終章

最終節 そうして本はとじられる(前)

「そういうことだったんだ……」


 二日後。休みの日の朝を迎え、食事を終えてお茶にしていた食堂で、凌時りょうじから邸を出ていく経緯を聞いた詩凪しいなは、ふぅ、と胸を撫で下ろし――それからむくれた。


「言ってくれれば良かったのに」


 場合が場合なら、詩凪は柾を敵と認識したまま仲違いをしていた。そうなったときに柾はどうなっただろう。もしかすると、取り返しのつかないことになっていたのではないかと思うと、恐ろしくなる。

 しかし、凌時は首を振った。


「言ったところで、お前に演技は無理だろ」

「そんなことない……と思う」

「いーや、無理だね。柾が裏切ったってだけであそこまでパニクって何もできなかったやつが。騙す相手を前にして平静を装えるはずがない」


 断定されて、俯いた。否定できる要素がない。実際、間宮を人質に取られて激しく動揺していたことだし。

 因みに、間宮は知っていて人質になったらしい。事前に柾におおよそのことを打ち明けられ、詩凪の両親を殺した犯人を捕まえるため、一芝居を打つのに協力したのだそうだ。間宮は間宮なりに父への義理を果たそうとしたのかもしれないが、少し裏切られた気分になる。そんなに邪険にしてくれなくても良いのに。

 自分はそんなに頼りない人間なのだろうか、と悔しくなる。守られてばかりだ。ノエの言うこともあながち間違いではないのかもしれない。

 だから、柾はお兄さんのことを相談もしてくれなかったのだろうか。


「……良いんだよ、お前はそれで」


 詩凪の落ち込みように気付いた凌時は、優しく声をかけた。


「お前がそういう人間だから、あいつは救われてるんだ」

「……そうかな」


 凌時は、ああ、と頷いた。その顔は疲れて見える。それもそのはず、彼は昨日まで試験だったのだ。幸いにして、詩凪がノエと居た日は考査がレポート提出の授業しかなく、既に提出済であったので単位は無事であるとのこと。しかし、昨日、一昨日は筆記試験が目白押し。戦いの疲れを完全に癒せぬままに試験に望んだという。来週もまだいくつか残っているのだそうだ。〈グランギニョール〉との戦況が長引かなくて良かったと思う。詩凪の事情で単位に影響があっては、あまりに申し訳なさすぎる。

 因みに、詩凪は昨日終業式を迎え、今日から夏休みである。それだけにこの前学校を“さぼった”のも学業的にはあまり影響がなかった。その事と、一足早くお気楽な状態になるのに、後ろめたさが少々。高校と大学ではスケジュールが違うので、詩凪にはどうしようもないのだが。


「それで、マサくんはどうなったんだろう?」

「それなら、お聞かせしようかな」


 まるで見計らっていたように都合の良いタイミングで、柾が扉を開けて入ってきた。


「昨日話をつけてきた。霧沢家の家督も、邸も、会社も、財産も権利も、これから僕のものだ」


 あのあと柾は、榊に対する復讐を別の形で果たすことにしたらしい。それが、今兄が握っている霧沢の利権全てを奪うことだった。それで柾は昨日まで兄と話し合い――もとい説得し、承諾を得ることができたのだそうだ。

 別にどれも興味ないんだけれどね、と柾は言う。だが、せめて身ぐるみ剥がしてやらなければ気が収まらないらしい。


「よく素直に応じましたね」


 胡散臭そうにキキは言う。柾も薄気味悪いものを見たような微妙な表情で頷いた。


「なんかね、憑き物が落ちたようにしおらしくなってるんだよ」


 霧沢の邸宅に戻ってから、榊は自室に引きこもり、終始ぼんやりとしているのだという。ただ、たまに「こんなはずではなかった」と呟いているそうだ。


「どうやら、兄を焚き付けたのは、アオイらしい」 


 思いがけない柾の言葉に、詩凪たちは驚愕する。……が、誰も騒ぎ立てることはせず、すぐに納得した表情になる。


 ――貴方たちに干渉して良かった。

 榊が喚び出した魔女を見て興奮した彼は、そう言った。あの場にいた誰もがその言葉を聴いていた。

そのときに薄々感じてはいたのだ。もしかすると詩凪の両親は、ただ彼の“興味関心”の所為で犠牲になったのでは、と。

 今はもう、確かめる術はないが。

 藍。あの少年は、今まで詩凪たちに付き纏っていたのが嘘のように、あれ以降一度も姿を現さなかった。そして、詩凪たちはこちらから接触する方法を知らない。いつも彼が会いに来るのに任せていたからだ。


「あいつは一体なんなんだ」

「古くからいる妖怪みたいなものだよ。面白がりで、性質の悪い……ね」


 なんだそりゃ、と凌時は顔を顰めるが、詩凪も柾もそれ以上のことは知らなかった。ただ古くから居て、気紛れに人にちょっかいを出す、そんな存在だ、ということだけ。


「狡猾な年寄りだからね。兄さんもあっさり手玉に取られちゃったんでしょ。あの人、霧沢のためとは言っていても、プレッシャーの所為で意志が弱かったから」


 だから今腑抜けてるんだし、と柾は飽くまでも榊に辛辣だった。


「……で、その後兄貴はどうするんだ?」

「身ぐるみ剥がしたことだし、手続きが終わったら用はないから、家から放り出す」

「おーい」


 半眼を向けて凌時がただちに突っ込んだ。


「警察に突き出さないのかよ」


 一般人の感覚として至極真っ当な意見に、しかし柾は首を横に振った。


「魔術がらみの刑事事件はいろいろ面倒でね。まず物証が残らないから、まともに立件することができないんだ。仮に証拠とかでっち上げで立件できるとしても、有罪が確定して収監されたあとが問題になる」


 なんていっても、魔術が使えるのだ。なんでも切れる魔術を使える榊なら、食用ナイフを手に入れた瞬間に脱獄も殺戮も可能になる。そういった相手を放り込むには相応の準備が必要で、しかし一刑務所にわざわざそんな設備を設けるのにもいろいろと弊害があるため、魔術師による魔術犯罪は、法的には放置されがちである。

 とはいえ、凶悪な魔術師を本当に放置するわけにもいかないので、一応魔術師界隈での措置があるにはあるのだが――


「厄介事にならねぇか?」


 それを知らない凌時は尋ねる。知っているはずの柾は、凌時に説明する気はないようで、素っ気なくただ一言。


「さあ。復讐してこようと相手にならないし、どんな生活をしようと、もう僕の知ったことではないよ」


 はじめは追放するのにも問題があると言っていたが、〈異録〉が元通りになったあとの榊は何処か気勢を削がれた風であるらしく、その心配もないのではないか、と今はそう思っているらしい。


「……良いのかな」

「良いんだよ。何かあっても、僕が対処するから、詩凪は気にしないで?」


 これ以上の介入は不要、とばかりに無理やり話を終わらせた。あまり機嫌が良くない。

 追及しても無駄だと悟った詩凪は、質問を変えてみることにした。


「……いつから知ってたの?」


 榊が犯人であることについてである。もっと気になるのは、いつから復讐を考えていたか、だった。


「詩凪に協力した経緯は、おおよそ前に話した通りだ。ただ、詩凪に協力してあげたいって気持ちも、父を殺した奴を見つけたかったって言うのも本当」


 その頃はまだ、榊が犯人であるということは、可能性の一つとしてしか考えていなかったのだという。


「僕でも家族には情を持つからね。……そんな訳ないって、すぐにその可能性を否定してしまったんだ。……まして、親を殺すなんてね」


 だが、去年の秋に、兄が犯人であると確信してしまった。〈異録〉のページがなかなか集まらないのに苛立った本人が独り言を言っているのを聴いてしまったのだ。


「それからどうにか復讐してやろうと思って、その方法を考えて……どうせなら、ただ殺すだけじゃなく、絶望に突き落としてやろうと思った。〈グランギニョール〉もすでに動き始めてしまっていたしね」


 それならば、この状況を最大限に使おうと考え、兄を出し抜くために詩凪を守ってくれる貧乏学生を雇うことに決めたのだという。


「いざというときに都合良く使えて、霧沢に関係なくて。今年大学に入るのなら年下だから従わせ易いし、お金ない状況で大学行こうとするならそれなりに賢くて、真面目だろうし。それでもって生活補助という弱味を握れば裏切る可能性が少なくなるだろうから、実に都合が良かった」


 凌時は顔を大きくひきつらせた。


「……外道だな、お前」


 柾贔屓の詩凪も、流石に酷いと思った。なまじ思惑通りに行っているところが、ますます怖い。

 どうも一度詩凪に裏切り者の顔を見せてから、詩凪に対しても暗い一面を隠す気がなくなったように思えるのだが、気の所為だろうか。

 ――別に、嫌いになったりしないけれど。

 やっぱり優しい柾が良い、と詩凪は思う。


「ずいぶんと役に立ってくれたよ。予想以上の働きだ。余計なことにもなってしまったけれど」

「余計なことって?」


 詩凪が首を傾げれば、凌時が気まずそうに視線を明後日の方向に飛ばした。柾はそんな凌時を意味深に微笑んで見ている。

 妙な空気に、詩凪はますます首を傾げたが、誰も何も教えてくれなかった。

 キキが隣で苦笑している。

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