先駆者が整備をした世界で自由気ままな生活

@nonononoi

第1話

 榊原さかきばら かい

 幼い頃から高校までは野球と勉強を文武両立し、人並みの青春も経験した。

 大学に入学し、運命の出会いは3年生の時だった。彼の通っていた学科は化学専攻で物理化学と生物化学の選択で彼は物理化学を選択した。

 そして、とある研修室に希望を出し、そこで運命の人『山田教授』に出会う。

 

 山田教授、本名は山田 俊彦、独身で当時34歳。教授としては異例の年齢で有名なジャーナルにも論文が掲載されるほど業界では知らない人はいない人物。

 この教授との何が運命的だったか、それは重度のオタク、自他ともに認める一流のオタクであった。


 それから榊原 偕と、変態一流物理量子学者の山田 俊彦の濃厚な9年間が幕を開けた。この話をすると大変長いので割愛させて頂こう。

 以下略形式で簡潔に何が言いたいかというと、この9年間でオタク知識を身に付け、そのライフサイクルを確立させてしまった。

 それは就職してからも同様だった。


 櫂が二十九歳の時に流行っていた文化が『異世界転生物』という小説であった。

 その小説の主人公の十人中八人くらいは、トラックにはねられて異世界に転生する。転生先の世界はオンラインゲームの中世ヨーロッパ風味で文明レベルも低く、転生した主人公は生前の知識でチートし、ある時は女神からチート能力を授けられチートし、はたまたある時はゲームよろしくステータス画面が目の前に浮かびチートレベルのステータス上昇する。運が悪いと思いきや、いつの間にかマイナス能力ががプラス能力に進化してチート覚醒する。

 何が何でもチート覚醒する、それは毎回攫われるとあるゲームのお姫様に負けないくらいに。


 この時の俺は何を考えていたんだろうなって、今になると思う。それでも、無駄にはならなかったよと言ってあげたい。

 ちなみに何をしていたかというと、転生した時の準備を始めていました。チート能力に覚醒しなくても生きていけるように、知識チートに目覚めようと。元から知識欲だけはあったことが幸というか不幸というか、仕事に支障をきたすレベルで励んでいた。眠くて翌日は隠れて寝ていたり、仕事の合間をみては事象の原理などを学んでいた。

 本当に人生において勉強は無駄にはならない。これからの若い世代には是非勉強して欲しい。学校の授業の勉強も大事だけど、生きていく上で大切な勉強もたくさんあるからね。いつか転生できたらいいなと思っていたけど、心のどこかで関係ないと思っていて、物理的にも宗教的にもあり得ない事象だと否定していた。輪廻転生などのスピリチュアルな話は化学的にも証明できないから信じられなかった。

 だから、憧れていたんだろう。


 結果として、俺もこのテンプレート通りに異世界転移を奇しくも果たしてしまった。


*******


 いつの間に寝てしまったのだろう。

 確か今日も二十時に仕事を終えて、車で家に帰る途中でドラッグストアに寄っていつも通り安い冷凍食品を買って帰り、日課の小説を読んで寝たはずだ。

 今回の主人公はいわゆる追放されて以前の仲間を見返すパターンだった。ちなみに、勇者パーティーに入っている時点でかなりのエリートなのではと思う。例えば、有名な検索エンジン会社のエリート集団のまた更に優秀な人材が勇者レベルだと仮定すれば、その仲間という時点で他の企業に就職すればスーパーエリートだ。逆転劇しか見えてこないね。

 別に今の会社で優秀でなくとも、別の会社に転職すれば優秀な人材に化けることだって珍しくない。

 

 少しずつ意識が覚醒し、周囲を見渡してみるがあまりにも無機質な空間だ。寝落ちしたとしても目が覚めれば自分の部屋にいるはずだろうに。


 「思いの外喜んでないっすね」


 部活女子のような、活動的で元気な女の子の代表的な声にふと後ろを振り返れば、髪を一つに結んだ黒髪の女性が肩をすくませて佇んでいた。

 思わず彼女の容姿を凝視してしまった。

 顔と体のバランスが整っていて、かなり顔が小さい。目元は吸い込まれそうになるほど大きな蒼い瞳で、肌は透き通るように白く、幼いようで成熟しているような見た目。一言で言って、マジ天使だ。

 

 「初めましてっすね。私の名前はクロノス、時と時空を司る神っす、よろしく」

 「よろしくお願いします。それで神が私になんの御用でしょうか? この感じだと死んだようには感じられないのですが」


 相手は神だ。咄嗟に出た言葉は当たり障りもない平凡な言葉だった。あれほどシミレーションしたにも関わらず、なんとも情けない返しだ。


 「君がいう通りに正しくは死んでないっすね。何というか完全にあたしの気まぐれっすね。君が待ち望んだ異世界ってのをプレゼントしようと思うっすよ」


 その言葉に胸が高鳴った。脈は指で押さえると感じることが出来るが、指で押さえなくとも血流が血管内を通りすぎるのを肌で感じるほどに本当に興奮してしまっている。あまりの興奮に喉も渇き始めてきているが、必死に声を絞り出す。


 「それが本当だとしたら、クロノス様は私にとってかけがえのない女神様です。この出会いに感謝すれど、後悔することなどありません」


 女神さまは俺の言葉を聞いて、満面の笑みで両手でガッツポーズを作っていた。 


 「そこまで言って貰えると、ここまで来た甲斐があったっす。正直不安だったっすよ。意外と転生したいと考えていても、いざ自分の世界から離れる瞬間に気が変わる人が多いっすからね」

 「えっ、そうなんですか? てっきり俺みたいな人は簡単に異世界に移動すると思っていました」

 「意外と違うんすよ。君のいる世界は文化水準が高いほうだし、あえて魔物がいる世界に行って危険と隣合わせになるよりは今の豊かな生活が良くないっすか。君も冷静になって考えてみるといいっす。携帯にテレビゲーム、美味しいご飯に快適な住居、お洒落な衣服、ないものねだりにはなるっすけど、君達の世界は充分に裕福っすよ」


 櫂は女神さまの言葉で我に返り冷静になって考える。

 確かに女神様の指摘する通りだ。今暮らしている世界は平和でどこまでも裕福だ。頑張って働いていれば平均水準以上の生活ができ、危険とも隣合わせではない。人並みに生涯を全うすれば百歳まで生きられる世界だ。

 それに対して俺が行きたいと欲していた世界はどうだろうか。

 魔法があるのになぜか衣食住が拡充されていない、盗賊や魔物などの外敵から身を守らなければならない、生と死が常に隣合わせの世界に違いない。

 冷静に考えたら、今の世界でヴァーチャルゲーム(VR)をしている方が堅実だよな。踏み止まった先達は賢かったのだろうね。


 「それでも、それでも私は異世界に行きたいのです。きっと小説みたいに楽しいことばかりじゃないと思います。簡単に命を落とすかもしれませんが、きっとそこにはこっちの世界では得られない冒険が待ってるはずですから」

 

 出来うる限りの笑顔を作って、女神に告げた。

 俺の言葉に女神は春の陽だまりのように温かい笑顔を向けてくれた。その笑顔は今後の俺の行く末を案じてくれてのものかもしれない。勘違いかもしれないけど、この時の俺にはそう感じられたんだ。


 「その決心や良し。それで君はどんな世界に行ってみたいっすか?」


 女神様の左の掌に広辞苑くらいの大きさの本が現れ、こちらに差し出してきた。俺は恐る恐るその本に手を伸ばして、内容を確認していく。

 女神様のくれた本によると、候補先の異世界は俺が読んでいた小説に出てくるような世界が数多く収録されていた。ステータスが見える世界だったり、職業が最初から神託で決まっている世界、魔王ばかりが住んでいる魔界、モンスターに転生もありみたいだ。

 次々に頁をめくり、俺は内容を確認していく。 

 

 「ゆっくり見ていいっすよ。時間はたっぷりあるんすから、慌てず確認することがどんな時だって大事っす。切羽詰まったときや重要な場面こそ、一歩踏み止まって客観的に判断することが成功の秘訣っす」

 「それはその通りですね。そこで質問なのですが、この備考欄に乗っている人物はその世界を管理する神様でよろしいですか?」

 「それで間違ってないっすよ。どちらかというと管理はしてないっすから、製作者と表現する方がより正しいっす。君の世界の小説と一緒にしていいか分からないっすけど、一時期ブームになったんすよ」

 「えっ、まさか世界を作ることがですか?」

 「そうなんす。誰が一番素晴らしい世界を作れるか競っていたことがあるっす。本当にあの時期は混沌カオスだったっす」 

 

 女神様の明後日を見る表情から、この話題は地雷だったみたいだ。世界創造は気になる話だけど、両手の中の本に集中しよう。

 でも、この本の厚さから考えると全部の世界を見るのは不可能そうだよな。

検索機能やソート機能があったら便利だな。


 「その機能なら見開きのページで念じると発動するっす。検索した結果の頁は本から自動で出てきてくれるから便利っすよ」


 女神様の言葉通りに見開きの頁を開けて念じてみる。

 そうすると本の中から数十枚の頁が飛び出て、何もない空間に浮いてしまった。映画やアニメでしか見ることの出来なかった光景が目の前に広がり、興奮が抑えられそうになかった。 

 

 「おおー、すげー!! 映画でしか見たことなかったけど、実際に魔法の本みたいに宙にページが浮くと圧巻だな!!」

 「喜んで貰えたなら何よりっす。やっと君のいい笑顔が見れて良かったっす」


 新しい玩具を買って喜んでいる子どもを見る様な、そんな優しい視線に恥ずかしくなり、自然と目線を落としてしまった。

 女神様に会えたのも何かの縁だと思うし、さっき神々が世界を創造したと言っていたから、女神様の世界もあるはずだよな。

 女神様の名前は確か『クロノス』で間違いないはずだ。女神様の名前を念じて本に手を置くと、浮かんでいたページのいくつかが本の中に戻っていき、5枚だけが取り残されていた。

 その光景を見ていた女神様の目が、瞳孔が大きく広がったように見えた。


 「まさか、ボクの世界を選んでくれると思ってなかったすからね。選んでくれて嬉しいっすけど、あまり管理していない世界もあるからこの三つの世界はお勧めしないっす」

 「管理してない世界というと具体的にどんな状態なんでしょうか?」

 「口調が固くなったっすね。少し砕けている方がボクは好きっすけど、初対面だから甘んじるっす」

 「すみません」

 「別に謝らなくていいっすよ。君が話しやすいのが一番っすから。それで管理していない世界は文明が発達していない、いわば種が進化してきれてないっす。君のいた世界でいうと恐竜が生きていた時代と同じっす」

 「神様が管理していないと文明は発達しないのでしょうか? 私がいた世界は恐竜が滅んで人類が誕生したと聞いていますが」

 「小さい箱庭を想像して欲しいんすけど、そこに鳥がいたとするっす。環境が劣悪になる、もしくは外敵が現れたとして、そこで何らか種が進化したとしても、そこで生まれる種は鳥に連なる動物っす。いくら鳥が進化してもヒトという種にはなれないっす」

 「要するにそこにヒトに連なる存在がいなかれば、人類は誕生しないと?」

 「その通りっす。そこで君の好きな物語みたいな、実際に君が体験しているような現象が発生し、文明は発達するっすよ。さすがに、この三つの世界でもヒトは誕生しているっすけど、僕の目が届きにくいから却下っす」

 

 そう言って更に本の中に紙が戻っていき、場に残った候補は二つになってしまった。それよりも、女神様って僕っこだったのか。口調からそうじゃないかと思っていたけど、見た目そのままで本当に良かった。一人称が『自分』も嫌いじゃないけど、個人的趣味は『ボク』だね。


 残った二つの頁を手に取り、内容を確認していく。その世界に暮らしている種族や世界のそのものの広さ、時間の概念、現在の諸国間の情勢などの情報が大まかに記載されていた。

 

 「女神様、こちらの世界にしようと思いますので、よろしくお願いします」

 「おっ、そっちの世界にしたっすか。どっちの世界も君が生前に読んでいた物語に似ているから、もっと悩むと思ったっすけど意外と早く決断したっすね」

 「おそらくなんですが、女神様は私が選んだ世界の方がお好きですよね? 私以外にも既にこちらの世界に招いているのではないですか?」

 「よく分かったっすね。選ばなかった世界に比べて、確かにそういった人達は多いっすよ」

 「私が選んだ世界の方が歴史的なイベントが多かったので、そうなんじゃないかなと思ったわけですよ。同じ境遇の人が多い世界の方が安心できそうなので、こちらの世界にしたという訳です」


 櫂は手にした頁を女神様に渡す。気のせいかも知れないが女神様の表情が少し曇った気がした。


 「少々名残惜しいっすけど、これでお別れっすね」

 「私はもう行かないとダメなんでしょうか? もう少し女神様とお話しがしたいのですが」

 「それはボクも一緒っすけど、転移者から転移先の希望を聞くと速やかに送り出すのが決まりっす。時間が長くなると余計に名残惜しくなるっすからね」 


 その後、櫂は女神様から簡単な説明を受けた。

 言語は今の言葉で話すと選んだ世界の言葉に変換されるようにしてくれたみたいだ。魔物もいる世界なので、何も持たない状態だとすぐに死んでしまうため、最低限の食料や装備を鞄に詰めてくれた。この鞄が俗にいうマジックバックで、女神様の作った世界では元いた世界のリュックサックくらい普及していて、珍しい物ではないようだ。


 「転移先は近くに街のある平和な草原に設定するっすから、無理しないで街に行くっすよ! これは私との約束っすから、ちゃんと守るように」

 

 そういうと女神は小指をこちらに差し出してきたので、俺も小指を女神様に差し出し、指同士を絡める。

 

 「分かりました。必ず街に行きます」

 「嘘ついて死んだら、ボクの使徒として永遠に仕えて貰うっすからね」

 「それはそれでご褒美ですね」

 「そんなこと言わずに、行った世界で精一杯生きるっす。精一杯生きて死んだなら、ご褒美の件はボクの方で考えとくから覚悟するっすよ」


 女神様が悪戯を思いついた時のような悪い顔をしていた。

 絡めていた指が離され、女神様の手が近付いてくるのが見え視界が暗くなる。


 「これから君の臨んだ世界に送るっす。少し気持ち悪いからもしれないっすけど我慢するっすよ、男の子なんすから」

 

 次の瞬間、飛行機が離陸するときのような妙な浮遊感に襲われ、俺は意識を手放してしまった。

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