最終節 そうして本はとじられる(後)

「それより、〈異録〉はどうなった?」

「今、修復しているところ」


 一度ばらけてしまった本だ。もうこのようなことにならないよう、時間を掛けてきちんと丁寧に本を修復すると決めている。

 まず、表紙も糸もすでに古くなっていたので、ページ以外は作り替えることにした。それから、魔書を守る魔法式も新しく書き加える予定だ。もう勝手に飛んでいったりしないよう、以前より術を強固にして、本を守るつもりだった。


「素晴らしいね。さすが詩凪だ」


 柾が手放しに賞賛するので、なんだか座りが悪かった。それほど大したことはしていないのだ。〈異録〉の対処だって、他の魔書にしていることとそう変わりない。

 何故だろう、と考えて、一つの可能性に行き当たり、詩凪は表情を引き締めた。


「〈異録〉は、マサくんに渡すことはできない」


 きょとんとした表情で、柾が詩凪を見つめる。


「ノエから聞いた〈グランギニョール〉の理念も解らなくはないの。せっかく書かれたのにただ仕舞われるだけなんて、寂しいもの。この本ももしかしたら、そんな不満があって今回散らばってしまったのかもしれない。だけど、この本はやはり危ないの。だから、私が管理する」


 ただ、以前のようにしまったままにはしないつもりだ。本は読まれることに意義がある。そのために、表紙に新しい術式を書き加えているのだ。


「解ってるよ、詩凪」


 柾は薄く微笑んだ。〈グランギニョール〉だったときの、酷薄な様子を思わせるような笑顔だった。


「別に僕は押し付けられたから面倒みてただけだし。正直、あんな組織なんてどうでもよかったし」


 ただ、〈異録〉は修復しなければならないということで、組織の形を残していたに過ぎない、という。


「もうあれも解体したよ。今は全員霧沢家の使用人として置いている」


 詩凪たちが関わったのは、ノエとフランセットの二人だけだったが、他にも五名いたのだという。そのうち三名は、もともと霧沢家の使用人だったとか。


「……わりと身近に敵の巣窟があったものですね」


 柾に冷淡な瞳を向けて、キキは言う。この前の騒動から、キキは柾に辛辣だった。詩凪を見せかけとはいえ裏切った上、以前の影騒動でノエを手引きしたことを知って、柾への信頼度が低下してしまったらしい。


「敵だなんて。そう見せかけたけどね。僕が詩凪を本当の意味で裏切るはずがないでしょう?」


 さも当然とばかりに言って見せる柾に、詩凪は目をぱちくりさせた。そう言ってくれるのはとても嬉しいのだけれど、そこまで断言されるようなことなのだろうか。今回のことで詩凪も学んで、「誰々が裏切るはずがない」なんて甘い考えを捨てたつもりなのだけれど。

 だが、その場にいた詩凪以外の者たちは、みな呆れた様子を見せていた。


 ぱしん、と凌時が手を叩く。


「なんにせよ、これでページ集めは終わりだな」


 そうして大きな溜め息を吐いた後、天井を仰いで顔を覆った。事件は解決したというのに、なにやら気難しい表情をした凌時に、柾が問い掛ける。


「君、これからどうするの」


 柾の質問の意味がわからなくて、傍らで詩凪は首を傾げた。

 一方、凌時は体勢を元に戻すと、思案顔でぶつぶつと答えとも言えない内容を呟き始める。


「家は、夏休みの間に見つけりゃあいいとして……学費……困ったな。バイト増やしても賄えるかどうか」


 もう少し先のつもりだったからなぁ、と早くも家を出る算段をし始める凌時に、詩凪は慌てた。そういえば、凌時の滞在は〈異録〉のページ集めが前提だったのだ。そして、その仕事が終わったら出ていくものだと、凌時はしっかり認識していたらしい。

 正直このまま家にいてもらって全然構わないのだが、何も条件がなかった遠慮してしまうだろう。

 どうしたものか、と考えていると、思わぬところから助け船が入った。


「あまりお急ぎにならずともよろしいですよ」


 にこにこと人の好い笑みを浮かべて、間宮が凌時の傍らに立つ。ついでに空のカップに新しい紅茶を注いでいた。


「すでに後期分の学費は振り込んであります。少なくとも一年生を終えるまでは、このまま生活していただいて構いませんよ」


 本当ですか、と凌時は腰を浮かす。

 詩凪も少しだけ驚いた。いつの間にそんなことをしていたのだろうか。確か、前に穂稀の財形の話をしたときはそんな報告も相談もなかったというのに。

 まじまじと間宮を見ていると、少しだけ茶目っ気のある表情をした。――嘘だ、と詩凪は悟った。しかしこれから本当にする気だ、とも。


「それだけの働きはしていただいた、と思っておりますので。報酬ですよ」

「え……でも……」

「良い、と言ったら、良いのです」


 食い下がろうとしたのを断ち切り、そうでございますね、と詩凪に確認を取ってきた。慌てて頷く。そんな打ち合わせはしていないが、ここは便乗させてもらおう。せっかく間宮が気を遣ってくれていることだし。

 あまりの強引さに、凌時は目を白黒させていたが、他に当てがない所為か、しおしおと椅子に座り込み、


「……じゃあ、お言葉に甘えて、後期が終わるまで」


 その間に身の振り方を考えます、と居心地悪そうに縮こまった。


「良かったじゃない。路頭に迷わなくて」


 ふふ、と柾は笑うと、カップに口つけて一言。


「ああ、憎らしいなぁ」


 勢いを取り戻した凌時が再び腰を浮かした。柾に食って掛かるためである。いつも通りの光景がまたはじまって、詩凪は口元を綻ばせた。

 まだもう少し、こんな日々が続くのだ。

 一瞬失いかけただけに、嬉しくて仕方がない。


「では、その間、新しい仕事のお手伝いをお願いしましょうか」


 この四ヶ月あまりでしっかり凌時の性格を把握していた間宮はそういうと、詩凪の前に一つ開封済みの封筒を置いた。

 柾と凌時の言葉の応酬がぴたりと止む。

 キキがなんだろう、と覗き込む。


「お嬢様、魔書についてのご相談がある、とお便りをいただきました」

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詩凪と落丁した魔書 ~切り離された街の悲劇再録~ 森陰五十鈴 @morisuzu

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