嘘つかないゲーム

七種夏生(サエグサナツキ

嘘つかないゲーム



 その日、彼女は普段より殊更機嫌が良かった。


「嘘つかないゲームをしよう」などとのたまい、僕に飲みかけの缶ビールを差し出した。


「いえ、結構です」


 適当にいなそうとしたが、彼女は頬を膨らませて「やろうよ」と肘をぶつけてくる。

 酒をやめさせようと缶を奪うと、それを承諾の意と受け取った彼女が嬌笑した。


「じゃあ、りんご」


 それはシリトリというゲームではないかと思料したが、あえて反論はせず「ごりら」と返した。

 即座に「らっぱ」と彼女が言い、僕が「パンダ」と応える。


「ダ、かぁ……」


 彼女の目線が斜め上に移動し、一考を始めた。

 十秒ほど過ぎ、「君はさぁ」と思い出したように『嘘つかないゲーム』を再開した。


「飲み会、好きじゃないよね?」


 これは名前の通り、嘘をつかないことがルールのゲームであろう。

 それならば今、発する答えは一つ。


「はい」

「あははっ、やっぱりね」


 手元にあった未開封の缶ビールに手を伸ばす彼女の腕を、僕の右腕が掴んだ。

 彼女はふふっと笑い、神妙に手を引いた。


「先輩もですよね?」


 僕の問いに彼女は小さく頷き、「次は私の番」と居住まいを正す。


「でも君は毎度、飲み会に参加する。それは何故か」

「黙秘権を行使します」

「なるほど、うまい言葉使うね。うーん、じゃあ……私のこと好き?」


 思わず、缶ビールを落としそうになった。僅かしか残っていない、彼女の飲みかけの缶。

 目があうと、再度の嬌笑が僕を見上げる。


「黙秘……」

「二度は使えません」

「……」

「これ、嘘つかないゲームだから」


 そして嬌声。

 射抜く様な彼女の瞳に、僕は咄嗟に目を逸らした。


「先輩は?」


 左手の缶ビールを握りしめ、右手の拳を強く握る。


「先輩は、どうなんですか?」

「どうって?」

「僕のこと、その……」


 よく……よくぞまぁ、「自分のことが好きなのか」などと聞けたものだ、当人を前に!

 さして飲んでいないのに血液が身体中を這い回り、鼓動が強くなった。

 ちらりと彼女を見遣ると、口を半開きに笑みを浮かべていた。


「うん、好きよ」


 顧慮する間もなく、彼女が発した言葉。

 振り向くと、潤んだ瞳と視線がぶつかった。


「嘘、つかないよ」


 ケタケタと笑い、彼女は立ち上がって何処かに行ってしまった。フラフラと机の間を縫い、親しい友人がいる隣の席に着こうとしたところ、諌められて部屋を後にした。

 ちらりと、僕の方を見遣ってから。


 ○


 翌日、サークル部屋で顔を合わせると彼女はあからさまに顔を背けた。

 昨晩の記憶はあるらしい。

 誰もいない、先輩と僕の二人だけの部屋。それを確認してから、僕は彼女の向かい側に座った。


「昨日、僕、答えてなかったですよね」

「昨日? え、なにが?」

「嘘つかないゲーム」


 僕の言葉に、先輩は虚を突かれたような顔をし慌てて視線を逸らす。

 頬が赤く染まっていた。


「僕も同じです、好きです」


 覚悟は決めていたのに、いざ声に出すと、しかも本人を前にすると声が上ずった。

 彼女の頬が、紅潮する。


「嘘、ついてませんよ」


 小声で囁いたつもりが、思った以上に大声になってしまった。

 室内に反響する自分の言葉。

 途端、恥ずかしくなって席を立つ。一度外に出ようとドアに手をかけた時、背後で物音がした。


「あの……あの!」


 吐息のような声に振り返ると、スカートの裾を掴み俯く先輩の姿があった。


「あの、わたし……私も」


 全く、百薬の長か憂の玉箒か、痛んでは百毒の長と化すというのに。

 しかし酔い本性違わずというならば、天の美禄と呼ぶに相応しいかもしれない。


「私も、……き、です」


 なぜ後輩に対し敬語なのか。この際、そんな事はどうでもよかった。


 踵を返し、彼女と向き合う。

 視線十五センチ下、彼女のつむじの丸。

 誰が想像しただろう、この様に小さく震える彼女を。昨晩の酒場にいた声の大きな、大胆な女性が彼女だと誰が想像できるだろう。


 一つ、条件をつけようと思う。

 年下が何をと不快に思うかもしれない、もしくは萎縮させてしまうかもしれないけれど、大事なことだから。

 貴女のことが、大切だから。


「付き合ったらもう、昨晩のような飲み方はやめてください」


 顔を上げた彼女、アルコールは抜けているはずなのに、わずかに染まる頬の紅。


「好きです、先輩。僕と付き合ってください」


 桜色の頬がくしゃりと歪み、唇が微かに揺れた。

 綺麗だ、と、そう思った。

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