気はこない。それどころか兼継の言葉が気になって眠気が吹き飛んでいく。
「あーっ! ……やっぱり行くか」
頭をポリポリと掻きながら部屋のクローゼットに掛けてあったつなぎを無造作に取って着替え、兼継の待つ場所へと向かった。
そして新米技能士へ至る 二魚 煙 @taisakun
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