運命の始まり『1』
少し前までは、そこにただ『在る』だけだった。
絶対的で絶望的、究極的な『何か』。そんなどうしようもない『何か』に向け、ただひたすら剣を振る日々。だけど今は、少し変わった。
胴体に狙って飛来する『何か』。レアムは『それ』に対し、魔剣を的確に振って打ち返した。
そのまま頭部、顔面、首、両手足、関節、胴体、背中と、ありとあらゆる方向、角度から雨のように降り注ぐ『それ』を、レアムは魔剣を振るって対応する。
他人が見れば、ただ我武者羅に魔剣を振っているようにしか見えないだろう動き。肉体的限界が訪れる直前までレアムは剣
「ふーっ」
全身が酸素を欲する。「早くよこせ」「沢山よこせ」と心臓がバクバクと音を立てるが、レアムは落ち着いて深呼吸を数回だけ行う。出来るだけ素早く、短い回数だけで体の状態を整える。
『お疲れ様、レアム』
いつものように喋る魔剣の声を聞き、そしてキミカがタオルを手に近付いてくる。
レアムが休憩を取り始めると、同じく修練場で鍛錬を行っていたライネと、それに付き合うレオナルドも数回剣を振ってから手を止めた。
基本、剣を振り始めれば周囲の様子など全く見えなくなるレアムだが、それでもつい先日に比べて、ライネの振る剣にキレが増したのではないかと感じる。
「っ」
そんな風に思ってライネを見ていると目が合い、そして逸らされた。
別に目を合わし続ける理由はないが、だからといって逃げるように目を逸らされる理由もない。特に何かをするでもない自由な休憩時間だからこそ「はて? オレは何かやってしまっただろうか?」と、レアムは首を傾げる。
心当たりは特にはない、はず……。
この時点で一人悩んだところで解決しようもないのだが、暇であったレアムは深く考えてみる。もしかしたら、先日の勝負が原因かなと。
「お二人は仲が良さそうですね」
「はい?」
レアムは首を動かしキミカの方に顔を向ける。そのキミカはライネの方に顔を向けていた。
「まあ、仲は悪くないと思います」
少なくとも嫌われてはいないだろうと、そう思っている。
ただ、だからと言って仲が良いかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
物心がついた時には既に剣を握っていた。剣を振っていた。幼少期から、今と殆ど何も変わらない人生を送っている。だから世間一般的な(そんな世間すらレアムはよく知らないが)兄妹がするような「遊び」を全くと言っていいほどしたことがない。
ライネと一緒に「何か」したという思い出を語れる出来事など、十年ちょっとの人生で2回ぐらいしかないのだ。その思い出となるたった2回の出来事だって、数分の間だけ剣を交えて勝負しただけである。
果たしてそれで、それだけで兄妹というのは仲良くなれるのだろうか? 仲が良いと言っていいのだろうか?
記憶喪失で妹と顔の似た少女は一体何を見て「仲が良い」と口に出したのか、何故そう思ったのかをレアムは聞かずにはいられなかった。
「何となく、でしょうか」
「……そうですか」
勿論、レアムはライネのことが嫌いというわけじゃない。
仲良く見られて困ることなどないし、何となくならしょうがないとレアムは苦笑する。
「ただ、少しだけ……、願望が入っているかもしれません」
「?」
そう言ってキミカは照れたように、けれどどこか寂し気な表情でライネの方をじっと見つめていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
いつものように魔剣を振り終え休憩を取るレアムの元に、ライネが近付いてくる。どこか落ち着かない様子で、ライネは周囲に目を向けている。
「お疲れ様、レアム兄さん。これ」
「ありがとう、ライネ」
別に約束しているわけではないし、そういう決まりがあるわけでもない。ただ、何だかんだでいつも傍に居たキミカの姿がないことに驚き、ちょっとした違和感を抱きながらレアムはライネからタオルを受け取る。
「……そういえば、レアム兄さんと二人だけって言うのも久しぶりだね」
「え? まあ、そうだな」
基本、寝る直前まで剣を振っているし、それに付き添うような形でキミカも傍に居た。確かに二人だけというのは、ライネが夏休みに帰省してから今日が初めてだ。
「その、二人きりだから聞くんだけど、レアム兄さんは、キミカさんのことをどう思ってる? その……、好き?」
「うん、好きだけど」
言い淀むライネとは対照的に、レアムは迷うことなく答えた。
初めて家族以外で初めて話すようになった少女。何を考えているのか分からないし、彼女の記憶のことなど謎は多いが、それだけだ。性格が悪いとかはないし、一緒に居ても嫌な思いをすることもない。
好きかと聞かれたら好きと答えるのは当然のことだ。
すると何故か、『はぁ~』と腰に下げられた魔剣がわざとらしい溜息を吐いた。
「やっぱり、そうなんだ……」
そう言ってライネはどこか寂し気に頷く。顔が似ていることもあってか、その表情は昨日のキミカを思い出させた。
「あー……、ライネは? ライネの方こそキミカさんのことをどう思ってる?」
「分からないよ。まだ知り合って一週間も経ってないし、一回も話したことないんだから……」
「え、そうなの? てっきりオレが見てないだけで、何かの会話ぐらいはしてると思ってた」
意外だとレアムは呟き、ライネは困ったように眉を寄せる。
「その、話してみたいとは思うけど、何を話せば良いのか分からなくて……。それでさレアム兄さんは普段、キミカさんとどんなことを話してるの?」
休憩時にキミカと共に居るが毎回何かを話しているわけではない。お互いに口数は少ないので無言でいる時間の方が多いぐらいだ。
「うーん……、あんまり難しく考えなくても良いじゃないか? 天気の話でも何でも、ふと思いついたことを話せば良いと思うぞ?」
「簡単に言うけど、それが出来るなら最初から聞いてないよ……」
「……そうだな。すまん」
相手は記憶喪失で、自分のことすら良く分からず、そして何を考えているのかも分かり辛いキミカだ。最初に頃に味わった気まずい空気を思い出しながらレアムは苦笑いになる。
「うーん、なら……」
思えばこうしてライネに何かを相談されるのは初めてかもしれない。自分よりも遥かに社交的で友達も多く対人関係の優れる出来た妹であるが、キミカとの付き合いの長さだけは勝っている。ここは兄として妹の為に一肌脱ぐ場面だとレアムは思い立つ。
「よし、ならオレが付き添うぞ。一対一なら会話が途切れて気まずくなるかもしれないが、もう一人居ればフォロー出来るかもしれないだろ?」
「でも、そんなことにレアム兄さんを付き合わせるのは申し訳ないよ……」
「いや、これぐらいは付き合うって。遠慮なんていらないから、ほらっ、行こう、ライネ」
思い立ったら吉日。レアムは渋るライネの手を引いて歩きだす。一瞬だけ抵抗を見せるも、ライネはすぐに大人しくなり黙り込む。その顔はほんのりと赤かった。
◆ ◆ ◆
手を握ったことは何度もある。
この前の勝負の時だって、体を起こして貰う為に手を貸してくれた。
でも、こうして手を繋ぎながら一緒に歩くなんてことは、これが初めてなんじゃないかと、レアムに引かれる手を見ながらライネは思う。
兄が、『普通』とは程遠い存在だということはとっくの昔から分かっていた。
まるで何かに取り憑かれたように繰り返し続けれれる
無駄な努力だと何度も思っていた。
魔力のない欠児がいくら頑張っても強くなれないと、心の中で何度も嘲け笑った。
けれど、どうしてだろうか。
一緒に遊んでいくれない。
「こじらせてるのかなぁ、私……」
「え、何が?」
「何でもない。それより見つからないね、キミカさん」
「うん。どこ行ったんだろ?」
まず家の中を探し、そして外に出て十分近く歩いているがキミカを見つけられていなかった。
「と言うかレアム兄さん。いつまで手を握ってるの?」
「ん? ああ、すまん。なんかライネとこうして手を繋いだまま出歩くことって初めてだなと思ってさ、つい。嫌だったか?」
自分と同じようなことを思っていたことにドキっとしながらも、ライネは何でもないように口を開く。
「別に、嫌じゃないけどさ。その、この年にもなって少し恥ずかしいというか……」
「そういうもんか」
納得したようにレアムはそう言って、あっさりとライネから手を放した。
「別に手を放せとは言っていない」そう喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、ライネは仏頂面を浮かべる。
「キミカさんが普段どこに居るだとか、そういう心当たりとかはないの?」
「う、すまん」
「だよね。分かってたら最初からこうして無駄に歩き回ってないもんね」
「……何か怒ってる?」
「怒ってはないけど呆れてる。レアム兄さん、仮にも好きな人なら、剣ばかり振ってないである程度のことは自分から知ろうとしないとダメだと思うよ」
「はい、肝に銘じておきます……」
(どうせ口だけなんだろうなぁ)
困ったような顔を見せるレアムにライネは苦笑いを返した。
(だけど、それが私の、たった一人の兄さんなんだよね)
剣ばかり振っている兄に対して何度も不満に感じることはある。
けれども、ライネが剣を握る切っ掛けとなったのは兄であり、欠児であっても努力(それが"趣味"だと知ったのは最近だが)し続ける姿に、密かに励まされていた。剣ばかり振り続ける兄に恐怖を感じる時もあったが、同時に、その不変的な意志に勇気づけれたことだって何度もあるのだ。
「ちょっと手分けして探そうよ、レアム兄さん」
「分かった。じゃあ、また後で」
小さい村だから直ぐに見つかると思っていたが、予想に反してそれから更に十分近くが経つ。
そしてようやく村の隅で、村と森との境界線の近くにキミカの見つけ出す。
(この辺りは確かクレハさんの家が……)
そう思いながら近付くと、ライネの予想通りと言うべきか、キミカの他にも金髪の女性が――クレハの姿もあった。そして、遠目からでも感じられる剣呑な雰囲気に思わずライネはたじろぐ。
「い、一体どうしたんですか!」
けれどそれも一瞬のこと。ライネは慌てて二人に近付く。
クレハが子供を苦手としているのは同じトゥーリ村に住む人間なら誰もが知っていることだが、つい最近まで部外者であったキミカが知らなくとも無理はない。
外見からキミカの歳は15~16。クレハが苦手とする子供の範囲に彼女が含まれるのかは疑問だったが、実際にトラブルが起きている。
急いで仲裁に入って二人を引き離そうと考えたライネだったが、事態は彼女の予想を大きく裏切り、そして理解を超えることとなる。
キミカの手がクレハの腕に伸びる。
その手を躱そうとクレハは動くが、それよりも一瞬速くキミカの手が彼女の腕を掴み取った。
「は、放して!!」
「逃がさない! 【シュジンコウ】はどこだ!?」
それは憤怒の声だった。
クレハを睨みつけるキミカの顔は怒りに燃えている。
「お前だろう!! お前が【シュジンコウ】の母――」
荒々しい感情が込められた大きな声。
物静かな人だと、そう思わせる少女の面影はどこにもなかった。
「知らない! 知らない知らない知らない知らない!!」
対するクレハも感情をあらわにして叫ぶ。
ただ、その感情は怒りではなく恐怖に染まっていた。
「私のせいじゃない! 私は関係ない!!」
叫びながら、クレハは腰に下げられた剣に手を掛ける。
クレハは村から少し離れた森の中で暮らし、魔物を狩って生計を立てている。だから普段から武器を持ち歩ているし、当然戦う術だって持っているのだ。
「あ――」
ライネが止める間もないぐらい、それは鮮やかで速かった。
それどころではないと頭では分かっていても、剣士の性か、クレハの剣筋に一瞬だけ魅入ってしまう。たった一振りだけで、彼女が只者じゃないことを知る。
ぼとりと、腕が地面に落ちた。
「ッ、キミカさん!!」
ライネは悲鳴に近い声を上げる。
キミカの右腕、その関節から下が綺麗に切り落されたのだ。だというのに、キミカは顔色一つ変えない。赤い血が噴き出ていようが、クレハを睨みつけている。
「ク、クレハさん!?」
腕を掴んでいた手から解放されたクレハは、迷うことなく二人に背を向けて逃げ出した。
「キ、キミカさん、急いで止血を――えっ……?」
赤い血を噴き出す腕の切断部。その傷が信じられない速度で塞がり、そして再生されたのだ。
傷を治すことの出来る回復魔法は存在するが、切断された腕を瞬時に再生される魔法などライネは聞いたことなどない。そもそも、魔法を使う為に必要不可欠な魔力は一切感じられなかった。
(まさか『異能』!? ――い、いや、それは後でっ!)
「キミカさん、待って!」
切り落とされた右腕を再生させたキミカは、逃げたクレハを追おうと体を傾ける。その前に、今度はライネがキミカの腕を掴んだ。
「――――」
不自然な間を置いて、キミカは首を動かしライネの方を向く。
他に人が居るなど思いもしなかった、まるで不意を突かれたような顔で、鮮やかな紫水晶の瞳にライネを映し出す。
『え?』
呆けた声。それは一体、どちらが発した声だろうか。
記憶を見る。
少女の記憶を見る。
ライネは、一人の少女の記憶を見た。
少女の、約十五年もの人生。
頭に流れてくる少女は一体誰なのか、ライネは直ぐに分かった。記憶の少女は他ならぬ自分自身のことだったからだ。
分からないのは、12~15歳まで自分が体験していない未知の記憶と、その記憶が何故、キミカから
だがそのどちらも、次に流れ込んでくる記憶を見て理解することになる。
「あ――――」
キミカを見て「他人という気がしない」とレアムは言った。
父レオナルドと母ランシリーの二人も同じ気持ちだと頷いた。
同じようにライネもまた、キミカを赤の他人だと感じたことはない。自分と顔が似ているというのも理由の一つだが、それ以外にもそう思わせる強い『何か』を、ライネはキミカから感じ取っていた。
その理由も全て理解する。
そう感じるのはとても当たり前のことなのだ。そして同時に、とても恐ろしく感じた。
気付けば、ライネの体は震えていた。
知らせなければならない。今流れ込んできた記憶を伝えなければならない。
(キミカさんの正体も含めた全てを、
そうライネは決意する。
そしてその意志を、次に押し寄せてきた記憶の濁流があっさりと呑み込んだ。
「あ、あぁ、あああああああああ!!!!!」
それは情報の暴力だった。
まるでダムが決壊したかのように、ありとあらゆる記憶の全てが、『真実』が、牙を剥いて襲い掛かる。
「あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ!!!」
内側から頭が破裂してしまうんじゃないかと、そう思えてしまうほど灼熱の痛み。
痛い痛い痛い!
死にたいと――。
そうすれば解放されると、本人の意思とは関係なしに、生物としての本能がライネの体をつき動かした。
腰に下げられた剣に、彼女は手を伸ばす。
「ライネ!!!」
大切に思える人の声によってライネは意識を呼び戻す。同時に、記憶の奔流がピタリと終わりを告げる。
「う、ぁ……」
しかしそれでも、受けた莫大な脳への負担は取り消せない。膝が折れ、ライネは青白い顔でバランスを崩す。
その体を、レアムが咄嗟に受け止めた。
「一体何があった!? 怪我は、大丈夫か、ライネ!?」
「レアム……、レアム、兄さん……?」
焦点の定まらない目で、ライネは手を伸ばす。
「ああ、俺だよ。レアムだ」
頬に向けて伸ばされたその手を、レアムは出来るだけ優しく、そして力を込めて握りしめた。
「っ」
何か、何か大切なことを視た。大切なことを伝えようとした。
なのに、何も思い出せない。
情報の嵐によって記憶がかき乱され、意識が混濁する。ズキズキと頭に残る痛みが煩わしい。
「無理しないでいい。今、家まで運ぶからジッとしていてくれ」
「あ……」
そう言ってレアムはライネの体を抱き上げる。
(また、初めてのことが増えたな……)
レアムはただ純粋に、真剣に自分を助けようとしてくれている。ただそれだけのこと。何かを期待するような、深い理由があるわけじゃない。そう分かってはいても、お姫様抱っこという形に、ライネの口角が僅かに持ち上がった。
他に何か大切なことをあった気がする。けれど今は……。
(大丈夫かな。私、重たくないかな……?)
そんなことをぼんやりとした頭で考えながら、ライネは力の入らない体を動かす。
目蓋が重たい。それでも今だけは起きていたいと、ライネはレアムの体に身を寄せた。
◆
ライネを抱き上げ、もう一度レアムは周囲を一瞥する。
来た時と同じ、やはり周囲には誰も居ない。最後に残された血痕を見てから、レアムは走り出す。
「は――?」
それは前触れもなく、唐突だった。
赤く透明感のあるカーテンのような壁が出現し、瞬く間に村全体をドーム状にして囲う。
そして囲われたドームの中心部。その天辺から、黒い影がゆっくりとゆっくりと村へ降りていく。
瞬間、強烈な畏怖が全身に圧し掛かった。
心が、本能が悲鳴を上げる。
「ダメだ。あれはダメだ……」
ありえない。あってはならないと、レアムは震えながら言葉を絞り出す。
されど、何も変わることはない。
現実を、変えられない。
『それ』は、トゥーリ村へと降り立った。
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