3.月時雨

 ――浜辺に眠る私の胸は、月夜に沈む貴方の指に、弛まぬ音を響かせる。

 さざめきは貴方の旋律、海鳴りは彼方の慟哭、空から落ちる剣のような、真っ直ぐな月明かりは私と貴方を貫いて、まるで大地に死んだ獣を繋ぎとめる、墓標の十字架の型を為す。

「それなら春香は、罪人だっていうの?」

「わたしは――わたしは、罪人です」

 瞬きの度、視界は霞み、溢れた涙が私の側頭を滑り落ちた。「冬夜のことさえ信じることが出来ない。わたし、今、少しだけ怖いのです。冬夜はわたしに何をしたいのですか? それがわたしには判らないの。わたしの知らないことを、冬夜はわたしに望んでいるのではないの? それは例えば――貴方がわたしを、酷い形で傷つけること」

 涙の一粒が砂に落ち、その輪郭を失わせた。

「だから、私は罪人です」

「それは罪じゃない」

 冬夜は私から身を離した。分かれた二つの体の隙間を、凍った風が吹き抜けた。

「罪人はぼくの方だよ、春香。だからあなたは悪くない」

 それから冬夜は私の隣に腰を下ろし、また私の頭を撫でてくれた。

 見つめた冬夜の顔が、いつもと同じであったことに、私は深く安堵する。

「だから――」


 誰かが私の身体を揺さぶっていた。それから、耳元で何かを叫んでいた。瞼を開くと、海の水で視界が霞んでいた。瞬きをして露を払うと、そこに見覚えのある男の人がいた。

 一瞬だけ考えて、その人が、昼先に会った男の人だと気付いた。

「何をしているんですか!」

 私は答えない。自分が何をしていたかも、この人がそんな風に声を荒げる理由も判らなかった。

「……どうして?」

「あなたの姿が見えたから、走ってきたんですよ……。こんな雨の日に、こんなところにひとりでいるから」

 その人は髪をぐしゃぐしゃに濡らして、今にも泣きそうな顔をしていた。それから、最初と同じ、ためらうような口調で、私に問いかけてきた。

「死ぬ気だったんですか」

「死ぬ……?」

 それが冬夜に会いに行くことと同意義であったなら、私は迷わずに、はいと答えてもいい筈だった。

 けれど、男の人の顔を見ていると、私は頷くことが出来なかった。

「馬鹿なことは止めて下さい、あなたみたいに若い人が、自分から命を絶つなんて……。あなたの家族や、友達や……恋人が、そんなことを望むはずがないでしょう」

 私はその人の言うように自分の家族や友達や恋人の姿を思い浮かべた。そしてすぐに、その言葉が私に対しては滑稽でしかないことに思い当たって、静かに言った。

「誰もいません、私には」

 するとその人は驚いて、その後、また泣きそうな顔になって――しかし、最後にひどく真剣な顔になって、言った。

「それでもです」


 ――だから、に続く最後の言葉で、冬夜の夢は終わっている。

「だから春香には、ずっと笑っていてほしい」

 私は濡れた顔を上げ、冬夜の瞳を見つめていた。黒瑪瑙の鏡の中に間抜け顔の私が映りこんだ。

 そんな私の頭を、冬夜はずっと撫でてくれた。

 いつまでも、いつまでも、私の夢に終わりが来るまで……。


 それまで降り続けていた雨が、いつしか止んでいた。

 唸るような風が厚い雲を払い、隠れていた月の明かりが、私の瞳に光を垂れた。

 その青白さの中で見た彼の姿は、やはり冬夜には似ても似つかなかったけれど――。


 私は、彼の前でひどく泣いた。

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月時雨 広咲瞑 @t_hirosaki

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