お杉さんは優しすぎる〜ハギスの癖〜

斉凛

ハギスの癖

 重い木の扉を開けると、カランとベルが鳴る音がした。シックに纏められたインテリアと、流れるジャズ。酒の香りが大人の雰囲気を醸し出すカフェバー。

 陽子は初めて店に入った時、緊張したのを覚えている。


「いらっしゃい」


 耳に響くバリトンに、カウンターの向こうに目をやると、背の高い男性が立っていた。 

 杉田高広ことお杉さん。この店の主人だ。骨格のしっかりした、ワイルド系のイケメンで、バーテン服に身を包んだ姿は、そこはかとなく色気が漂っている。

 柔らかく微笑まれると、思わずうっとりするのだが……少し、いや、かなり個性的な人だ。


「あら、陽子ちゃん。今日は元気がなさそうね」

「……彼氏に振られちゃって」

「陽子ちゃんみたいな可愛い子、振るような男はろくでなしだもの。別れて正解って思いましょ」


 何度聞いても、お杉さんのバリトンボイスと、オネエな台詞が一致せず、脳がバグを起こしたのかと思う。

 言葉がオネエなだけで、仕草も表情も、全く持って、男らしいところが、また不思議だ。

 グラスの水を一気に飲み干して、喉仏が鳴るところなんて、見ほれるベテランのお姉さんがたくさんいるだろう。


「とにかく今夜は酔いたい気分なの。お杉さん。何かお酒ちょうだい」

「ちょうどギネスの樽を開けたところよ」

「やった! ギネスの生!」


 アイルランドの黒ビールギネス。缶も美味しいけれど、やっぱり生ビールは最強だ。

 日本のキンキンに冷やして飲むビールと違う。ぬるくなっても美味しい。


 お杉さんの大きくて無骨な手が伸びてきて、カウンターにそっとグラスが差し出された。

 きめ細やかでクリーミーな泡に思わずうっとり。この泡こそギネスの命だと思ってる。長く置いても、消えることのない泡が、美味しさを保ってくれるのだ。

 くぴりと口に含むと、クリーミーな泡の下から、苦味とコクのある黒ビールが、舌の中で転がっていった。


「……ああ……やっぱギネス最高」

「お酒だけだと、胃に悪いわよ。何か食べる?」

「お杉さんのおまかせで」

「そうね……じゃあ、ハギスはどうかしら?」


 私が首を傾げたせいだろう。お杉さんは皿に盛り付けながら、説明してくれた。

 ハギスとはスコットランドの料理らしい。羊の胃袋に羊の臓物や、野菜、オーツ麦を詰めて蒸す料理だ。


「好き嫌いが別れるけど……陽子ちゃんならきっと好きだと思うわ」

「どんな料理なの?」

「酒好きほどたまらない味」


 そう言われると食べたくなる。酒の肴、珍味系は大好物だ。

 お杉さんがたくましい腕で、豪快に皿に盛り付けると、ことりとテーブルの上に置いてくれた。

 見た目は茶色いひき肉を炒めた何か。地味で見た目は良くない。付け合わせの白いマッシュポテトと、グリーンピースが、かろうじて彩りを添えてくれてる。


「最後におまじない。スコットランドではみんなやってるのよ」


 そう言ってお杉さんがふりかけたのはスコッチだ。木の香りのする酒の匂いが、鼻をくすぐる。

 その匂いが食欲を刺激して、思わずゴクリと喉がなる。恐る恐る、スプーンでひき肉を掬い上げ、口に運んだ。


 羊肉のガツンとした癖のある匂いと、野性味のある肉の旨味。しかし玉ねぎ、人参、セロリ。香味野菜の甘さと爽やかさが、臓物の臭みを消しになって美味い。

 オーツ麦で歯触りを楽しく。胡椒がピリッと効いたアクセントに。

 スコッチのスモーキーな香りが、羊の臭みをまろやかにしてくれた。

 羊の独特の臭みや脂っ気が、不思議と酒にあう。コクのあるギネスが、癖のあるハギスと絶妙に合う。


「美味しい……羊の癖は強いし好き嫌い分かれそうだけど、私は好き。癖が後引いてお酒飲みたくなる」

「でしょ。マッシュポテトやグリーンピースを混ぜながら食べるのも、美味しいわよ」


 勧められ、ゴクリと喉を鳴らし、スプーンを手に取った。マッシュポテトだけで一口。

 ミルクの香りふわりと口の中に広がり、舌の上で蕩けた。滑らかでクリーミー。


「嘘! マッシュポテトだけで、なんでこんなに美味しいの」

「ふふふ。丁寧に裏ごしして、生クリームも混ぜてるのよ」


 マッシュポテトとハギスを混ぜると、ハギスの癖をクリーミーなマッシュポテトが包み込んで、だいぶ食べやすい。合間に食べる、甘いグリンピースが爽やかで、いつまでも飽きない。

 酒盗の如く、ハギスを食べると酒が進みすぎて困る。

 ハギスだけでパクリ、ギネスをぐいっ。マッシュポテトと混ぜてもぐもぐ、ギネスをくぴり。

 途中で味が変えられるから、飽きないし、辞められない止まらない。途中で2度ギネスをお代わりした。



「ああ……美味しかった。ご馳走さま」


 ハギスが美味しすぎて、お酒が進みすぎて酔ったかもしれない。思わず愚痴がポロポロ溢れた。


「推しと俺とどっちが大事だって。推しは二次元なんだから、比較する方がおかしいのよ」

「二次元の推しね……。聖地巡礼だって、一人旅ばっかりで、彼氏寂しかったんじゃない?」

「だって彼氏はいつでも会えるけど、推しはその時しか会えないもん」

「……陽子ちゃん。良い子だけど、ちょっと癖があるのが困った所ね」


 お杉さんの笑顔はカラッと明るくて嫌味がない。でもお杉さんに癖があるとか言われたくないと思ってしまう。


「癖か……。このハギスの癖を消すスコッチみたいに、臭み消しでも用意したらいいのかな」

「ハギスの癖は酒好きを引き寄せるもの。いっそその癖が好きって人を探せば良いんじゃないかしら?」

「いるかな……そんな人」


 私の溜息に、お杉さんは微笑を浮かべて、どこか遠くを眺めるように目を細めた。


「世界を旅したら、どこかにいるかもしれない。そう思った時期があたしにもあったわね」

「お杉さん、世界を旅したの?」

「ええ。スコットランドに行った時に食べたハギスが美味しかったから、作ってみたの。日本だとちょっと材料が手に入りづらくて、なかなか作れないんだけどね」


 お杉さんは懐かしそうで、楽しそうで、寂しそうな複雑な顔をしていた。

 恋人を探して世界を旅する。とてもロマンティックだな。


「いいな……私もスコットランドを旅したい。本場のギネスが飲みたい。というわけで、もう一杯おかわり!」

「もう……陽子ちゃん。女の子がそんな酔っ払って隙を見せて。狼さんに襲われちゃうわよ」

「狼さんがいても、ここにはお杉さんがいるし、だいじょうぶ……」


 言いかけて気づく。さて、オネエ言葉だが、果たしてお杉さんはゲイなのだろうか? 


「お杉さんが好きになるのって、男と女、どっち?」

「ナイショ」


 口元に指先を添えて、ウィンク付きで言う姿も妙に似合うんだよな……。

 思わずため息をこぼしたら、慰めるみたいに頭を撫でてくれた。その大きな手の優しさに、うっかり惚れてしまいそうだ。

 結局お杉さんの好みが、どっちなのかわからなかったけど、こんなに優しいと、男女問わずモテそうだ。


「あたしはともかく、他の男は狼かもしれないでしょ。ほらほら。お水飲んで。酔いを冷ましてから帰りなさいね」

「しめに何か食べたい。あっ! デザートも何か」

「仕方ない子ね」


 ふふと笑う、お杉さんが優しすぎる。

 一度食べると病みつきになるハギスみたいに。癖になりそう。

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