最終打ち合わせ 同日 〇二一三時
「旅団長殿、失礼します」
「入れ」
フランツ・ゼッケンドルフ中佐は、外からの声に地図台を見やったまま応じた。
彼がいるのは制圧した集落、その一角に停められた装甲無線車内である。SPWから歩兵用の座席を一部取り払い、長距離通信機を増設した指揮車両だ。戦車よりマシという程度のスペースには、彼のほかに副官と、無線手二名の姿がみえる。
後部扉を開けたのは、本隊をまかせている装甲擲弾兵大隊の指揮官であった。
「軽歩兵たちへの引き継ぎが終わりました。各中隊には移動準備のうえ、待機するよう命じております」
「ご苦労」旅団長は満足げに頷いた。「ちょうどいい、こっちに来てくれ」
擲弾兵大隊長は狭い車内をつたって、上官のほうへ歩きだす。
第119装甲旅団の作戦行動は、いまのところ順調であった。スケジュールの遅れは三〇分ほどで、集落制圧時の死傷者も二〇名弱といったところ。大隊規模の拠点を攻撃したにしては、比較的軽微な損失といってよい。
大隊長が傍らに立つと、中佐は空っぽの右袖をかすかに揺らした。普段は青白の目立つ痩せぎすな顔が、不思議なほどに熱を帯びている。
「ついさっき、敵情をまとめ終えたところだ。今のうちに説明しておこう」
彼は左手をゆっくり伸ばし、ランプが置かれた台上の地図を指差した。
作戦目標である交差点は三つの舗装道――県道68号線、同182号線、国道287号線からなっている。中心部には十数軒におよぶ家屋がならび、68号線沿いの東側に防風林が、南西一キロには小高い丘がそれぞれ存在する。
守備兵力は、どうも大隊規模であるらしい。
「王国側は三個歩兵中隊のうち、各一個を北と東に配置し……」
ゼッケンドルフ中佐は、指先で地図をなぞりながら続けた。図上には旅団各隊からの報告と、押収した資料にもとづく情報が記されている。東に展開した中隊は、防風林に沿って布陣したようだ。
「……南にある丘の警戒要員として、残った中隊から一個小隊を抽出。あとは後方待機を命じているようだ。増援は防風林沿いの中隊に対戦車砲小隊がひとつと、後方予備として戦車中隊がひとつ。オッペルンからも、対戦車砲列に遭遇した旨の報告が届いている」
「手酷くやられたようですね」
大隊長が呆れるような口調で呟いた。砲兵捜索にあたっていた中隊が、突然撃ち掛けられたらしい。おおかた任務に熱中するあまり、警戒を怠っていたのだろう。
「敵の更なる増援は?」
「今のところ、確認されていない」
質問にたいし、旅団長が若干困った様子で答えた。
「ただ、正確なところは分からん。手持ちの偵察要員が少なすぎる」
「せめて本部付き以外に、一個中隊は欲しいですね」
大隊長はちいさく溜息をついた。本部付き中隊所属の二個偵察小隊のうち、装甲偵察小隊は増援としてオッペルン少佐に貸し出している。残ったのは戦闘力・路外機動性ともに難がある、オートバイと乗用車主体の軽偵察小隊だけだ。行軍ルートの確認といった補助的な任務が本業で、いまは集落の西側で周辺警戒にあたっている。
「とはいえ、ここで立ち止まる訳にもいかん」
「では、予定通りに?」
「ああ」旅団長はおおきく頷いてみせた。「少なくとも、交差点の敵におおきな動きは見られない。夜が明けるまえに、強襲をかけて制圧する」
ゼッケンドルフ中佐はそこまで言うと、左手を反対の袖へしずかに伸ばす。
彼は失った片腕をそっと撫でながら、装甲兵学校で辞令を受けとった時のことを振りかえった。右腕を失ったときの痛みと同じくらい、あの喜びはハッキリと覚えている。教官も重要な任務だが、やはり軍人の居場所は……。
「了解です」
感慨にひたる上官を横目に、擲弾兵大隊長はそっけなく返事をかえした。前線勤務が長いからか、上官と違って現状をみる目は醒めている。ただ成功の可否はともかく、作戦それ自体に不満はない。
彼は二年ほどまえに東方戦域で、連邦軍の包囲網に巻き込まれた経験があった。
その後、二人は進軍ルートなどについて短く意見を交わした。ただし時間・情報ともに不十分なので、事前計画からおおきく修正することは出来ない。
「オッペルン少佐に回線をつなげ」
旅団長が無線手にそう命じたのは、〇二三〇時のことであった。
ほどなくして、第3中隊は三叉路の北へたどり着く。
各車を牧草地の一角に布陣させると、カールは〇二四五時に大隊本部へ出頭した。暗闇に包まれた指揮戦車に近づくと、ほかの中隊長とおぼしき声が聞こえてくる。どうやら先んじて到達したようだ。
彼はそのまま、正面まで足早に歩いていった。
立ち止まると、踵をあわせて敬礼する。
「第3中隊長、参りました」
「来たか」
暗がりの向こうで、オッペルン少佐がそう応じた。すでに第1中隊長、そしてカノン砲小隊長も到着済みらしい。大隊長の背後にも、誰かいるようだ。
「砲兵の件はよくやった」少佐は労いの言葉をかけたが、一転して険しい口調になる。「だが、撤収に時間をかけすぎだぞ」
突然の叱責にカールは狼狽したが、上官のほうは苦笑しながら「まあいい」と呟いた。
そして、周囲に視線をめぐらせる。
「すでに報告は受けているが……情報共有も兼ねて、被害状況をもういちど確認したい」
カールたちは車両、人員の損失を順番に申告する。
まとめると次の通りとなった。
・第1中隊 戦車一、SPW一、戦死一、負傷七
・第2中隊 戦車四、SPW二、戦死五、負傷一〇、行方不明六
・第3中隊 戦車二、戦死一、負傷五
・カノン砲小隊 損害なし
負傷は重軽をあわせた数で、後送が必要な重傷者は合計八名。車両も全損とはかぎらず、回収・修理が試みられる予定だ。とはいえ現時点において、兵力の二割が行動不能なのは間違いない。
なかでもダメージが大きいのは、待ち伏せにあった第2中隊だ。
指揮官はカールと同様、今回が昇級後初の実戦である。
「事前に発令したとおり、第1中隊の擲弾兵を第2にまわして補充とする。ヨスト中尉、顔合わせは済ませたな?」
「はい……完了しております」
第2中隊長は上官の問いに、すっかり意気消沈した様子でこたえた。彼は多数の部下と車両を失ったが、そのなかには擲弾兵の指揮車と小隊長も含まれている。文字通りの戦力半減であった。
少佐は無言でうなずいたあと、そのまま振り返って目配せする。
間もなく紙がこすれる音が響き、しばらくすると黄色い光が指揮戦車の車体正面を照らし出した。傾斜した正面装甲を机代わりに、地図が一枚広げられている。野戦服姿の兵士二名が両端を抑えており、いっぽうが懐中電灯を掲げていた。
カールたちは地図の近くへ歩みよる。
オッペルン少佐は本隊の位置、そして推測される敵状を二分ほどかけて伝達した。それが終わると一拍おいて、ゆっくりとした調子で話しだす。
「諸君。今のところ、予定に変更はない」
オッペルン少佐は最終目標――三キロ西に位置する、交差点の制圧手順を説明した。
その内容はかいつまんで言えば、二方向からの挟撃である。目標からみて前衛は東、本体は南より攻めかかり、そのまま押しつぶすという具合だ。事前計画では同時に動くはずだったが、前衛が先んじる形に改められていた。
手前の防御陣地を叩くことで、待機中とおぼしき敵戦車を誘い出すためである。
「敵戦車が現れなかったときは?」
そう尋ねたのは、第1中隊長であった。
「そのまま敵陣を突破する。状況次第だが……本体側の迎撃にでている場合、我々が制圧役を果たすことになるかもしれん」
「立て籠られると、ちと厄介ですね」
上官の返答にたいして、第1中隊長は不安げにそう漏らした。物陰で待ち伏せを受ければ、暗がりもあって排除に手間取る可能性がたかい。歩兵であぶり出すのが上策だが、前衛の手持ちは少数だ。よって制圧そのものは本隊が担当し、前衛はあくまで支援役にまわる予定である。
だが、あくまで『予定』でしかない。
(突入すれば乱戦必至……誤射がこわいな)
カールは内心をかすかに震えさせた。
その後はいくつか質疑があったあと、出撃準備に関する申し合わせが告げられる。
解散が命じられたのは、〇三〇〇時ちょうどであった。
直後に指揮戦車の無線手が、オッペルン少佐を呼び出すのをカールは目撃した。何事か気にはなったが、踵を返して歩きだす。
西に一分ほどすすみ、県道68号線に行き当たると乗用車が一台止められていた。
「決まりましたか?」
助手席からそう尋ねたのは、中隊本部のシュルツ上級曹長だ。前衛が三叉路を制圧したあとに、集落経由でほかの本部要員とともにやって来たのだ。彼自身はカールを乗用車で送ったあと、トラックごと引き連れてきた捕虜の後送手続きをおこなっている。
上級曹長は手続きを終えた旨をつたえると、わずかに言い淀んだあと落伍車について報告があるといった。
「いったいどうした?」
カールは後部ドアに手をかけながら、怪訝な表情で部下に尋ねる。
打合せ前にきいた話によると、落伍車のうち323号車は回収が試みられているらしい。乗員はすべて脱出し、中隊本部へ合流済みだ。いっぽう被弾した312号車は放棄され、戦死・重傷者を一名ずつ出してしまっている。
カールが腰をおろしたあと、シュルツ上級曹長はおもむろに話を切りだす。
「323号車なのですが、どうも故障してなかったようで」
「なに?!」
予想外のことに、カールは思わず目を見開いた。
上級曹長によると、捕虜の引き渡しを終えるのと前後して、大隊補給中隊から伝令がやって来た。補給中隊には回収要員をふくむ、車両整備隊が編制に組み込まれている。
「回収班は発見した際に、まず機関室と足回りをチェックしたそうです。外見は無傷だから念のため……と思ったのでしょうが、どこにも不具合がなく、エンジンが止まっているだけだったと。そのまま再始動させて、出撃地点にまで運んだとのことでした」
「つまり、単なるエンストだったのか?」
「はい。おそらく被弾による衝撃か、操作ミスが原因かと思われます」
カールは頭の山岳帽をずらし、右手で額を覆いながらため息を吐く。
(そういえば)
323号車の乗員が、新米ばかりであった事を彼は思い出した。車長もたしか徴兵から一年ほどで、速成教育に放り込まれた未経験者だ。
(古参が一人も乗ってないなんて、昔じゃ考えられん話だな)
カールはもういちどため息をつく。
「……とりあえず、出発してくれ」
上級曹長の隣にすわる、運転手がアクセルを踏んだ。
乗用車が動きだすと、カールはこの件をどう始末すべきか頭を悩ませた。だが戦闘中に独房入りなど命じられぬし、かといって軽く済ませれば他の将兵に示しがつかない。叱責それ自体も、士気に悪影響をおよぼすだろう。
(まったく、こんなときに厄介なことを)
残念なことに、中隊の集結地点までは数百メートルほどしかない。
あっという間に乗用車は動きをとめ、カールは眉間にしわを寄せたまま山岳帽を被りなおした。ただ表情が険しいのは、眠気と疲れにも原因がある。
「中隊長殿、ひとつ提案してもよろしいですか?」
彼は部下に先をうながした。
「うん、聞こう」
「彼らをいちど後方に下げて、整備を手伝わせるのはいかがでしょう? ちょうど、人手が欲しい頃かと思いますので」
カールは得心したように頷いた。懲罰としての雑務は珍しくなく、カール自身も演習場で――そうなった理由は様々だが――同様の制裁を科したことがある。
どうして思いつかなかったのかと、彼は内心で自分にあきれてしまった。
「それでいこう、メッケン少尉には俺から伝える。細かい段取りはまかせていいな」
「はい」上級曹長は得意げな声で応じた。「中隊の出撃を見とどけ次第、自分らはいったん集落に移動します。そこから捕虜や負傷者を後送するので、同行させれば道に迷うこともないでしょう」
「うん、頼むぞ」
部下の言葉に、カールは安堵しながらそう答えた。これでとりあえずは、目前の戦闘に集中できる。
彼は後部ドアをみずから開け、ゆっくりと立ち上がった。
すぐさま301号車横に、車長と小隊長が集められる。
道からほどちかい真っ暗な草地で、カールはまず323号車の件を切り出した。部下たちのぼんやりとしたシルエットが、無言のざわつきに包まれていく。とくに動揺がはげしいのは第2小隊、すなわち当該乗員の指揮官たるフォン・メッケン少尉であろう。
当面の措置について伝えると、メッケン少尉は声を震わせながら頷いた。
時間がないので、そのまま本題に移っていく。
カールは不意に中腰になり、足元に地図をひろげた。一同をそばに引き寄せ、みずから懐中電灯を掲げる。それから所々を指さしながら、作戦手順をすばやく伝達していった。その間に先行する大隊本部とおぼしき、エンジン音がかすかに聞こえてくる。
ひと通りの流れを話し終えると、ちらりと腕時計を一瞥した。〇三二七時を過ぎたところで、移動開始は〇三三五時の予定である。
「制圧後はすくなくとも三日間、交差点付近を確保する必要がある。気を抜くなよ」
カールはさらに言葉をつづけた。
「各員、ただちに配置につけ。以上!」
そう告げると、各小隊長が口々に移動を命じた。
カールは走り去る部下たちを見送ったあと、踵を返して301号車をよじ登る。キューポラへ滑り込もうとした瞬間、被弾の痕跡とおぼしき火薬の臭いがわずかに鼻孔を刺激した。
「おかえりなさい」
「うん」
砲手の出迎えに頷きながら、彼はすばやく座席へ腰をおろした。壁に掛けられたヘッドセットに手を伸ばす。
「ハンス、点検報告を」
「各部、いずれも異常なし。足回りも同様です」アイスナーは淡々とした調子でこたえた。「残弾は徹甲弾、榴弾ともに二八発あります」
(五六発か)
カールはヘッドフォンを装着しながら頷く。44式の砲弾搭載定数は七九発で、彼は狭い車内スペースを割いてもう四発ほど積ませていた(この他に身を隠すのに用いる、煙幕弾が五発ある)。現状でこなせる戦闘数は、あと二~三度といった所だろう。
次に咽頭マイクを首に装着し、ケーブルの先を回線に接続する。
「各員へ、予定通り交差点の制圧にとりかかる」彼は車内通話で乗員に呼びかけた。「攻撃発起点はここから北へ一キロ、〇三三五時に移動開始」
『事前計画から変更は?』
ヘッドフォン越しにアイスナーがそう尋ねる。残り時間をたしかめるが、せいぜい三分ほどであった。
「時間がない、発起点に到着してから説明する」
カールがそっけなく応じると、アイスナーは素直に『了解』とこたえて引き下がった。おそらくある程度、回答を見越しての質問だったのだろう。薄明りのなかで、装填手が息を呑むように身構える。
続けて操縦手に呼びかけた。
「土手で転倒するかもしれん、道に出るまではゆっくり進め。車道は時速二〇キロ」
『はい』
「発起点に誘導員がいるはずだ、見落とさないよう注意しろ」
『わかりました』
カールは通話装置を切って、一瞬だけ背後の壁に寄りかかる。誘導は大隊本部の伝令と、各中隊本部班からおくった応援要員が担当する。
腕時計を見やると、のこり一分ほどであった。
彼は姿勢をただし、時計をじっと凝視する。興奮のせいか、不思議と眠気はない。
まもなく、〇三三五時となる。
「出発する、ゆっくり右折しろ」
301号車は這うように動き出し、円形の轍を残しながら車道めがけて進んでいく。
まもなく周囲に展開する、八両の戦車があとに続いていった。
独立装甲旅団、奮闘セリ 野口健太 @pzkpfw1b
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