2.幼馴染み
入り口からしばらく進んで行くと樹木の少ない開けた場所が見え、そこが視界に入った途端にマルスはより一層速度を上げて走った。とはいえ、まだそこまでやや距離があるためマルスは近道をしようと思い、森の奥へと切り開かれている大きな道から逸れ、木と木の間にある細道に入る。
獣道とも言えるようなその小道を抜けて開けた場所に辿り着くと、そこには彼と同い年くらいの少年と少女が二人で立っていた。
「ごめん……っ! 遅れた!」
息を切らして肩を上下させながら二人のそばに駆け寄りつつ、マルスは謝る。
「まったく、自分から言い出したくせに一番遅いとは……」
「待ちすぎて、お腹空いた……」
マルスの登場をずっと待っていたらしい少年と少女は、口々に彼に向けて文句を言う。
少年の方の名はアイク・ディルニストと言った。
青色がかった黒髪と夜空のような黒い瞳が、彼の冷静沈着な性格を表しているようだ。
彼はグラドフォス騎士団長を代々務める由緒ある貴族ディルニスト家の者で、現団長のヴェイグ・ディルニストの子息五人兄弟の末弟である。
少女の方の名はパルと言った。
マルスの青い瞳とは異なり、澄んだ空のような淡い青色の瞳をしていて、高いところで二つに結ったさらさらとした長い黒髪が印象的だ。彼女は表情の変化が人に比べ微弱で、抑揚のあまりない独特な喋り方をする。
また、マルスもそうなのだが、彼女は三人が幼い頃にあった国家戦争という災禍で両親を失った戦争孤児でもあった。
マルス、アイク、パルの三人は幼馴染みで、よく三人で集まっては剣の練習をしたり、その辺の森を探検したりしている。ただ、アイクの父親が自身の息子とマルス達が付き合うことをあまり快く思っていないため、いつもこの郊外の森で隠れるようにしてこっそりと会う事がほとんどだった。
今日のようにこの森で集まるのは、三人にとって日課のようなものだ。
「それで、例の場所に行くのは今夜だろう? 早く本題に入ろう。今日はこれから父さん直々の剣の稽古があるから、遅れるわけにはいかない」
早く話を進めてくれと、アイクが言う。
名門家の子息であるが故、常に一日の予定が稽古や勉強で埋められているアイクは、本来こうしてこの場にいる事が時間的に難しいはずだ。それが可能なのは、彼自身の要領の良さと、マルスとパルを心の拠り所としている一面あるからだった。
とはいえ、アイクが忙しい事に変わりはなく、特にこの後の父親直々の稽古は遅れるわけにはいかない。もしも目を盗んで外出している事がばれてしまえば、当分は外出禁止になる事も有り得るのだ。
「アイク、忙しいもんね……」
「分かってる分かってる」
アイクの忙しさを分かってはいながらも、マルスは特に遅れて来た事を悪びれる様子も無く、本当に時間を気にしているのかさえ怪しい態度を見せた。
そんな彼の様子を見て、アイクは溜め息混じりに口を開いた。
「お前は時間というものが考えられないのか?」
「はぁ? どういう意味だよ!」
遅れて来たどころかまるで反省する様子もなく、適当に反応するだけのマルスに対して呆れを滲ませながら、アイクは小言めいた言葉を彼に投げ掛けた。その言い方が癇に障ったらしく、マルスはやや語気を強めて聞き返す。
「そのままの意味だ」
ふん、と不機嫌そうにアイクは鼻を鳴らす。彼からの返しを聞いたマルスは、唇を僅かにすぼめて不満を露にし、眉間に一層強く皺を寄せる。
マルスは幼い頃から一緒にいるため、彼の忙しさや彼の家の厳しさを十分理解してはいる。だが、マルスの遅刻癖や他に気を取られてしまう癖も筋金入りのものだった。
「オレだって時間くらい考えられるよ! だから、ちょっと遅れたって思って、急いで走ってきたんだからな!」
「時間が考えられるのならば、そもそも遅れるようなことはないと思うが?」
マルスの反論に対してさらに反論を重ねるアイク。
どちらかの文句や反論に対して、さらに文句や反論を返してしまうのは二人の悪い癖だった。
二人は睨み合い、あと少しで取っ組み合いでも始めそうな様子だ。
「……はぁ」
傍らで二人の様子を見ていたパルが、呆れたように溜め息をつく。
その次の瞬間、マルスとアイクの頭に鈍い痛みが走った。パルが喧嘩を止めるために、二人の頭に手刀を振り下ろしたのだ。
「いったぁ!」
「くっ……!」
マルスとアイクはズキズキと痛む頭を同じような格好で押さえる。当たり所が悪かったのか、マルスの方はうっすら涙を浮かべていた。
「二人が喧嘩したら……もっともっと、遅くなっちゃう……」
痛みに顔を歪める二人とは対照的に、パルは表情一つ変えず言う。
「マルスもアイクも……喧嘩しちゃ、ダメ……」
表情はあまり変わらないものの、パルはやや低い声で二人をたしなめる。
一応年齢的には一番下のパルに言われ、マルスとアイクは気恥ずかしそうな面持ちで互いを見合った。
「……悪かったな、マルス」
「ううん、オレの方こそ……」
どことなく気が進まないといった顔をしつつも、二人は互いに謝る。
そして今度はパルの方に体を向け、声を揃えて謝った。
「次、喧嘩したら……もっと痛くする……。あ、お菓子奢るのでもいいよ……」
パルは胸の辺りで拳を見せながら、二人を睨む。
三人の身長差的に彼女の睨みは上目遣いに近いものになってしまうが、その冷ややかで鋭い眼光は決して上目遣いなどというような可愛らしいものではなかった。
その眼光に射貫かれた二人は、怯えた顔で彼女の言葉に何度も頷いた。
マルスとアイクは些細な事でよく言い争いをしては、喧嘩に発展しそうになる。そして、そんな二人を言葉で、あるいは少々強引な方法でパルが止める。
幼い頃から喧嘩中の二人には口で注意しても通じない事が多く、パルが手を出して止めざるを得なかった。それがずっと続いて、今もパ二人を止めるためにしばしば手が出る。
しかしながら、毎度痛い目に遭いながらもマルスとアイクはそれに懲りず、言い争いを繰り返すのだ。
恐らく、今の彼女の忠告も数時間経った頃には何の意味も成さなくなるだろう。無論、パルはそうなる事もよく分かっている。
「また喧嘩に発展しそうになったら、止めればいいや」とその程度に捉えているため、二人への忠告もそこまで本気ではない。
それどころか、必死に自分に謝る二人の見事なまでの息の合い様を見て、「やっぱり誰よりも通じ合っているよね」と、微笑ましくすら思っていた。
「じゃあ、本題に戻ろ……?」
「あ、うん。そうだね」
パルがその場を仕切り直し、三人は喧嘩から気持ちを切り替えて再度話を進める。
「それじゃあ、今夜行くって事でいい? 夜中の二時くらいにまたここに集合。おばけが出そうな時間だけど……」
マルスが二人の顔を見て今夜の予定を確認する。
三人は前々から、森の奥で見つけた洞窟へ探検に行こうと計画をしていた。そして、今夜ついにその計画を実行に移す最終確認のために、今こうして集まっているのだった。
探検の出発時刻にあえて夜の、まして夜中を選んだのはアイクの事情を考慮したからだ。
本当は夜の八時くらいに出発して、夜中の十二時前には帰って来たいところだった。だが、それでは夜分の外出を禁じられているアイクが父親に見つかって、三人で会う事を今後一切禁じられてしまう恐れがある。
生真面目が服を着て歩いているような気質をしているアイクの父親は、よほどの大事がない限り必ず十一時に就寝、五時に起床という規則正しい生活をしている。そのため、父親の就寝から起床までの時間にしか好機はない。
「ああ。問題無い」
「それで、いいよ……」
アイクとパルは、マルスの言葉に同意を示して頷く。その途端に、三人の瞳は期待と好奇心で幼子のように輝き出した。
「ああ楽しみだなぁ! ずっとあそこを探検してみたかったんだ」
「魔物もいて危険だが、良い腕試しになるだろうな」
「怖いけど……ちょっと、楽しみ……」
三人の声は未知の物事に対する好奇心と期待に溢れており、その好奇心や期待を三人で共有出来る事を何とも心地よく感じていた。
洞窟はどうなっているのか、どんな魔物がいるのかと言った話で盛り上がっている時、ふとアイクが太陽を見上げた。
「……おっと、そろそろ家に戻らないと父さんに怒鳴られるな……。悪いが先に帰るぞ!」
アイクは太陽の位置から時間を推測してそう言う。厳しい父親の目を盗んでやって来ている彼は、よくこうして太陽の傾きから時間を計測しては門限を気にするのだ。
「うん、じゃあまた後で!」
マルスはすでに街の方へと走り出しているアイクに声をかける。その隣でパルが小さく手を振っている。アイクは返事代わりに片手を上げてみせ、振り返る事無く走り去っていった。
「アイク、大変だね……」
「まぁ、アイクのとこは立派な貴族様だし、何かと厳しいからね」
マルスとパルは走り去っていったアイクの後ろ姿を遠目で見つめる。
それからマルスは太陽に向けて手を伸ばすようにしながら、大きく伸びをした。
「さーて、オレ達も戻ろっか。……あ、雑貨屋のおじさんのとこに給料貰いに行かないと。パルも一緒に来る?」
アイクの姿が見えなくなったところで、マルスは雑貨屋の主人に給料を取りに来るよう言われていた事を思い出す。今日はこの後何も用事が無いであろうパルに、彼は一緒に来るかと誘った。
「うん……。暇だから、ついてく……」
何となく短時間でもう別れてしまうのが惜しく思ったパルは、こくりと小さく頷く。
二人は並んで今夜の事をあれこれと話しながら、ゆったりとした足取りで居住区の方へと森の道を戻って行くのだった。
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