最後の一歩
夜霧林檎
第1話
雷のようなけたたましい声をあげながら大きな岩を飲み込む荒波。海からは何メートルも高い崖から見ているにも関わらず、壁にぶつかったときに飛び散った水飛沫は私に降りかかった。空からは大粒の雨が私を押し潰そうと叩き付け、風は私をこの荒波に飲ませようと背中を押す。私は両手いっぱいに抱えた茶色の布切れと綿を何とか飛ばさせないと力一杯抱え、荒波に視線を戻す。
「貴方なんて家族でも何でもない。さっさと出ていって、居ない方がこっちとしても幸せなのよ」
嫌でも思い出してしまう母親の声。深夜の一時くらいに凶変したお母さんが寝ていた私を叩き起し玄関まで引きずり吐き捨て私を外に締め出した。普段は厳しいけれど本当に子供思いな母親で私は意味が分からなかった。何度も何度もお母さんの名前を呼び扉を叩くが誰かが出てくる様子は一寸も感じ取れなかった。
ここまで叫んでいるのに誰も気付かないなんてありえる?本当は家族全員グルなんじゃないか。なんて後ろ向きな思考が頭を支配し、遂に口はお母さんの名を呼ぶことを止めた。
それと同時に目の前の扉からガチャと鍵の開くような音がして慌てて扉を開けると目の前にはさっき私を締め出したお母さんが虚ろな目で私を見つめていた。
ぼろぼろになった原型を留めていない熊のぬいぐるみと綿だらけの包丁を持って。
母親は何も言わずにそのぬいぐるみだった物を私の顔に投げつけそのまま鍵を締めていった。耳には誰かの叫び声が届いた。最早言葉として聞き取れない猿のような叫び声が。すると喉が急に痛く感じ始めた。風邪をひいた時に感じる痛みでは無い、もっと苦しくって辛い痛みだった。苦しい息がしづらい。
ああそうか。この叫び声は私のか。
耳元に届く声と喉の痛みはさっきとは比べ物にならない程体に響き渡った。
そして気付いたら私は此処に居た。どうやって此処に来たのかは全く記憶に無かった。ただ頭にあったのは絶望と虚無感、その二つだけだった。行く道で枯らしてしまったのだろう涙も流れず無心でひたすら海を眺めていた。
この熊のぬいぐるみは私が三歳だった頃くらいに母親に買ってもらった大切なぬいぐるみだった。特に特別でもない。私がおねだりしたら買ってくれただけのごくごく普通の過去だけど何故か私は命と同じくらい大切だった。それを買い与えてくれた本人に殺されたのだ。絶望は大きいに決まってるでしょ?
気が付けば私の足は崖ぎりぎりまで移動していた。脳は私に内緒で死のうとしているのだろうか。意識を他の事にずらすと確実に海に近づく足を見ながら私は笑みを浮かべる。海に飛び込むというのもいい判断かもしれない。だって、もう帰る場所も希望も何も無いのだから。
私は最後の一歩を自分の意識で踏み込んだ。
最後の一歩 夜霧林檎 @Yuriev
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