第2話
女神様の声を聞き目の前が暗くなってから、ノンレム睡眠時のようにどれくらい時間が経ったか分からないが、次第に意識が覚醒してきている。
うつらうつらしながらも、櫂は重たい瞼を何度かしばたたかせ瞳を開ける。
「おおー、女神様が言っていたように本当に草原にスポーンしたのか」
女神様のことを疑っていた訳ではない。しかし、何度か異世界に転生した夢を見て喜んでいたところで目が覚め、寝落ちだったことが何度かあった。その経験がマイナスに作用し、実際に別世界に来れるか最後の最後まで不安だった。
女神様は最初に街を目指せって言っていたことを思い出し、しっかりと地面を踏みしめ一歩を踏み出す。踏み出したはよいものの、周りを見渡せば草原それから草原、別の方向を見ても草原、もしくは遠くに山が見えているくらいで今のところ街らしき影を見つけることは出来なかった。
女神様、良ければどっちの方角に行けばいいのか教えて欲しかったな。
途方に暮れ見上げた空には無情にも太陽と月の二つが輝いているだけで、何も返ってくることはなかった。
道に迷ったというよりは最初から行き詰っているだけだが、街を目指す目標は変わらない。少し冷静になって考えてみると、さすがにこれだけ広い草原だとしても、きっと商人や冒険者が移動するために道が整備されているはずだ。気を取り直し、再び歩みを進める。
体感にして三十分ほど歩いたところで、道らしきものを発見できた。
そして、ここからが問題である。発見した道は左右どちらにでも進めるのである。本当に前の世界は道が分からなくても人工衛星により場所を特定して貰うだけで行きたい場所への道しるべが出来てしまうのだから便利だったと感じてしまう。
こういう時のテンプレートは待ちに徹するに限る。女神様のいう通りに近くに街があるならば冒険者という職業が存在するこの世界。依頼を終えた冒険者もしくは交易を行っている商人が道を通りがかるに違いない。
櫂がその場から動かないことを決めてしばらくすると、案の定数人が右手の方からやってきているのを見つけることが出来た。
ちょうど櫂の前を通り過ぎるかどうかのところで、先頭を歩いていた青年が顔をしかめながら声を掛けてくれた。
「そこの君、安全な草原とはいえいい歳をした大人がそんな軽装で一人でいるのはどうかと思うよ」
櫂は青年の佇まいを上から下へと冷静に観察する。
全身銀色の装備、おそらく鉄製だな。メイル、ガントレット、グリーブを装備しているから、さしずめ騎士ってところか。それに眼を見たところ悪い人ではなさそうだし、これも何かの縁だ。この人達に決めてしまおう。
「すみません、気が付いたらこの草原に辿りついていたもので。もしも、君達がこれから街に行くのであれば、同行させて欲しい。もちろん、ただとは言わない」
櫂は銀貨三枚を鞄から取り出して、青年達に提案する。
女神様に出会った空間で読んだ紙によると、この世界の貨幣は銅貨、銀貨、金貨、白金貨の四種類で統一されている。古き時代は海を隔てると硬貨の種類が異なっていたが、ある時代を境に大陸同士が友好を結び隔たりをなくし、貨幣価値を統一した。具体的には、銅貨千枚で銀貨一枚相当の価値になり、銀貨、金貨も同様に千枚集まると一枚の上位貨幣と同等の価値になる。
銅貨五百枚で食事一食、銀貨一枚で宿屋一泊、金貨四十枚で家一軒が建つ相場になっている。
青年は銀貨三枚、彼らにしてみれば豪華な食事、それも街に送り届けるだけの簡単な依頼で今日一日の最後に彩りを飾れる硬貨に目を釘付けにされていたが、ダークブランの髪の少女が少年に忠告する。
「ねえ、アル。このおじさん少し怪しくない? お金を持っているのに、街の位置が分からないって普通じゃないよね」
「確かにミリヤの言う通りだね」
青年たちの疑惑の目が櫂に向けられる。櫂はそれでも焦らずに丁寧に対応していく。肩にかかるくらいの長さで、耳の辺りから軽めに巻かれている髪を弄っている少女に目を向けて櫂は更に説得を続けていく。
「確かにそこの可愛い子がいう通りだね。自己紹介もしないおじさん、更に道は分からないけどお金を持っていて、街への案内を依頼してくる。俺が君たちの立場だったなら、人攫いか人殺しの類だと疑うね」
「ほら、本人も自白しているから確信犯よ」
「私の名前はカイというんだ、よろしくね。正直に話すと、私は空間の裂け目に落ちてしまってね。住んでいた場所はかなりの秘境で、君達に地名を言っても伝わらないところから来てしまったんだ」
「ふうん、空間の裂け目ね。稀に出現して、近くにいる生物を全く別の場所に放り出してしまうみたいね。確かにあなたみたいな話を私も聞いたことがあるわ」
「そうなんだよ。だから、地理が全く分からなくて困っているところに君達が来てくれて、私は心底感謝しているんだ。下手したら、何も分からない土地で野宿するところだったからね」
必死に弁明するカイの姿を見て、ミリヤと呼ばれていた少女の警戒心が少し和らいだ気がした。もうひと押しで説得できると思っていたら、アルとミリヤの後ろにいた淡い栗色の髪色の美少年が恐る恐る口を開いた。
「アルフレッド、僕にも彼が嘘を言っている様には聞こえないし、精霊達も騒いでないからきっと大丈夫」
「ハイネが言うなら間違いないだろうね。ミリヤ、街までカイさんを送ろうと思うけどいいかな?」
「このおじさんが危ない人じゃないって分かったからいいわよ。それに、街まで送って銀貨三枚ならかなりお得よ。受けない方が勿体ないわ」
彼らの中で俺を街まで送ってくれることが決定したみたいだ。道に迷わずに街に辿りつけることに心底安心し、頭を下げて心から彼らに感謝の言葉を述べる。
「本当にありがとう、ここに放り出された時はどうしようかと思ったもんだ。君達みたいな優しい冒険者に出会えて、私は幸運だったようだね」
「気にされないで下さい。僕たちも最初は疑ってしまってすみませんでした」
「それに関しては君達の判断は正しいと思うよ。特にミリヤちゃんだったかな? 君はすごいね、君達の年齢くらいだとお金に目がくらみそうだけど、疑えるなんて偉いとおじさんは思うよ」
「と、と、当然よ!! アルは少し抜けているところがあるから、私がしっかりしなきゃダメなんだから!!」
褒められるとは思ってなかったんだろうな。
カイの褒め言葉に彼女は盛大に照れてしまっているみだいで、アルフレッドの肩をしきりに叩いている。
「それじゃあ、改めてだけど、私の名前はカイ。街までよろしく頼むよ」
「痛いよ、ミリヤ。殴るのやめてよ。カイさん、僕はアルフレッド、騎士をしています。こちらの彼女がミリヤでシーフ、隣にいるのがハイネで精霊術師です。僕たちのチームが街まで護衛させて頂きますので、よろしくお願いします」
お互いが自然と手を差し出し、笑顔で手を強く握りしめた。
「それでは、僕たちが拠点としている『プレリエ』に向けて出発したいと思います」
こうしていい歳をした男性と青年の一行は『プレリエ』という街に向けて歩き出した。
前を歩く三人の後姿を眺めながら、カイは一先ず安堵のため息をつく。
異世界で初めて出会った人達が彼らの様な誠実そうな青年達で本当に良かった。
ミリヤちゃんが心配するように初めて出会った人が盗賊や闇商人だったら、確実に俺の異世界ライフは終了だっただろう。それはそれで女神様の僕になれるから、本望だったかもしれないな。
カイは気になっていたことがあったため、ハイネ君と呼ばれていた少年の横まで駆け寄り話し掛けてみる。
「急にごめんね。気になったら我慢できない性質でね。ハイネ君はエルフであってるかな? 私はエルフを見たことがなくて、聞いてる話だけだと耳が長いとエルフって聞いてるだけだからちょっと興味があってね、どうかな?」
「カイさんの言う通りエルフで間違いありませんが、僕はクォーターです。父がハーフエルフで母が人間なんです。補足すると、耳が短いエルフもいます」
「へぇー、そうなんだ。この世界は他種族同士の結婚に関しては特に問題ないのかな?」
「問題ないです。僕みたいなクォーターやハーフは結構います」
種族がいた以前いた世界の人種みたいなもので、大まか生物の括りとしては一緒なんだろうか。それとも以前いた世界と根本的に生物としての成り立ちが違う可能性もある。こっちの世界にはDNAみたいな概念がないのかもな。
カイがあれこれ思案に暮れていたら、ミリヤちゃんが少し怒気の強い口調で話題に参加してきた。
「逆にハーフやクォーターを見慣れてないあんたの方が珍しいわよ? 余程の田舎だったとしか考えられないわね」
「ミリヤ、言いすぎじゃないかな? 未だに閉鎖的な地域は各地にあるって聞くし、余りにも血が混じりすぎると子どもが出来ないって話もあるからね」
「確かにアルが言う通りね。ハーフ同士だと子どもが出来にくいって話はよく耳にするわね」
アルフレッド君の助言のお陰でミリヤちゃんの語尾が尻すぼみになっていった。
カイはその光景を見て少し甘酸っぱい気持ちになった。
流石、恋する乙女は純粋だね。初々しくて見てられないな。なんか青春時代を思い出すよ。藪を突いてみたいけど、蛇が出てきたら厄介だからこれ以上この話はやめておこう。
「ミリヤちゃんが言う通り田舎だったし、閉鎖的だったからそういう知識に疎くてね。混血は基本的には子どもが出来ないと言われて育ったんだよ。だけど、今の話を聞いて安心したよ。私は純血の人間だから、基本的にはどの種族の人でも大丈夫そうだから、選択肢は多そうだ」
カイの言葉に三人とも驚いていたが、三人が驚いていたことにカイも驚いていた。
「カイさんはまだ結婚してなかったのですね。見た目もかっこいいです、年齢も十代に見えないので結婚していると思っていました」
「はっはっは、ハイネ君、これでも私は今年で三十二歳になるんだよ。結婚したかったんだけどね、夢があったから出来なかったのだよ。それでもね、正直さっきの話を聞いて安心したところさ。選択肢が多ければこんな私でも結婚してくれる人がいるだろうからさ」
「……訳アリ物件を好んでくれる人がいればね」
ミリヤが呟いた言葉は「はっはっはー」と笑うカイの声に上書きされ、本人の耳に届くことはなかった。
両手を組んで声高らかに笑うカイに対して、アルフレッドとハイネは正反対の色、憂いを込めた眼差しでカイを見つめていた。
カイは知らないのである。この世界の結婚適齢が十代後半であり、二十代半ばであっても問題ありと認定される事実を。ましてや三十代、以前の世界であれば油の乗ったいい男性という見解もあるだろうが、問題ありを通り越して同性愛者と勘違いされかねない年齢であることを。
カイは外見だけを見れば、かなりの高物件である。それは本人も自覚をしている。身長は一八〇cmぐらいで、相手を魅了するようなくっきりとした二重瞼の瞳に鼻立ちも高く、顔は掌で覆えるほどに小さい。街を歩いていると何度か芸能関係からスカウトを受けたことがあるほどだった。なぜそこまでの見た目で結婚できなかったのか。性格に問題があったのか。経済的に問題があったのか。それとも同性愛者だったのか。否、全て否である。彼には人生の華々しさを失ってでも叶えたかった夢があったからだ。
カイは前方で仲睦まじくじゃれ合っているアルフレッドとミリヤを見て逡巡する。
やっぱりパート―ナーって大事だな。彼女は居たこともあるし結婚も考えたけど、結婚しなくて本当に良かったよ。こうして異世界に来ることが出来たから良かったけど、あのままずっと独身だったら生涯孤独で寂しかっただろうな。これで憂いもなくなったことだし、恋も遊びも本気で楽しまないとな。
カイは決意とともに前をしっかり見つめ、二人の背中を追って再び歩き出した。
先駆者が整備をした世界で自由気ままな生活 @nonononoi
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