運命の始まり『2』
◇
レオナルド・ロータリス38歳。
幼い頃から剣を握り、鍛え、戦い、そして数多の強者達に打ち勝ち『剣聖』となる。
彼もまた、剣と共に生きてきた。
剣を振り、数え切れないほどの死地を超え、生き延びてきた。
誰もが認める、トゥーリ村一番の強者。だからこそ、彼は誰よりも
「ッ」
赤い壁が村全体をドーム状に覆うのを見て、レオナルドは手に持っていた道具を放り投げる。そして即座に身体強化の魔法を使い、レオナルドは全力で走り出す。その過程やスピードの余波で畑が荒れようが目もくれず、レオナルドは自宅に辿り着いた。
「あ、あなた!!」
「ランシリー!!」
ほぼ同じタイミングで、家の玄関から彼の最愛の女性が外に出てくる。反射的にレオナルドは、ランシリーの両手にあった剣ごと彼女を抱きしめた。
血の気の引いたランシリーの顔。レオナルドの顔色もまた、彼女と同じだった。
「っ、すまん。ありがとう、ランシリー」
「……あなた、これを」
ほんの数秒だけ抱きしめた後、レオナルドはランシリーの手から剣を受け取る。それは十年以上と続ける、レオナルドの愛剣だった。
魔剣のように特殊な力は宿っていないが、『剣聖』が持つに相応しい、希少な素材で鍛え上げられた業物である。
「あなた、一体何が起きてるの……?」
「俺にも分からない。分からないが、このままじゃまマズいことは分かる。……レアムとライネは!?」
「二人共、キミカさんを探してくるって外に……」
「くそっ! 俺は二人を探して来る! ランシリー、お前は……っ!!」
言葉は続かなかった。
ここから逃げなければならない。しかし、あからさまに村全体を囲った赤色の壁が、それを許すだろうか。
ならばどこかに身を隠し、事態が終息するまで息を潜めるか。
(今起こっている事態が天災などであれば、それもありだろう)
だが、果たしてそれで本当に助かるだろうか。
「あなた……?」
「っ」
いくら考えたところで他の選択肢があるわけじゃない。出来る行動も限られている。
意を決し、レオナルドが再び口を開いた時――『それ』は静かに降り立った。
『それ』には手と足があった。
胴体があり首と繋がった顔もある。白くて長い髪は絹のように透き通っている。
足元まで届く黒いローブを身に纏い、目元が完全に隠れるほど目深く被ったツバの長い黒色のとんがり帽子は、ひと昔前の古い魔女を思い出させる。
『それ』は人型だった。
衣服を着用する『それ』の姿は、まるで人間のようである。
だが決して、『それ』は人間ではない。
2メートルを超える細い体。
ローブの長袖をはみ出す程の、まるで木の枝のように細長い二本の腕。その細長い腕の先にある、細長い指を持つ大きな手。
体の特徴だけじゃない。
『それ』が発する強烈な空気が、理屈を超え、人ならざる存在を証明していた。
『それ』が降り立ち、一瞬遅れて周囲に黒い塊が五つ現れる。
八本の足を持ち、その内の四本の足は胴体に絡みついた四足歩行の存在。
馬のような頭には目と鼻がなく、代わりに口の部分は首まで届くほど異様に長い。
『それ』よりも分かりやすい外見を持った異形の存在。
つまりは魔物だと、そうレオナルドは思った。今は、思うことにした。
【§、Å……亜、――こんにちわ】
「――――」
艶やかな声と、穏やかな声音だった。
『それ』に性別があるとすれば、まず間違いなく女性だろうと、そんな場違いなことをレオナルドは思う。
【……挨拶には挨拶を返すのが礼儀だと聞きましたが、まぁいいでしょう】
「っ、し、失礼しました」
人間ではない『何か』が人語を話す。見た目に反して、その言葉が呑気な挨拶である。驚きのあまり声を失ってもそれは仕方がないことだろう。
謝罪し、レオナルドは頭を下げ、それに倣ってランシリーも頭を下げた。
(大丈夫だ。希望はある……!)
言葉を喋れる。話が出来るということはお互いの意思の疎通が取れるということ。それこそ魔物ように、問答無用で襲われるという最悪の事態は免れたのだ。
(敵対することだけは、絶対に避けなければならない……)
レオナルドは静かに息を吐きながら震える拳を握りしめる。
「そ、それでこの村には一体どんなご用件で?」
【ええ、勿論、用があるからわざわざ足を運んだのです。早速ですが、この場に村に住む全ての人間を集めて貰えませんか?】
「わ、分かりま――」
【■】
背筋に走る冷たい感覚が、レオナルドの言葉を止めた。
「ど、どうしてですか? 良ければ理由を教えてください」
その言葉に、口角を上げてゆっくりと『それ』は笑う。
【当然、皆殺しにするためです】
「…………は?」
【一か所に集まって貰った方が楽でしょう?】
「な、な、な……!」
【何故――ですか? フフ、そうですね。あなた方に分かりやすく理由を用意するならば、それが『運命』だからですよ】
「な……に……?」
【だから殺します。村にいる全ての者を、一人残らず】
口調こそ穏やかのままだが、『それ』は本気なのだとレオナルドは分かってしまう。ランシリーもまた、本能的な部分でそれを理解してしまう。
足元が崩れ落ちていくような絶望感が二人に牙をむく。
「――るか……」
【はい。今、なんと?】
「るか……! させるかっつったんだよ!!」
声を張り上げ、レオナルドは鞘から剣を引き抜く。
「お前が正体が何であろうが関係ない! 誰一人、殺させるのもか!!」
剣を構えてレオナルドは己の持つ全ての力を解き放つ。
それは『紅蓮の剣聖』の名に恥じない強力なプレッシャー、殺意、そしてその二つが凝縮されて宿る圧倒的な魔力のオーラ。
並みの人間ならば彼と対峙するだけで卒倒してしまうかもしれない。そう思わせるだけの力をレオナルドは発している。
【フフ、最初からこうなることは分かっていましたが……、これも必要なやり取り。お約束というやつです】
大きくて細長い異形の手。
『それ』は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと手拍子を打った。
【◆ ◆ ◆】
何かがおかしいとレアムは思った。
それが『何』なのかは分からない。考えれば考えるほど『何』が分からないのかが分からなくなり、
しかし、仮にその『何』かが分かったとしても、目の前の現実は何一つ変わることはない。無駄なことだとレアムは分かっていた。
それでも最後まで悩み続けたのは、レアムなりの抵抗なのか。
あるいは、ただの現実逃避だったのかもしれない。
【フフ。こんにちわ、皆さん】
「っ」
トゥーリ村に暮らす64人の住民。
その64人全員が、綺麗に整列した状態で待機させられている。
列の先頭、その真ん中にはレオナルドが立ち、その横にランシリー、レアム、ライネの順にロータリス一家が並んでいる。
そして彼らの前に立つ、魔女のような格好をした人型の『それ』と、五体の四足歩行の怪物達。
誰も彼もが震えていた。
自分達とは明らかに違う、生命として格を超越した『何か』。例え戦いに身を置かなくとも、生物として正常ならば子供でもそれが理解出来てしまう。
「うっ」
レアムの隣に立っていたライネが、口元を抑えてしゃがみ込む。その顔色は青白く、レアムはライネが体調を崩していることを咄嗟に思い出す。
「ライ――」
【その場から動くな。そして喋るな】
「――っ!?」
『それ』が喋った途端、ライネに近付こうとしたレアムの足は一歩も動かなくなる。
【とは言え、それだけでは話が進みませんね。なので五回だけ発言を許可します。フフ、何でもいいですよ? どんなくだらないことでも黙って聞いてあげます】
優し気に言おうが『それ』が放つ強烈な存在感、圧力は消えてなくならない。
誰もが恐怖したままで口を閉じている。
「誰だ……」
沈黙を破ったのはレアムだった。
体調を崩したライネに寄り添えないまま、精一杯『それ』を睨みつける。
「お前はッ、何者だ!!」
【当然の疑問でしょう。しかし、残念ですが答える気はありません。答えたところで理解出来ないでしょうし、どうせ無駄になるからです】
「無駄……?」
【皆さん、口には出さずとも気になっているでしょう。何故、私がこんな小さい村に来たのかを】
『それ』は二本の指を立てる。
【用件は二つだけ。まず一つ目は、【シュジンコウ】の母親の回収】
「……は?」
「シュジンコウ」という名を持つ者はトゥーリ村には居ない。「シュジンコウ」と言うのは何かの肩書のことか。どちらにしろ『それ』が一体何を言っているのか、分かる者は誰も居ない。
「い、やぁ……!」
それが分かる者がいるとするならば、「シュジンコウ」の関係者。あるいは該当者だけだろう。
【フフ、見つけた】
『それ』が言葉を向けた先。
『それ』の言葉の意味を唯一理解出来てしまった彼女に、誰もが目を向けた。
子供が大の苦手で、村から少し離れた場所で一人で暮らし、そして最近王都に居る男性と婚約した、金髪の女性。クレハの顔は涙に濡れ、絶望に染まっていた。
【来い】
「いやぁあああああ! 私じゃない、私じゃない!! 私は関係ない!!」
まるで子供のようにクレハは泣き叫び否定する。けれど本人の意思とは無関係に、クレハの体は一歩ずつ前へと進んでいく。
「どうして、どうしてよ!! どうして私がこんな目に遭わなくちゃいけないの!!!」
【分かり切っていることでしょう? それは貴方が――】
『ッ!!? 耳を塞いで目を閉じて!!!』
『それ』が言葉を止めると同時に、レアムの腰に下げられた魔剣が大声を上げた。
「何故?」と聞き返す愚は冒さなかった。それが今出来る最善の行動だと、体が勝手に動くからだ。
魔剣の声が聞こえずとも、レオナルドにランシリー、ライネ。他の村人達も耳を塞ぎ目を閉じた。
【……――がわざわざ来るとは】
目で見なくとも、新たに来訪者が現れたことは誰にでも分かった。
【別に。――の力を抑え込む為に、私の手間が増えるだけ問題はないですよ、ええ】
『それ』は、言葉では言い表せないほどの力を持つ、超越した存在だ。
だが、『それ』よりも
【行きましたか。まあ、これで一つ目の用件は済みましたね】
耳を塞いでいても『それ』の声は届いた。新たな来訪者の存在感も、忽然と消えている。
恐る恐る目を開くと、クレハの姿はどこにも見当たらなかった。
「きゃあああああ!!」「うわあああああ!!」
列の中から悲鳴が上がる。
見れば、何人かの者が地面に倒れ込み、息絶えていた。
【
『それ』は人差し指を立てながら笑う。
【最後の、二つ目の用件を伝えましょう。それは皆さんの死です】
「ッ!?」
レアムを含め、自分達が何をされるのか、それを薄々と勘付いている者は居た。
それを改めて、こうして言葉で聞かされた時の衝撃に目の前が暗くなる。
「頼む……」
誰もが絶望感に打ちひしがれる中で、レオナルドは口を開く。
「俺はどうなってもいい。煮るなり焼くなり好きにしろ。だけど、頼む! 子供たちは、子供たちだけは見逃してくれ!!」
【そんな分かり切った答えを、わざわざ口にしなければダメですか?】
「くそっ!!」
レオナルドは剣を構える。
同時に、『それ』の周囲にいた五体の異形の怪物がゆっくりとにじり寄ってくる。
『それ』の存在感が強烈過ぎるだけで、五体の怪物が放つ力も尋常ではない。
相手が一体だけだとしても倒せるかどうか、それさえもレオナルドは自信を持つことが出来ないでいる。
最初から何一つ変わらない。何度だって思い知らされる。
馬鹿馬鹿しいほど理不尽で、絶体絶命の絶望的状況下に自分達は立っているのだと。
何の前触れもなく、頭上から黒い流星が大地に落ちた。
【グギャ――!?】
異形の怪物が一体、爆散した。
墨汁のような黒い液体だけが周囲に撒き散らされる。
【ああ、わざわざ来たんだ】
異形の怪物が爆散した場所から、一つの人影が立ち上がった。
その姿に、レアムは目を見開く。
「キミカ、さん……?」
「…………」
記憶喪失で、村の外からやって来た少女。
レアムの知るキミカは物静かで、あまり感情が読み取れない少女だった。しかし今は、刺すような冷たさを纏い、怒りに満ちた目で『それ』を強く睨みつけている。
一瞬にしてキミカの姿が消える。
それを認識した時には既に、二体目の異形の怪物が奇声を上げて破裂していた。
続けて三体目、四体目、そして五体目と瞬く間に異形の怪物達がキミカの手によって倒されていく。
雷のような速度と、振り下ろされる拳。
走って殴るという単純な動作でも、それに力が伴えば圧倒的だった。
「す、すごい……」
「か、彼女は、一体……」
驚愕と戦慄。そして、希望。
三つの感情が混じり合った視線がキミカに注がれる。
異形の怪物達を瞬殺したことへの驚き。そしてそれを、身体強化などの魔法を一切使わずに、純粋な身体能力だけで成し遂げてしまったという恐怖。
まず間違いなく、人間業ではなかった。
「…………」
全ての異形の怪物を倒したキミカは足を止め、再び『それ』を睨みつける。
『それ』も体の向きを変え、キミカと正面から向かい合う。
異形の怪物達が倒されたからといって、『それ』の動揺した様子は見受けられない。かといって笑みを浮かべ、余裕を示すこともなかった。
『それ』は両手を前に伸ばす。
細長くて大きい異形の手だ。
「――――は?」
それを見て、レアムは呆けた声を漏らした。
『それ』は一歩もその場から動いていない。両手を前に出しただけだ。対してキミカの方も、その場から全く動いていない。彼女は指の一本も動かしていなかった。
にも関わらず、『それ』の両手の中にキミカが捕らわれている。そうなった
ミシ
鈍い音が響いた。
同時に、キミカの表情が苦痛に歪む。
キミカの両腕ごと胴体を掴む『それ』の両手に力が入った。
ミシミシ
また音が鳴る。
ぷっと、キミカの口元から血の雫が流れる。
彼女は必死に拘束を解こうと体を動かし、足をばたつかせるが『それ』は微動だにしない。
バキ
「がっ!?」
そしてまた、鈍い音がキミカの中から鳴り響いた。
「うおおおおおおおおお!!!」
誰よりも早く、そして唯一動けたのはレオナルドだった。
愛剣を手に、『それ』に向かって走り出す。
キミカと向き合ったことにより、『それ』の体は横を向いている。そしてさらには、両手が塞がっている状態だ。
ここ以外、もうチャンスはないと奮いあがり、猛る。
レオナルドを包む紅色の魔力が、炎のように揺らめき増大しいく。。
レオナルドから放たれる熱を持った風が、意思を持ったように『それ』に纏わりつく。
人間の肌を焦がし肺を焼くほどの熱を持った風だが、『それ』が怯む様子は当然のようにない。
無論、レオナルドの方もただ熱風を送って終わりというわけではない。これはただの副産物。
「秘剣『紅蓮斬』」
秘剣とは、才能を持ち、鍛錬を怠らなかった者だけが修得出来る究極の魔法剣。
秘剣とは、剣を極め、剣の頂に辿り着いた証。
秘剣とは、ありとあらゆる敵を必ず殺す、必殺の刃。
レオナルドの体は業火の如く燃え上がり、彼の持つ剣は炎と同化する。
そしてレオナルド自身もまた、彼の放つ炎と同化した。
点ではなく、線でもなく、面の斬撃。
炎そのものが剣であり、刃であり、触れたものを焼き斬る必殺技。
「――――な、に…………?」
猛々しく燃え盛っていた炎は呆気なく鎮火され、レオナルドと彼の持つ剣は実体に戻る。
結論から言えば、秘剣の刃は『それ』には届かなかった。
そして、それが全てだった。
まるで壁に阻まれたかのように、剣の刃は『それ』に触れる数センチ手前で止まっている。硬くもなく柔らかくもない、虚しい手応えだけがじわじわと全身を広がっていく。
「――――く、そ、がぁああああああ!!」
ここ以外、もうチャンスはないとレオナルドは思った。
『それ』の持つ力は尋常ではなく計り知れない。途方もない力量差があると理解していた。
体が横を向いているから、両手が塞がっているからと、その程度の要因で『それ』が不利になると本気で信じていたわけではない。だがそれでも、自分自身を騙し、石のように固まった体を、足を、恐怖で縮こまった心を奮い立たせた。剣を振り上げた。
無謀を承知で、彼は挑んだ。
愛する家族を守りたいその一心で。
レオナルドは、奇跡に賭けた。
レオナルドは、奇跡を信じた。
レオナルドは、奇跡を願っていた。
ボキボキ
「ガ……ッ!?」
キミカの口から大量の血が零れ落ちた。
「うおおおおおあああああああああ!!!!」
レオナルドは剣を振るう。
何十年と心血を注ぎ磨き続けて剣術の全てを、惜しむことなく披露していく。絶え間ない斬撃は嵐の如く。繰り出される技の一つ一つに、レオナルドの全てが捧げられていた。
ボキ ボキボキボキ
されど、刃は届かず無常な音が奏でられる。
「――――う、ぁ…………」
その光景に誰もが涙を零す。
剣を知らずとも、レオナルドが決死の覚悟を抱いて戦っているのだと、彼を見てそれが分からぬ者はいない。強大な敵を前にしても心挫けず、戦い続ける姿はまさに『
だが、『それ』はキミカしか見ていなかった。
秘剣を使った時でさえ、レオナルドのことなど歯牙にもかけることはなかった。
全身全霊で抗い続ける者の傍らで、淡々と一つの命が削られていく。
レオナルドが剣を振れば振るほど、キミカの体から流れる血の量が増えていく。
『英雄《彼》』に対し、それはあまりにも無慈悲で残酷な仕打ちだった。
自分達の死を告げられた時よりも悲愴に満ちた表情で、村人達は嗚咽を零す。
十秒程しかない時間であっても、絶望には底がないことを思い知らされるには十分な時間だった。
バキッ!
これまでで一番高く、嫌な音が響いた。
「――――カ――ッ………」
一瞬だけ、キミカの体が大きく仰け反った。
穴という穴から血を噴出し周囲に飛び散る。
『それ』の手の中で、キミカの首が力なく下に落ちた。
【潰せ】
沈黙を保っていた『それ』が口を開き、キミカを雑に放り投げた。
【クキャ】【クキャキャ】【クキャー】
キミカによって倒されたはずの異形の怪物が五体全て、まるで何事もなかったかのように姿形を取り戻している。五体全ての異形の怪物が、地面に倒れるキミカに向けて二本の前足を振り上げる。
ダン ダン ダン ダン ダン
ダン ダン ダン ダン ダン
ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダン
何度も何度も、執拗に振り下ろされる十本の前足たち。
人としての原型はあっという間に失い、それでもなお徹底的に潰されていく。
【さて。――満足しましたか?】
その光景を最後まで見届けることはせず、ようやく『それ』はレオナルドに顔を向けた。
「まだ、っだあああ!!」
剣を振り下ろしながらレオナルドは答える。その表情は返り血と大粒の汗で汚れ、大きく息を切らしていた。
秘剣および魔法剣の連続使用。全力以上の力を短時間で出し切ったことで、体力、魔力、そして精神を消耗し切っていた。
剣速は落ち、剣筋も酷く乱れている。
「お前を、倒すまでっ! 満足なんてするかよッ!!」
それでも意地だけは、しっかりと残っていた。
「はああああああああ!!!!」
【そうですか】
まるで虫でも払うかのように、『それ』は軽く手を動かした。
そして、跡形もなく消し飛んだ。
残されたのは、成人男性の下半身だけ。やがてそれも膝から地面に崩れ落ちた。
「いやあああああああああああ!!!」
「っ、母さん!!」
夫の死に、ランシリーが絶叫し駆け出した。
「いや、いやっ! あなた! あなたぁ!!」
レオナルドの下半身に縋り付き、ランシリーは大粒の涙を零す。
血で全身を汚し、すぐ目の前に『それ』が立っていても、彼女は泣きじゃくる。
『それ』は細長い人差し指をランシリーの前まで持っていく。
「やめ――!!」
びしゃ――っと、一瞬にしてランシリーの額に穴が貫通した。
骸が二つ重なり合う。赤い血が広がっていく。
「……ッ!!」
キミカが死に、父親と母親が死んだ。
レアムは、残された家族を見る。
ライネもまた、レアムを見ていた。
静かに涙を流し続けるライネを見ながら、レアムは願う。
(命でも何でもいい。オレに上げられるものなら何でもくれてやる。だから、ライネだけは……)
『レアム……』
誰かに向けたわけではなく、ただ勝手に抱いただけ願いに、彼の持つ魔剣だけが反応する。
その悲痛な声音に、レアムは心の中で苦笑する。
魔剣の隠された力でどうにか……、という可能性は期待出来そうにないなと。
「レアム兄さん……?」
「ああいや、何でもないんだ」
レアムは軽く首を振り、言葉を返す。
願うだけで奇跡を起こせるなら、誰も死んでいない。『それ』は既に倒されているだろう。
(オレもライネも、他の皆もまず間違いなく死ぬだろう)
レアムは涙を拭う。
(それでも……)
レアムは魔剣を鞘から引き抜く。
(魔力を持たない『能無し』であっても、オレは『
ただ黙って殺されるつもりは毛頭ない。
キミカを殺され、両親を殺された怒りも原動力となって燃え盛る。
「せやああああああ!!」
レアムは走る。
まるで動かなかった足が嘘のように軽い。恐怖に縛られた体と心も軽かった。
魔力のないレアムに、レオナルドのようなド派手な技を放つことは出来ない。
今まで通りシンプルな動作で魔剣を振り上げる。
そうして、彼は理解した。
「――――あ、れ…………」
『
『それ』の目の前に立って、ようやくレアムは知る。
ずっとずっと前から
物心がついた頃から、剣を振る時に必ず浮かび上がるイメージ。
絶大で究極的な『何か』
自分でもはっきりとしたイメージを持たなかった『何か』と、『それ』がピッタリと重なり合った。
知らずのうち、レアムは『それ』に向け剣を振っていたのだ。
毎日、何千、何万回と。
だからこそレアムは、結末が見えてしまう。
イメージの中でさえ『それ』を斬れたことは一度もない。ならば当然、現実でも『それ』を斬れる道理はなかった。
振り下ろされた魔剣は、『それ』の数センチ手前で見えない何かに阻まれる。
魔剣から伝わる手応えとしては、空気の壁に阻まれたかのような手応えだった。硬くもなく柔らかくもない。まるで何事もなかったかのような感覚が虚しく絶望感を際立てる。
この『壁』はあまりに理不尽で悪辣な力だとレアムは感じ取った。
(まあ、だからどうしたっていう感じではあるけど……)
自分達の死は確定している。
考えても分からないことをわざわざ考えるのは無駄というものだろう。
『レアム!!』
それでも名前を呼ばれてから、レアムは動いた。
『それ』の人差し指の前に、魔剣を構えた。
視界が暗転する。
「――――」
目を開くと足元には赤い壁で覆われた景色があり、頭上には天井があった。やけにゆっくりとしたスピードだと、天井が迫って来ているなとレアムは思った。
ゴシャ
音と共に、再び視界は暗転した。
「――――さん! ――に――さん!!」
『――ム! ――ム!!』
「…………」
「レアム兄さん!!」
レアムの目の前に、ライネの顔があった。
ライネはレアムの片手を両手で握りしめながら泣きじゃくる。
「ごめんなさい、私! ごめんなさいっ!」
「ライ、ネ……?」
「また、思い出したの、私! 私……っ!」
「ごふっ!?」
異形の怪物が一体、ライネの背後から近付いて来ていた。それに気付き「逃げろ」と開いたレアムの口からは血が吐き出される。
異形の怪物は口を開く。
横にも縦にも裂けて開かれた口は、まるで満開の花ように広く大きくなる。しかし、口の中は何も見えず、奈落の闇だけが奥底に広がっていた。
「レアム兄さん、私が――――」
バクリ――と、言葉は最後まで聞けなかった。
モグモグと、大きな咀嚼音が鳴る。
肘から上の部分が、綺麗に丸ごと消えている。
レアムの手を握ったまま、二つの両手が地面に落ちた。
「………………」
不思議と涙は出なかった。
もう既に涙が枯れてしまっていたのか、それとも覚悟を決めていたからだろうか。
(早いか遅いかの違いだけだ。オレもすぐに……)
全身が焼けるように痛い。
体を少し動かそうとしただけで、雷に打たれたような激痛がレアムを襲う。
(だから、これは無駄なことだ……)
血を吐く。
血が出る。
痛みで視界が何度も歪む。
動けば動くほど、体は急速に冷えていく。
『レアム……』
それでも、もう一度だけ立ち上がる。
宙に吹き飛ばされても手放さなかった魔剣を握りなおす。
(頑丈だって言う謳い文句は本当だったようだな……)
『それ』の攻撃を受けても傷一つない魔剣。
ボロボロな体でも持ち上げることで出来る、とても軽い魔剣にレアムは感謝を抱く。
「ッ、アアアア゛!!」
ライネを飲み込んだ異形の怪物はカエルのように飛び跳ね、振り下ろされた魔剣の刃をあっさりと避ける。
がはッ――と、レアムは血を吐きバランスを崩す。それでも魔剣を杖替わりにし、ギリギリとところで踏ん張りをきかせた。
「はあ、はあ……!」
【…………】
異形の怪物が移動したことで、レアムと『それ』の間を遮るモノはいなくなる。
レアムは『それ』を睨みつけ、『それ』もまたレアムを見つめていた。
全身を苛む痛みは悪化の一途をたどっている。大人しく最期の時を待っていれば、ここまで痛みに苦しむこともなかっただろう。
無駄なことをしているのは百も承知している。
キミカ。
レオナルド。
ランシリー。
ライネ。
何も出来なかった。
誰も守れなかった。
復讐も叶いそうにない。
だから、ちゃんと死を受け入れた。
(けれど、心が求めている。渇望しているんだ……!)
死の間際の極限状態だからこそ、レアムは奥底に眠る己の『根源』を対面を果たした。
「ハアアアアアアア――ッ!!!」
レアムは剣を振るった。
それはこれまでに一番速くて力強い、真っ直ぐで綺麗な剣筋だった。
【これがもし……――いいえ、これはただの戯言ですね】
奇跡は起こらない。
渾身の刃は決して届かない。
『それ』は親指と人差し指の間に挟まっていた魔剣を、あっさりと手放す。
【あなたは【シュジンコウ】ではない。いくら足掻こうとも、これが現実で、これが全てなのです】
「ぐ、ぶはっ……!」
レアムは膝が折れ、そのまま地面に倒れる。
『それ』がレアムに何かをしたわけではない。
ただ単純に、レアムの肉体が限界を超過したのだ。
命の炎が、燃え尽きる。
血の海に沈むレアムを見下ろしながら、『それ』は告げる。
【フフ。それでは皆殺しを始めましょう】
この日を最後に、トゥーリ村は地図からその名を消されることとなった。
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