幸福を呼ぶ人形

猫屋 こね

始まりから終わり

 数年前から知られる噂話。

 I県の、とある廃校の校長室にはがあるという・・・その形は、手を高々と挙げ食堂で注文を頼もうとする初老の女性の上半身を象った、フェルト素材の人形らしい。しかし、場所も特徴も知られているのに、誰もそれを見たものはいない。いや、噂が広まる以上、それを見たものはいるのだろう。だが、その後彼等、彼女等がどうなったのかは知られていない。評判通り、幸福になったのか、或いは・・・



「ほ、本当にここにあるのか?」

 高校生のカイトは、廃校の、その外観を見て尻込みする。幸運を呼び込む人形があるのなら、もう少し神々しい場所なのではないのか。なのにここは・・・肝試しにはうってつけの、いかにも俗に言う幽霊でもいそうな場所になっていた。

「ビビるな。・・・いくよ。」

 カイトの同級生の女子、マトイが背中を押す。姉御肌のマトイと、少し臆病だが正義感の強いカイト。良い組み合わせだが、二人の間に恋愛感情はない。いや、あるのかもしれないが、お互いそれに気付いていないか、若しくは気付かないようにいているのかもしれない。幼い頃から一緒にいるせいか、まるで姉弟のような関係性になってしまったからだろう。二人は一緒にいるのが当たり前。ずっとこの関係のままでいたい・・・ずっとこの関係を壊したくない・・・

 険しい道のりだったが、二人は何とか昇降口の前まで辿り着く。ぐるりと目を配るマトイ。玄関、教室の窓、あちこちのガラスが割れていた。しかし、中に入りたい二人には好都合。遠慮なく入らせてもらう。

 昇降口をくぐったその時・・・

 !?

 カイトは背後に何かを感じ慌てて振り返る。

 ・・・何かいた?・・・

 まさかそんなはずはと、正面に向き帰り歩き出したカイトだが、その直後、柔らかい何かにぶつかる。マトイの背中だ。マトイは下駄箱をじっと見つめ、立ち止まっている。

「ねぇ、見た?」

 ボソッと呟くマトイ。微かに声が震えていた。

「な、何を?」

 恐る恐る聞くカイト。マトイは二十足程入れられる下駄箱の下から二段目、奥から二つ目を指差し・・・

「あそこから手みたいなのが出てきて、あたしの腕を・・・」

 振り絞るような声で言う。よく見ると、マトイの身体全体が小刻みに震えていた。そして、その左腕には・・・何か、血のようなものがついている。

「マトイ!大丈夫か?怪我したのか?」

 え?っと自分の左腕を確認するマトイ。どうやら自分では気付いていなかったらしい。二の腕の辺りに手形のような血がついている。

「な、何これ!ここ、さっきあの手に触られたところだ・・・」

 サァっと一気に血の気が引いていくマトイ。痛みはない。自分の血ではないのだ。

「だ、大丈夫なのか?病院行くか?」

 頻りに心配するカイト。

「大丈夫。怪我してる訳じゃないから。さっきのやつに付けられちゃたんだ、きっと。」

 そう言いながら、持っていたハンカチでごしごしと血を拭き取るマトイ。

「さあ、時間がないわよ。暗くなる前に済ませなくちゃ。またあの林を戻るんだからね。」

 急ぐマトイ。そう、この廃校まで来るには、一キロほど林の中を歩いてこなくてはならないのだ。もちろん外灯はない。夏のこの時期、まだ日が長いからいいのだが、時間はもう午後4時を過ぎている。例の人形を探す時間を考えたら、もうあまり時間が余っていない。

「いや、今日は諦めてまた後日来た方がいいんじゃないか?」

 弱気なカイト。無理もない。早速不可解なことが起きてしまったのだから。そんなカイトの性格を熟知しているマトイは、ピシャリと言い放つ。

「駄目よ!わかってるでしょ。あたし達には時間がないの。だから・・・」

 感情的になるマトイ。

「わかったよ。わかったから、だから・・・泣くなよ。」

 カイトは、マトイの目から流れる美しい雫を止めたかった。マトイが何を思いここにきたか、わかっていた。マトイと同じ気持ちでここに来たはずなのに。本当は、男の俺がしっかりしなきゃいけないのに。

 カイトは覚悟を決める。俺がマトイを守るんだ。

 二人は、まずは一階から校長室を探し始める。校舎は二棟あり、どちらも三階建てで、しかも全階連絡通路で繋がっていた。つまり、二棟とも探索しなくてはならないのだ。運が良ければすぐに見つかるだろう。しかし、一階、二階、三階と、どこにも校長室が見当たらない。まさかそんなはずは・・・

 二人はもう一度、今度は丁寧に見て回る。それでも・・・見つからない。

「なんで・・・なんで無いのよ!」

 焦るマトイ。それもそのはず、空が赤色に染まり始めていたからだ。制限時間は、もって後一時間といったところか。短い距離をイライラしながら行ったり来たりしているマトイ。その時だった・・・

 ガタンッ!

 何かが倒れる音。おそらく机か椅子。カイトは顔を真っ青にする。もしかして・・・幽霊?

 マトイはカイトの前に立つと、ゆっくり音のした教室に近づいていく。そして、こっそり中を覗くと・・・

 どの教室も、元々荒れ果てていたが、先程まで倒れた机はなかったはず。しかし今は、中央の机が倒れている・・・どころか、逆さまになっていた。マトイもさすがに背筋が凍りつく。・・・なんなの?

「あなた達!」

 突然背後から声がした。完全なる不意討ちに、口から心臓が飛び出す思いの二人。カイトに至っては気を失いかけている。

「何してるの!ここに居ては駄目よ!早く帰りなさい!」

 美しく長い黒髪。黒いライダースーツの様なもので強調した細身の身体。そんな二十代前半位の女性が、二人をしかりつける。この暑い最中、肌の露出をここまで押さえるとは。女性は汗一つかいていない。

「何してるって・・・あたし達は噂の人形が欲しくて・・・」

 未だに心臓の鼓動が弾んでいるせいか、中々上手く話せないマトイ。

「全く、あなた達もだったのね。でもあれは駄目。ここにいる邪悪なやつに隠されてるから。諦めて帰りなさい。いいわね!」

 邪悪なやつ?二人の目が点になる。この女性は何を言っているのだろう。

「な、何よそれ。悪いお化けがいて、そいつが校長室ごと隠したっていうの?そんなわけ・・・」

「あるのよ。」

 マトイの問いに、食い気味で答える女性。女性二人のやりとりを、呆然と聞いていたカイトはやっと声を出すことにした。

「あの~、結局あなたは何者なんですか?もしかして、あなたが幽霊だったり・・・」

 ジロリとカイトを睨む女性。そして、軽くため息をつく。

「私の名前はカエデ。ここを調査しに来た、れっきとした生身の人間よ。」

 カエデは先程倒れたと思われる机に目を向ける。

「あれは私が倒したの。わざと邪霊に気付かせるために。」

 そう言うと、カエデは倒れた机に近づき、上下を元の状態に戻す。すると、机の木の表面には何やら呪印の様なものをが施されていた。

「これは?」

 除き混むように見ながら言うカイト。見たこともない模様。でもオカルト的な印だということは何となくわかる。

「これはね、およそ半径一キロ内にいる霊に音を届ける為の印なの。さっき出した音はここの邪霊にも届いたはず。だから、早くこの場から離れるか、若しくは隠れなさい。」

 少し事務的な喋り口調で語り、二人を見据えるカエデ。

「ちょっと待って。あなた本当に何者なの?まさか巫女さん?」

 カエデは右人差し指を左右にふる。

「惜しいわね。私はそんなに神聖な職業じゃないわ。私は・・・」

 その時だった。

 ズルッ、ズルリリリ・・・

 何かを引きずる音が廊下から聞こえてくる。それは次第に近づき、教室の引き戸の前まで来る。

「な、何あれ・・・」

 口を両手で覆うマトイ。無理もない。それはあまりにも異形。中年の男の姿だが、下半身はなく、内蔵を引きずりながら腕の力だけで前に進んでいるのだ。夕日に照らされ、少しずつ、引きずる音をたてながら・・・もう、さすがに失神しそうなカイト。

「下がっていなさい。」

 カエデはポケットから小石のようなものを出し、それに向かって右手の指で印を切る。

「消えな。」

 小石を悪霊に向かって投げつける。頭部にまともに当たり、バッと文字通り霧散する悪霊。後には跡形も残らなかった。あっという間の出来事。もはや高校生の二人には、唖然とその光景を眺めていることしかできなかった。

 霊を祓ったカエデは、すぐさま辺りを見渡す。

「・・・ここから離れるわよ。早く!」

 三人は足早に教室から廊下に移ると、一階玄関に向かって歩き出す。

「ちょっと。待ってよ!あたし達はまだ帰らないわよ。あれを見つけないと・・・」

 諦めていなかったマトイ。

「それに、もう悪い霊は退治したんでしょ。なら・・・」

「まだよ。」

 あっさり否定するカエデ。

「あれは、この当たりに元々いた地縛霊よ。人形を隠してるヤツが来てくれればよかったんだけど・・・」

 そう言うと、突然カエデは左手で空中に印を描き、そのままバチンッと掌を壁に押し当てる。シュウウ・・・音をたて何かが霧散する。

「どうやら、この辺りにいる関係ない霊まで集まってきたみたいね。・・・数が多い。」

 カエデは立ち止まり、廊下の先、床、天井、左右の壁、来た道を霊視する。数秒後、カエデの唇の端が上に上がる。

「そう・・・そこなのね・・・二人とも、わかったわよ。校長室がどこなのか。」

 カエデはまたしても印を切り、今度は地面を踏みつける。見ると、半透明の腕が何本も床から伸びていた。しかしそれらは、今のカエデの力で霧散していく。・・・強すぎる。

「わかったって・・・どうやって?いや、別に理由はいいや。・・・どこなの?」

 今抱える疑問は余りにも多いが、それよりも、ここに来た本来の目的の方が優先されるマトイ。

「ついてきなさい。」

 三人は慎重に歩みを進める。着いた先は一階、職員室。二人が入ってきた昇降口のすぐ隣に位置している。しかし、ここは二人が散々探したところだった。昇降口、職員室、家庭科室という並びになっているのだが、カエデは職員室と家庭科室の間に立つ。

「そこにあるの?ただの壁じゃない。」

 眉間にシワを寄せ、疑うマトイ。

「まあ、見てなさい。」

 壁を指でなぞり、印を書くカエデ。すると、壁の表面がボロボロと崩れ、扉が現れる。仰天する高校生二人。これは現実なのか?いや、悪霊に襲われている時点で、もはや現実からかなりかけ離れたものになっているのだが・・・正に魔法の世界だ。

 カエデはドアノブに手をかけ、扉を開ける。中は、俗に言う普通の校長室になっていた。大きな机と革製の背もたれがついている椅子が窓側に置いてあり、壁の上の方には歴代の校長の写真が飾られている。三人は中に入り、あちらこちらと目を配る。そして・・・あった!

 マトイは真っ先にそれを見つける。例の人形だ。机の右端の方にこちらを見る向きで置かれていた。小走りに人形に近寄るマトイ。そして、掴もうと手を伸ばした。

「待ちなさい!駄目よ!」

 慌てて制止するカエデだったが、時すでに遅し。マトイは人形を持ち上げ、二人の方に振り返る。

「やった!手に入れたよ!さあ、早く帰ろう。」

 満面の笑みのマトイ。しかし、その時だった。周りの空間が歪み、狭かった校長室が体育館ほどの大きさに広がる。先程まであった机や写真等は一切ない。周りに見えるのは灰色の風景だけ。

「な、何これ・・・」

 突然の空間変異。押し寄せてくる不安が高校生二人を襲う。

「はぁ、言わんこっちゃない。」

 溜め息をつくカエデ。こうなることは、わかっていたのだ。そして、この後起こることも・・・

「ヒヒヒヒ・・・」

 例の人形から、突然笑い声が聞こえた。驚いたマトイは、咄嗟に人形を手放し距離をとる。

「きたきたきたきたぁ!お前達、初めて無事にここまで辿り着いたぁ!待った待った待ったぁ!」

 人形はゆらゆらと宙に浮き、黒い霧に包まれたかと思うと、異形の形へと変貌を遂げる。まるで、複数の人間が無理やり一つにまとめられてしまったような・・・マトイとカイトは吐き気を催す。

「早く喰いたい!早く喰いたいぃぃぃ!」

 狂乱する異形の邪霊。それに呼応するように、取り巻きの霊達が三人に襲いかかってくる。カエデは二人を背に隠すと、手早く印を組み、悪霊達目掛けて光の帯のようなものを放つ。邪霊以外の悪霊はこの光によって霧散する。

「やるなぁ。だがその程度で、わしは殺られんぞぉ。」

 ケタケタ笑う邪霊。何故か背筋がゾッとする二人。

 ・・・聞いたことある。この笑い声。

 その途端、頭が混乱し、訳がわからなくなった二人はガタガタと震えだしてしまった。そして・・・

『もう死にたくない!』

 カイトとマトイの声が重なる。と同時に、自分が発した言葉、隣から聞こえてきた言葉の意味を知り、愕然とする。

「俺たち・・・」

「死んでるの?・・・」

 二人は足の力が抜け、座り込む。両目からは大粒の涙が流れていた。そして、流れ込んでくる記憶。何日も何日もここで、この学校の中で、何度も何度も・・・殺されてきた・・・思い出したくもない。

「厳密に言えば、まだ死んでいないわ。」

 さらりとマトイに言うカエデ。

「私がここに来た目的はね・・・あなた達を救うことなの。」

 振り返り、真っ直ぐにマトイの目を見据える。その、あまりの眼力にビクッと身体を震わすマトイ。

「あなたは今、意識不明の状態で病院のベットの上にいるわ。それに・・・おかしいと思わなかった?」

 カエデは二人の前に立ち、ポーズを決める。

「この格好を見て、暑苦しいと思ったでしょ。」

 身体のラインがはっきりとわかるように作られた、革製の黒いライダースーツを纏っているカエデ。

「まあ、八月でその服装はかなり暑いと思ったけど。」

 直視するのも暑苦しいといった表情でカエデを見つめるマトイ。それを見たカエデは、やれやれと首を振る。

「・・・今は11月よ。あなた達の時間は三ヶ月前で止まっているの。」

 二人の両目は勢いよく飛び出し、床を転がっていく。そういう幻覚を引き起こさせるほどに、それほどまでに衝撃的だった。

「騙されてたのよ、あなた達は。あの人形は確かに幸運を呼ぶ人形だけど、言い方を変えてしまえば幸運を引き寄せる人形なの。あれがあるところに人の幸運が集まる。そしてその幸運を、ここの邪霊が餌にしてるってわけ。」

 右手の指を複雑に動かしながら印を書き、それで新手の悪霊達を祓いながら、カエデは話を続ける。

「あなた達は、そこの林に入る手前の歩道で倒れているのを、近所のおばあさんに発見されたの。」

 この空間では、どこがどの方角なのか高校生二人には全くわからないが、カエデは右手を真横に伸ばし、指を差す。

「つまり、魂だけがここに取り残され、肉体は弾き出されたって訳。この、魂を喰らう邪霊にね。」

 差した指をそのまま邪霊に向ける。カエデの、殺気のこもった眼差し。しかし・・・口端は上がっていた。邪霊や二人は気付いていない。

 邪霊は突然ジタバタしだす。

「早く喰いたいけどまだ駄目!まだまだもっと旨くする。」

 早く若い魂を召し上がりたい、そんな気持ちをグッと堪えて、三人にチャンスを与えることにする邪霊。何故なら、何度も恐怖に打ちのめされた魂は格別な味がするからだ。だからこの三ヶ月間、喰らわずに我慢してきたのだから。

「朝まで無事でいればお前達の勝ち。でも、ここのやつらに捕まったら・・・」

 含みを持たせた言い方をする。おそらく、魂の牢獄から抜け出せなくなるのだろう。

「ぎひゃひゃひゃひゃっ!さあ、ゲームスタートだ!」

 邪霊はパッと消える。と同時に、空間変異が解かれ、元の校長室に戻った。

「こっちよ。」

 すかさずカエデは二人を促し、ある場所を目指す。先程、カエデが机を倒した教室だ。中に入るや否や、二人を教室の真ん中へ導く。そして手早く、教室の角に隠していた大袋に入っている塩で二人の周りに円を描き始める。

「このサークルの中にいなさい。まあ、出たくても出られないだろうけど。」

 ぎょっとする二人。閉じ込められた!

「あ、あたし達を犠牲にして自分だけ逃げるつもり?ひどい!ひどいわ!この人でなし!悪魔!さ・・・」

 止めどなく溢れてくる、人を軽蔑する言葉達。それが矢となりカエデのあちこちを突き刺さる。

「ま、まあ、聞きなさい。」

 あまりの罵詈雑言にくらくらしながらも、何とか微笑みを浮かべ、カエデは説明を始める。

「そこにいれば、確かにあなた達は出られない。でも、その代わり、外からも霊は中に入れないの。」

 そして今度は厳しい顔になり、腕を組むと、二人の顔を、目を、交互に見つめる。

「でも、これだけは注意して。決して恐怖の悲鳴は上げないこと。この結界は、内側からの負の振動にすこぶる弱いから。」

 言った直後、カエデは印を結び、教室の入り口へ掌を押し出す。パァァっと何かが霧散する。早速霊が集まってきたのだ。

「ちょっと待って。じゃあ、あなたはどうするの?いくら強いからって、一晩中悪霊と戦い続けるの?」

 漠然とではあるが、自分達の安全が守られていることを知ると、今度はそれを施してくれたカエデの身の安全が心配になる。

「私は・・・もう一個の用事を済ませるわ。じゃあ、また後で会いましょ。」

 カエデは二人に背を向け、足早に教室から出ていく。結界の中に取り残された二人。どうしようもない不安が襲ってきた。カイトはガタガタと震えている。マトイも両肘を抱えうずくまってしまう。教室の出入口、ベランダから気配を感じた。霊が二人に近づいてきているのだ。

 頭から血を流し、口を大きく開けたまま喉の奥から声を出して近づいてくる中年男の霊。足を引きずり、片腕がおかしな方向に曲がっている中年男の霊。上半身が無く、下半身だけで歩いてくる恐らく中年男の霊。様々な悪霊達が、二人にじわりじわりと寄ってくる。

「マ、マトイ・・・どんどん集まってくるよ。ほ、ほんとに大丈夫なのかな。」

 半泣き状態のカイト。

「ここまで囲まれたら、どのみち逃げ場はないわ。信じるしかない。」

 覚悟はできていた。人形は手に入れられないかもしれない。でも、二人で帰るんだ!

 一体の霊が結界に触れる。すると、ブシュ~っと触れた身体の一部が霧散する。本当に入ってこれないんだ。安心するマトイとカイト。これなら、何とか朝まで持ちこたえられるかも。しかし、そう簡単にもいくわけではなかった。結界に触れることができないとわかると、悪霊達はすぐさま別の方法を考える。背後から椅子を投げつけてくる悪霊。椅子は結界に当たり、跳ね返るが二人の不意をつくには十分だった。

「ひっ!」

 僅かではあるが、負の振動を出してしまったカイト。そのほんの僅かな震えだけで、ピシッと、結界の一部にヒビが入ってしまう。慌てて口を手で被うカイトだったが、悪霊達はそれを見逃さなかった。悲鳴を上げさせれば入れる・・・

 悪霊達は周りにある、あらゆる物を二人に投げつける。机や椅子が激しく衝突する音、悪霊達の訳のわからない奇声が二人の精神を攻撃してくる。目を閉じ、耳を塞いでうずくまるしか抗う術がなかった。

 朝まで・・・持つの?・・・

 ・・・・・・

 何時間経っただろう。いや、もしかすると数分も経っていないのかもしれない。それほどまでに苦痛の時間。未だ鳴り止まない悪霊達の鳴らす騒音。気がおかしくなりそうだ。早く、早く朝になって・・・

 マトイはうっすらと目を開く。そして驚愕する。結界のあちらこちらにヒビが入っているのだ。

 ・・・なんで・・・

 マトイはカイトに目を移す。そしてわかった。カイトは、何とか声を出さないように両手で口を塞いでいるが、その僅かな隙間から負の振動が漏れてしまっているのだ。それが伝わり、結界にダメージを与えていた。カイトの気持ちは痛いほどよくわかる。しかし、これでは・・・

 マトイはカイトを引寄せる。そして顔を胸に押し付け、きつく抱き締める。柔らかいマトイの感触。恐怖が無くなったわけではないが、暖かいこのぬくもりが、この母性が、カイトの心を守ってくれるように思えた。二人は諦めない。必ず朝まで耐えてみせる。



 カエデは二人の待つ教室を目指し、歩いていた。その間にも、悪霊達はカエデに襲いかかるのを忘れない。しかし、今のカエデに手を出そうとするのは、余りにも無謀なことだった。何故ならカエデはしていたからだ。余裕の表情を浮かべたまま、カエデは教室に辿り着く。

「たっだいま~。」

 意気揚々と中に入るカエデ。

「お、お帰りなさい・・・なんか、肌の艶が良くなってない?」

 この場の状況、雰囲気に、余りにも不釣り合いな程上機嫌なカエデを見て、戸惑いながらも声をかけるマトイ。

「ちょっと待っててねぇ。」

 カエデは空中に長々と印を描くと、それを両手で閉じ込める。

「・・・消えな・・・」

 カエデは、まるで悪魔のような笑みを浮かべると、両手をゆっくりと開く。パッと白い光が見えたかと思うと、あっという間に教室内外の悪霊が、悲鳴も上げられず霧散していく。後には三人以外、誰も残らなかった。

「もう少しよ。辛抱なさい。」

 そう言うと、カエデは周りを霊視する。まだ悪霊達が集まってきてるのだ。しかし、カエデの言うように、夜明けが近いのは確かだった。夜の闇が薄らいできているからだ。おそらく、後一波越えれば・・・

 悪霊達はあらゆるところから現れた。総攻撃をかけるつもりだろう。マトイとカイトは、しっかりとお互いの身体を抱き締める。合図などない。とにかく我先にと三人に襲いかかっていく悪霊達。しかし・・・

 パチンッ

 音が鳴ったかと思うと、悪霊達は瞬時に霧散していく。・・・カエデの仕業だ。

 すでに印を書き、周りの空気中に漂わせていたカエデは、ただ指を鳴らすという動作だけで集まってきたすべての悪霊を消し去ったのだ。・・・その後、霊達は集まらなくなった。

「さぁ、夜明けよ。あなた達の勝ち。」

 二人は外を見る。窓の外は明らかに白んでいた。朝日が昇り始める直前の光景。そしてその間も持たず、黄色い光が三人の目に写る光景を東から染め上げていく。そして、教室の窓から入るその黄光を受けたマトイの身体が、少しずつだが薄らいでいく。それと同時に勝利を実感した。あたし達、やったんだ。やっと、やっと、帰れるんだ・・・

 マトイは目を閉じ、懐かしい自分の身体に思いを寄せる。



 総合病院の個室にあるベットの上で、マトイは目を覚ます。最初に目にしたのは、母親の顔だった。

「マトイ!マトイ!ああ、よかった・・・ほんとに・・・ほんとに・・・よかった。」

 枕元で泣き崩れる母。それほどまでにマトイは危機的状態にあったのだ。後一日二日遅かったら・・・

「あれ、あたし・・・」

 頭がボーっとしている。何か、ずっと悪い夢を見ていたような・・・覚えていない。

「カイト・・・カイトは?」

 辺りを見渡すマトイ。しかし、カイトの姿はない。きっと別の病室にいるのだろう。そう思っていたのだが・・・

「カイト君はね、あなたが昏睡状態になった三日後に・・・」

 マトイは、目を見開き、口を半開きにしながら、母の顔を見続けた。頬を伝う、暖かいものを感じながら・・・



「よかったわね。あなたの思惑通り、彼女は帰れたわよ。で、あなたはどうする?」

 カエデは、カイトに尋ねる。カイトにはもう、帰る身体がなかったからだ。

「忘れちゃってたみたいだけど、彼女は、俺を助けるためにここに来た。俺の病気を治す為に・・・だから俺は・・・彼女が、マトイが救われれば、それで・・・」

 カエデは、印を切り始める。

「安心しなさい。悪霊を祓ったみたいな、手荒なことはしないわ。ちゃんと成仏させてあげる。」

 空中に印を書き始めるカエデ。しかし、カイトは首を振り、二、三歩後ろに下がる。

「ありがとう・・・でも大丈夫。」

 消えていくカイト。その顔は、大切な人を守れたという達成感に満ちた、とても穏やかな顔をしていた・・・

「ちょっ、待ちなさい!」

 しかし、もうカイトの姿は見え無くなってしまっていた。

 冬を呼ぶ秋の風が窓から入り、別の窓から抜けていく。天を仰ぐカエデ。教室の中には、いや、この廃校の中にはもう、カエデしかいなかった。

 後日、カエデは知人に今回のこの件のことをこう話していた。『最後の最後にしくじった』と・・・



「いってきます。」

 いつも通り、元気に母親に挨拶をし、学校へ向かうマトイ。その表情は晴れやかでもあり、どこか憂いを帯びているようにも見える。

 これから先の彼女の人生は、色々な困難が待ち受けているだろう。生きるということは、そういうものなのだ。でも、きっと、彼女は乗り越えられる。何故なら・・・彼女の背後には、いつも彼が居るのだから・・・


『マトイ・・・ボクガキミヲマモル・・・イツマデモ・・・イツマデモ・・・』



 ~余談~

 二人を残してあの教室を出たカエデは、例の邪霊をそれこそ完膚なきまでに、ぐうの音も出ないほどに、徹底的に凝らしめた後、喰らったのだった・・・それがである彼女の本領だから・・・

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