その出会いは必須『2』

 川で倒れていた銀髪の少女。

 少女が目を覚ましたのは、あれから丸一日経った後だった。


「ぅ、……ここ、は?」


 銀髪の少女は紫色に光る眼をゆっくりと開いた。

 その瞳が自分の姿を映し出したのを確認し、レアムは椅子から立ち上がる。


「父さん、母さん。目を覚ましたよ!」


 レアムの声を聞き、家の中に居たレオナルドとランシリーはすぐに部屋へとやって来る。

 ベッドに寝たままぼーっとそれを眺めていた少女に、ランシリーは優しく声を掛けた。


「どう? どこか体に異常はない? 動けるかしら?」


「はい、それは特に、問題ないです……」


 少女はベッドから上体を起こし、焦点の定まった紫色の目を三人に向ける。

 目の色、髪の色、声、口元にあるホクロ等の違いはあるが、やはりライネに似ていると改めてレアムは思った。


「ここは私達の家よ。私の名前はランシリー・ロータリス。あなたの名前を聞かせてくれる?」


「名前……、私の名前は……」


 少女は一度言葉を詰まらせ、視線をさまよわせる。


「キミカ……、キミカ。キミカです」


 まるで自分に言い聞かせるように、少女はキミカと名乗った。

 

「キミカさん。あなたは川で倒れていたそうなんだけど、何があったか覚えてる?」


 キミカは表情を曇らせ目を伏せる。先ほどよりも長く間を置いて、そして諦めたように口を開く。


「覚えて、ないです……」


「覚えていない?」


「自分が何者なのか、今までどこに居たのか、何をしていたのか、そういうことも全て含めて、何も思い出せない……」


 記憶喪失という単語が、全員の頭に浮かび上がる。

 

「覚えているのはキミカという名前と……、あっ、人を探しているんです!」


「人って、誰のことか分かるの?」


「っ、それは……、すいません。でも、探してるんです……」


 はっと思いだしたような顔がすぐに沈み込み、キミカは歯痒そうにベッドのシーツを両手で握り締める。


「思い出せないなら仕方ないわね。キミカさん、お腹は空いてないかしら? お昼の残りになるけど、すぐに準備出来るわよ」


「ありがとうございます。その、お願いしても良いですか?」


 勿論とランシリーは頷く。


「それと、お二人のお名前を伺って良いでしょうか?」


 キミカの視線がレアムとレオナルドの二人に向けられる。


「おっと、そうだったな。俺はレオナルド・ロータリス。ランシリーは俺の妻で、こっちが息子だ」


「レアム・ロータリス、です」


 よろしくとは声に出さず、レアムは軽く頭を下げた。

 レオナルドとランシリーは一度部屋から出て行き、レアムとキミカは向かい合う。

 僅かな沈黙すら許さず、レアムはベッドの横に置かれた素早く剣を掴み取る。


コレ・・は、君の物? 君が倒れていた場所と一緒に置かれていたんだけど」


 黒と白の鞘に納まった剣。『魔剣ちゃん』と名乗った剣をキミカに見せる。

   

「いえ、多分違うと思います……」


「えっ!?」


 キミカは剣をじっくりと見てから首を横に振る。レアムは驚きながらも、剣をキミカの手元まで運ぶ。


「あの、持って貰って良いですか?」


「? 分かりました」


 レアムが両手で鞘を支えた状態で、キミカは剣の柄を掴んだ。


「……凄く、重たいですね」


 何度か剣を持ち上げようとチャンレジするキミカ。だが一度もレアムの両手で支えられた剣が離れることはない。


「ごめんなさい。私には無理そうです」


「いえ、オレの方こそごめんなさい。目が覚めたばかりなのに」


 力んだ表情や手の動きから、キミカが演技しているようには見えなかった。また、嘘をつく理由もないだろう。

 レアムが剣を持ったままキミカから離れると、明るい声が届いた。


『だから言ったでしょ。レアムにしか魔剣ちゃんは持ち上げられないよ』


「……あの、声って聞こえますか?」


「声? えっと、レアム君の声ですか?」


「いや、その、この剣の声です……。今喋ったんですけど……」


 キミカは一瞬の空白を置いてから、レアムと剣を交互に何度も見る。その表情と態度に答えを察しながらも、レアムは沈黙の時が破られるのを待った。


「…………そう、ですか。ごめんなさい」


「は、はは。いえ、オレの方こそごめんなさい」


 いたたまれない空気を肌で感じながら、レアムは剣を持ったまま速足で部屋を出た。


「どうだったレアム……って、その顔を見ればダメだったようだな」


「うん」


 レオナルドの視線がレアムに、レアムの持つ剣に向けられる。


 「魔剣ちゃん」と自ら名乗った白黒の鞘に納まった剣。 

 この剣はレアムしか持ち上げることが出来なかった。身体強化を使い、全力を出したレオナルドにすら腰の高さまで持ち上げるのが精一杯であり、とても剣を振るうことは叶わない。剣の鞘もレアムにしか抜くことは出来なかった。

 

『だって魔剣ちゃんだからね。レアムにしか魔剣ちゃんの声は届かないし扱えないよ』


「…………」


 何かしらの力を宿した剣。大雑把ではあるものの、普通の剣にはない特殊な剣を総じて『魔剣』と呼ばれている。

 

 レアムにしか魔剣の声は聞こえず、また扱えない。

 担い手を選ぶという意味でも、自己申告の通り魔剣で間違いないだろう。それ以外に何か特別な力があるかどうかはまだ判明していない。曰く「魔剣ちゃんは頑丈で良く斬れる」だそうだ。


「それでなレアム。キミカについてなんだが、しばらくは家に泊めようと思ってるんだが、お前もそれで構わないか」


「記憶がないって状態で放り出せはしないでしょ?」


 驚きはなかった。自分の知る両親なら、そうするんじゃないかと予想出来ていたからだ。


「勿論、オレは構わないよ。何というか、他人って感じがしないしね」


 キミカを一目見た時から感じていた気持ちを素直に口に出す。

 レオナルドとランシリーの二人も同じだったようで、レアムの言葉にそれぞれ深く相槌を打つ。そして、二人はお互いに正面から向き合った。


「……あなた。一応聞きますけど、浮気してないわよね?」


「馬鹿野郎、俺はお前一筋だ。……愛してるぞ」


「ええ、私も」


「…………」


 そうして二人は抱き合い、口づけを交し合った。

 

『きゃー、相変わらず・・・・・ラブラブね!』


 毎回ではないものの、昔から子供の前で平然とそういうことを行う両親を見ながら、茶化すような魔剣の言葉にレアムは心の中で同意する。そして「んっ?」と強い引っ掛かりを覚えた。

 

「ちょっと待て今、相変わらずって言ったか!?」


「なぁに、突然大きな声を出してどうしたの、レアム?」


「今はまだ分からないかもしれないが、これはお互いの愛を確認する為には必要な行為なんだぞ、レアム」


「いや、そうじゃなくて……」


 レアムは魔剣の声が聞こえない二人を見ながら少し考える。魔剣の声が聞こえず会話出来ない以上、そのまま説明したところでどうしようもないことだと、結局は口を閉じた。


「あとできちんと説明しろよ」


 魔剣からの返事はなかった。


 ◇


 食事の準備が終えたランシリーに呼ばれてキミカは部屋から出て来た。彼女の恰好は出会った時と同じ、白の長衣を纏っている。


 これから一人食事を始めるキリカを見続ける必要もない。彼女の今後については両親が話をするだろうと、レアムはいつもの・・・・に取り組もうと木剣に手を伸ばす。


『まさか浮気! そんな物よりも魔剣ちゃんがいるじゃない!』


「っ」


 思わず手が止まり、レアムは魔剣を睨みつけるように見る。すると別の方向からの視線を感じ、キミカと目が合った。


「あの、レアム君。私にこの台詞を言う権利があるのかは分かりませんが、良かったらその剣を貰ってくれませんか?」


「え?」


「誰にも使って貰えない武器というのは可哀そうですから。どうぞレアム君が使ってあげてください」

 

 穏やかに微笑むキミカの言葉に流されるように頷き、多少は躊躇しながらも魔剣を手に取る。


『うんうん、素直が一番だよ』


微笑んでこちらを見続けるキミカに礼を言い、若干の気恥ずかしさを覚えながら、レアムは魔剣とタオルを持って修練場へと移動する。


「ああ言われて受け取った手前、使わないわけにはいかないよな」


 いつもの木剣は居間に置いてきているのだが、誰に言い訳するでもなくそう言ってからレアムは魔剣の鞘に手をかけた。

 白黒の鞘から姿を見せる白銀の刃。まるで宝石のように煌めく刃を軽く眺めてから、構えを取る。

 

「ふっ!」


 まずは一振り、魔剣を振るう。

 

「やっぱり軽いな……」


 実は昨晩、こっそり一度だけ魔剣を振るっていたレアムだが、改めて木剣よりも軽いことに驚きを感じる。これも魔剣による力なのかと、再び魔剣を振るって軽さを味わう。


(それに、とても手に馴染む。まるで何十年もこれを使い続けているような感じだ)


『魔剣ちゃんだからね!』


(いや、答えになってるのか、それ? てか、オレの思考を読めるのか!?) 


『魔剣ちゃんだからね!』 

 

「…………。これから素振りするけど、邪魔はするなよ」


『勿論。頑張ってね!』  

 

 一度深呼吸をしてから、レアムは魔剣を振るい始める。



 過去に、レオナルドとライネから何を考え、意識しながら素振りをしているのか聞かれたことがあった。

 レアムは、その答えを濁した。

 何も考えずに剣を振るっているわけではない。物心がついて剣を振るっていた瞬間から同時に、その答えを持っていた。何故だか、っていた。剣を構えて振るえば、必ず『それ』が相手となって現れる。

 

『それ』はどこまでも巨大で、絶大で、究極的で。

 この世のありとあらゆる存在を超えた絶対的で絶望的な『何か』

 自分でさえも、はっきりとしたイメージを持たない『それ』を、人に上手く伝える自信は今もなかった。


 ◇


 空が夕焼けに染まる時間帯になって、レアムは手を止め魔剣を鞘に納める。


『お疲れ様、レアム』


「ん、なんかいつもより集中出来たな」


 大粒の汗を流しながらふーっと息を吐くレアムに向け、横からタオルが差し出された。


「どうぞ」


「ああ、あり、……がとう……」


 いつの間にか横に立っていたキミカからレアムは驚きながらもタオルを受け取る。


「凄い集中力ですね。二時間以上もずっと剣を振っていられるなんて」


「ま、まあ、はい。剣を振るうのが好きなので」


「どおりで。一つのことにあそこまで熱中出来るなんて、レアム君は素晴らしい才能を持っているんですね」


 そう、キミカは穏やかに微笑む。


「――――え?」


 誰もが持つ魔力を持たず、能無しと揶揄される欠児。

 レアムは自分が周囲の人間と比べて違うことを理解している。劣っていることを知っている。わざわざ教えられなくとも、自分に才能がないことを誰よりも自覚している。

  

 別に自分自身を必要以上に卑下したり貶めたいわけじゃない。ただ、事実は事実としてしっかりと受け止めてレアムは生きてきた。

 だから『才能がある』と言われたのは初めてのことで、自分にそんな言葉をかけて貰えるなんて思いもしてなったのだ。


「あ、ありがと……。ありがとうございます」


 心の奥底が温かくなるのを感じながら、レアムはキミカに頭を下げて感謝の言葉を口にする。

 剣を振るうことはレアムにとっての『当たり前』だ。決して誰かの為に褒められたくてやっているわけではない。それでもほんの少しだけ、数十年間と続けてきた自分の行いが認められた気がした。



 ◇ ◇ ◇


 

 小さな村に突如現れた銀髪の少女。

 少女はライネに似た顔であり、記憶喪失。

 娯楽の少ない田舎では十分過ぎるほどの話題性であり、キミカの存在は彼女が目を覚ます前から村中に知れ渡っている。目を覚ましてから改めて、キミカはレオナルドと共に関心を寄せる住民達に挨拶して村を回った。――と言う情報を、レアムは食事中の会話で得る。


 川で倒れていた謎の美少女。

 キミカと同じ屋根の下で暮らそうと、レアムの行動が変わることはない。

 手に入れた魔剣を握り、暇さえあればひたすら素振りを行う。それでも、そんな彼の側には新しく人が立つようになった。


「お疲れ様です、レアム君」


 魔剣を鞘に納めたレアムにタオルが差し出される。

 

「その、いつもありがとうございます、キミカさん」


「タオルを渡してるだけです。お礼を言われるようなことはしてませんよ」


 そう言ってキミカは微笑む。

 目を覚ましてから連日、キミカは「なんとなくそうしたい」という理由で剣を振るレアムを見に来るようになっていた。

 素振りしかしていない様子を見続けて何か意味があるのかは疑問だったが、本人の意思ならとレアムは何も言わなかった。剣を振っている最中は周囲のことなど気にならない。やり辛いだとか邪魔に感じることはないだろうと。

 そう思っていたが、問題があった。


「……………」


「……………」


 自慢ではないが、レアムには友達と呼べる相手がいない。村の人達とたまに話したりはするが、会話にまで発展することはない。レアムの話し相手は基本、父、母、妹の三人だけである。生まれてこの方、彼の話し相手が家族以外に増えたこともない。

 そんな彼のコミュニケーション能力が優れているかどうかなど答えるまでもない。レアムはコミュ障なのである。


 最初はレアムの方から頑張って会話を振っていたが、相手はいかんせん記憶喪失。

『好きな~~ほにゃららは?』と言う、オーソドックスな質問の殆どが『分からない』『覚えてない』で封殺されてしまう。会話を続けようにも続かず、元々の会話のレパートリーが少ない。毎日剣ばかり振っているので会話のネタが増えることもない。


 キミカの方から話題を提供してくれれば頑張って受け答えするのにと意気込んでも、彼女は彼女で口数は少なく、先に会話を振ってくることは殆どない。基本的にレアムの顔をただ見ているだけ。


 今はもう、沈黙だけが二人の間に降り立っている。

 気まずい。

 顔にこそ出さないようにしているが、レアムは内心で気まずくて精一杯だった。自分の顔に何か面白い物でも付いているのかと、鏡を見る回数を増やしても答えは出ない。

 キミカ本人が「なんとなく」としか答えてくれないので解決不可能迷宮入りである。


 レアムが素振りの合間合間に取る休憩時間は十分程度。少しの時間だけ我慢すれば良いと分かっていても、気まずいものは気まずい。体は休まっても心が休まらないのである。


「その、記憶もそうですけど、探してる人も早く思い出せれば良いですね……」


 そうして苦し紛れに出た言葉は、二日に一回は言っている毒にも薬にもならない台詞。キミカの受け答えだけ変化する、なんてことはなく、いつものように秒で会話が終わりを迎える。最後には「はは」っと、乾いた声が響く。


『もぉ、気にしすぎだよ、レアム。別に誰かと一緒に居るからって、無理に話さないといけないなんて決まりはないんだよ』


(あ、頭では分かってるんだけど……)

 

『沈黙イコール気まずいって考えるからダメなんだよ。この静寂を楽しめるようにしなきゃ』


(な、なるほど。……よしっ)


 魔剣からのありがたいアドバイスに従い、レアムは息を吸ってからじっとキミカを見つめる。


(楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい超楽しい!)


『それは極端過ぎる』


「? どうかしましたか、レアム君」


「たのっ――え? あ、いや、すいません何でもないです。は、ははっ……」

 

『無駄に早口。そういうところだぞー』


 いつもより休憩時間を数分早く終わらせ、レアムはそそくさと素振りを再開させるのだった。



 ◇ ◇ ◇



 とはいえ、どんなコミュ障だろうと一ヵ月以上も同じ相手と同じ時間を共にすれば慣れはやってくる。

 気まずかった沈黙も、今ではそういうものかとレアムは気にならなくなっていた。むしろ変な緊張感が抜けたおかげで、以前よりも自然と会話が続くようになっている。

 そんなある日のこと。レアムにタオルを手渡すと同時にキミカの方から口を開いた。


「レアム君は強くなりたいんですか?」


「え?」


「レアム君が趣味で剣を振っているのというのは聞きました。ですが、それだけじゃないように見えます。それで昨日、他の子供達が強くなる為には鍛錬だと皆でレアム君と似たようなことをやっているのを見たので」


「なるほど……」


 本人の認識と言葉が違うだけで、レアムの行っている内容は鍛錬と何ら変わりはない。素振りしかやっていないが、年を重ねるごとに腕が成長しているという実感はあった。つまりは強くなっているということだ。

 だが、それでも。


「自分の好きなことですからね。勿論、上達することに喜びを感じたり嬉しくなったりはしますよ。でも、強くなりたいかどうかはまた別の話です」


「別の話? つまり、強くなりたいわけじゃないということですか?」


 ここで「はい」と答え、会話を終わらせるのは簡単だった。事実、レアムは「強くなりたい」から剣を振っているわけではない。そう考えていないから、自分の行いを趣味だと言うことが出来る。


 でもそれとこれとは別に、人として、剣を握る男として、『強さ』に憧れを抱かないわけではない。

 『紅蓮の剣聖』と呼ばれる父親を持ち、その才をしっかりと受け継いで王都で活躍する妹。『力』を持つ血縁者と共に生きてきて、『強さ』に無関心でいられることは出来なかった。


「……強くなりたいからオレは剣を振っているわけじゃないです。でも、全く強くなりたくないわけでもないです。でも、それを考えても仕方がないのですから」


 なるべく明るい表情を作って言ったレアムの言葉に、キミカは首を傾げる。


「? どうして仕方がないと?」


「え? えっと……、あー、キミカさんももう知ってると思いますけど、オレは欠児、魔力を持たない人間です」


 人には魔力を感じ取る能力が備わっている。魔力を感じ取れるまでの距離、どこまで相手の魔力量を把握出来るかなど、才能の差はあっても、欠児を含めてその能力は変わらない。例え誰かに教わらなくとも、レアムに魔力がないことをキミカはとっくに気づいているはずだ。


「はい。ですが、魔力がないという理由で、仕方がないということになるんですか?」


「…………」


 魔力を持つ者と持たない者の力の差。言わずと知れた常識的なことも忘れているのかとレアムは言葉を失う。


「キミカさん。魔法って使えますか? 身体強化の魔法」


 キミカが軽く頷くと、彼女の全身に灰色に近い半透明の光が纏う。


(一応、魔法は覚えてるんだな……って、うわっ)


 魔力の色によって、その人が得意とする属性が分かると言われている。かなり珍しいとされる、色のない無属性の魔力。そして、身体強化の魔法からでも伝わる彼女の魔力量の多さの二つに驚きながらも、レアムは鞘から魔剣を引き抜く。


「ごめんなさい。身体強化を行ったまま片手を前に出して貰えますか?」


 言われたことを素直に行うキミカ。その差し出された片手に向けてレアムは魔剣を向け、ちらりとキミカを一瞥する。これから何をするのかを分かっているのか分かっていないのか、彼女の表情からは何も読み取れない。


(ええと、大丈夫だよな?)


 身体強化の魔法は身体能力の上昇だけでなく、同時に強い物理耐性を得る。そこから更に、キミカの魔力量に比例して、刃物すら通さないより強固な物理耐性を得たはずだ。魔力のないレアムに彼女を傷つけることはおろか、ダメージすら与えることは出来ないと――普通ならそうだが、仮にも今、彼が持っている剣は魔剣と称される特別な武器だ。

 魔剣に魔力が宿っていないことは確認済みだが、他に知りえない特別な力が発動してキミカを傷つける可能性も決して零ではない。


『大丈夫だよ。魔剣ちゃんは頑丈で切れ味がいいのと、あとはレアムにしか扱えない。それ以外は普通の剣と変わらないから。あっはっはー、特別な力なんてないない」


 喋る魔剣に、それはそれでどうなんだと呆れながらもレアムは魔剣を振り上げる。


「でも一応、でも使った方が良いかもね。一応ね。ほら、万が一、心配ならさ」


(言われずともそうするよ)


 レアムは魔剣を振り下ろす瞬間に、刃の向きを変えてキミカの腕に叩きつける。

 硬い手応えと最後まで振り下ろせなかった魔剣。阻まれたという感覚は剣を通してしっかりと体に伝わってくる。


「――と、まあ、こんな感じです」


 身体強化を使っている証でもある、淡い光を纏っているキミカの腕から魔剣を離す。


「魔力のない攻撃以外は殆ど通じないんですよ」


 レアムは魔剣を鞘に納めながらキミカの反応をうかがう。今ので魔力がないというどうしようもない理由、言いたいことが伝わっただろうか。


「レアム君。身体強化が物理攻撃に強いことぐらいは私も知っていますよ」


「え、えぇ…………」


 なら今のやり取りは何だったのかと困惑するレアムに、「ですが」とキミカは言葉を続ける。その表情はとても真剣で、レアムが初めて見る顔だった。

 

「さっきのあなたは本気を出していません」


「い、いえ、全力でやりましたけど」


 正確には八割の力で魔剣を振り下ろしたが、キミカの魔力量と身体強化の強度なら十割の力を出しても結果は何も変わらなかっただろう。


「嘘をつかないでください。あなたはまるで本気じゃなかった。本気で『斬る』ことをしなかった」


「斬るって……。そりゃあ、でも……、それが何だって言うだよ」


 刃の部分を向けてそのまま斬りつけたとしても、キミカを傷つけることは出来なかった。何度もしつこいようだが、魔力がないのだから。


「いいえ。あなたなら『斬る』ことが出来る。あなたが本気を出せばそれが可能なんです」


 キミカの手がレアムの腕を掴んだ。

 掴まれた腕が痛みを感じるほど、手に強い力が込められている。


「キ、ミカさん……?」


 紫色に輝く瞳はどこまでも綺麗で、深い。瞳に引き寄せられ、吸い寄せられるような感覚に陥りながら、レアムはキミカの言葉に耳を傾ける。


「今度こそ、本気で、『斬る』ことだけを考えてください」


 まるで直接心に語り掛けられるかのように、キミカの声がレアムの心を揺さぶった。周囲の余計な雑音と共に雑念が払拭され、思考がどんどんとクリアになっていく。


「あ、ああ――」


 キミカはレアムの腕から手を放し、まるで餌でも差し出すかのように、魔力を纏わせた片腕を前に突き出す。

 先ほどと同じ状況を再現するように、レアムは魔剣の鞘を引き抜いた。


(斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る……!!)


 『斬る』という想い。それ以外の思考は全ていらない。

 そうすることが『当たり前』であるかのように、レアムは魔剣を振り上げた。


(斬――――!!!)


『レアム!!』


「っ!!?」


 まるで夢から目が覚めたかのように、レアムはハッとした顔で慌ててキミカから距離を取る。


「オ、オレは今何を……」


『まずは落ち着いて深呼吸。それから私を、魔剣ちゃんを鞘にしまって』


「お、おう」


 自分の感情に混乱しながらも、レアムは魔剣の指示に素直に従う。流れていた汗を拭い、呼吸の乱れを軽く整いてから魔剣を鞘に納めた。

 

「っ、私はっ……!」


「キミカさん!?」


 キミカは手を頭に置きながら、顔を苦しそうにしかめさせる。


「ごめんなさい、レアム君。私、何かおかしかったですよね……」


「い、いえ。オレも何か変な感じで……。剣を向けてしまってすいません」

 

 上手く言葉には出来ないが、とにかく変な感じだった。変で、恐ろしかった。そして恐ろしいと感じながらも、体は高揚していた。

 もしも、あのまま剣を振り下ろしていたらどうなっていたのだろうか。


(キミカさんの身体強化は発動してた。……でも)


 先ほどと何も変わらない結果で終わったはずだ。――そう頭では分かっていても『もしかしたら』という、別の答えに期待してしまっていた。


(それが都合の良い考えだって分かってはいるんだけどな)


 ふぅっとレアムは自分を落ち着かせるように息を吐く。同じタイミングでキミカも小さく息を吐いていた。


「ごめんなさい、レアム君。色々と脱線してしまいましたが、私が伝えようと思ったことは一つだけなんです」


「え?」


「どんな理由であれ、仕方がないと諦める必要はないと思いますよ。むしろ、誰よりもあなたは強くなる。そんな風に、あなたの振る剣を見ていて私は思うんです」


『そうね。この魔剣ちゃんが選んだ相手ですもん!レアムはどこまでも強くなるわ!』


「…………」


 魔力を持たない欠児が、誰よりも強くなれる。そんな言葉を周囲の人間が聞けば「何言ってんだコイツ」「常識が欠如してる」「面白い冗談だハハハ」とか思うだろう。欠児である本人が聞けば「馬鹿にするな」と怒りを買っても仕方がない言葉だ。


「ぷ――、はははっ!」


 けれども、レアムの口からこぼれたのは笑い声だった。

 誰よりも『強くなれる才能』を持たない自分に向け、そんな言葉を本気で言ってくる相手が実在することが可笑しくて仕方がなかった。でも、不思議と悪い気はしない。

 期待され過ぎてる感はあるものの、男として彼女の言葉に応えたいという気持ちが湧いてくる。


「よしっと、やるか!」


 この日、剣を振る理由が一つ追加される。


 剣を振ること。

 それはレアムにとっての『当たり前』であり『趣味』でもあり、そして『強くなる』ために、彼は剣を振り続けた。




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