ひとりぼっちの世界線にて

第1話 画家は言っていた


 かつて世界線番号123で出会った画家、ヒトラーはこう言っていた。

 命は弱さを許さないと。

 時々、死というものについて、ロンドンは思索を巡らせることがある。

 自分という存在が消えたら、いったいこの世界はどのような姿を見せるのだろうか。

 観察者のいない世界に対しては、どうやっても存在を認知することができない。

 リーバーという、異なる並行世界の存在を認知していて、かつ渡り歩くことのできる自分が消滅してしまった時、それでもなお世界線という概念は生き続けることができるのか。

 どこか鬱屈としていて、言葉に奇妙な説得力を乗せていた、髭面の画家のことを想い出しながら、ロンドンは見渡す限りの真黒に染まった大地を眺めていた。


「並行世界移動プログラムは正常に作動したぞ、リーバー。ワガハイたちが現在いるのは世界線番号511。先ほどまでワガハイたちがいた世界線番号943とは異なる世界線にいる」

「まあ、それはわかるんだけどさ。やっぱり、“また”彼女もついてきたね」


 やけに空気が渇いている。

 吹き抜ける風の異様な湿度の低さを感じとりながら、ロンドンは足下でうつ伏せで倒れる白髪の少女に視線を移した。


「……うーん、あれ? ここは? リズは……」


 深い翠色の瞳を擦る少女――セツは困惑したように辺りを見渡している。

 意識自体ははっきりしているようで、深刻な体調不良等もなさそうだ。


「ちょっとロンドン、いったいなにがどうなってるの? さすがに説明、してくれるんでしょ?」

「記憶の混濁症状もなし、か。いよいよ確定的に変だね」

「はあ? ずっと思ってたけど、あなたって人の話聞かなすぎじゃない? ねえ、ヴィニシウス、あなたからもちゃんと注意してよ」

「相変わらずヴィニシウスのことも認識してる。変を超えて、異常だね」

「それに失礼すぎ。こんな可愛い女の子捕まえて、異常者呼ばわりだなんて。あなたの方がよっぽど変で異常よ」

「ギギッ、ギギッ、二人とも世界線を超えられるという点では特異点イレギュラー的な存在であることは変わるまい。変、という定義であれば、両者とも同じく該当するだろう」

「喋る機械に言われたくないよ」

「喋る鳥には言われたくないんだけど」

「ギギギッ、それに二人の共通点は他にも多そうであるな」


 感情表現の設定値パラメータが異様に高いのか、抑揚のない平坦な口調と鉄色の温度のない表情にも関わらず、ヴィニシウスの嬉々とした感覚が、ロンドンにはありありと伝わってくる。


「改めて確認なんだけどさ、セツはこれまでに、今回みたいに見たことのない場所に気づいたらいたなんて経験ある?」

「これまでそんなヘンテコなことがあったのは、二回だけね。リズのところで目が覚めた時と、今。この二回。ちなみにどっちも犯人はわかってる」

「え? 理由がわかってるの? 教えてよ?」

「そんなのあんたに決まってるでしょ! むしろ私に理由を教えてよ!」

「なんだそういう意味か。まぎらわしいなあ」

「……ヴィニシウス。よくあなた、この人と普段ずっと一緒にいられるね」

「皮肉は退屈に勝る。無刺激だが、何の面白味もない会話より、多少の棘があるが、ユーモアの含まれた会話の方が長旅には向く。それにリーバーは口を開けば憎たらしいことばかりだが、案外義理深く、情に厚く優しいところがあって、可愛いのだぞ」

「“コレ”が可愛い? 私からすればヴィニシウスの方がよっぽど可愛いけど」

「お褒めの言葉、感謝するぞ、セツ。たしかに貴公の方が、リーバーより可愛らしいのは間違いない」

「おい、そこの一人と一羽。本人の目の前で陰口を叩くな。ちゃんと陰で叩いてくれ」

「陰ならいいんだ」

「言っただろう。可愛いところもあると」

「ふふっ、たしかに、ヴィニシウスの言ってること、ちょっとわかるかも」

「変なところに僕の可愛さを見出すのはやめろ」


 口元を抑えて、無駄に上品に笑うセツ。

 肩で無意味に揺れるヴィニシウスを手で抑えながら、ロンドンはなんだか普段の倍以上疲れるような感覚を覚えていた。


「しかし、リーバー、これで確定的になったな。セツは世界線を超えることができる。加えてリーバー、そのスイッチはどうやら貴公が握っているらしい。貴公が世界線を移動する時、セツもまた世界線を超える」

「どうやら、そうみたいだね」

「……ねえ、薄々わかってたんだけど、やっぱり私、元いたところとは、違うところにいるの?」


 ロンドンは自らの顎に手を当てながら、考え込む。

 空気が悪いのか、少しざらつきを感じる喉。

 どこかで水分を補給したいという思いを頭の片隅に残しながら、自らを真っ直ぐ見据える翡翠の瞳に目を向けた。

 その鮮やかなエメラルドグリーンに映るのは、どこまでも真っ直ぐな光。

 恐怖心や不安感はなく、あるのは僅かな好奇心と理解を欲する探究への渇望。

 その澄んだ目の光に、どこかロンドンは懐かしさを覚える。


 ――僕は、どこかでこの目を見たことがある。


 ロンドンは、遠くの記憶を探ってみるが、その不明瞭な思い出のスープはいくらかき混ぜても望みの具材を浮かばせることはなく、ただ大小さまざまな油分が薄く浮いては消えていくばかりだった。


「……怖くは、ないんだね」

「うむ。実に理知的な目をしている。ワガハイの好む目だ」

「怖くないってわけじゃないけど、元々いた世界にこだわりがないというか、私の居場所なんてそもそもなかったから。そこは、べつにいいの」

 

 世界に自分の居場所がない。

 それは、ロンドンにとって何度も耳にしたことがあった台詞だった。

 宿命と言っても過言ではないその言葉は、いつもなら、自らの口から発せられていたもの。

 だが、何かに悲観するわけでもなく、自虐でもなく、ただ、当然の事実のような口振りで、セツはその聞き慣れた台詞を口にした。


「……たしかに、似てるのかもね」

「え? なにが?」


 仲間意識を抱いたわけではない。

 もちろん友人や、理解者の一人としてセツを認識したわけでもない。

 ただ少し、ほんの僅かに、親近感を覚えただけ。

 それでも、ロンドンにとってその感覚は、久しく触れてこなかったものだった。



「長い旅になるよ、セツ」

「長い旅に向いてるって聞いてる。がっかりさせないでよ、ロンドン」



 おそらく、セツには知りたいこと、疑問が、それこそ世界線の数ほどあるのだろう。

 しかし、それはロンドンも同じ。

 今は少しだけ、セツのことを知りたいと思っていた。




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雪解け前の世界線にて 谷川人鳥 @penguindaisuki

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