白昼の幻
月浦影ノ介
白昼の幻
もう二十年以上も昔の話になる。
その年のお盆休み、私は友人の墓参りに訪れた。
彼はその一年前の春、自ら命を断った。まだ十九の若さだった。
中学以来の付き合いだったが、彼は学生で、私は社会人だった。自ずと会う機会も少なくなる。
友人が亡くなる一週間ほど前、私は彼の家に電話をした。まだ携帯電話が今ほど普及していない頃だ。
特に用があった訳ではないが、しばらく会っていなかったので、何となく話をしたくなった。友人は不在であった。また掛け直そうと思いながら忙しさにかまけて失念し、そうこうするうちに彼の訃報が届いた。
そのことを別の友人に話すと、それは虫の知らせじゃなかったのか、と言われた。むろん私にそんな自覚はない。
すると、その友人は奇妙な写真を見せてくれた。その半年ほど前、死んだ友人を含む数人でキャンプに行ったときのもので、森だか林だかを背景に彼の姿が写っている。
その写真を見た瞬間、あることに気付いて私はゾッとした。
彼の背後にある木の枝から、蔦が垂れ下がっているのだが、角度的にそれが彼の首に巻き付いているように見えて、ふと首吊りの様子を連想させたのだ。まるでその半年後の彼の姿を予言するかのように。
「なんだか気味が悪くてなぁ。これだけは、あいつに見せられなかったよ」
そう言って友人は写真を机の引き出しにしまった。
いずれもただの偶然だと言ってしまえば、確かにそうなのだろう。
だが、おそらく予兆はあったのだ。しかしそれに気付くには、私たちはあまりに未熟で鈍感すぎた。
路肩に停車し、車を降りた。辺りに民家はなく、ずっと畑と空き地が広がるばかりの殺風景な場所である。小高い丘へと続く、雑木林に囲まれた細い坂道を徒歩で登って行く。この先の共同墓地に、彼の墓はあった。
お盆ということもあり、墓地は綺麗に清掃されていた。どの墓石の前にも花や供物が供えられている。先ほどまで誰かいたのだろう、線香の微かな匂いが辺りにまだ残っていた。
友人の墓は敷地内の一番奥にあった。黒光りする御影石の墓石はまだ真新しく、息子の死を切っ掛けに墓を建て直した彼の両親の心情を思うと胸が詰まる。
正午を過ぎたばかりで、太陽は頭上の高いところにあった。むっとするような草いきれの匂い。ジメジメとした湿気がまとわりつき、汗に濡れて肌に張り付くシャツが不快である。風のない日で、墓地を囲むように生い茂った木々の枝はそよとも動かず、耳を聾する蝉時雨が夏の日差しと共に、建ち並ぶ墓石の上で跳ね返り谺していた。
「よう、来たぞ」
応える訳もないのに墓石に向かって声を掛ける。手にしていた生花やペットボトルの水を一旦地面に置いて、再び墓石に目を向けたそのときだった。
墓石の背後から、誰かが顔を半分だけ覗かせ、こちらをじっと見据えていた。
思わず「うわっ」と声を上げて仰け反り、逃げるように後ずさった。
慌ててもう一度見直したときには、墓石の背後に確かに見えたはずのその顔は、いつの間にか消えていた。
驚いたせいで心臓が早鐘のように鳴っている。冷たい汗が全身から一度に吹き出すのが分かった。たった今、自分の目で見たものが信じられない。
足音を忍ばせるようにゆっくりと近付いて、墓石の後ろをそっと覗き込んだ。そこには人間の顔など影も形も存在しなかった。隣の土地との境界を仕切るブロック塀があるばかりで、そもそも人が入り込むには狭すぎる。
私は辺りを見回した。墓地には私以外に誰の姿もなかった。しばらくは唖然としたまま、まるで取り残された迷子のようにその場に立ち尽くし、意味もなく辺りをキョロキョロと伺っていた。きっと怖かったのだ。
墓石の背後から覗き込んだ顔に見覚えはない。というより、あまりに一瞬の出来事だったので、男か女かすら見分けが付かなかった。
ただ墓石に半分隠れながらも、逆に誇示するように突き出されたその顔は能面のようにのっぺりとして何の表情も感じられず、そのせいかひどく現実味が薄いようにも思われた。
あるいはあれは死んだ友人ではなかったかという気もするが、ただそんな気がするというだけのことで、むろん確証らしきものは何もない。そもそも私はその当時、死んだ人間が霊になって現れるなどという事をまったく信じていなかった。
あの日、私が見たものはいったい何だったのか。
ときどきふと思い出すが、当然その正体など分かるはずがない。
答えのない宙吊りの疑問と共に記憶に残っているのは、激しく照り付ける太陽の眩しさと、むっと鼻を衝く草いきれの匂い。そして谺する蝉時雨の中でじっと息を潜める、墓石の列の沈黙であった。
あれはきっと、ほんの一瞬の目眩にも似た白昼の幻だったに違いないと、今ではそう思うことにしている。
毎年お盆のたびに友人の墓参りに訪れるが、その後、あの顔に再び出会ったことは一度もない。
(了)
白昼の幻 月浦影ノ介 @tukinokage
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