アーモンド・ビスコッティー◀︎◁



 深夜3時を過ぎ店の後片付けが終わって漸くして私は帰路につく。

 繁華街から外れた深夜の裏通りに人は殆どなく、ちらほらと見かけるのは同業者ばかり。


 そんな彼等彼女らに手を振り私は煌びやかな灯りを避けるように裏道を通り我が家へと帰る。


 マンションの下から部屋を見上げてみるとこんな時間だというのに灯りがついていた。


「あれ?凪沙くん、まだ起きてるのかな」


 オートロックを解除してエレベーターで最上階まで上がっていく。


「ただいま?」

 そっとドアを開けて静かな部屋へとそろり入っていく。


「あ、千尋、おかえりなさい」

 キッチンで何やら作業をしていた凪沙くんが私に気づいてスリッパをパタパタとさせ走り寄ってくる。


 扇 凪沙。私より4つ下の23歳、職業パティシエ。

「うにゅふふふ〜、起きててくれたんだ?ありがと!凪沙くんっ!」

 ぎゅっと凪沙くんに抱きつく、否飛びつく。


「明日は僕お休みだし千尋もお休みでしょ?帰りを待ってたんだよ」

 と小首を傾げにっこりと笑う凪沙くん。


 ああん!可愛いっ!可愛すぎるっ!


 私は女性にしては背の高い方で175センチくらい、凪沙くんはちょっと小柄で160センチほど。


 ぽっちゃり体型でふくよかなまん丸お顔に小さな瞳とおちょぼ口。

 プニプニほっぺとフワフワでポヨポヨの抱き心地。


「ふあっ、千尋……くるしひよ……」

「あっ!ごめんね!つい……」

「ふぅっふぅっ」


 如何にも人の良さが滲み出た顔はいつ見ても私を幸せな気持ちにしてくれるし実際に幸せにしてくれている。


「凪沙くん!しゅき〜っ!」

「わぷっ!」

「ううぅ〜んっ!しゅきしゅき〜!」

「ふわっ!にゃっ!にょっ!」




 ひとしきり夫婦のスキンシップを図り終え漸く落ち着いた(様に見える)私はリビングのソファーでコーヒーを飲んでいる。


「千尋は甘えん坊さんなんだから」


「ええ〜っ、だって凪沙くんだし……しょうがなくない?ね?」


「う、うん、まぁそうかな?」


「そうそう!」


 サイフォンで自分のコーヒーを淹れ、ふかふかのソファに身を沈める凪沙くん……ああんっ!可愛いっ!写真撮っとこ!


 パシャパシャっ。


「何?なにっ?」


「ん?あんまりにも凪沙くんが可愛いから!」


「あ、う、うん、そう?なんだ?」


「うん!うん!」


 てててっと凪沙くんの隣に座って、ポヨポヨした旦那様を見つめる。

 うん!いつ見ても我が旦那様は最高に可愛いっ!

 おまけに底抜けに優しい!


「そういえば千尋は仕事順調?」


「うん!順調だよ!寧ろ絶好調!」


「そっかそっか、みんな元気にしてる?」


「元気元気!藤堂さんなんか毎日来てるよ」


「ははは、僕がいた時から毎日来てたけど相変わらずなんだね」


 凪沙くんが店を辞めたのは大体3年くらい前になる。バーテンダーをしながらパティシエをしていたけど両立は難しく、パティシエとして名前が売れてきたのを機に店を辞めた。


 今は少し離れた郊外に小さいけど洒落たパティスリーをオープンさせている。


「凪沙くんの方も順調?」


「うん、自分の店を持つのが夢だったしやっとスタートラインに立てた感じかな」

 はにかんだ笑顔を見せる凪沙くんの……なんと可愛らしいことか!

「よしよし、えらいえらい」

 ちょっと硬い髪質も私にとっては愛する旦那様の一部。

 ごわっごわっと撫で回すと凪沙くんは首をすくめてニマッと笑い気持ち良さそうにしている。


 ああっ……か、可愛いっ!凪沙くん!可愛い!可愛いすぎっ!

 食べちゃいたい!寧ろ食べますがいいですか?

ムラムラしてきた私が愛する旦那様に、いざ飛びかかろうとしたその時、ビーッと無情なタイマーの音が響いた。


「あっ!焼けたみたいだね」


「……何か作ってたんだ?」


「うん、ちょっと待っててね」


 名残惜しそうな私の手を取り、ちゅっと私の頬にキスをして凪沙くんはキッチンへとパタパタと走っていく。


 仕事柄、うちのキッチンの設備は非常に整っている。

 オーブンやパン焼き器、ワインセラーにチーズの貯蔵庫、冷蔵庫に至っては4台もある。



「はい、どうぞ。味見してみて」


 コトンとテーブルに置かれたのは三日月型のビスケットのような焼き菓子とコーヒー。


「ビスケット?」


「うん、正確にはアーモンド・ビスコッティーだね」


「あっ、浸けて食べるやつだ?」


「そうそう、エスプレッソやコーヒーに浸して食べると美味しいんだよ」


「こんな時間に食べたら太りそうだよぅ」


 と言いつつも私はビスコッティーをコーヒーにヒタヒタして口に放り込む。


「どうかな?」


「ふん!ふぉいひいひひょ!」


「うん、食べてからにしようね」


「ふわぁい」


 もぐもぐもぐ……

 うん、ちょっと味が濃いかもしれないけど美味しい。

 浸けて食べないとカチカチだから食べにくいかな?


 そんな感想を素直に凪沙くんに話すと、「やっぱりそうだよね」と頷いている。


 このあたりは私達夫婦のルールだ。

 お互いに遠慮なく思ったことを伝えること、プロとして忌憚ない意見を言い合うこと。

 それで自分も相手もより高みへと登ることが出来るはずだから。


「まだまだ改良が必要だね」


「そうだね、お店で出すにはまだまだかなぁ」

 テーブルの上のビスコッティーをつまみに焼き菓子談義に花を咲かせる。


 後。


 私達が眠気を覚え寝室へ向かったのは薄っすらと昇りだした朝陽が部屋に差し込んできた頃だった。










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