▶︎▷ワインクーラー


 夕闇が裏通りを覆い月が雲を纏って浮かぶ頃。


 今宵もまた一日の終わりを迎える方もいらっしゃれば始まりを求める方も。


 さて……本日の『Sun do Leon』は……




 ▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎




 アコースティックギターを弾くオーナーとベースの藤堂さん、ピアノを弾くのはピシッとしたスーツの女性。


 アップテンポな曲は70年代初頭に活躍したフランスの有名なピアニストの曲だ。


「お連れ様、お上手ですね」


「ははは、そうだね。僕もたった今初めて知って驚いているよ」


 カウンターのスツールに腰掛けピアノを弾く女性を優しげな眼差しで見つめる男性。

 落ち着いた雰囲気の50代くらいのその男性は体ごと女性の方を向き足で小さくリズムをとっている。


 注文されたビールを出し私も彼女のピアノに耳を傾ける。


 プロとまではいかないが、しっかりとした基礎を築いたその技術は少なくとも本気で取り組んだことがあるのは私には容易に想像することが出来た。


「貴女もピアノ……弾かれるのですか?」


「はい、嗜む程度ですが」


「そうですか……彼女……楽しそうですね」


「ええ、とても」


 セッションをする彼女は柔らかな笑みを浮かべ鍵盤に向かっている。

 年の頃はいくつくらいだろうか……30代半ば程、私よりは年上だろう。

 来店された折は如何にもキャリアウーマンといった雰囲気を醸し出していたが、今ピアノを弾く彼女はひとりの少女のように見える。


「彼女の……彼女の違う一面が見れただけでも来た甲斐がありました」


「ありがとうございます」


「ああ、お世辞とかではないのですよ。この店を紹介してくれた友人に感謝しないと」


「ご友人のご紹介で?」


「ええ、西口と言います。東海物産の」


「西口様の……よくお越しになられております」


「ははは、あの野郎、こんないい店を知っておきながら黙ってたんですよ」


 男性はそう言って笑い再びピアノを弾く彼女を見つめる。その瞳は優しく、若干の憂いを帯びていた。


 セッションが終わり彼女が周りのお客様に応えながらカウンターへと戻ってくる。


「驚いたよ、君があれほど上手いとは……」

 さりげなくスツールを引き彼女をエスコートする男性。

「いえ、お恥ずかしい……以前に少し習っていたものですから」

 スツールに腰掛けはにかんだ笑みを見せる。


「いや、大したものだよ!思わず聞き惚れてしまったくらいだ」


「やめてください……部長……」


 はにかんだ顔を赤く染め俯く彼女。


「ああ、す、すまない。いや、まあ、その……なんだ……」


 男性は見ていて気の毒な程、狼狽えこちらに助けを求めるように視線を彷徨わせる。


「何かお飲み物をお作り致しましょうか?」


「あ、は、はい……じゃあ……」


 彼女は一旦そこで言葉を切り隣の男性をちらりと見る。


「ワインクーラーを」


「かしこまりました」


 カウンターのこちら側で私は心の中で頷く。彼女の男性を見る視線の意味をがわかってしまったから。


「じゃあ、僕も彼女と同じものを」


「かしこまりました」

 男性がそう言った時、隣の彼女が一瞬息を飲んだ。

 そして、僅かに私と視線が交錯する。


「どうぞ、ワインクーラーでございます」


 ロゼワインをベースにオレンジジュース、ホワイトキュラソー、グレナデンシロップをビルドする若干甘口のカクテル。


 カクテル言葉は……



『わたしを射止めて』



「綺麗なカクテルだね」


「はい……」


 カチンとワイングラスを重ねる音。

 アルコール度数も然程高くなく口当たりもいいためよくオーダーされるカクテルではあるが……この場合は少し意味合いが違う。


「うん、美味しいね」


「はい……好きなカクテルです」


「僕はこういった洒落たものに疎くてね、でも……うん、これはいい」


 男性がワイングラスを眺めそう言う隣で彼女はほんのりと頬を染めそんな男性を見つめている。


 もし男性がこういった事に詳しければ彼女の気持ちに少なからず気づいたことだろう。


 奥のステージではまた違ったお客様とオーナーがセッションをしており、ゆったりとした音が流れてくる。

 ワイングラスを片手に男性と彼女は暫くの間、流れ行く音に耳を傾け楽しげに会話を続けていた。

 セッションが終わり店内には緩やかなjazzの音色が流れ、皆思い思いに杯を重ねている。



「それじゃあ、そろそろ……」


「はい、今日はありがとうございました」


「いや、僕の方こそ付き合わせ悪かったね」


「いえ……そんなことありません」


 会計をする男性の背中をジッと見つめる彼女。

 私は心の中でエールを送る「頑張って」


「あ、あの……」


「ん?どうかしたかい?」


「あの……あ、あのまた……誘って頂けますか?」


「え?あ、ああ、め、迷惑じゃなかったら」


「迷惑だなんて!う、嬉しかったです!」


 狼狽える男性を伴い扉をくぐる彼女。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 私の声に振り向いた彼女は……輝く様な笑顔だった。



 次回ご来店されたら何をお出ししようかしら?彼女を見送り私はカウンターの中で小さく微笑む。



「本日のご来店誠に有難うございました」





 ▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎▷▶︎



 本日のカクテル:ワインクーラー


 レシピ:ロゼワイン、ホワイトキュラソー、オレンジジュース、グレナデンシロップ


 テイスト:甘口〜中辛


 ベース:ワイン


 手法:ビルド


 グラス:ワイングラスが最適


 度数:約10度〜12度


 カクテル言葉:『わたしを射止めて』



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る