3 祈りの歌

 気持ちがはいらないときでも、儀式がおこなわれれば、宝玉が生まれます。

 己の力がちっとも注がれていないそれを掲げ、ジュスティーヌは空虚なこころでほほえみます。

 なんて滑稽なのでしょう。

 皆は、なにに感謝しているというのか。

 私はどうしてここに立っているのか。

 きっと、誰でもよいのです。

 ジュスティーヌでなくとも、見えない「法力の持ち主」がいれば、それでよいのですから。


 そんなふうにかんがえていた折、ジュスティーヌはフェロン宰相に声をかけられました。

 宰相は二人いますが、フェロンはあまりかかわることのない人でした。ずいぶんと年上の――祖父といってもいいような年代の男は、眉をさげた不安そうな顔をしています。

「ジュスティーヌ様、どこかお悪いのですか?」

「いいえ、なにもありません」

「法力が安定していないのではないかと思いまして……」

 そう言われたとき、なぜだか急に、いきどおりをおぼえました。こんなふうに怒りをおぼえたことなぞ、いままでなかったことです。

 あらぶる感情のまま、ジュスティーヌはいいました。

「よいではありませんか。どうせ私でなくてもよいのでしょう? 法力は、私のものではないのですから!」

「なぜ、それを……」

「私がいる意味なんて、なにもないのだわ。私の法力なぞ、ひとかけらも入っていないのに、あんなにも宝玉は輝いている」

「入って、いない、と?」

 だから――と、フェロンが青い顔をしました。

 ジュスティーヌはたずねます。

「教えてください。誰なのですか? フックスも、騎士たちも、教えてくれないのです。おかしいではありませんか、本当の巫女は、その者なのに」

「――お覚悟は、ございますか?」

 しばしの沈黙ののちに、フェロンが問いました。

 重い声色は、ジュスティーヌの胸をひやりと冷たくしましたが、ごくりと唾をのみこんで、ちいさくうなずきます。

 そうしてフェロンの部屋にいざなわれ、ジュスティーヌは、もうひとりの巫女について知ったのです。


 それは、あの塔にいる女の子でした。

 もうずっと前から――ジュスティーヌが巫女となったときから、ずっとずっと、ずっと少女は法力をささげていたのです。

 自分がほこらしげに掲げた輝き、民からの感謝、国の誉れ。

 それらはすべて、ジュスティーヌだけのものではなかったのです。


 はじめからずっと、ジュスティーヌは「はりぼての巫女」でした。




 セヤという少女は、孤児だといいます。

 色素の薄い髪と蒼天の瞳は、法力を多く湛えた者が宿すあかしです。その色を持つ者が孤児であるということは、なにやらうしろぐらい事情がありそうでした。

 セフィドの騎士を父とする婚外子。

 意に添わぬ形で生まれた巫女の子ども。

 騎士を務めた者が、身分の低い娘と子を成したとしても、家に認められることはありませんし、ただのたわむれでしかなく、表にでることはありません。

 くわしい出自はいまとなってはさだかではありませんが、セヤは、巫女や騎士を輩出する家の血を引きながらも、認められることもなく捨てられた子どもである可能性が高いでしょう。


 すべてを知ることを望んだジュスティーヌに対し、フェロンは隠さずに明かしてくれました。

 それは、巫女と騎士をとりまく、生々しい婚姻事情です。

 セフィドの騎士を目指す若者は、セフィドの巫女を得ることを目的とし、家名をあげるため――次代の巫女を家から出すために、セフィドの騎士をひたすら目指しているのです。

 分家生まれのジュスティーヌは、まったく知りませんでした。

 知っていて当たり前のことなのか、それともよけいな知識を与えまいとしたのか。

 傍で控える騎士が、同年代でかためられている理由がわかりました。あんなにも熱いまなざしを向けられるわけは、それだったのでしょう。

 言いづらそうにしていたフェロンから、むりやりききだしのはジュスティーヌなのですから、文句をいうのはすじちがいというものです。ジュスティーヌは、フェロンに感謝しました。



  *



 私室には、巫女本人にしか扱えない秘密の箱があります。

 その中に収められた宝珠を取りあげ、手のひらで包みこむと、そっと祈りをささげました。フェロンから受け取ったそれは、法力を溜めこむための、簡易的な器として使われるものです。

 ジュスティーヌが立つ前、複数の巫女候補が法力をささげていた時も、おなじものが使用されていたように、巫女の代替となる宝珠です。

 闇を溶かしこんだような黒水晶は、法力を内包する作用があります。こうして手にしているだけでも、己の手から力が抜けていくのがわかりました。

 それは、ぞっとするような感覚でした。

(でも、これぐらいは、なんてこともないはずよ。あの子に比べたら、平気だわ)

 ジュスティーヌよりもふたつ年下のセヤは、今の自分よりも幼いころから、おなじことをしていたのです。

 いいえ。それよりもずっと、ひどいことをされていたのです。

 祈りの塔と呼ばれる場所は、巫女になれなかった娘たちに開かれている聖域とされていますが、ほんとうは巫女以外の者から法力を吸いあげる・・・・・ための装置なのです。

 足りない力を補い、助け合うために作られた自助装置は、いつしか歪められました。

 今の塔は、まるで巫女の牢獄です。内部に施された魔方陣は、身体から強制的に法力を奪いとります。ただそこにいるだけで、法力を――命を吸われているのです。

 フェロンいわく、セヤに宿る法力はとても多く、歴代巫女と比較できないほどに強大な力を持っているそうです。しかし器がとてもちいさく、そのせいで身体に影響が出ている状態となっていました。

 放出して減らすことは、セヤの身体にとってもよいことでしたが、限度があるというものです。

 投げやりな気持ちで儀式をおこなっているあいだ、ジュスティーヌが法力をそそぐことをおこたっているあいだ。

 そんなときでも輝きを放っていた宝玉は、セヤの命だったのです。

 ジュスティーヌの胸は、はりさけそうでした。

 それまでのおこないを、深く、深く反省しました。

 そうして決めたのです。

 セヤのためになることをしよう、巫女としての責をはたそう、と。



 日々、寝る前に宝珠へ力を注ぎます。

 たくさんではありません。ほんのすこし、次の儀式へ影響がでない程度の量を、すこしずつ宝珠へと溜めていくのです。

 法力量の足りなさを嘆きたくなりましたが、仕方がありません。無理をして倒れてしまえば、かわりにセヤの法力が失われるのです。そんなことはさせません。

 自分はセフィドの巫女です。

 陰の巫女にかわって民の目を引く、光の巫女です。

 目立って目立って、そうして皆に自分を必要とさせて、陰を払うのです。

 ふたりでひとりの巫女になればいいと思っていましたが、こんな制度ものに巻きこむのはいやでした。

 少女セヤは被害者でしかありません。

 彼女の生まれすら、この社会の弊害なのです。

 生まれた時から貴族社会に身を置いて暮らしている自分はともかく、なにも知らない女の子を晒しものにするのは、御免こうむります。


 彼女をいつの日か、解放する。

 フェロンだけではなく、それはジュスティーヌの願いになりました。



  *



 塔の秘密を知ってから、五年が過ぎました。

 あれ以来、ずっとひそかに力を注ぎつづけた宝珠は黒く輝き、内なる法力ははかりしれないほどです。

 準備は整ったも同然です。

 あとは、どうやってセヤを外へ出すかでしょう。

 そのあたりのことは、フェロンが尽力しているようですが、ジュスティーヌはかかわりをもたないよう心がけているので、くわしく知ることはありません。セヤのことを知っている事実を、フェロン以外の者に知られるわけにはいかないのです。

 きっとセヤ本人すら、ジュスティーヌが「知っている」ことは、知らないのではないでしょうか。

 けれど、それでよいのです。

 知らなくても、よいのです。



 その名前をはじめに耳にしたのは、あたらしく傍付きとなった騎士からでした。

 ジュスティーヌ以外の者と交わす会話のなかで聞こえたそれに、おもわず反応してしまいます。

「堕落姫。そう呼ばれているのですか?」

「……正直に申しあげますと、まだかわいげのある呼び名だと思います。一時とはいえ傍付きとなった身からすれば、実情はもっとひどいものですから」

「そう……」

 フェロンから聞いてはいましたが、セヤに付く騎士は長続きせず、あいかわらず入れ替わってばかりなようです。

 登城するセフィドの騎士候補たちは、ジュスティーヌの傍付きになれないとわかると、城を去るか、別の役職を求めるかに分かれますが、セヤの騎士に就いてくれる者はいないのです。 

 寝てばかりいる。

 ぼーっとしている。

 畑の案山子かかしのようだ。

 そんなふうな声をきくと、焦燥感がつのります。

 歩くこともままならないほど、弱っているのでしょうか。

 セヤの身体は、あとどれぐらいもつのか。

 上からそっと覗いているだけでも、セヤがどんどん痩せて、みすぼらしくなっていくことがわかります。

 早く。誰か、あの子を守ってあげて。

 神さま、どうかあの子をお救いください。



 また、新しく傍付きの騎士を選定する日がやってきました。

 今回採用されたのは、セドリック・デュナンという若者です。デュナン家は、騎士を多く輩出する名家です。騎士学校での成績もよく、擦れたところのない、綺麗な瞳をしていました。

(こんな方でも、胸の内では、巫女とのよすがを求めていらっしゃるのかしら……)

 巫女として立って、早十年。ジュスティーヌは殿方との駆け引きに、辟易していました。

 野心なぞと無縁に見えた者でも、実家からの声にはあらがえないのか、はたまた幼いころから刷りこまれているのか。任を退くまで待っていられないとばかりに、思いの丈をぶつけてくる者は数知れず。そうして城を去った者でも、セフィドの騎士を務めた者として、名を馳せることができるのですから、よくできた流れだと、ジュスティーヌは他人ごとのように思います。


 新たな騎士が配されてしばらくすると、塔のようすが変わってきました。

 足しげく通う者があらわれたのです。

 外を歩くセヤのようすも、変化していきます。まるで徘徊するようだった歩みは、従者を伴ったものへ変わりました。

 騎士がやって来たのです。

 たったひとり、彼女にとっては唯一の騎士にして、この国におけるもっとも尊い「セフィドの騎士」があらわれたのです。




 思いつめた顔のフェロンに宝珠を渡した晩、月明りだけが照らす部屋で、ジュスティーヌは窓の外を眺めていました。

 この部屋から、塔は見えません。真反対に位置するあの場所を伺い知ることはできませんが、きっとそれでよいのです。これから起きることは、誰にも知られてはならないのですから。


 ごめんなさい。

 そして、いままで本当にありがとう。

 どうか、どうか、しあわせに。


 ジュスティーヌはそっと、祈りをささげました。

 手のひらから生まれた法力が、白く輝きます。


 それはとてもあたたかく、優しさを湛えた淡い光でした。


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堕落姫とお守の騎士 彩瀬あいり @ayase24

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